ラグの青い双眸が大きく見開かれるのを見て、私は背を向けそのまま書庫を飛び出した。


 ――無性に腹立たしかった。

 今までも言われてきた言葉なのに、今までとは全然違った意味に聞こえた。

 ぐるぐると螺旋階段を駆け下りながら胸中で独り言ちる。

(利害が一致してるから一緒にいる……? 違う)

 少し寂しい関係だけれど、仕方がないと思っていた。

 それでもこの世界でいつも一緒に居てくれることに感謝していた。嬉しかった……。

 でも、気が付いてしまった。

(ラグにとって私は、あの笛と同じ、呪いを解く道具なんだ)

 無く(居なく)なったら困る。だから探してくれる。

 壊れて(死んで)しまっては困る。だから護ってくれる。

 でも。

(……だから、呪いが解けてしまえばもう必要が無くなる)

 要らないモノになる。

 今になって、そのことに気が付いてしまった。

 ――オレから離れるな。

 彼の口から出た、らしくないあの台詞も今ならわかる。

「本当に、そのまんまの意味だ」

 最後の一段を下りて、呟く。同時に乾いた笑みが漏れていた。

 言われたことのない気障な台詞に動揺したりして……馬鹿みたいだ。

 いつの間にか滲んでいた涙に気が付いて、それがまた悔しくて、早く引っ込むように強く擦る。

「カノン」

 その声に驚き振り返ると階段上にセリーンがいた。追ってきてくれたのだ。

 気遣わしげなその表情に、私はなんとか笑みを返す。

「ごめんね、急に大きな声出して。ついイラっと来ちゃって。いつものことなのにね」

 下りてくるセリーンを見上げながらハハハと苦笑する。

 と、階段を下りきったセリーンがそんな私の頭にぽんと手を置いた。

「アレの言うことを真に受けることはない」

「え?」

「思った以上の、どうしようもない馬鹿者のようだからな」

 螺旋階段のてっぺんを冷たく見上げながらセリーン。

「カノンが気にすることはない。もっと言ってやっても良かったくらいだ」

 なんだか私よりもご立腹な様子のセリーンに、自然と笑みがこぼれた。

「ありがとう、セリーン。もう大丈夫。それよりね、私もう一度王子を説得しようと思うんだ」

 言いながら私は扉に向かう。

「やっぱり王妃様に笛吹いてもらって王様を治すのが一番良いもんね」

「そうか、そうだな。カノンの思うようにしてみるといい」

 そう言ってくれたセリーンにもう一度ありがとうとお礼を言って、私は扉を開ける。

「お二人とも、もうよろしいのですか?」

 掛かった声は扉の前にいたクラヴィスさん。

「あ、はい。ありがとうございました。あの、王子とアルさんは……」

 廊下に二人の姿は無い。

 クラヴィスさんが王子と一緒にいないのは珍しいなと思っていると、彼は笑顔を崩さずに言った。

「私を置いて行ってしまわれました」

 ……どうやら、そのままここにいろと命じられてしまったよう。

「ティコラトールの話をしていましたので、おそらくは厨房に直接向かわれたのではないかと」

 内心苦笑しつつ、厨房の場所を訊こうとしたその時だ。

「ツェリウス殿下が連れて来られたという医者はあなた方ですか?」

 声のした方を見ると、廊下に二つの人影があった。

 そのうちの一人、長身で体格の良い男性を見て私は目を見開く。

 褐色の肌に漆黒の髪と瞳。そして、どことなく“彼”に似た面影。

(もしかして、この人がフォルゲンさん……!?)



「突然にすみません、こちらにいると伺ったもので……」

 そう申し訳なさそうに言ったのは、彼の前に立つ黒髪の女性。

 つい彼の方に気を取られてしまったけれど、先ほどの声も彼女のものだ。

 セリーンと同じ年ほどの物腰の柔らかそうな女の人。

(もし彼がフォルゲンさんだとしたら、彼女がドゥルスさんの娘さんで、フォルゲンさんの……)

「いや、私たちはその助手だ」

 答えたのはセリーン。二人の視線は最初からセリーンに向いていた。

「先生ならつい今しがたツェリウス殿下と別の場所に行ってしまったのだが、何か?」

 一瞬セリーンの言う“先生”がアルさんのことだとわからなかった。

 この場でいつも通り“あの男”や“ヘタレメガネ”なんて言えるわけないけれど、とにかく違和感が半端なくてなんだか背中がむずむずした。

「そうでしたか……。申し遅れました。私たちはヴァロールで小さな診療所を営んでおります。私がリトゥース、彼がフォルゲンです」

(やっぱり!)

 すぐさまライゼちゃんの名を出したい衝動に駆られたが、目の前には奥さんがいるのだ。ぐっと堪える。

 彼女はそのままセリーンに続けた。

「実は、先ほど王陛下の容体がそちらの先生の施術で回復したと聞き、彼が是非話をしたいと」

「わかった。急ぎでなければ合流出来次第先生に伝えるが、それでいいか?」

 セリーンが言うと、彼女、リトゥースさんはフォルゲンさんを見上げた。

 すると彼は、

「構わない」

そう短く低い声で答えた。

 ……聞いてはいたけれど、本当に無口な人のよう。

「よろしくお願いします。私たちは他の先生方と同じ控えの間におりますので」

 セリーンが頷くと、二人は一礼し廊下を戻って行った。

 その背中が見えなくなったところで私は小声でセリーンに言う。

「やっぱりフォルゲンさんだったね! こんなにすぐに会えるなんて……」

「お知り合いなのですか?」

 後ろからクラヴィスさんの声がして、しまったと思う。

 彼にはどこまで話していいものか迷ってしまう。

「えっと、知り合いというか、」

「以前立ち寄ったフェルクレールトで、彼の噂を耳にしたのだ。とても腕の立つ医者がいたとな」

 セリーンはドゥルスさんのときと同じ説明をした。

「そうでしたか。いえ、私ももしかしたら今の女性を知っていたかもしれません」

「ドゥルスの娘のことか?」

 セリーンが言うとクラヴィスさんは流石に驚いた顔をした。

「なぜ、ドゥルス団長のことを」

「ドゥルスとは昔戦場で共に戦った仲でな、先ほどヴァロールで偶然に出会ったんだ」

 あぁと、思い出したように頷くクラヴィスさん。

「昔の知り合いというのは団長のことだったのですね」

「あぁ。その時に娘がフェルク人の医者と一緒になったと聞いてな」

「ではやはり先ほどの方が……」

 彼が消えた廊下をもう一度見つめながら、クラヴィスさんは続ける。

「いえ私も団長から嫌というほどに聞いてはいましたが、一見お医者様には見えないですね」

 “嫌というほどに”のところがやたらと強調されていたのが少し気になったけれど。

 ――戦にも長けていたから連れていかれた、確かライゼちゃんはそう言っていた。

 きっと大戦中は戦士でもあったのだろう。

「……プラーヌス様も余程切羽詰っていると見える」

(え?)

 急に声音が変わった気がして見上げると、彼はいつもの爽やかな笑顔を返してくれた。

「それにしても不思議な縁ですね」

「で、ですね!」

 私も釣られて笑顔で頷く。

「厨房へ行かれるのでしたら、こちらの廊下の突き当りを左に行くと厨房のある別棟への渡り廊下がありますよ」

「ありがとうございます。行ってみます!」

「あ、ラグさんは」

 その名を聞いて、ぎくりと足が止まる。

「奴なら当分出てこないと思うぞ」

「そうですか……」

 若干トーンの落ちたその声を聞いて、私はまた歩き始めた。



 ――名前を聞いただけで、こんなにも心がぐらつくなんて。

 最後に見た大きな青い瞳が瞬時にして蘇った。

 そんな自分に焦りを覚える。

(どうしよう。こんなんじゃ……)

「しかし、これほどまでに胸糞悪いとは」

「え!?」

 心を読まれたのかと思い驚いて振り返る。

「あのヘタレメガネを先生などと……今になって鳥肌がっ!」

「あ……」

 見ると確かに彼女の腕にびっしりと細かいぶつぶつが出来ていて思わず苦笑してしまった。

 やはり本人も違和感半端なかったよう。

 お蔭で、どうにか気持ちを切り替えられた私はセリーンの隣に並んで言う。

「うまくフォルゲンさんとだけ話出来るときがあればいいんだけど……なんか難しそうだね」

 話がしたいと向こうから申し出てくれたのは良かったけれど、あの調子では奥さんのリトゥースさんも確実に一緒だろう。

「そうだな」

 セリーンも難しそうな顔。

 なんにしても早くアルさんにこのことを伝えなくては。

(そして、王子をもう一度説得しなくっちゃ!)

 私たちは急ぎ二人のいる厨房へ向かった。



 宮殿と厨房があるという別棟とを繋ぐ外廊下を進んでいくと、風に乗ってパンの焼ける良い香りがしてきた。

 そこでそういえば朝から何も食べていないことに気が付く。

(そろそろお昼かな)

 空を見上げてみたが、お日様は真上にあるようでここからでは見えなかった。

 その時、声が聞こえてきた。

「いくら殿下の頼みでもすぐには無理ですって」

 女性の声だ。

 セリーンと視線を交わし足を速める。

 その建物の扉を開けると、すぐそばにいたアルさんがこちらを向いた。

「セリーン、カノンちゃんも、どうした?」

 その向こうにツェリ王子、そして白い布を頭に巻きエプロンを付けた50代程の女性。

 先ほどの声はきっとこの人だろう。

 広い厨房の中では他にも数人の同じ格好をした女性達が忙しそうに働いていた。

 四方の壁には鍋など様々な調理器具が掛けられ、奥には大きな石窯も見えた。きっとそこでパンを焼いているのだろう。

 中央の大きなテーブルには盛り付け途中の皿がたくさん並べられ、空腹の自分にはどれも堪らなく美味しそうに見えた。

 思わず出てきてしまった生唾を呑み込んで私は言う。

「あの、アルさんと話したいって人が、」

「いつなら出来るんだ?」

 被るようにして王子の不機嫌な声。

(……もしかして、ティコラトールの話?)

 対する女性は困ったように答える。

「ですから、今は見ての通り皆手一杯でして、せめて夕刻までお待ちいただけたら」

 彼女、きっとこの厨房の中で一番のベテランなのだろう。王子とも話し慣れている感じだ。 

「あの殿下、無理ならそんな急ぎでなくても俺は……」

 アルさんが慌てた様子で間に入るが、王子は全く気に留める様子なく続けた。

「夕刻だな、必ずだぞ」

 念を押すように強く。

 いくら王子様でもそんな態度で大丈夫なのだろうかとこっちが心配になってしまう。でも、

「承知いたしました。出来たらすぐにお部屋へお持ちいたしますので」

彼女はそう優しい笑顔を王子に返し、恭しく頭を下げた。

(……なんか、王子の我儘にも慣れてる感じ)

 王子はそんな彼女に頼んだぞと一言告げ背を向けると、私たちの横をすり抜け厨房を出て行ってしまった。

「あ、じゃあすいませんが、よろしくお願いします。楽しみにしてますんで」

 苦笑しながらぺこりと頭を下げたアルさんにも彼女は笑顔でわかったよと答えていた。

 王子を追いかけ外に出たアルさんに続いて、私たちも一礼し厨房を後にする。

「で、二人はどうしたんだ?」

 すぐにアルさんに訊かれて、私は改めて口を開いた。

「あの、実はアルさんに会いたいって人がいて、」

「その呼び名はやめろ」

「え?」

 先を行っていた王子が急にこちらを振り向いた。

「城内にいる間は、デイヴィス医師で通せ。一応名が知れているんだ。偽名を考えておいた方がいいかもしれないな。あいつにもそう言っておけ」

 あいつとはラグのことだろう。

 でも確かに王子の言う通りだ。彼らの正体がばれてしまったらきっと此処にいられなくなってしまう。王子の立場だって悪くなってしまうだろう。

「わかりました。すみません、これから気を付けます」

 表情を引き締め私が言うと王子は満足したように頷いて宮殿へと続く渡り廊下を再び歩き始めた。

「で、俺に会いたい人がいるって? 誰だ?」

「あ、それがですね。王様を治したア……デイヴィス先生と話がしたいってお医者さんがさっき書庫に来たんです」

 ……これは本当に気を付けていないといけない。ついうっかりいつもの呼び名が出てしまう。

 でもアルさんはそこには突っ込まず、眉根を寄せた。

「うわ、マジか。いきなり試練来ちゃったな」

「え? ……あ」

 そうか。

 私はフォルゲンさんに会えたことに喜んでいたけれど、アルさんにとったら医者でないことがバレてしまうかもしれない、よろしくない事態なのだ。

「そう、ですよね。どうしよう、今からでも断ってきましょうか」

「や、此処にいる限りいつかは通らなきゃなんない道だしな、なんとかするさ。それに……術士だってことはもう言っちゃっていいんですよね」

 宮殿内への扉に手を掛けた王子に、アルさんは小声で訊く。

 すると王子は前を向いたまましっかりと頷き、扉を開けた。

 アルさんはそれに少しほっとした顔をして私たちと共に宮殿内に入った。

「で、あいつは? あのまま書庫か?」

「あ……はい」

 頷いた私を、アルさんが不思議そうに見た。

「なんか、またあいつカノンちゃんに酷いこと言った?」

 ぎくりとする。

 平静を装ったつもりが、顔に出てしまったらしい。

 私は笑って誤魔化すことにした。――今は考えたくない。

「いえ、大丈夫です。そ、それより、王子!」

 私はその前にいるツェリ王子を呼ぶ。

 すると王子は足を止めこちらを振り向いてくれた。

「なに?」

 緊張を覚えながらも話を切り出す。

「あの、その笛のことなんですが、やっぱり」

「さっき話したことなら、変える気はないぞ。何を言われてもだ」

「……っ」

 きっぱりと言われてしまい、言葉に詰まる。

 そんな私に王子は続けた。

「それよりお前はいいのか? 書庫を探さなくて」

「え?」

「言っただろう、お前の求めるものも見つかるかもしれないと」

「あ、その、……私、実は文字が読めなくて」

 すると王子は目を丸くし、私をまじまじと見つめた。

「会話は出来ても、文字は読めないのか。不思議なものだな」

「あ、はぁ……」

 なんだかその視線が落ち着かなくて、曖昧に頷く。

 ――そういえば、王子が私の正体を知っているのかどうか、まだわかっていない。

「それなら仕方ないな。丁度良い、お前に訊きたいことがあるんだ。僕の部屋へ行こう」

 王子はそう言うと再び私たちに背を向け歩き出した。

 思わずセリーンとアルさんを見上げる。

 二人も怪訝そうに眉を顰めていて、私はごくりと喉を鳴らした。

(王子が私に訊きたいことって、何だろう……?)

 ――嫌な予感しかしなかった。




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