急遽、私たちはグリスノート達について海賊団ブルーのアジトへ向かうことになった。 アジトはリディアンちゃんの家より更に岩山を登っていった山頂付近にあるらしく、私はまたひとりぜいぜい言いながら背後にいるラグにせっつかれるようにしてでこぼこで急な階段を登っていた。 夜明けが近いのか空が白み始めていて先ほどより視界は悪くないが、やはり気を付けていないとうっかり踏み外してしまいそうだ。 少し前を行くセリーンにオルタードという人物について訊ねたかったけれど、その硬い表情を見ていたらなんとなく声を掛けられないでいた。その人物が、彼女の会いたがっていた海賊団の「長」だと知って明らかにショックを受けていたようだったけれど――。 「あなた、カノンだったかしら。女の子だったのね」 大分先を進んでいたはずのリディアンちゃんが待っていてくれたのかそう声を掛けてきてどきりとする。――彼女も私たちについて来ていた。 私はあれから着替える暇もなく男装したままだったが、先ほどの会話でどうやらバレてしまったみたいだ。 「ご、ごめんなさい。騙したりして」 「いいのいいの、それはお互い様。私も海賊のこと知らないふりしたりして、ごめんなさい」 そして、私たちは笑い合った。 ――あのグリスノートの妹だと知って驚いたけれど、普通の良い子みたいだ。 だがリディアンちゃんの視線が後ろのラグに移る。 「でも、あなたは一体どうなってるの? さっきは確かに小さかったわよね?」 「……」 しかしラグは話す気がないらしく顔も上げなければ口も開かない。慌てて私は言う。 「なんというか、術の一種みたいなもので」 「あぁ、そういえば術士がいるって兄貴たちが言ってたっけ。術って不思議ねぇ。――あ、ということは、カノンの方が妹ってこと?」 「あー、えっと、……ごめんなさい。兄弟っていうのも実は嘘で」 「そうなの? うちと同じだと思ったのに」 「ご、ごめんなさい」 私はもう一度謝罪する。でもリディアンちゃんはううんと首を振った。 「それより、びっくりしたでしょ?」 「え?」 「うちの兄貴のこと」 「あぁ……」 リディアンちゃんはもう大分上の方に見えるグリスノートの背中を見つめ、さも困ったように言った。 「まったく、グレイスのことになるといつもああでね。恥ずかしいったらないわ」 そして彼女の視線が今はラグの頭に乗っているブゥに移る。 「その子だって、全然凶暴そうには見えないのに。本当にごめんなさいね」 「ハハ、でもグレイスの歌声は本当に綺麗だし、お兄さんの気持ちわからないでもないかも」 私もグリスノートの後ろ姿を見上げながら言う。 「それに、海賊の頭なんて凄いね。まだ若いのに」 (グレイスや歌のことになると、確かにちょっと怖いけど……) と、リディアンちゃんが瞳を大きくして私を見ていることに気が付いた。 「え?」 「……カノン、あなたって今フリー?」 「へ?」 思わずおかしな声が出てしまっていた。――なぜか、リディアンちゃんから妙な圧を感じた。 「心に決めた人がいるのかってこと。あ、ひょっとして彼がそうなの?」 リディアンちゃんの視線を追うように後ろを振り向いて、ラグとばっちり目が合ってしまった。 私は慌てて視線を戻しながらブンブンと首を振る。 「違う違う! い、いないけど、なんで?」 なんで急にコイバナ? そう思いながら首を傾げるとリディアンちゃんはにっこりと笑った。 「そう。良かった」 「?」 私も釣られて笑顔になりながら更に首を傾げた。 「リディ! なんでお前までついて来てんだ!」 そのとき大きな怒鳴り声が聞こえてきて驚く。もう大分先を行くグリスノートだ。 リディアンちゃんはキっとそちらを睨み上げると負けない声量で怒鳴り返した。 「いいでしょ、別に! 私だってグレイスが心配なのよ!」 するとグリスノートはこちらに聞こえるような舌打ちをひとつして前に向き直りまた進みはじめた。 その後で、リディアンちゃんが小さく呟くのを私は聞き逃さなかった。 「オルタードのことも気になるし」 「リディアンちゃん。その、オルタードって人のことなんだけど」 私が声を掛けるとリディアンちゃんは再びこちらを振り向いた。 「リディでいいわよ」 「え? じゃあ、リディ」 私が少し照れつつそう呼ぶとリディは満足げに頷いた。 「オルタードのこと?」 「そう。どんな人なのかなって」 少し前を行くセリーンにも聞こえるように少し大きな声で訊く。 するとリディはすぐに答えてくれた。 「オルタードは海賊団ブルーを作った人よ。兄貴が頭になってからはみんな長って呼んでる」 そう話すリディはなんだか誇らしげに見えた。 「このイディルはね、オルタードのお陰でみんな安心して暮らせているの」 「お蔭で?」 そのとき、急に視界がぱあっと明るくなった。思わず足を止め海の方を見れば丁度水平線から朝日が顔を出すところで、その美しさに一時目を奪われる。 キラキラと輝くコバルトの海には、すでに漁に出ているのだろう船が何隻か見えた。そして、昨夜はわからなかった町の全貌が見渡せた。確かに小さいけれど、とても綺麗で穏やかな港町だ。 (あれ……?) そういえばグリスノートたちの乗っていたあの大きな海賊船が見当たらない。彼らがここにいるのだからどこかに停泊しているはずなのに。 そんな疑問が頭を掠めたとき、私と同じように立ち止まり町の方を眩しそうに見下ろしていたリディが話を再開した。 「イディルはね、大戦で故郷を追われた者たちが集まって出来た町なの。オルタードもその一人」 大戦で故郷を追われた者たち。――セリーンの故郷であるエクロッグの名を思い出す。 「でも過去に何度かこの辺りの海にのさばっていた海賊に襲われてね、それでこの町を守るためにオルタードが中心になって自分たちで海賊団を立ち上げたってわけ。だから、この町の人たちはみんなオルタードに感謝してる」 この町を守るために海賊団を……。 ちらりとセリーンの横顔を見上げる。彼女も足を止め海の方を見つめていた。 「でもね、私はもうこの町に海賊団なんていらないと思ってるの」 「え、そうなの?」 驚く。今の話を聞いただけだと海賊団に対してすごく好意的に思えたのに。 すると彼女は私を見てきっぱりと言いきった。 「だって、やっぱり人のものを奪うって良くないでしょ?」 「う、うん」 お兄さんから勝手に借りたものを身に付けている私は笑顔が引きつるのを感じながらも頷いた。 ちなみにあの『セイレーンの歌』という本も借りたままだ。グリスノートは気づいているのかいないのか、どちらにしてもグレイスのことで頭がいっぱいでそれどころではなさそうだ。 出来るならあの楽譜のことも訊きたいけれど、グレイスの一件が落ち着いたらそんなチャンスがあるだろうか。 と、そんなグリスノートの方を見上げリディが続けた。 「兄貴はあんまり手荒なことはしてないって言うけど、船を襲うわけだからどうしたって傷つく人は出るだろうし。カノン達だって兄貴たちに襲われて大変だったでしょ?」 「あぁ、うん」 「だから、私は兄貴には海賊なんて早くやめて欲しいって思ってるの」 「遅ぇぞお前ら!」 再び怒鳴り声が降ってきたのは、丁度そんなときだった。 「口を動かしてねぇで足を動かせ足を! グレイスが今か今かと待ってんだよ!」 そしてまた負けじと怒鳴り返すリディ。 「煩いわね! 仕方ないでしょ、カノンたちはまだここを登り慣れてないんだから!」 「ったく、とにかく早くしろ!」 そうして彼の姿は仲間と共についには見えなくなってしまった。あそこがもう頂上なのだろうか。 ふぅと溜息をひとつ吐いて、リディがこちらを振り向いた。 「ごめんね、ほんと煩い兄貴で。足元に気を付けてゆっくり行きましょう」 「はは、ありがとう」 私は苦笑しながらお礼を言って、再び階段を登り始めたのだった。
「やっと、着いたぁ……!」 最後の段を登り終えて、私はそう歓声を上げ直後その場に座り込んでいた。 息を整えながら海の方を見ると日はもう完全に水平線を離れ私たちを明るく照らしていた。 大変だったけれどとても清々しい気分だ。誰かさんの呆れたような溜め息が聞こえた気がしたけれど、それでも気分は爽快だった。 「大丈夫?」 リディのそんな心配そうな声がして顔を上げようとしたときだ。 「漸く来たか。遅ぇな」 そんなイラついた声が海とは反対の方から聞こえてきて振り返る。 岩山の頂上はごつごつとした地面と少しの緑が広がっていた。 そこにポツンとひとつ小屋が建っていた。その前でグリスノートが仁王立ちしてこちらを睨んでいる。仲間の姿はない。 (あれが、アジト?) 確かに見晴らしは良さそうだけど、想像していたアジトのイメージより大分小さくて少し拍子抜けする。 仲間たちとオルタードはあの中にいるのだろうか。 「ほら、もう立て」 そんな溜息混じりの声と共に視界の端に大きな手が映った。私はありがとうとお礼を言ってラグのその手を取りなんとか立ち上がる。 「こっちだ。早くしろ!」 グリスノートは背を向け、小屋の裏手側へと回った。小屋に入るわけではないらしい。――と、 「あとは下りだけだから、そんなに辛くないと思うわ」 リディがなんだか面白がるように私たちに言った。 「下り?」 私が首を傾げると、ふふと笑ってリディも慣れた足取りで小屋の裏の方へと向かった。 セリーンがその後を追い、私もラグと共に足元に気を付けながら続く。――そして。 「わぁっ!」 眼下に広がる光景に、知らず感嘆の声が漏れていた。 小屋の裏手――イディルの町の反対側は岩山にぐるりと囲まれた入り江になっていた。 底には白い砂浜が広がっていて静かにブルーの波が打ち寄せている。 そしてそこに隠れるようにして、あの大きな海賊船が泊まっていたのだった。
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