海賊のアジトにエルネストさんの手掛かりがあるかもしれないと期待していたけれど、まさかその手前でこんな形で彼の名を目にするなんて……。

 興奮を覚えながらその短い文字列を目に焼き付けているとすぐ隣で低い声。

「この場所に名前を書くってのは、どういう意味がある?」

「普通は作曲者……この曲を作った人って意味なんだけど」

「偶然、にしちゃ出来すぎだな」

 エルネストさんが作曲……? 考えたこともなかったけれど、妙にしっくりと来た。

 作曲だけじゃなくて、この歌詞もエルネストさんが書いたものかもしれない。だとしたら――。

「どうしよう、この人起こして訊く?」

 振り向いてうつ伏せに伸びているグリスノートを見下ろす。

 ラグも彼を振り返り考え込むように眉を寄せた。

「おい、向こうに灯りが見えるぞ。あれがアジトなんじゃないか?」

 見ればセリーンが窓を覗きこんでいた。

「アジトでなくとも陸が近いのは確かだ。あそこまで貴様の術で飛べないか?」

 ラグが舌打ちをしてそんな彼女に言う。

「お前、まだその長とやらに会う気か? そいつもこいつのようなゲス野郎かもしれねぇぞ」

 するとセリーンはグリスノートに視線を向けた。

「その男に中継ぎを頼むのは難しくなってしまったからな。それでもどうにかして話をしたいが」

 と、その視線が私に移った。 

「カノンが心配だな」

「え?」

「無論私が全力で守るが、先ほどのようなことがまた無いとは限らん。アジトというからにはムサイ男共の巣窟だろうからな」

 ムサイ男共の巣窟……想像してごくりと喉が鳴った。

「――で、でもここにこんな本があったんだし、アジトに行けばもっとエルネストさんに近づけるような気がするし」

 確かに先ほどのようなことがあったら怖い。でもここで引いたら彼がまた遠退いてしまう気がした。

(私がもっと強かったら……)

 せめて見た目だけでもセリーンのように強そうだったら。そう思いながらもう一度グリスノートに視線をやって、ピンと来た。

「そうだ。私変装する!」

「はぁ?」

 私の思い付きにラグが素っ頓狂な声を上げた。

「男装するよ! そうすれば少しは危険減るかも!」

「お前、何言って」

「ふむ、それは妙案かもしれんな」

 セリーンが同意してくれて嬉しくなる。

 だがラグは心底呆れたような溜息を吐いた。

「あのなぁ、変装ったってどうやって」

「服ならこの海賊のものを拝借すればいい」

 セリーンが早速棚の引き出しを開け派手な色の服を引っ張り出していた。

「何やら色々あるぞ。変装に使えそうな小物が」

「ほんと!?」

 歓声を上げた丁度そのときだった。

 ドンドンっと乱暴に扉が叩かれ、同時に複数の男たちの怒声が聞こえてきた。

「頭ぁー!!」

「くそ、開かねぇっ!」

「蹴破れ!」

 先ほど倒した海賊たちが仲間を引きつれてやって来たようだ。

(まずいっ!)

「うぅ……」

 そんな子分たちの声に反応したのか、グリスノートが小さく呻き微かに身じろぎして更に焦る。

 ラグが面倒そうに舌打ちをした。

「一先ずこの船から出るぞ」

 頷いて持っていた本を棚に仕舞おうとして、ひょいとラグに取り上げられた。

「え?」

 そしてそのまま押し付けられて驚く。

「しっかり持ってろ。落とすなよ」

「えっ」

 ――持ってくってこと!?

 確かに大事な手掛かりだけれど、きっとこの海賊にとって大切な本だろう。

「ブゥ! 行くぞ!」

 だがラグはすでに私から視線を外していた。

 ブゥはラグの呼びかけにすぐに反応し、一度名残惜しそうにグレイスにすり寄ってから止まり木から飛び立った。

 その小さな身体がいつものようにラグの頭に乗ったのを見てほっとする。嫌がったらどうしようかと思った。

(ラグもほっとしたんじゃないかな)

 その表情を見ようとして、ドカっ!という凄まじい音がして思わず小さく悲鳴を上げる。

 先程のラグのように扉を壊した海賊たちが数人バタバタと部屋の中に入って来た。

「てめぇら、よくも頭を!」

「ただ失神しているだけだ。直に目を覚ます」

 倒れているグリスノートを見つけ憤慨した海賊たちにセリーンがいつもの調子で答える。だが海賊たちがそれで納得するはずがない。

「うるせぇ!!」

「やっちまえ!」

 怒号を上げそれぞれの武器を手に向かってきた海賊たちをラグとセリーン、更にはブゥも加わって次々と倒していく。

 こういうときいつも自分には何も出来なくてもどかしい。ただ邪魔にならないよう見守るしかない。

 楽譜の載った古い本を両手で握り締め思う。

(せめて歌で支援できたらいいのに……)

 だがそんなことを考えている間に勝負はあっけなくついてしまった。

 海賊が全員動けなくなったところでラグが私を振り返る。

「行くぞ!」

「うん!」

 部屋を出る直前もう一度海賊の頭、グリスノートに視線をやり心の中で謝罪する。

(ごめんなさい。この本借りて行きます!)

 後で絶対返すので……! そう続けてから私たちは彼の部屋を出た。


 すぐ近くの階段を駆け上がり扉を開けるとそこは甲板だった。強い潮風が全身に吹きつけやっと外に出られたのだと嬉しくなる。

 空にはぼんやりと月が出ていた。そしてその下、海の向こうに確かにいくつもの灯りが見えた。本当に陸が近いのだ。

「飛ぶぞ。手ェ貸せ。……うるせぇから文句言うなよ」

「あの子に会えるのなら!」

 セリーンが喜々として答えながらラグの手を取り、彼は一瞬げんなりとした顔をしてから苦笑する私の手を強く握った。

 ブゥがポケットに入るのを確認してからラグは優しげな声で風に話しかけた。

「すまない。少し力を貸してくれ」

 借りた本を海に落としてしまわぬよう、片方の腕でしっかりと抱きしめる。そして。

「風を此処に……!」

 ラグに手を引かれ私たちは夜空に飛び上った。

 途中見張り台にいた男が何か怒鳴っていたようだが、風音のせいでよく聞こえなかった。

 向かう先、点々と散らばる灯りの背後には壁のような高い岩山がそびえていた。――島、だろうか。

「街のようだな。アジトではなさそうだが」

 そんなセリーンの声が聞こえて再び視線を灯りの方に落とす。ぐんぐん近づいてくるそれは確かに街の灯りのようでほっとする。

 なんにしても、やっと何日かぶりに地面に立てるのだ。今はそれが一番嬉しかった。

「街の外れに下りるぞ」

「あぁ!」

 嬉しそうなセリーンの返答に風音に紛れ舌打ちが聞こえた気がした。



 街の外れ、切り立った岩山の麓にラグはまず私たちふたりを下ろしてくれた。

 握られていた手が離れ、久しぶりの地面を感動を覚えながらしっかりと踏み締めていると、続いてラグが着地するのがわかった。

 お礼を言おうと顔を上げたところで突然彼が怒鳴り声を上げた。

「もう離せ!」

「嫌だ!」

 見ればセリーンがまだ小さくはなっていない通常サイズのラグの手を両手で握り締めていた。

 その手をラグが振り払おうと必死になっている。

(なんか、すっごくレアな光景……)

「やっっと、この手で愛でることが出来るんだぞ!」

「ふざけんな! 誰のせいでこんな面倒なことになってると思ってんだ!」

 そう怒鳴りながら、しかしみるみるその身体が縮んでいく。

 危険を察したのだろうブゥが避難するようにポケットから飛び出てパタパタと私の方に飛んできた。

「だがお蔭であの男の手掛かりが見つかったのだろう!」

「こっの……っ」

 嬉しそうに小さくなった手を引き寄せその身体を抱きしめようとしたセリーンだったが、

「本気で嫌いになるからな!!」

「うっ」

呻き声と共にぴたりとその動きを止めた。

(お?)

 そしてゆっくりと肩を落としながらセリーンは小さなラグから手を離した。

(おぉっ!?)

 思わずそんな声を上げてしまいそうになる。セリーンが小さなラグの言うことをきくなんて初めてじゃないだろうか。

 ラグも半信半疑という顏でそんな彼女を見上げている。

「……すまない。そうだな、しばらくは自重するとしよう」

「そ、そうしてくれ」

 じりじりとセリーンから距離をとっていくラグ。それでも彼女はいつものように追いかけたりしなかった。

 本気で嫌いになるぞ、という言葉が効いたのだろうか。

 ラグが一先ず安堵したようにふぅと息を吐くのを見て苦笑していると、セリーンがそんな彼を見つめ幸せそうに微笑んだ。

「もうしばらくはその姿を見ていられそうだからな」

「は?」

「え?」

 ラグと私の声が被る。

「海賊の息のかかった街かもしれんだろう。今のうちに用心はしておいたほうがいい。カノンが変装するのならお前もその姿でいたほうがより安全だろう?」

「あ、そっか」

「ぐっ……」

 海賊船がここに近づいていたのは確かだ。この街の近くにアジトがあるのはほぼ間違いないだろう。

 街の中でも油断は出来ないということだ。

 彼女はうきうきと続けた。

「なんならお前も変装するといい。色々と拝借してきたからな」

 そしてセリーンはパンパンに膨らんだバッグの中から服や小物を引っ張り出し始めた。

「ふふふ、どんな格好が似合うだろうなぁ〜」

 緩みきったその顏を見て、ラグの顔が完全に引きつっていたのは言うまでもない。






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