「本当にいいのか? 3人もいっぺんに」 「いいのいいの、今うち私しかいないから」 そんなリディアンちゃんの明るい声が大分上の方から聞こえてくる。 あれから彼女が仕事を終えるのを待ち、今私たちは彼女の家へと向かっていた。 家は先ほど私が見上げた岩山の中腹あたりにあるらしく、彼女が店からもらってきた小さな火を頼りに長く急な階段を踏み外さないよう慎重に登っていかなくてはならなかった。 「大丈夫かよ、“お兄ちゃん”」 その声に驚いて見上げると少し登った先でラグが呆れ顏でこちらを見下ろしていた。 彼から本当に「お兄ちゃん」なんて言われるとは思っていなかった私は内心びっくりしつつ答える。 「だ、大丈夫」 「ったく、相変わらず男のくせにどんくせぇな」 「は、はは」 「もう少しだから頑張って!」 聞こえていたらしいリディアンちゃんからそんな声が掛かって、ああ、わざとなのかと気づく。 「はいー!」 なるべく低い声で返事をすると、ラグは今度は小声で「しっかりしろ」と言って再び背を向けた。 うんと小さく答え、私はもう一踏ん張りだと脚に力を入れた。 漸くその家の前にたどり着いたときには完全に息が上がってしまっていた。 「毎日これ、上り下り大変だね」 私が言うと彼女はにっこりと笑った。 「いつものことだから、もう慣れっこ」 そんな彼女の家は確かに他の家に比べると大きかった。 (それにしても、よくこんな場所に家を建てようと思ったなぁ) 岩壁に貼り付いたように建てられたその二階建ての家を見上げて思わずため息が漏れる。 ふと背後を振り返ると海と街の全貌が見渡せた。きっと朝見たら絶景なのだろうけれど、今はそのほとんどが闇に浸かっていた。 海賊船らしき灯りも見当たらない。 「どうぞ、入って」 その声に向き直るとリディアンちゃんが家のドアを開けていて、私はセリーン達に続いてその中へと入った。 室内ははじめ真っ暗だったが、リディアンちゃんが窓際やテーブルに設置された蝋燭に持ってきた火を灯していき、漸く中の様子が見えてきた。 部屋の中央には花が飾られたテーブル、奥はキッチンになっているようで暖炉らしきものが確認できた。その手前には上階への階段。 ふと視線を横にやると、壁際の棚の上に何やら小さな置き物がずらりと並んでいることに気が付いた。よくよく見ればそれはどれも人形や動物のかたちをしていて、布製だったり木製だったりと材料は様々だがまるで観光地のお土産屋さんで売られている民芸品のようだと思った。 「寝室は2階ね。セリーンさんは私と一緒の部屋でいい?」 「あぁ、構わないが」 セリーンが答えると次にリディアンちゃんは私とラグの方を見た。 「で、貴方たちは隣の兄貴の部屋を使ってくれる?」 「あ、はい」 そう返事をしてからハタと気付く。 「え!?」 思わず地声を上げてしまうとリディアンちゃんは笑った。 「大丈夫よ。言ったでしょ、今は私しかいないって」 彼女は私が驚いた理由を勘違いしたようで、そのまま笑顔で続けた。 「兄貴は漁師でね、まだ当分帰ってこないわ。だから安心して使って。ベッドはひとつしかないけど、兄弟なんだからいいわよね」 「え、えっと……」 (全っ然よくないです!) 私は内心大慌てでセリーンの方を見る。だが。 「わかった」 「!」 ラグが平然と返事をしてびっくりしてそちらを振り返る。でも彼はリディアンちゃんに真剣な瞳を向けていた。 「それより、この町のことを訊きたいんだが」 「さっき言ってたでしょ。なーんにもない小さな港町よ」 「この辺りに海賊のアジトがあると聞いたことはないか?」 ラグの問いにまた一瞬リディアンちゃんの笑顔が強張ったような気がした。それを隠すように彼女は私たちに背を向け荷物を持ってキッチンの方へ向かった。 「さぁ。私は知らないけど、なんで?」 「海賊船がこの町に向かっていたように見えた」 「海賊船が? ……ああ、貴方たち海賊に襲われたって言ってたわね」 「そのときに大事なものを盗られたんだ」 そう続けたのはやはり真剣な表情のセリーンだった。おそらくはハッタリ。 (寧ろ海賊から物を盗んだのはこっちの方だし……) 私たちが今身に着けているものも、荷物の中に忍ばせている本もあのグリスノートのものだ。 「大事なものを?」 リディアンちゃんはキッチンから顔を覗かせた。 「ああ。だからアジトに乗り込んででも取り返したくてな」 セリーンが言うと、リディアンちゃんは困ったように首を振った。 「そうだったの……。でもごめんなさい、海賊のアジトなんて本当に聞いたことないわ」 「そうか……」 セリーンが息を吐き、私もそれに合わせて小さく肩を落とす。 と、リディアンちゃんはそんな空気を変えるように明るい声で言った。 「貴方たち、サエタ港に向かっていたって言ってたわよね。明日、知り合いの船乗りにサエタ港まで船を出せないか訊いてみるわ」 「それは、有り難いが……」 そして彼女は気遣わしげな笑みを浮かべ続けた。 「折角助かった命なんだから、海賊のことは諦めたほうがいいと思う。盗られたものは、残念だけれど……」 私たちが顔を見合わせていると、彼女はパンっと軽く手を叩き再びにっこりと笑った。 「一先ず、今日はゆっくり休んで! 明日また話しましょ?」 「そう、だな。そうさせてもらおう」 セリーンも笑顔を見せた。 「それじゃ、2階を案内するわね。ついて来て」 灯りを持って階段を上り始めたリディアンちゃんを目で追いながら、私は酷い焦りを覚えていた。 いよいよ、何日かぶりの待ちに待った揺れないベッドだ。――でも。 (ラグと同じベッドで寝るなんて考えられない!) 以前まだセリーンと出会う前、セデの宿で同じ部屋に泊まったことはあったけれど、あのときはちゃんとベッドがふたつあったのだ。 しかし私のことを男だと思い込んでいるリディアンちゃんに、私も貴方の部屋がいいですとは言えない。最悪変態扱いされてしまう。 兄弟設定がこんなところで仇になるなんて……。 ラグもラグだ。わかった、なんて簡単に答えたりして。 (お前と同じベッドなんて冗談じゃねぇって、絶対に嫌がりそうなのに……。あっ) そこで気が付く。何もふたりしてベッドを使う必要はないのだ。どちらかがベッド以外で寝ればいい。 でも待ちに待った揺れないベッドだ。ラグだって私と同じようにベッドで寝たいに決まっている。 (譲ってくれる気がしないなぁ〜〜) そんなことをぐるぐると考えているうちに最後私が階段を上り切ってしまうと、それを確認したリディアンちゃんが奥の部屋を指差した。 「あっちが私の部屋で、こっちが兄貴の部屋」 私が返事をしようとしたときだ。 「私も兄上の部屋を使っていいだろうか」 そう訊ねたセリーンを私はハっとして見上げる。 「私はこの子らの傭兵だ。片時もそばを離れるわけにはいかない」 (セリーン……!) 思わず心の中で歓声を上げていた。 「それは、構わないけど、ベッドはひとつしかないわよ?」 セリーンは頷く。 「大丈夫だ。一応これでも仕事中だからな」 するとリディアンちゃんはふふっと笑った。 「そう、わかったわ」 彼女は手前のお兄さんの部屋のドアを開けると「じゃ、これ」と言って手にしていた灯りをセリーンに渡した。 「ゆっくり休んでね。おやすみなさい」 「ありがとう! おやすみなさい」 私がお礼を言うとリディアンちゃんはまたにっこりと笑って階段を下りて行った。 その姿が見えなくなってふぅと小さく息を吐いていると、おいと小さく声が掛かった。 見るとすでにセリーンとラグは部屋の中に入っていて、私はラグの目線に促され小走りで後に続いた。 部屋の中は酷く殺風景だった。背の高いクローゼットとベッド以外ほとんど物が置かれていない。 部屋の主はしばらく帰ってきていないように思えた。 そんな中ひとつだけ、窓際に下で見たものと同じ木で出来た可愛らしい人形がぽつんと飾られていた。 (なんか、寂しそう) 「間違いねぇな」 「え?」 ラグの声に視線を移すと、丁度ブゥが彼のポケットから飛び出るところだった。 「あぁ」 セリーンが神妙な顏で頷き、そして続けた。 「変装していて正解だったな」 ブゥが相棒の頭に着地するのを見ながら、私はごくりと唾を呑み込んだ。
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