ラグとは対照的に笑顔を微塵にも崩さないエルネストさん。

「相変わらず口が悪いね、君は」

「うるせぇ! 早くオレを元に戻しやがれ!」

 一方的に怒鳴り散らすラグ。

 私はハラハラしながらそんな二人を見守ることしか出来ない。

 ――わかったのは、二人はやはり知り合いであったということ。

「ほら、君がそんなに怒るから彼女が怯えているじゃないか。女性には優しくしないと嫌われるよ」

「ふざけるな! テメェのせいであれからオレがどんな思いをしたと……」

「だから約束しただろう? 彼女を連れて来てくれればその呪いは解いてあげるって」

 子供を優しくなだめる様に言うエルネストさん。

「え?」

 私は小さく声を上げていた。

(それって、どういう……?)

「オレは約束なんかした覚えはねーんだよ! テメェが勝手に……」

「なら君は、ずっとあの場所にいたかったのかい?」

「!!」

 ラグは急にグッと押し黙り、悔しそうにエルネストさんを睨み上げた。

 そんなラグにふっと笑いかけ彼は続ける。

「君は今こうして自由だ。僕に感謝してもいいくらいじゃないか」

「これのどこが自由だ!」

「まぁいい、君はちょっと黙っていてくれないか? 僕は今彼女と話したいんだ。僕にはあまり時間がないからね」

 そうしてエルネストさんのエメラルドグリーンの瞳が再び私の方に戻ってきた。

「あれからずっと大変だったみたいだね。足は、大丈夫かい?」

「え?」

 言われて血の滲む足のことを思い出す。

「あ、はい。大丈夫です!」

 微笑む彼。

 その笑顔はやっぱりとても素敵で胸がほわっとあたたかくなった。

「僕には君を見守ることしか出来ないけど……。カノン、君ならここまで辿り着けると信じているよ。彼と、一緒にね」

 そう言ってラグの方に視線を向ける。

 ラグはまだ彼のことを鋭い目で睨んでいる。

「あの! なんで私が銀のセイレーンなんですか!? ……なんで私なんですか?」

 私はずっと疑問だったことを訊く。

 私がこの世界に来たのは偶然のことだったのか、それとも……。

 と、まるで祈るようにエルネストさんは目蓋を閉じた。

「僕はずっと銀のセイレーンを呼んでいた。そうして、君がここに現れたんだ」

 彼は目を開きもう一度私を見つめた。

 その言葉は私の本当に欲しかった答えにはなっていなかったけれど、それでも私の心にスっと入り込んで、それ以上は何も聞けなかった。

 ――私を見つめるその瞳に一瞬憂いの色が混じって見えたのは、私の気のせいだったろうか……?

「さて、そろそろ時間かな。……ラグ、そんな顔ばかりして、あまりカノンを怖がらせないようにね」

「うるせぇ!」

 今まで彼の言うとおりに黙っていたラグが溜まりかねた様に怒鳴り声を上げた。

「消えるんならさっさと消えろ!!」

 そんな酷い罵声にもエルネストさんは顔色一つ変えず、にっこりと笑うとそのまま本当に消えてしまった。

「クッソ……!!」

 壁に思い切り拳を叩きつけるラグ。

 いつも不機嫌そうな彼だけれど、ここまでイラついた姿を見るのは初めてだ。

 私はその大きな音に下に居る女将さんが気づくのではないかとヒヤヒヤした。

(やっぱり二人は知り合いだったんだ……。ラグは名前を知らなかったってこと?)

 訊きたいことはたくさんあったが、流石に今は喋りかけられる雰囲気ではない。

 どうにも気まずくて動けないでいると、彼の視線がゆっくりとこちらを向いて思わずビクリと肩が震える。

「おい、……足出せ」

「えぇ!?」

 いきなり低く言われて戸惑う。

「足! 怪我してんだろ。治してやるからそこに座れ!」

「は、はいっ!」

 有無を言わせないその言い方に私はすぐさまベッドに腰を下ろし、まだ慣れない手つきで靴を脱いだ。

 何箇所か血の滲むその足を見て、ラグが顔をしかめる。

「痛かったんなら言えよな! ったく……」

 ラグは文句を言いながら床に膝を付き私の両足に手を触れた。

 ――もしかして、魔導術で治すことができるのだろうか。

 私は興味津々、彼の手を見つめる。

「癒しを此処に……」






 ラグが囁くように言う。

 途端傷口がムズムズと痒くなった。

 数秒後ラグが手を離すと傷は跡形も無く綺麗に消えていた。

「すっごい!! 治っちゃった!」

 さっきまで血が出ていた箇所を摩りながら私は歓声を上げる。

「お前の持ってる治癒力を高めただけだ」

 溜息混じりのその声にはっとして私は顔を上げる。

 小さなラグがそこにいた。

「あ、ありがとう」

「簡単な治癒くらいは自分で出来るようにしとけよ」

 立ち上がり向こうのベッドに戻りながらラグが言う。

 そんなこと出来るかどうかわからなかったけれど私は曖昧に頷き、思い切って訊くことにした。

「ねぇ、ラグ」

「あ?」

「あの、エルネストさんのこと……なんだけど」

 ベッドに仰向けになったラグに尻すぼみになりながら言う。

「あの金髪野郎、エルネストっていいやがるのか」

 天井を睨みながら憎々しげに呟くラグ。

 しかし声が高い分やはり迫力に欠けた。……本人には絶対に言えないけれど。

「ひょっとして、ラグのその呪いって」

「あの野郎にかけられたようなもんだ」

(やっぱり……!)

 先ほどの二人の会話から薄々そうじゃないかと思ったけれど、私は大きな衝撃を受ける。

 まさかあんなに綺麗で優しげな人がそんなことをするとは思えなかったからだ。

「お前を連れていけば呪いは解くと言ってるが、どーだかな……」

「なんでラグにそんなこと……。エルネストさんてどこにいるの?」

「海を渡った先の大陸のどこかだ」

「どこかって……」

「肝心なところを教えやがらねーんだよ、あの野郎は! いつも時間がねぇとかほざきやがって」

 ラグが悔しそうに怒鳴る。

 確かに、まだ会ったのは二度だけだがその度すぐに消えてしまった。幽閉されていると言っていたから、その関係なのだろうか。

「絶対楽しんでやがんだ。いつもヘラヘラと笑いやがって……胸糞悪ぃ!」

 ブツブツと続けるラグ。

(ヘラヘラって……。あんな素敵な笑顔なのに)

 と、ラグの視線に気付きギクリとする。

「お前もあの野郎に会ってたんだな」

「え? あ、うん。あの牢屋にいたときに……。助けてくれたら元の世界に戻してくれるって」

「はっ。あんまり期待しないほうがいいぞ。あの野郎がそう簡単に帰すとは思えねーしな」

 鼻で笑うように言われて、私は足元がグラつくのを感じた。

「……でも、ラグが助けにきてくれるってことも教えてくれたし」

 小さく言う。

 なんだか嫌な気分だ。……胸のあたりがモヤモヤする。

「オレはあの野郎に、銀のセイレーンはグラーヴェ城にいると言われたから行ったんだ。誰かのお陰で呪いが解ける前に死にかけたけどな」

 再び目を瞑ったラグに、知らず拳を握り締める私。

 そしてラグの次の言葉で私のそれは爆発する。

「お前覚悟しとけよ。あの野郎に会ったら何されるかわかったもんじゃねーぞ」

「そんな言い方ないでしょう!?」

 私のその大声にブゥが肩から飛び立った。

 ラグの青い瞳が大きく見開かれる。

 自分でも何でこんな大声が出てしまったのかわからなかった。

 ただラグが、あまりにあの人を悪く言うから。

「私はエルネストさんに会って楽譜をもらって、元の世界に戻るの! だから私は、彼を信じる。……信じるしかないの!」

 いつまた崩れてもおかしくない足元を揺らして欲しくなかった。

 エルネストさんはこの世界で見つけた私の唯一の光だったから。

 その光を消して欲しくなかった。

 でも、私はすぐに我に返る。

 ――冷たい、ラグの視線。

 途端どうしようもなく恥ずかしくなって一気に顔の熱が上がる。

「勝手にしろよ。オレはこの呪いが解けりゃそれでいーんだ」

 ラグは吐き捨てるように言ってこちらに背を向けた。

 私はそれ以上何も言えなくなってしまった。

 ブゥが、そんな私達を心配そうに見下ろしていた……。




 その後ラグとは一言も交わすことなく、私もベッドに横になった。

 静かになって、少し後悔する。

(ラグ、あんなに呪いのことを嫌がってたのに……。エルネストさんのこと悪く言ったってしょうがないよね)

 私は勇気を出して、まだ小さな背中に向かい「ごめんね」と呟いた。

 返事がなかったのでもう寝てしまったのかもしれないけれど。

 明日大きな姿に戻ったラグにはもっと言いづらいと思ったから……。

 それでも私は少しすっきりして、途端沈むように深い眠りに入っていった。




「おい、起きろ!」

 その声で一気に夢から引きずり出された。

 急いで起き上がるとベッドの足元で朝から不機嫌そうな大きいラグがこちらを睨むように見下ろしていた。

「おはよう……ございます」

 気まずいながらも寝起きの掠れた声でとりあえず朝の挨拶をする。だが、

「先に下行ってるから早く来いよ」

ラグはそう言ってすぐに部屋から出て行ってしまった。

 階段を下りていく足音を聞きながら、私は朝から小さく溜息を吐く。

 少しだけ開いた窓から小鳥の囀りと眩しい陽の光が入ってきている。

 ――この世界に来て、二度目の朝だ。



「いたっ」

 ベッドに座り髪の毛を結っていると、腕に小さく痛みが走った。

 袖を捲って見れば、昨日森の中で出来たものだろう、薄い切り傷を発見してしまった。

「……こんなのすぐに治る治る!」

 それにいちいちこんな小さな傷、今は気にしていられない。

 しかしそこでふと思いつく。

(そういえば、私にも怪我治せるのかな)

 昨夜ラグが治癒くらい出来るようにしておけ、そう言っていたことを思い出したのだ。

 ――怪我を治す歌。

 と言えば、昔よくおばあちゃんが歌ってくれたあの懐かしい“まじない歌”しか思い浮かばなかった。

 私は昨夜ラグがしたように傷口を押さえながら小さく息を吸い込む。

「ちちんぷいぷい いたいのいたいのとんでゆけ〜」

 治らなくとも、痛みだけでも……そう願いつつ短く歌い終え、ドキドキしながら手を離してみる。が。

「……だめかぁ」

 傷は先ほど見た時と何も変わらず、触れれば小さく痛みが走った。

 そう上手くはいかないようだ。髪の毛も銀には変わっていない。

(それにしても、この歌をこんなに真剣に歌うなんて……)

 後から恥ずかしさが込み上げて来て、一人のときで良かったと思わずそんな自分に苦笑してしまう。

「と、早く行かないとまた怒られる!」

 急いで身支度を終わらせ部屋を出ようとして、思わぬところでブゥを発見した。

 棚に置いてあった観葉植物の葉の裏にぶら下がっておねむ中だったのだ。

 つい笑みがこぼれる。

(和み系だよね、ブゥって)

 起こしてしまわないよう静かに部屋を出ると、パンの焼ける良い香りがした。

 その香りに誘われるように階段を降りていくと丁度女将さんと出くわした。

「おはよう。良く眠れたかい? 奥の部屋に朝食の用意が出来てるからね、食べておくれ」

「はい! いただきます」

 にっこり笑って女将さんはカウンター奥へと入っていった。

 その部屋に入ると3組ほどの客が朝食をとっていた。皆旅人の様相だ。

 一番奥のテーブルにラグを見つけ、私は小走りで近寄り向かいの席に座る。

 黙々と食べるラグを見ながら私もバスケットの中から美味しそうに焼けたパンを手に取った。

「今日、強い傭兵さんいるといいね!」

 なるべく明るく笑顔で言ってみると、ラグは視線を落としたまま口を開いた。

「そうだな。最悪、傭兵無しで行く」

 それでも普通に答えてくれたことにホっとして私はそのまま続ける。

「そうなの?」

「昨日みたいな奴ら雇ったら逆に足手まといになるからな」

「はぁ……」

 私はパンを齧りながら生返事をする。

(昨日の人たちが聞いてたら怒りそう……)

 なんとなく周りを確認してしまう。

 本当に彼は自信家というか、怖い物知らずだと思う。

 確かに昨日の魔導術は凄かった。

 でも私はこのレヴールでの常識を知らない。

 ラグは昨日魔導術の力のことを皆が皆持っているわけではないと言っていた。

 そうするとラグはやはりこの世界で強い方なのだろうか。

 それなら、その自信も性格もわかる気はするけれど……。

「早く食っちまえよ!」

「は、はい!」

 怒られて私はいつの間にか止まっていた手を口へと運んだ。

(性格は、あんまり関係ないかな)




「出発前に確認するぞ」

 部屋を出る直前、ラグが私に言った。

「傭兵を雇えた場合、オレが術士だってことは秘密にしろよ」

「え? なんで」

「この国では術士だってだけで結構目立っちまうんだ。よほどのことがない限り、オレも術は使わない。わかったな」

 私は頷く。

 ――魔導術にとても驚いていた城の兵士たち。

 やはりこのレヴールにも国によって文化の違いのようなものが存在するのだろうか。

 ふと自分のいた世界のことを思い出す。

 その違いによって様々な問題が起こり、時にそれは争いにまで発展してしまう。

(みんな同じ人間なのにね……)

 そういったニュースを耳にする度、いつも胸が痛んだ。

 でもそれはきっと、私が平和な今の日本に生まれ育ったから……。

 戦地では皆、自分達の思想を信じて必死で生きている。

 この一見平和そうなレヴールにもそんな国同士の争いがあったりするのだろうか。

 そんなことを考えていると、ラグが念を押すように付け加えた。

「あと、お前は絶対に歌うなよ」

「はい! わかってます!」

 思わず手を上げそうになりながら私は返事をする。

 なんだか先生に厳しく指導されている気分だ。

(そんなに歳変わらなそうなのになぁ)

 なのにこの偉そうっぷり。

「そういえば、ラグって何歳?」

 階段を下りながら訊く。

「もうすぐ20歳だ」

(ってことは今19か。ありゃ、二つも年上だったんだ)

「お前は?」

「17、です」

「見たまんまだな」

(それはどういう意味でしょうか)

 なんだか馬鹿にされた気がしてこっそりむくれていたが、ラグの髪の結び目の影で黒い塊が揺れているのを見つけ、ついまた笑みがこぼれてしまった。




 宿屋を出ると昨夜は暗くてわからなかった町の全貌が良く見渡せた。

 今私達が歩いている道を中心にこの町は広がっているようだ。と言ってもこの道自体そんなに広いわけでもなく、やはりあのお城があった街に比べると随分小さな町だとわかった。

 殆どが平屋のコテージのような家で、昨夜泊まった宿屋のような二階建ては他に見当たらない。

 洗濯ものを小脇に抱えながら井戸端会議に華を咲かせているおばさん達を横目に、ふと昔家族で行ったキャンプ場を思い出す。

(みんな、私がいなくなってきっと心配してるんだろうな……)

 私がこちらの世界に来てからもう2日が経ってしまった。

 今まで無断で外泊などしたことない私を家族はとても心配しているだろう。

 ちくりと胸が痛む。

 やっぱり早く家族の元に……元の世界に戻りたい。

 改めて強く思う。

(そのためにも、早くエルネストさんの所に行かなくちゃ!)

 そんなことを考えているうちに、昨日の武器屋さんが見えてきた。

 昨夜見た看板を間近に見て私はゴクリと喉を鳴らす。

(強くて、でもあんまり外見強そうじゃない人がいますように!)

 なんだか矛盾していることを祈りつつ扉に手を掛けるラグの背中を見つめる。――と、その背中が突然目の前から消えた。

 頭に疑問符が浮かぶ前に腕を思い切り引かれる。

(え?)

 途端バンっと大きな音がして人が飛んできた。

 今まで自分が立っていた場所を通過して尻餅をついたその人は、昨夜もいたような気がする体の大きな男だった。

 あの重そうな体の下敷きになっていたかと思うとぞっとする。

 ラグが私の腕から手を離すのに気づいて「ありがとう」と小さくお礼を言う。

 彼はそれには答えずその飛んできた男をただ冷たく見下ろしていた。

「いっててて……、こんのアマぁ!! いきなり何しやがる!!」

 顔を真っ赤にして立ち上がった男は扉の向こうに怒声を飛ばした。

 そしてそこからゆっくりと出てきた人物を見て私は驚く。

(昨日の女傭兵さん!!)

 間違いない。スラリと長身で大きな剣を背負ったその姿。

 昨日は暗くてよくわからなかったが、思った以上の美人さんだった。

 おまけに出るところは出て引っ込むところは引っ込んだナイスバディ!

 そしてその短い髪は燃えるように真っ赤だった。

(かっこいい……!)

 洋画にでも出てきそうなその美麗な姿に私は思わず見惚れてしまった。

 と、彼女が自分を睨み上げる男に向かってゆっくりと口を開く。

「私はムサイ男としつこい男が大嫌いなんだ。私の視界から今すぐ出て行け!」

 一喝する彼女。

 その低い声は横にいる私まで逃げ出したくなるような迫力があった。




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