それらしい服装を用意するため、私、ラグ、セリーンの3人は丘の麓にあるヴァロールという街に向かっていた。

 アルさんは王子たちの護衛のため、先ほどの場所に待機してくれている。

 ビアンカは結局お城の方を見つめたまま一向に動こうとはせず、一応声は掛けてきたけれどその声が届いているかどうかもわからなかった。

 本当に一体どうしてしまったのだろう。

(お城の中に入れば、理由がわかるかな。でも、お城の中かぁ……)

 不安を覚えながら急な下り坂を進んでいくと、眼下に大きな街が一望できた。オレンジ色の屋根と白壁の家々が建ち並ぶとても可愛らしい街。

 セリーンは以前この街に立ち寄ったことがあるらしく、その時に街から見えたソレムニス宮殿がとても美しく印象に残っていたそう。

「まさかその城に入ることになるとはな」

 私の後ろを歩くセリーンが背後に見える城を振り返り、感慨深げに呟いた。

 そんなセリーンに一番前を歩くラグが釘を刺すように言う。

「あの金髪野郎のことで何か思い出したらすぐに言えよ」

「あぁ、わかっている」

 その会話を聞いて思い出す。

 王子のことが無くても、セリーンが訪れた国という理由から元々このクレドヴァロールには来るつもりだったのだ。

「エルネストさん、あのお城の中にいたりして」

 不安を紛らわすため、冗談半分で言ってみる。

「なんかぴったりだよね。エルネストさんとあのお城」

 美しい城を振り返りながら続けると、

「しかし王子は知らないと言っていたのだろう?」

セリーンに大真面目に返されてしまった。

「う、うん。そうだったらいいなって思って」

 苦笑しながら誤魔化していると前方からイラついた声。

「本当に幽閉されているなら隠している可能性もある。それにあの王子が知らないだけかもしれない」

 それを聞いてふと気づく。

「もしかして、ラグが王子の護衛をOKしたのって、お城の中を調べたいから?」

「それもあるが……それより、さっきのアレはどういうことだ」

 いつ言われるかと思ったが、ここで言われてしまった。

 振り返り睨んできた彼に私は再びぶんぶんと首を振る。

「だから私は言ってないよ! ドナにしか、言ってない」

 舌打ちをしてラグは前に向き直る。

「あの女が喋ったってことか」

「ドナは喋ったりしないよ!」

 ドナは秘密をばらしてしまうような子ではない。

 それにあの時二人はとてもギクシャクしていて、そんな話が出来る状況ではなかったはずだ。

「しかし、あの口ぶり。バレているのはまず間違いないだろうな」

 セリーンの冷静な口調に私は小さく頷く。

 ――先ほどから一人なぜだろうと考えていた。

「あのね、王子ってパケム島でラグの呪いにすぐに気付いたでしょ?」

「王子も呪いに掛けられているからなのだろう?」

「うん。でもね、」

「ならなんでオレはあいつの呪いに気づけなかったのかってんだろ?」

「そう! それ、ずっと引っかかってて」

 やはりラグも気になっていたのだ。

「だから王子は何かそういうものを見抜ける力を持っていて、それで私のこともわかっちゃったのかなって」

 でもそれはただの推測に過ぎなくて、案の定二人からの返答は無かった。

 こればかりは王子に直接訊くしかないけれど……。

「私の求めるものって……」

 舗装されていない剥き出しの地面を見つめ歩きながら独り言ちる。

(やっぱり元の世界へ帰る方法?)

 だとしたら私もお城の中に、そしてその書庫に入りたい。

 しかし王子は私が元の世界に帰りたがっていることも知っているのだろうか。

 もし、伝説の通りの銀のセイレーンだと思っているとしたら……。

 ランフォルセでのこと、更にはフィエールのことを思い出し、知らずごくりと喉が鳴っていた。 

「……やっぱり、私待ってた方がいいかな。セリーンとそこの街で」

「ダメだ」

「え?」

 すぐに返ってきた声に顔を上げると、ラグが立ち止まり再びこちらを睨み見ていた。先ほどよりも酷く不機嫌そうな顔。

「オレから離れるな。そう言ったはずだ。……さっさと服を手に入れて戻るぞ」

 そして彼は再び前を向き、足早に歩き始めた。

「なんだアレは」

「!?」

 いつの間にか真横にセリーンがいて驚く。

 彼女はラグの背中を見つめながらふっと笑った。

「オレから離れるな、か。あの子に言われてみたいものだ」

「ち、違うよ? そういう意味じゃなくって、そのまんまの意味だよ!?」

「どういう意味だ?」

 セリーンに可笑しそうに問われ、自分でも何を言っているのだろうと思った。

 顔が赤くなっていることを自覚して、妙な焦りを覚える。

 前に言われたときもそうだったけれど、いきなりああいうことを言われるとびっくりしてしまう。いつも無愛想で、そういうことを絶対に口にしなさそうな彼だからこそ。

(だから、彼にとっては本当に単に離れるなっていう、そのままの意味なんだろうけど……)

「いいのか?」

「え?」

 セリーンを見上げる。

「あの男についていくのか?」

 遠のいていく背中を見ながら考える。

 ――もしここで、やっぱりどうしてもお城には行きたくないと言ったら、彼はどうするのだろう。

(って、違う! ラグがどうとかじゃなくって、私がどうするかだよ)

 まだ少し火照った頬を軽く叩いて真面目に考え直す。

「私はどちらでも構わないが、カノンも王子の言葉が気になっているのだろう?」

「うん」

「なら、街で待っていても落ち着かないんじゃないか?」

「…………」

 確かに街でただ待っていても結局城内のことが気になってソワソワしっぱなしになりそうだ。

(ビアンカのことも気になるし)

 不安は拭えないけれど、私は覚悟を決めることにした。

「そうだよね。うん、私もラグたちと一緒に行く。気になることいっぱいあるし」

「そうか」

 セリーンが微笑んでくれて、そんな彼女を見てふと思い出す。

「セリーンはいいの? なんかさっきアルさん、セリーンを奥さんにとか言ってたような気がするけど」

「そういえばそんな戯言を聞いたような気がしたな。戻ったらもう一度確かめてみることにしよう」

 顔と口調は穏やかなのに、目が一切笑っていなくて、私は余計なことを言ってしまったと心の中でアルさんに謝罪した。と、

「なに立ち止まってんだ、さっさと行くって言ってんだろ!」

前方から怒声が飛んできて、私は焦って走り出した。


 ――ツェリウス王子はこの国の王子様だけれど、友達の大切な人でもある。

 彼女が彼を信じたように、私も彼を信じてみよう。

 先ほどまだ遠く見えていたオレンジ色の屋根が、大分近付いていた。



 その数十分後、私たちは城下街であるヴァロールに辿り着いた。この街からこの王国は栄えていったのだという。

 街中はかなり埃っぽく、なんとなく視界が霞んで見えた。そしてとにかく暑かった。

 街に近づくにつれて緑が消え温度がどんどん上昇していくのがわかったけれど、すでに服の下は汗でびっしょり。早く新しい服に着替えたかった。

 ふと今降りてきた丘を見上げると、緑の中に宮殿で一番高い塔が飛び出て見えた。

 何年か前にセリーンもこうしてあの白い塔を見上げたのだと思うと、なんだか不思議な感じがした。

(私はその頃日本でのほほんと生活してたんだよね)

「おい、余所見してんじゃねーよ。はぐれるぞ」

「う、うん」

 私は慌てて前に向き直る。

 確かに通りはかなりの人で混雑していて、気を抜けばすぐに彼の背中を見失ってしまいそうだ。

 この街の人は赤と白を基調にした民族衣装に身を包んでいて、特に女性の服には複雑な模様が施されとても目に鮮やかだった。

 それほど広くは無い通りの真ん中には朝市だろうか露店がずらっと立ち並び、美味しそうな果物や女性の服のように細かい刺繍が施された色鮮やかな布地、そして綺麗な装飾品などが並んでいた。

(っとと、だめだ、目移りしちゃう。えっと、)

 今探しているのは服屋だ。

「あの店にありそうじゃないか?」

 セリーンが指さした先を見ると、通りにまではみ出してたくさんの服を飾っている店があった。店内にも色々とありそうだ。

 ラグもすぐさまそちらに足を向けた。



 先ほど想像したような“白衣”はあるはずもなく、医者だと言ってもおかしくない白地でシンプルな服を4着手に入れた私たち。

「涼しそうな服があってよかったね!」

「あぁ」

 そんな話をしながら店から出たときだ。

「――っ!」

 私はある“音”に気が付き、足を止めた。

「どうした?」

 セリーンの声に、来た道を戻りかけていたラグがこちらを振り返る。

 露店がずっと続く通りの向こう。

「太鼓の音がする」

「タイコ?」

 トントコトコトン……トコトコトン。

 そんな規則正しいリズムで聞こえてくる小気味良い音。

 吸い込まれるようにして私はそちらに足を向けていた。

「おい」

 ラグのイラついた声が掛かるが、止まれない。

 進んでいくと更に別の音が聞えてきた。

 シャカシャカという音。これは――。

(マラカス?)

 太鼓にマラカス。更には手拍子まで耳に入ってきて。

 聞こえてくるそれは、間違いなく“音楽”だ。

 サンバに似た楽しげなリズムに導かれるように露店をいくつも通り過ぎていくと、広場に出た。

 そこには人の輪が出来ていて、私はその中心が見える場所を探しながら近寄っていく。

 まず目に入ったのは、露出度の高い衣装を身に纏い妖艶に踊る美しい女性。皆の視線の的はその踊り子だったが、

(あれだ!)

私はその後ろ、子供の背程の壺のような形をした“楽器”に目を奪われた。

 壺の開口部に皮が張られていて、その部分を体格の良い男性がリズミカルに手で叩いている。

 それは間違いなく、打楽器――太鼓だった。見慣れた和太鼓よりもコンガに近い形状。

 更にその隣ではもう一人の男性がどう見ても“マラカス”を両手に一本ずつ持ち、全身を揺らしながら楽しげにシェイクしていた。

 二人ともかなり手慣れているのが見て取れる。

「旅の踊り子のようだな。いや見事だ」

 私の横で感嘆の声を漏らしたのはセリーン。その視線はやはり踊っている女性に向かっていた。

 丁度そのとき太鼓とマラカスの音が止み、踊り子もぴたり動きを止めた。

 直後、観衆からわっと歓声が上がった。

 そしてたくさんのコインが踊り子の前に置いてある器の中へと投げられていく。

 セリーンも腰に括られた革袋からコインを一枚出し放った。

「良いものが見られたな」

「……私、勘違いしてた」

 私の呟きにセリーンは不思議そうな顔をした。

「この世界には、音楽っていうものが無いんだと思ってたの」

 歌が不吉とされている世界だからと、勝手にそう思い込んでいた。

 パケム島で初めて笛の音を耳にしたときにもひょっとしてと思ったけれど。

「この世界にも、音楽が在るんだ」

 そこに“歌”は無かったけれど、久しぶりに音楽に触れられて胸のあたりが熱く疼いた。

「気が済んだなら戻るぞ」

「あ、ごめん。そうだね」

 背後からの低い声に慌てて振り返る。

 感激に浸っている場合ではない。アルさんと王子たちを待たせているのだ。

 ため息交じりに背を向けたラグについて歩き出そうとした、そのとき。

「嬢ちゃん、ウエウエティルに興味あるのかい?」

 大きな声に思わず振り返ると、先ほど太鼓を叩いていた40代ほどの男性と目が合った。

「え?」

「そう、嬢ちゃんだよ。さっき食い入るようにこれを見ていただろう?」

 その人は日に焼けた顔でにっと笑い、トトトンっと手元の太鼓を鳴らしてみせた。

(うわ、恥ずかし……!)

 かーっと顔が熱くなる。

 皆が踊り子の女性に夢中になる中、楽器の方を凝視していた私。きっと目についてしまったのだろう。

「すみません、ちょっと珍しかったもので」

 顔が赤いのを自覚しながら言うと、男の人はハハハと笑った。

「いい音だろ? ウエウエティルは」

「はい、とても。それ、ウエウエティルっていうんですね」

 なんだか可愛らしい名前だ。

「あぁ。俺の自慢の相棒だ。でも今度は踊りも見てやってくれよな」

 そう指さした先では先ほどの踊り子の女性がマラカスを持った男性と話をしていて、でもその彼女ともばっちり目が合ってしまった。

「何だい、アンタ私の踊りを見ていなかったのかい?」

 妖艶な美女という言葉がぴったりな女性に迫力ある声で言われ更に慌てる。

「いえ、あの」

「今日は何度かここで踊るからね、その時にはちゃんと見ておくれよ!」

 そしてパチンっとウインクしてくれた。

 怒ってしまったわけではないようでほっとする。

 でもこの後すぐにこの街を去ってしまう私は曖昧な愛想笑いを返すことしか出来なかった。

 と、そんな時だ。

「誰か! 誰か医者はいないかー!」

 聞こえてきたその大声に皆の視線が集中する。

 広場に向かって駆けてくる男性。彼が悲痛に叫んだ。

「親父が屋根から落ちちまったんだ! 誰か、親父を助けてくれー!」




戻る小説トップへ次へ

inserted by FC2 system