ドンドンっと強く扉を叩かれて私は声にならない悲鳴を上げた。だが。

「すみません! 手を貸してください!」

「頼む!」

 聞こえてきたのはそんな切羽詰った声で私たちは顔を見合わせた。海賊ではなくこの船の乗組員たちのようだ。

 セリーンが鍵は開けずにどうしたと大声で訊ねる。

「傭兵がひとりも乗船してねーんだ!」

「助けてください!」

「……どういうことだ」

 ラグが小さく呟き立ち上がった。

(1stの傭兵が何人が乗っているはずじゃなかったの……?)

 更に必死な声は続いた。

「あんた傭兵だろう!」

「お願いします!」

「このままじゃ荷物全部奪われちまう!」

「わかった。今行く」

「セリーン!」

 私は思わずその名を呼んでいた。

 すると彼女は振り返り微笑んだ。

「大丈夫だ。少し加勢してくる」

 セリーンが扉を開けると揃いの帽子を被った乗組員たちは皆安堵の表情を見せた。

「ありがとうございます!」

「すまねぇな」

「いや、行こう」

 そうしてセリーンは後ろ手に扉を閉めた。

「あんたクラスは」

「1stだ」

「そりゃありがてぇ!」

 そんな声と共に複数の足音が遠退いて行く。

「……大丈夫かな」

「ヤバくなったら戻ってくるだろ」

 言いながらラグは扉に近づき鍵を掛けた。

(セリーン……)

 彼女の強さは知っているけれど妙な胸騒ぎがした。海賊たちがどれだけの数いるかどうかもわからないのだ。

 私はぐっと拳を握る。

「ラグ、お願い。ラグも行って!」

「は?」

 振り返り顔をしかめた彼に私は続ける。

「私は行ってもきっと何も出来ないし、ブゥとここで待ってるから」

 するとブゥはラグの頭から飛び立ち、任せてとばかりに私の前でくるりと一回転してみせた。

「船ごと奪っていく海賊もいるって言ってたし、そうなったら大変だよ!」

 それにきっとラグだって、セリーンが心配でないわけがないのだ。

「……ちっ」

 少しの間逡巡した後に舌打ちひとつしてラグはブゥに視線を向けた。

「頼んだぞ、ブゥ」

「ぶぅっ」

 そしてその視線がこちらに下りてくる。

「俺が出たらすぐに鍵を閉めろ」

「うん!」

 私が大きく頷くと、ラグは再び鍵を開けた。そして。

「絶対にここから出るんじゃねぇぞ」

「わかってる。気を付けて」

 ラグは短くあぁと返事をすると扉を開け駆けていった。

 すぐに扉を閉めしっかりと鍵を掛ける。

 そして窓の方を振り返り、どくどくと低い鼓動の鳴り止まない胸を押さえながらそちらに近づいた。海賊船の姿はやはり見えない。

 ――どうか、ふたりが無事戻ってきますように。

「ぶぅ」

 そのときブゥが私の肩に留まり顔を覗き込んで来た。心配ないよと励ましてくれているようで、私はその頭を指で優しく撫でた。



 それからどのくらい経っただろう。

 時折聞こえてくる大きな声や物音にビクビクしながらひたすら祈りふたりの帰りを待った。その時間は長くもあっと言う間にも感じられた。

 ぐらりと船体が一度大きく揺れて、そのすぐ後だ。バタバタと足音が近づいてきたかと思うと乱暴に扉を叩かれびくっと肩が跳ねる。

「俺だ開けろ!」

「ラグ!」

 私は歓声を上げすぐに鍵を開けた。

 扉が開いて見たラグは酷く慌てた顔をしていて嫌な予感がした。

「セリーンは」

 そう言いかけてぐいと腕を取られ強く引っ張られる。

「来い!」

「え!?」

 つんのめるようにして私は廊下に出た。ラグはそのまま甲板の方へと走っていく。後ろから飛んできたブゥが彼のポケットに入るのを見て私は訊く。

「ねぇ、セリーンは」

「あいつ、海賊船に乗って行きやがった!」

「えぇ! ど、どういうこと!?」

「こっちが訊きたい!」

 混乱したまま階段を上がり甲板への扉が開く。強い風に一瞬目を閉じてから海に視線を向ければすでに遠く海賊船らしき船が見えた。この船と同じくらい大きな帆船だ。

「あれに、セリーンが?」

 頷くラグ。

「連れ去られたんじゃなくて?」

「俺には自分から乗っていったようにしか見えなかった」

「もしかして、この船を守るために身代わりに」

「あいつがそんなタマかよ」

「ありがとうございました!」

 そのとき乗組員たちが一斉に声を掛けてきてぱっと掴まれていた腕が解放された。皆疲れ切った顔をしているが大した怪我は無さそうだ。

「あんたたちのお蔭で仲間も荷物も無事で済んだよ」

「しかしまさかあの新人が海賊の一味だったとはな。まんまとやられたぜ」

「え?」

 悔し気に呟いたのは昨日食堂で話したあの豪快なおじさんだった。その手には乗組員の帽子がひとつ握られていて。

(新人て、もしかして……)

 彼も声を上げた私に気付いてくれたみたいだ。

「あぁ、ほれ、昨日カウンターで潰れてたあいつさ」

 ――やっぱり! 昨夜セリーンと甲板で会ったあの若い人だ。

 他の乗組員たちも皆悔しそうに海賊船の方を見つめた。

「あいつに傭兵の手配も任せてたからなぁ」

「くそったれめ! 酔ってたのも全部振りだったってわけだ」

 握っていた帽子――おそらくはその彼のものだったろうそれをぐしゃりと握り締め、おじさんは続けた。

「それにしても、あの1stの姉ちゃんは一体どうして」

 するとラグがその人に訊ねた。

「あの旗に見覚えは?」

 ――旗?

「見覚えも何も、ありゃブルーの海賊旗だ」

「ブルー?」

「この辺りの海じゃ知らねぇもんはいねぇ。今一番厄介な海賊団の名さ」

 他の人達も皆しきりに頷いている。小さく舌打ちをしたラグに私は訊く。

「セリーン、無事なんだよね?」

「あぁ、そう見えたが」

「ギグとなんか話してる様子だったな」

 乗組員のひとりがそう声を上げた。

「ギグって」

「その新人の名だ。まあ偽名だろうがな」

 おじさんはそう吐き捨てるように答えた後で私たちに言った。

「もしあの姉ちゃん追いかけるんなら、非常用のボートを貸すが」

「いや、必要ない」

 ラグはおじさんの言葉を遮り船縁に向かって歩きはじめた。私は慌てて後を追う。

「追いかけるんだよね? 術で飛ぶの? でも向こうが安全かどうかわからないし、私が歌って」

 だがぎろりと睨まれ私は口を噤んだ。ラグは遠く見える海賊船に視線を向けた。

「あいつ、海賊船に乗り込んだ後で俺にお前を頼むと言いやがった」

「え?」

 それを聞いてどきりとする。

 ――それって……。

 どんっとラグが船縁を叩く。

「くそっ、あいつがいなくなると金髪野郎の手掛かりが消えちまう」

 そうだ。セリーンの家にあったというエルネストさんの肖像画。それが今唯一の彼の手掛かりなのだ。それを追ってセリーンの故郷のあった地へと向かっているのに彼女がいなかったら捜しようがない。

 でも今はそれよりも“なぜ”という疑問の方が遥かに大きくて。

 ラグが私を見た。

「飛ぶぞ。あの王子がこれからユビルスの術士を雇うってんなら構いやしないだろ」

「そうだよね。でも、もしあっちに着いて危なそうだったら私歌うよ。海賊たちが相手ならいいでしょ?」

 小声で言うとラグは眉を寄せながらも頷いてくれた。

 いつものようにラグが私を抱き上げてくれて、私は彼の胸元をぎゅっと握る。

 ふとこちらを見つめるたくさんの視線に気付いて私は慌てて彼らに向かって頭を下げた。

「お世話になりました!」

 同時に「すまない、力を貸してくれ」という優しい声が聞こえて。

「――風を、此処に!」

 ふわりと風に包まれ私たちは一気に空へと舞い上がった。


 ぐんぐん近づいてくる海賊船を見つめながら私は彼女の目立つ赤を探す。

 ――ラグに、私を頼むと告げたセリーン。

 一瞬、もうこれでお別れだという意味に思えた。

(違うよね? セリーン……)

 知らずラグの服を掴む手に力が入っていた。






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