「わかっただろ。てめぇらが聴いたのはこのグレイスの歌声だ」

「すごい……」

 思わずそう声が出ていた。

 まるで、あのオペラ「魔笛」の「夜の女王のアリア」のような美しい歌声に衝撃を受ける。

(そうか、昨夜もこの子が鳴いていたんだ)

 グレイスと呼ばれた白い小鳥。きっとあのときグリスノートとこっそり会っていたのだろう。この船と連絡を取り合っていたのかもしれない。

「それにしてもグレイス、やっぱお前の歌は最高だぜ」

 グリスノートがその小さな身体に頬擦りするのを見て、その溺愛ぶりに驚く。グレイスの方も嬉しそうにそんな彼に身を寄せている。

「グレイスたちコロコロドリは大昔から“セイレーンの歌声を持つ鳥”と言われていてな」

 それを聞いてぎくりとする。

「だが俺は、そのセイレーンの歌声を聴いたことがねぇ。ブルーの仲間たちもだ。だからこのグレイスの歌声とセイレーンの歌声がどれほど似てるもんなのか俺たちは知らねぇんだ」

 やっと、グリスノートの言わんとしていることが分かった。

 射貫くような視線を受けて冷や汗が滲む。

「そんなグレイスの声を“歌うような綺麗な声”と言ったてめぇらは、セイレーンの歌声を聴いたことがあるってことだよな?」

「ブゥ!?」

 そのとき突然ラグが叫んだ。

 え、と思ったときにはもうその白い身体はラグの頭上を飛んでいて。

「な、なんだこいつは!?」

「ぶぅ〜〜っ」

 瞬間、私たちを助けるために飛んで行ったのだと思った。

 でもブゥが向かったのはグリスノートではなく、グレイスの方で。

「ぶ、ぶう! ぶぶうっ」

 グレイスの周りをはしゃぐように飛び回るブゥを見て、

「仲間と勘違いしているのではないか? 白い者同士」

セリーンがそう呟くのが聞こえた。

 確かに、翼を除いた姿かたちは白いし丸いしなんとなく似てはいるけれど。

(ブゥ、すごく嬉しそう……)

「やめろ! グレイスに近寄るな!」

「やめろブゥ! 戻ってこい!!」

 グリスノートとラグの声がほぼ同時に上がる。

 それでもブゥはグレイスから離れようとしない。グレイスはというと、そんなブゥの姿を興味深そうにくりくりと頭を回し追いかけている。

 そんな2匹の姿は見ていてとても可愛らしいけれど、グリスノートは許さなかった。

「こいつ、これ以上グレイスに付き纏うなら、」

 その手が腰に提げられた剣に触れるのを見て、私は咄嗟に叫んでいた。

「聴いたことあります! セイレーンの歌声!」

 ぴたりとその手の動きが止まって、視線が再びこちらに戻ってくる。

「へぇ?」

「ブゥ戻れ!!」

 ラグがもう一度強く怒鳴ると漸くブゥはしょんぼりとこちらへ戻ってきてラグの頭に留まった。

「見たことのねぇ鳥だな。どこに隠れてやがったんだ」

 モンスターだとはバレていないようで一先ずほっとする。

「まぁいい、今度グレイスに近づいたら容赦しねぇからな。――で、どこで聴いたんだ。セイレーンの歌声を」

「えっと、」

「それを聞いてどうする」

 私の言葉を遮って訊ねたのはセリーンだ。どう答えるのが一番良いか決めかねていたので正直助かった。

 グリスノートは面倒そうにセリーンに視線を移し、それでも答えてくれた。

「……探してんだよ。セイレーンの秘境ってやつを」

「!」

 ――セイレーンの秘境。それには聞き覚えがあった。

(確か、前にセリーンから聞いた……)

「その反応。やっぱ知ってそうだな」

「いや、セイレーンの秘境は私も噂で聞いたことがあるだけだが、そんなもの探してどうする」

「はぁ!?」

 カっとグリスノートの目が見開かれた。

「そんなもの!? 今グレイスの歌声を聴いただろうが! こんな美しい歌声を持つ人間がいるんだぞ、一度お目にかかりたいだろうが! 聴きたいだろう生のセイレーンの歌声を!!」

 その急な熱弁ぶりにびっくりする。

 この世界の人たちから嫌われているセイレーン。そんなセイレーンに会いたいなんて、嬉しくないことはないけれど。

(ちょっと、怖いかも……)

「で、その歌声をてめぇらはどこで聴いたってんだよ!」

「ルバートだ」

 セリーンの答えにどきりとする。――ルバートは私がセリーンの前で初めて歌った場所だ。

「ルバート? ってランフォルセのか」

「あぁ。そこで偶然セイレーンに出会ってな。私たちの他にもその歌声を耳にした者は大勢いるぞ。ちょっとした騒ぎになったからな」

「ルバートねぇ……」

 考え込むように視線を落としたグリスノート。

 納得してくれただろうか……?



「ランフォルセか……チッ、遠いな」

 小さく舌打ちをした彼は再び顔を上げた。

「どうだった」

「え?」

 その瞳は真剣そのものだ。

「セイレーンの歌を聴いたんだろ。やっぱこのグレイスの歌声のように、美しかったか?」

「あぁ、とても美しい声だったな」

 セリーンが優しい声音で答えるのを聞いて、じわじわと顏の熱が上がるのを感じた。

(暗い部屋で良かった)

「なぜあれが不吉とされているのか、不思議に思ったな」

「そうか……。あ〜クソッ、俺も一度でいいから聴いてみてぇなぁ!」

 本気で悔しそうにグリスノートは天を仰いだ。

 ――この人は、私がセイレーンだと知ったらどうするのだろう。

 そんなに歌が好きなら、もし今私が歌ったら、この縄も解いてくれるだろうか……。だが。

「これも全部、あの銀のセイレーンのせいだ」

 その憎々し気な声に危うく肩が跳ねそうになる。

「どれほどの美女か知らねぇが、またこの世界に現れたってんなら俺のこの手で殺してやりてぇぜ」

 ぐっと握り潰すように拳を握った彼を見て、顏の熱が一気に引いた。

 ――絶対に、この人の前では歌えない。

「なんだ、セイレーンには興味があるくせに銀のセイレーンは駄目なのか」

 セリーンの問いにグリスノートは再び目を剥いた。

「当ったり前だろ!? 銀のセイレーンが現れたお蔭でセイレーンも、そしてコロコロドリたちも大勢犠牲になったんだ。なぁグレイス、可哀ぇ想になぁ」

 そうしてまたグレイスに頬ずりをするグリスノートを見ながら思わず声が漏れていた。

「犠牲に?」

 視線だけをこちらによこし、彼は続けた。

「あぁ。口に出すのも辛ぇが、昔、歌を忌み嫌った奴らによってたくさんのコロコロドリが殺されたんだ」

「――っ」

 セイレーンだけでなく、こんな小さな生き物までが銀のセイレーンの言い伝えの犠牲になっていたなんて。

 私がショックを受けていると、グリスノートはグレイスを慈しむように見つめながらもう一度繰り返した。

「だから、噂通り銀のセイレーンがまた現れたってんなら、この手で、コロコロドリたちの無念を晴らしてやりてぇのよ」

 しん、と一瞬その場が静寂に包まれて、

「――と、喋りすぎたな。ま、セイレーンの情報は有難くもらっとくぜ。んじゃ、そろそろ行くか」

「え」

視線が合って、彼がにたりと口端を上げた。

「セイレーンの代わりと言っちゃあなんだが、精々いい声で歌ってくれよ?」

 ぞわっと鳥肌が立つ。

 上手く話が逸れたと思っていたけれどそんなことなかったみたいだ。

 ふるふると首を横に振っていると、前にいるラグが吐き捨てるように言った。

「ゲスが。行かせねぇって言ってるだろうが」

「お、このガキ言うねぇ」

 グリスノートは笑いながらすらりと剣を抜き、ラグの眼前にその切っ先を突きつけた。

「ラグ!」

「てめぇ、立場わかってんのか? ガキだからって俺は容赦しねぇぜ」

 口元は笑っていてもその目は本気で。

「私では駄目か」

 でもそのときすぐ隣から聞こえてきた声に耳を疑う。

「セリーン……?」

「!?」

 ラグも驚いた様子でこちらを振り返った。

 彼女は挑戦的な笑みを浮かべグリスノートを見上げていた。

「こうして船に乗せてくれた、それなりの礼はさせてもらうが?」

「……あんたが?」

「私は好みではないか?」

 グリスノートはそんなセリーンを舐めるように見てから、ふんと笑い剣を下ろした。

「まぁ、あんたがどうしてもってんなら?」

「よし、決まりだな」

「セリーン!」

 ――手が自由だったら、その腕を掴んで絶対に離さないのに……!

 セリーンは立ち上がりざま小声で言った。

「私なら大丈夫だ。怖い思いをさせてすまなかった」

 そしてグリスノートの方へ向かいながらラグへも声を掛けた。

「カノンを頼むぞ」

「またそれかよ!」

 セリーンはふふと微笑み、そしてそのままグリスノートと共に部屋を出て行ってしまった。

 再び外から鍵が閉まる音がして、私はラグに叫ぶ。

「どうしよう!?」

「どうしようもなにも、そもそもあいつが海賊のアジトに行きたいっていうからこっちも大人しくしてたんだ!」

「でもこのままじゃセリーンが! あ〜〜、なんでここにアルさんいないんだろう!」

 彼がいたら、こんなこと絶対に許すはずがないのに。あんな海賊きっと一瞬で倒してくれるのに……!

「や、アルは船じゃ使い物にならねぇ」

「そんなことっ」

「だが、確かにあいつに何かあったら俺がアルに殴られる。や、殴られるどこじゃねぇ。くそ、ちょっと待ってろ。もうそろそろ戻るはずなんだ!」

 ラグもかなり焦っているみたいだ。

「ほんと!? 戻ったらすぐに助けに行かなきゃ!」

「あぁ。――そうだ、ブゥにも……ん? ブゥ?」

 ラグがふと気付いたように自分の頭を見上げた。

「え、ブゥ? 頭にはいないよ?」

 つい先ほどまでラグの頭に見えていたその白い姿がない。

 ふたりして部屋の中を見回すがやはりどこにもその姿はなくて。

「まさか、」

「まさかあいつ、ついて行ったのか!?」






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