「デュックス殿下に夜会に誘われたぁ!?」

 アルさんが素っ頓狂な声を上げた。

 そして私が小さく頷くと口を開けたままちょっとの間固まってしまった。――まるで、先ほどの私のように。


 先ほど、王子は驚き固まる私に花束を押し付けると「また来る」 と言って部屋を出ていってしまった。

 扉が閉まり呆然と手の中の花束を見下ろすと、その中には昨日一緒に摘んだあの黄色いお花も入っていて。

「ふ、流石は兄弟と言ったところか」

「え?」

 その声に顔を上げると、セリーンのなんだか面白がるような瞳が私を見ていた。

「で、どうするんだ。カノン」


「え、それで、カノンちゃんどうするの?」

 先ほどのセリーンのようにアルさんに訊かれ、私はもう一度同じように答える。

「その、お断りしようと思うんです」

「あ、そうなんだ?」

 拍子抜けしたような、でもどこかほっとしたような顏のアルさん。

 ――ここは、謁見の間と続き部屋になっている他に比べると少し狭い部屋。

 ツェリウス王子とアルさんに会えないものかと様子を見に来たところ、扉の前にいた衛兵さんが私たちに気が付きこの部屋へ通してくれたのだ。

 私も寝室を出てから知ったのだが、長い間病に伏していた王様を一日で回復させ、王子をも守った医師一行ということで、私たちは城内でちょっとした有名人になっていた。

 ここに来るまでに何人の人にお礼を言われただろう。

 ラグに対してもそれは同様で、例の偽名のお蔭もあってか誰も彼を恐れる様子はなく、かえって当人の方が戸惑っている様子だった。

 そうして、先に謁見の間から出てきたアルさんにデュックス王子の話をしたわけだけれど……。

「だって、夜会なんて私全然わからないですもん。ただ恥かくだけです!」

「あ、そこ?」

 かくんと肩を落とし苦笑するアルさんにセリーンが小さく息を吐く。

「先ほどからその一点張りでな。こんな機会滅多にないだろうに」

 確かに、最初は夜会と聞いて興奮した。

 頭に浮かんだのは絵本の中の華やかな舞踏会や晩餐会の風景。そして綺麗なドレスを纏い王子様と踊るお姫様。

 子供の頃、何度夢見ただろう。

 でもいざ自分がそれに参加するかもしれないとなったら。

「私には無理だよ」

 ……今なら、王子のお母さんの気持ちが良く分かる。

「豪勢な料理がたらふく食べられるんだぞ?」

「だから、緊張しちゃってそれどこじゃないと思うし」

 いくら美味しそうな料理がたくさん並んだとしても味なんて楽しめないに決まっている。

「ドレスも用意してもらえると思うぞ?」

「そりゃ、ちょっとは着てみたいけど……」

 でも慣れないドレスなんて着て、もし裾を踏ん付けでもして皆の前で転んでしまったらと思うと……。

「や、やっぱり無理!」

 頭をぶんぶん振りながら答える。

 ふぅともう一度息を吐いてセリーンがアルさんに言う。

「そういうわけで、兄の方に相談に来たわけだ」

「そうなんです! どうやって断っていいかわからなくて」

「一言“お断りします”でいいんだ、そんなもん」

 背後からラグの不機嫌そうな声がして、私は振り返る。

「だって、折角あんなふうに誘ってくれたのに、そんな簡単には断れないよ」

 ちなみに、先ほどの花束は後から部屋にやってきたメイドさん……昨日料理を運んでくれたあの彼女が花瓶に飾ってくれた。

 彼女もデュックス王子からの花束だとわかっていたのだろう、綺麗ですね、素敵ですねと言いながら終止にこにことしていて、なんだかとても居たたまれない気持ちになった。

 私は視線を落として続ける。

「それに、デュックス王子が招待したかったのは、医師の助手をしている私で、私じゃないし……」

 王子は私が嘘を吐いていることを知らない。だからと言って今更本当のことも話せない。

 それもまた、乗り気になれない理由の一つだった。

 呆れかえったようなラグの溜息。

 私は顔を上げ、アルさんに言う。

「それと、これからビアンカに会いにいくので、アルさんも一緒に行けたらと思って」

 すると彼は思い出したようにあぁと声を上げた。

「例のフェルク人医師の。解決したのか?」

「解決って感じでもないんですが……でも多分それを話したらビアンカとは本当にお別れだと思うので」

「そっか、わかった。俺もビアンカにはお礼言いたいしな。多分、殿下ももうすぐ終わると」

 アルさんがそう言いかけたとき、謁見の間へと続く扉が開いた。

「お待たせしました。こちらへどうぞ」

 私たちを迎えてくれたのは、爽やかな笑顔のクラヴィスさんだった。



「デュックスが?」

 私が事情を話すとツェリウス王子は目を丸くし、それからフハっと噴き出すように笑った。

「あいつ、本当にやったのか」

「え……」

 彼のその言い方に、私はまさか、と顏が引きつるのを感じた。

 謁見の間は今まで入った部屋の中で一番広く、天井や柱、床に至るまで施された金の装飾も目がちかちかするほどに豪華だった。

 そしてその一番奥、階段上に鎮座する金の玉座に腰かけている正装姿の王子は、今までで一番“王子様”に見えた。

 その背後の壁には大きな肖像画が飾られていて、そこに描かれた柔らかく微笑む金髪の男性は現国王様だ。

 きっと次にそこに描かれるだろうツェリウス王子が、楽しげに続けた。

「実は今朝デュックスから相談を受けてな。倒れたカノンを元気づけたいと。そうだ、もういいのか? 身体の方は」

「え? あ、はい。――そ、それで?」

「あぁ、だったら夜会に誘ってみたらどうだと答えたんだ。半分冗談のつもりだったんだが、まさか本当に誘うとはな。しかも花束とは……流石は僕の弟だ」

 誇らしげに言って再び笑いだした王子に私ははぁと溜息を吐きつつ全身の力が抜けるのを感じた。

 ……こちらはそのせいで真剣に悩んでいるというのに。

「しかし、そうか。断りたいのか。落ち込むデュックスが目に浮かぶな」

 うっ、と言葉に詰まる。

 私だってしゅんとなるデュックス王子は見たくない。だからこうして悩んでいるのだ。

「で、ですから、王子からなんとかうまく言ってもらえないかと……」

「セリーン?」

 と、そのとき後ろでアルさんの怪訝そうな声がした。

 振り返ると、アルさんの隣にいるセリーンが瞳を大きくしどこかをじっと凝視していた。

 その視線は王子の方へ向かっていて、私は前に向き直る。

 王子も彼女の視線を追いかけるように背後を振り仰ぐ。

「あの肖像画に、なにかあるのか?」

 再びアルさんの声。

 そう、セリーンは金の額縁に入った王様の肖像画を見ていた。何も言わず、何かに取りつかれたように、じっと。

 ラグも眉を顰めそんな彼女を見ている。

「この絵か? これはな、確かドゥルスの息子が描いたものだ」

 王子の答えに私は驚く。

「クストスさんが?」

 やっぱり凄いと思いながら私は改めてその肖像画を見上げる。

 そういえば自分の描いた絵が宮殿内にも飾られていると誇らしげに話していたことを思い出す。

「……思い、出した」

「え?」

 セリーンがぽつりと零した小さな呟きに、もう一度皆の視線が集中する。

「あの金髪の男」

(金髪の?)

 確かに王様も王子と同じく金髪だけれど。

 私が再度肖像画を見上げ首を傾げていると。

「――っ! まさか!」

 ラグが急に顔色を変え、セリーンに詰め寄った。

「金髪野郎のことか!?」

「!?」

 思い出したって、まさか。

「セリーン、エルネストさんを思い出したの!?」

 どこかで彼を見たことがあると話していたセリーン。しかしどこで見たのかは思い出せないと。

 そして、彼女は肖像画を見つめたまま続けた。

「絵だ。……私は、絵に描かれたあの男を見たんだ」



(絵って、エルネストさんがあんなふうに絵に描かれてたってこと?)

 大きな絵の中で微笑む王様が、エルネストさんの笑顔とダブって見えた。

「どこで見たんだ!」

 掴みかからんばかりの勢いで訊くラグ。

 私も固唾を呑んで彼女の次の言葉を待つ。

 セリーンがゆっくりと口を開く。

「私の家だ」

「セリーンの?」

 思わず訊き返すと彼女はあぁと頷き、そこで漸く私たちの方を見た。

「収集家だった父のコレクションの中に、確かにあの男の絵があった」

 その言葉に驚く。

 絵のことよりも、セリーンの口から“父”という言葉が出たことが、とても意外だった。

 出会った時から彼女は完全に自立した大人の女性で、だからだろうか。

 そうか、セリーンにもお父さんがいるんだ……と、そんなごく当たり前なことに驚いてしまった。

「お前の家はどこにある」

 ラグの続いての問いに、セリーンは一呼吸してから答えた。

「エクロッグだ」

「エクロッグ?」

 そこで声を上げたのは王子だ。

 なんだか神妙な顔つきで彼は言う。

「エクロッグは、確か……」

 そして確証を求めるようにクラヴィスさんを見下ろした。

 その視線を受けたクラヴィスさんは頷き、後を続けた。

「はい。このクレドヴァロールの北方にあった小国ですね」

 ということはセリーンの故郷はここからそう遠くないということだ。それよりも。

「あった……?」

 その言い方に引っ掛かりを覚えた。

「あぁ、今はもう無い国だ」

 セリーンが目を伏せながら言う。

「大戦中に侵略を受けてな。……私がまだ12かそこらの頃だ。私はなんとか逃げ延びたが、多くの国民が殺された。それから一度も帰っていない」

 さらりと語られた凄惨な過去に怯んでしまう。だがラグは全く気にする様子なく更に問う。

「ってことはその絵は」

「あぁ、その後どうなったのかは全くわからん。燃やされたか、或いは売られてしまったか……」

「お父さんは?」

 嫌な予感はしているのに、口から出てしまった。

 するとセリーンは寂しそうに微笑んだ。

「父もその時にな。家族の中で生き残ったのは私だけだ」

「ご、ごめん!」

「いや、もう昔のことだ」

 思わず頭を下げた私の肩にセリーンは気にするなと手を乗せた。

(やっぱり訊かなきゃ良かった)

 強くて優しいセリーン。

 きっと彼女は私には想像もつかないような辛い想いをたくさんしてきている。

 と、そんなときだ。

「――ちょ、ちょっと待ってくれよ」

 見ると、アルさんがなんだか難しい顏で眉間を押さえていた。

「セリーン、その絵は確かにあの兄ちゃんだったのか?」

 ぴくりとセリーンの眉が上がる。

 アルさんがセリーンの言うことを疑うなんて珍しい。

「あぁ。私もあの男を見たのは一度だけだが、あの額の紋様と言い間違いない。確かにあの男だった」

「でもセリーンがその絵を見たのって10年以上前なんだろ?」

「あぁ、国を出たのは14年前だ。……なんだ、私の記憶が信じられないのか」

「いや、だってよ。確かにあの兄ちゃんを描いた絵だったとして、少なくとも14年は前の兄ちゃんじゃねぇとおかしくねーか?」

「!!」

 皆が一斉に息を呑む。

「俺も見たのは一度だけだけどよ、あの兄ちゃんどう見たって20歳かそこらだろう。14年前っていったらデュックス殿下よりも小さいんだぜ」

「……それは、そうだな。いや、しかし私の記憶では確かに……」

 流石のセリーンも声のトーンを落とし、記憶を辿るようにもう一度王様の肖像画を見上げた。

 私もその視線を追いながら、彼の綺麗な笑顔を思い浮かべる。

(エルネストさん……)

 なんだか、気付いてはいけなかったことに気付いてしまったような、罪悪感にも似た思いに胸がざわついた。

 と、肘掛けに頬杖をついていた王子がふぅと息を吐いた。

「妙な話だな。その男、本当に存在しているのか?」

 どくん、と心臓が大きな音を立てた。

 ――いつも、幽霊のような姿で現れる彼。

 つい昨日だって彼は私に笑いかけてくれた。

 “きっともうすぐ会えるよ”

 そう言って、微笑んでくれた。

 彼が、もうこの世に存在していない人だったとしたら……。

 ぎゅっと強く自分の腕を握る。

 やっぱり気付いてはいけなかった。

 考えてはいけないと思っていたひとつの可能性に、行き着いてしまった。



 しんと静まり返った広間に、クラヴィスさんの少し焦りを帯びた声が大きく響く。

「例えば兄弟ですとか、親ってことも考えられるのではないですか?」

(兄弟か、親……)

 確かにそのほうが有り得そうなのに、なぜだか全くしっくりこない。

 他の皆も同じようで、誰も何も言わずまたしばらく沈黙が続いた。

「……どちらにしろ、行って確かめるしかねぇな」

 ラグの溜息交じりの声にセリーンが驚いたように振り向く。

「エクロッグへか?」

「ここからどのくらいの距離だ」

「……ビアンカはもう帰すのだろう? なら荒野をひたすら歩いてざっと半月はかかるぞ」

 そうだ。この後、もうビアンカとはお別れなのだ。

(荒野を、半月……)

 心の中で繰り返した言葉が足腰に重く圧し掛かった気がした。

「でしたら、徒歩で行くより船で海を渡ったほうが近道ではないですか?」

「船で?」

「はい」

 クラヴィスさんが笑顔で頷く。

「そうか、サエタ港を使うのか」

 セリーンも気が付いたふうに声を上げた。

 私には全然わからないけれど、ラグもアルさんも理解したようだ。

「えぇ、ヴァロール港から船に乗れば、少しは距離が縮まるかと。――殿下」

 見上げた先の王子があぁと頷き、崩していた姿勢を正した。

「船はこちらで用意しよう。そのくらいはさせてくれ。いつ頃出発する予定だ?」

「この後準備ができ次第、すぐだ」

 ラグのいつもの迷いない声音に、王子の口がぽかんと開くのを見た。




戻る小説トップへ次へ

inserted by FC2 system