「ここだ」

 ツェリウス王子がそう言って立ち止まったのは、再び一階に下り中庭の見える回廊を進んだ先の曲がり角。円柱形の出っ張り部分にその扉はあった。

(ここって、あの高い塔にあたる部分?)

 位置的におそらく間違いないだろう。

 その扉は王の寝室のものと比べると飾り気が無くとてもシンプルだった。

「ここが王族しか入れないっていう?」

 アルさんが訊くと王子は首を振った。

「ここは誰でも入れる。王族しか入れないのはこの中の一部分だ。クラヴィスはここで見張っていろ。誰も入れるなよ」

「はっ」

 クラヴィスさんはもう止めることはなかった。

 王子が扉を押し開けた途端、古い本独特の少し埃っぽい香りが鼻を掠めた。そして。

「わー!」

「すっげー!」

 私とアルさんの声が塔の中に綺麗に反響した。

 お城の中に入ってから何度もこうした声を出している気がするけれど、ここはまた別格だ。

 その円柱形の壁面は全て本棚になっていて、360度見回す限りぎっしりと書物が詰まっていた。

 更に驚くべきは中央の昇り階段。それは円を描き螺旋階段となって塔のてっぺんまで続いていた。

 その螺旋の中心を見上げていると、まるでその穴に吸い込まれ落ちてしまうような可笑しな錯覚に陥る。

 日本に良くある普通の図書館を想像していた私は、その美しさと本の数にただただ圧倒されてしまった。

「何代か前の王が集めたんだそうだ」

 口をぽかんと開けたまま視線を廻らしていると、王子がぽつりと言った。

「そして元はただの見張塔だったここを書庫に作り変えたらしい」

「へぇ〜。よくもまぁこんなに集まったもんだなぁ」

 本当に。

 世界中の本をここに集めたような量だ。

「まぁ、お蔭でここにいると飽きないからな。僕は大抵ここで時間を潰していた」

 そう続けた王子は少し寂しそうに見えた。

「で、例の書庫はどこなんだ」

 そんな中急かすように訊いたのは勿論ラグ。

 ――ここに来る途中、控えの間に寄って声を掛けると彼はすぐさまソファから立ち上がり私たちについてきた。

(目的の書庫にいよいよ入れるんだもんね……)

 先ほどの控えの間での会話を思い出してしまい慌てて打ち消す。今はそんなことを考えている場合じゃない。

 ラグの問いに、王子は真上を指さした。

「ここの一番上だ。上るぞ」

 私たちは王子に続き螺旋階段を上り始めた。



 王子の言う一番上までは結構な段数があり、最後の一段を上り終えたときには息が上がってしまっていた。

 慣れている王子や体力のあるラグやセリーンは平然としていたけれど、同じように体力のあるはずのアルさんが私よりも辛そうに肩で息をしているのが気になった。

(やっぱりさっきのがまだ……)

「この中だ」

 もう一度アルさんに声を掛けようとしたその時、王子の声。

 確かにそこには扉があった。

 元は見張り塔だったというから、この扉の向こうが見張り部屋だったのだろうか。

 と、王子はおもむろに首の後ろに両手を回した。

(あ!)

 思わず声が出そうになる。

 王子が首から外したのは、ドナがずっと首に掛け別れ際に王子に返していたあのオカリナに似た楽器。

 服に隠れて見えなかったけれど、王子もあれからずっと首にかけていたのだ。

 でも今それを何に使うのだろう。

 じっと見ていると、王子はそれを扉の中心にある凹みにあてがった。

 その凹みはぴったりと楽器がはまる形になっていて、王子は更に奥へと楽器を押し込む。

 と、ガチャンと言う音がして鍵が開いたのだとわかった。

「それが鍵になっているのか」

 セリーンの驚いた声。

 王子をあの金色のモンスターへと変身させる他に、あの楽器にはこんな役割もあったのだ。

「あの、それって王様やデュックス王子も持っているんですか?」

 訊いてみると、王子は扉を押し開けながら答えてくれた。

「いや、僕はこれひとつしか見たことが無い」

 そして扉から外した笛を再び首へ掛け直した。

 その部屋の中はツンとカビ臭く、まるでサウナの中のように熱が籠っていた。

 ひとつしかない鍵を王子が持っているなら、ここは一ヶ月以上ずっと閉め切ったままだったことになる。

 王子も顔をしかめ、すぐに2つある窓を開けに行った。

 両方の窓が開くと気持ちの良い風が中に吹き込んできた。

「あ、街が見える!」

 そう、窓からは先ほどまでいたヴァロール街のオレンジ屋根が見渡せた。

 ひょっとしてと思いその手前の森を見下ろしてみたけれど、残念ながらビアンカの姿は確認できなかった。

「ひえー、この中の全部確認してくのかよ」

 最後に部屋に入ってきたアルさんが悲鳴じみた声を上げた。

 そう、この部屋も壁一面にずらりと本が並んでいたのである。

 ざっと千冊はあるんじゃないだろうか。

 ラグも眉根を寄せその量を見回している。

「王子はこれ全部読んだんですか?」

 訊くと王子は首を振った。

「まさか。気になったものだけだ」

「例の呪いに関する書物は?」

「これだ」

 王子はすでに手にしていたその本をラグに見せた。

 大分年期の入った本だ。と言ってもこの塔にある本の殆どがそうなのだけれど。

 その表紙に書かれている文字は私には全く読めないものだった。

 螺旋階段を上りながら横目で本の背表紙を見ていて思ったけれど、今回私は全く役に立ちそうにない。

(これまでも役に立ったこと殆ど無いけど……)

 ラグは王子からその本を受け取るとすぐにページを開き目を通し始めた。

 それを横から覗き込みながらアルさんが言う。

「王様の呪いに関しても載ってりゃいいんだけどな」

「やっぱり、あれって呪いですよね!」

「あぁ」

 私の言葉に頷いて、アルさんは王子を見た。

「ですよね、ツェリウス殿下」

「…………」

 私たちの視線を受けた王子はゆっくりと窓の向こうの空を見つめ、ふんと鼻を鳴らした。

「あれは王への罰だ」

「罰?」

「あぁ。僕の母を捨てた罰さ」

 飄々とした表情とは裏腹に、その目の奥には様々な薄暗い感情が揺れていた。

 ――やっぱり王子は、あれが呪いだとわかっていたのだ。

「詳しく話してもらえないですか?」

 アルさんが言うと、王子はラグが黙々と読み進めている本を見下ろした。

「読めばわかると思うが、その書物はこんな伝説から始まっている」

 王子は窓際の壁にもたれかかり、淡々と語り始めた。


  ――昔、角を持つ金の獣に恋をした王女がいた。

  王女は願った。

  どうか、私を同じ獣の姿にしてください、と。

  すると不思議な笛が天から降ってきた。

  それを吹いてみると、王女の姿は獣へと変わった。


「笛って、それですよね!」

 私はつい興奮気味に王子の胸元に揺れる笛を指さしていた。

 でも王子は私の突然の大声にびっくりしてしまったようで、慌てて謝る。

「す、すみません。続けてください」

 王子は咳払いをしてから続きを話し始めた。

「――それから王女は度々獣の姿となり、金の獣との逢瀬を重ねた。だが、それを良しと思わない者がいた……」

 

  王家の終わりを恐れた王女の父、国王が兵士に命じその金の獣を殺してしまう。

  それを知った王女は深く悲しみ、王家を呪いながら自らの命を絶った。

  残されたのは呪われた金の髪の子――。


「そして、この笛だ」

 王子は笛を軽く握って見せた。

「……悲しい話だな」

 セリーンがぽつりと呟いた。

(本当に。その王女様も、金の獣も、子供も。みんな可哀想……)

 伝説というからどこまでが本当のことかわからないけれど、なんて悲しい恋物語だろう。

「それから代々王となる者は、金の髪とこの呪いの紋様を持って生まれるようになったそうだ」

 短く切った自分の金の髪と、額の紋様とを順に触れていく王子。

「そして、王女と同じようにこの笛の音で獣の姿に変わることが出来る」

 そこで私は先ほど気になったことを訊いてみることにした。

「あの、じゃあやっぱり王様も王子と同じようにあの金の獣に変身できるんですか?」

「見たことはないが、なれるんだろうな」

「王妃様やデュックス王子はそのこと……」

「知らないようだ」

「あの宰相は? プラーヌスだっけか」

 続けて訊いたのはアルさん。

「知らないはずだ。……大抵の者は皆、金髪とこの紋様は単に王の証しであると思っている。呪われた王家だなんて知れたら色々とまずいだろうからな。ずっと秘密にしてきたんだろう。僕も、この部屋に入りその書物を見るまでは知らなかったんだからな」

 ごくりと喉が鳴っていた。

 ずっと隠されてきた王家の秘密を、私たちは知ってしまったことになる。

「――ん? ならなんでクラヴィスは知ってんだ?」

 アルさんがふと気づいたように呟くと、王子の頬が瞬間ぴくりと引きつった。

 確かに。王妃様や弟のデュックス王子が知らないのに、いくら従者とは言えクラヴィスさんが知っているのはおかしい気がする。

「……見られたんだ。獣に変わるところを」

 不覚とばかりに王子。

 その悔しげな表情を見て心内でこっそり苦笑する。

 ひょっとしたら王子は昔からちょくちょく隠れて変身していたのかもしれない。

(クラヴィスさんもきっと初めて見たときは驚いただろうなぁ)

 そのときの二人を想像していたときだ。

「……代々の王は皆ああした病にかかってきたのか?」

 セリーンが難しい顔で言った。

 そうだ。あれも呪いのせいなのだとしたら、代々王様はずっと同じ道を辿ってきたことになる。

「笛だ」

 唐突にラグが声を上げた。

 彼は書物に記された文字を目で追いながら続けた。

「その笛の音に、呪いを抑える力がある」

「じゃあその笛で王様を治せるってことですか!?」

 思わず歓声を上げて王子を見る。

 アルさんとセリーンも驚いた顔で王子の胸元を見つめた。

 まさかこんなに早く解決策が見つかるとは思わなかった。

 しかし王子は面白くなさそうに付け加えた。

「愛する者が吹けば、だ」

「愛する者?」

「そう。愛する者に定期的に吹いてもらえば呪いは抑えられる。だからその笛は、代々王となった者が愛する者に、その愛の証しにと渡してきたものだった」

 ふと、笛を首に掛けたドナが頭に浮かんだ。

「もしそれを怠れば、人でも獣でもない半端な姿となり果て、王家の血は途絶える。そうその書物に書き記されている」

 その低い声音に先ほど目にした王様の姿が思い出され、再び鳥肌が立った。

 ――人でも獣でもない、半端な姿。あの姿はそれに近かったのではないか。

「ん? ちょっと待ってください」

 見るとアルさんが眉を寄せていた。

「王が愛する者にってんなら、本当なら今その笛は王妃様が持ってなきゃいけないんじゃないんですか?」

(あ)

 確かにそうだ。

 今はまだ王様ではなく王子である彼がなぜそれを持っているのだろう。

 王子は少しの間をあけて、口を開いた。

「僕はそれを、この城に連れて来られる直前に母から受け取ったんだ」

「!」

 ――そうか。王様は王妃様を娶る前に王子のお母さんに渡してしまった。

 だから王妃様は笛の存在も王様の呪いのことも知らないのだ。

「でも、なら王妃様にその笛を渡して、今からでも吹いてもらえば治るってことですよね!」

「僕は渡す気は無いぞ」

「!?」

 その言葉に皆息を呑んだ。

「そ、そんな! だって王様が……お父さんが死んでしまうんですよ!」

「言っただろう。これは王への罰なんだ。母さんを捨てておいて自分だけ幸せになるなんて僕は絶対に許さない」

 そのはっきりと憎しみの籠った声に、それ以上何も言えなくなってしまった。

 ――考えてみれば、呪いのことも治す方法も知っていて王子はこれまで何もせず黙っていたのだ。

 そして王が病に倒れた後もその笛を持って城を飛び出している。

(王子は、最初っから王様を助ける気が無いってこと?)

 しばらくの沈黙の後。

「王様はそのことを知っているんですか?」

 アルさんの低い声。

「母さんに笛を渡したってことは、知ってるんだろう。知っていて、受け入れるつもりなんじゃないか?」

 冷めた目で王子は言った。

「これで僕の話は終わりだ。王を治したいなら別の方法を見つけるんだな。さっきもどうにか治まったんだ。案外お前たちの術で本当に治せるんじゃないか?」

 軽く笑って、王子は扉へと向かう。

「ここは開けっ放しにしておく。好きに使えばいい」

 部屋を出ていく背中を呆然と見送っていると、王子がぱっと振り向きアルさんを睨んだ。

「何をしている。お前は僕の護衛だろう。行くぞ」

「え? あぁ、そーでしたそーでした」

 アルさんが慌てた様子で王子の後をついて行く。

「ところで殿下。例のティコの飲物はいつ……」

「あー、そうだったな。頼んでみよう」 

 塔の中に響いたアルさんの歓声と螺旋階段を下りていく二つの足音を聞きながら、つい溜め息が漏れてしまった。

「……王子が、あんなに王様のこと嫌ってるなんて思わなかった」

「あぁ。母君を想うが故だろうが、余程許せなかったのだろうな」

 言ってセリーンも短く息を吐いた。

「単に、早く王になりたいだけなんじゃねーか?」

 本からは目を離さずにラグが呆れたふうに言う。

「現国王が死ねば、早く王になれるわけだからな」

「まさかそんな……」

 否定しようとして、言葉に詰まってしまった。

 ――王になったら迎えに行く。そうドナと約束し、王になることを決意したツェリウス王子。

(でもいくらなんでも、そのために自分のお父さんを見殺しにするなんて……)

 そんな恐ろしいことを考える人ではないと思いたかった。

 窓から遠くの空を見つめる。

(こんな時、ドナが居てくれたらな……)

 ドナなら王子にびしっと言ってくれそうだし、王子もドナの言うことなら聞き入れてくれそうだ。

 それとも、いくらドナでも王子のお母さんへの想いには敵わないだろうか。

「――あっ」

「どうした?」

 良いことを思いついた私はセリーンに笑顔で言う。

「王子のお母さんに来てもらえばよくない?」

「アホか」

 すぐさま罵声が飛んできた。視線は依然下のまま彼は続ける。

「城に入れるわけねぇだろーが」

「でも、それが一番、」

「そんな簡単に呼べるもんなら、そもそもこんな面倒な状況になってねぇだろうよ」

「…………」

 言い返せなかった。

 確かにその通りだ。王子だって、お母さんと簡単に会えるのならあそこまで王様のことを嫌っていないだろう。

「それにな、」

 そこでラグはやっと顔を上げ、睨むように私を見た。

「これはこの国の問題だ。お前が考えることじゃない。王子が言ってただろう、国王はわかっていて受け入れているんだ。ならオレたち部外者がわざわざどうこうする問題じゃない」

「でも、治せる方法がわかっているのに何もしないなんて」

「いい加減にしろよ。余計なことに首突っ込むなと何度言やいいんだ」

 今までも言われてきた言葉。

 でも、その殆ど怒鳴りつけるような言い方に、先ほどの控えの間での会話が思い出されて――。

「あの王子にあの笛の音が必要なように、オレにはお前の歌が必要なんだ。……今のところな。そのことを忘れんな」

 そこまで言い終えるとラグは再び本に視線を戻した。

「だからお前は、何もせず大人しくしてりゃいいんだよ」

 ぎりと拳を握る。

「カノン」

 セリーンの声が聞こえたけれど、それよりも早く自分でも驚くほどの低い声が口を突いて出ていた。

「さっきは好きにすればいいって、言ったくせに」

「あ?」

 柄悪くラグがこちらを睨み見る。

 そんな彼を負けじと睨み返し、私は怒鳴った。

「私は、ラグの呪いを解く道具じゃないよ!」




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