「――ただ、」 ラグは続けた。 「あくまでオレの目的はこの呪いを解くことだ。護衛出来るのはそれが果たせてからになるが、それでもいいか?」 それを聞いて、少しほっとする。 もう旅には出ない。瞬間、そういう意味に思えたのだ。 (でも、そんなに簡単に決めちゃっていいの……?) パケム島でクラヴィスさんから依頼されたような限られた期間の話をしているのではない。王子は生涯を自分に捧げて欲しい、そう言っているのだ。 「あぁ、構わない」 王子はラグの答えがわかっていたかのようにすぐに頷いた。 そしてもう一度アルさんを見上げる。 「それまでの護衛をこの男が引き受けてくれるのならな」 「問題無い」 「ちょっと待てーい!」 ラグに即答され、当然のことながらアルさんが抗議に入る。 「なに勝手に決めてくれちゃってんの!? 俺はストレッタに生徒が」 「その生徒ほっぽって勝手について来たのはお前だろうが」 「そ、それは俺がいたら何かとお前の役に立てるかな〜って先輩心でだな」 「初めて役に立てるじゃねぇか。良かったな」 「初めて!? あれ、俺そんなに役に立たなかったっけ!?」 そんな二人の言い合いが始まった頃、クラヴィスさんと王子の方でも口論が始まっていた。 「殿下、魔導術士を宮殿に迎え入れるなど前代未聞です! どうかお考え直しを。護衛なら私たちがいるではないですか」 「宮殿内に暗殺者がいないとは言い切れないじゃないか! この間みたいな奴らが襲ってきたらお前らだけじゃどうにもならないだろう!?」 「それは……。しかし、それでは私はどうなるのですか! お役御免ですかお払い箱ですか!? 困ります!」 「お前は結局自分のことしか考えてないんじゃないか!」 完全に蚊帳の外な私はハラハラしながらそんな二組を見守ることしか出来ない。 ふと隣を見るとセリーンは彼らに興味がないのか先ほどと変わらずビアンカを見上げていた。ビアンカはというとやはりじっと城のある方を見つめていて、私も男性陣を気にしつつそちらを向く。 「ビアンカ、帰ろうとしないね。どうしたんだろう」 「ここに、ライゼがいたらいいのだがな」 「そうだね……」 ライゼちゃんがいたら通訳をお願いできるのに。 彼女の柔らかい笑顔が脳裏に浮かんだその時だった。 「僕は殺されたくない!」 一際大きな声にびっくりして振り返る。 王子が拳を握り締め、強い眼差しで己の従者を睨め上げていた。 「王になるまで、ドナを迎えに行くまで僕は絶対に死ぬわけにはいかないんだ!」 ――殺されたくない。それだけならパケム島で暗殺者に狙われているとわかったときと同じだったろう。 でも今王子の瞳には、あの時にはなかった王にならんとする固い意志が感じられた。 流石のクラヴィスさんもそこで口を噤み、ラグとアルさんも口論を止めそんな王子に視線を向けていた。 大切な人が出来ると強くなれると言うけれど、王子にとってはドナの存在がまさにそれではないだろうか。 (ドナ、王子頑張ってるよ) 出来るならば、今すぐに友達に伝えたいと思った。――と、 「あ〜も〜、わかった!」 急にがしがしと頭を掻きむしり、アルさんが半ばヤケクソ気味な声を上げた。 「アルディートさん?」 不安そうに声を掛けたクラヴィスさんの横を通り過ぎ、アルさんは王子の前に立つ。そして今までとは違う、どこか恭しい態度で言った。 「とりあえず、になっちまいますが。そいつがその書庫にいる間の護衛は俺が引き受けましょう。その後のことはその間にじっくり考えるってことで……どうだ?」 ラグの方を向いてアルさんは続ける。 「その書庫でどこまでの情報が手に入るかもわからねーし。最悪、なーんも見つからねーことだってあり得るわけだろ? そんなんで一生を決めちまうのはどうかと思うし、いつ帰ってくるかもわからないお前をただずーっと待ってるなんて御免だからな」 ――そうだ。 少しでも収穫があればいいが、何も得られなかった場合結局また当ての無い旅に出なければならないわけで、その間アルさんはずっと宮殿で王子の護衛ということになる。 ビアンカとお別れした後の旅は今よりももっと困難で長いものになるはず。 そのことを考えてもやはり現時点ではまだちゃんとした答えは出せないということだ。 (――あれ? でも逆にすっごく良い情報が手に入ったら……?) ふと湧いた疑問は、聞こえてきた小さな溜息によって霧散する。 見るとラグは眉間に深く皴を寄せながらも目を伏せていて、特に異論は無いようだった。 アルさんは満足げに何度か頷くと再び王子に向き直った。 「というわけで、とりあえずの側近になりますが、いかがでしょう?」 「わかった」 王子がしっかりと頷く。 「それでも心強い。よろしく頼む」 まっすぐな瞳でお願いされ、その意外な素直さにアルさんは少し驚いたようだった。 しかし彼は咳払いひとつして、すぐにいつもの軽い笑顔を浮かべた。 「あー、そんで、そのティコの飲み物は宮殿入ってすぐに飲めるんですよね?」 ……がくっと私の肩が落ちたのは言うまでもない。 「しかし、皆にどう説明されるおつもりです?」 クラヴィスさんはまだ納得していないよう。 「デュックス派の者たちが素直に自分達のしたことを認めるとは思えませんし、急に魔導術士を迎えるなど皆が混乱するだけです。やはりどう考えても殿下の不利にしか……」 「術士だということは黙っていればいいんだ」 王子がクラヴィスさんの言葉を遮り答えた。 「あの暗殺者を送り込んだ奴らにだけわかればいいんだからな」 「それはそうですが……しかし、では何と? 旅に出ている間に、私よりも腕の立つ護衛を見つけたとでも説明されるおつもりですか?」 そのなんだかいじけたような言い方が少し気になったけれど……。 「考えがある」 「考え、ですか?」 「あぁ。お前確か、僕が城を出た理由を“王の病気を治す方法を探すため”と説明したのだったな」 それは初耳だったが、すぐに当然だと思った。まさか王になるのが嫌で逃げ出したなんて事実を説明出来るわけがない。 「はい、その通りですが……まさか」 すぐにその考えに辿り着いたのか、クラヴィスさんが声を上げた。 ラグが眉を顰め、アルさんが首を傾げる。 王子が、微かに唇の端を上げた気がした。 「あぁ。術士ではなく、医師として迎えるんだ」 (医師!?) 私はそのまさかの考えにぽかんと口を開けてしまった。 「お前が医師。そしてお前はその助手ということにすれば書庫にも案内しやすい。王の病を調べるためとでも言えばいいんだからな。ついでにクラヴィス、お前が言うようにそこそこ腕も立つということにしておけば後々側近にもしやすいかもしれない」 彼は呆気にとられているアルさんとラグを指さしながらスラスラと告げていき、最後もう一度クラヴィスさんを見上げた。 ――パケム島を発ってからつい先ほどまでほとんど無口だった王子。ひょっとしてずっとこのことを一人で考えていたのだろうか。 クラヴィスさんはとうとう諦めたのか、重い溜息をつき頭を垂れた。しかし。 「ちょーっと待ってください。俺もこいつも医術の心得なんてこれっぽっちもないですよ。勿論そんな証持っていませんし、いくらなんでも無理がありますって」 「お前たち術士は傷を癒すことが出来るじゃないか」 焦るように言ったアルさんに、王子はあっけらかんと返す。 「や、あれはあくまで治癒の術でして、医術とは全く違うもんです。怪我ならともかく病のことなんてホントさっぱりですよ」 「僕が生まれるずっと前は、術士の多くが医師をしていたと聞いているぞ」 王子は強気の姿勢を崩さない。アルさんが完全に押されていた。 「そりゃ医術が広まる前の話で……っつーか、そもそもすでにいるんじゃないんですか、宮廷医師が。絶対すぐバレますって!」 「バレたらバレたでなんとかなる」 「なんとかって……」 「なんなら術士だと言ってしまったっていい」 「殿下! ですからそれは」 すかさず話に入るクラヴィスさん。だが王子はそんな己の従者を冷たく見上げた。 「お前のおかげで、皆は僕が王を心配するあまり城を出たと思っているんだろう? 最後の最後に頼ったのが術士だったんだ、そう涙ながらに話せば皆納得してくれそうじゃないか」 そう、鼻で笑うように言う王子。 そんな彼を見て思う。――王子は、本当に王様……自分の父親のことを憎んでいるのだろうか。本当に、心配する気持ちはないのだろうか。 (なんか、それって少し寂しいな……) 離れ離れになったお母さんのことを想うからこそだったとしても、病に伏せっている王様のことを考えると少し可哀想に思えた。 部外者の私がそんなことを考えているなんて知る由もなく、王子は続ける。 「とにかく今は正面から宮殿内に入れればそれでいい」 「正面って、そこから中に入るんじゃなかったのか?」 クラヴィスさんに視線を移しアルさんはすぐそこに見えている小屋を指差した。 クラヴィスさんは疲れた様子で……というよりも、どこかふてくされた様子で答える。 「私はそのつもりだったのですが。殿下は最初からそのつもりなかったようですね」 「あぁ」 すぐに頷く王子。 「僕が帰ったときの皆の反応が見たいからな。特に、僕に暗殺者を差し向けた奴の反応がな」 そうして、また不穏な笑みを浮かべた。 「そのためには、まずそれらしい服装を揃えなければならないな」 王子がアルさんの格好を見ながら言った。 彼はパケム島で買った派手な服のままで、確かにこれでは到底お医者さんには見えない。 (お医者さんかぁ) 私はこの世界で知っている唯一のお医者さん、フェルクレールトのブライト君を思い出していた。 彼も最初お医者さんだと聞いたときはすぐには信じられなかったけれど。 (あー、でもアルさんメガネ掛けてるし、白衣とか着たらすごくそれっぽくなるかも) この世界に私の知る白衣があるかはわからないが、アルさんとラグの白衣姿を想像して私がひとり小さく頷いている、そんなときだった。 「こいつらはどうする」 「え?」 顔を上げラグと目が合ったかと思うと、一斉に皆の視線がこちらに集中してぎくりとする。瞬間考えていたことがばれたかと思った。しかし、 「そりゃ勿論、セリーンとカノンちゃんも一緒に入れるんだよな」 そう、アルさんが当然のように王子とクラヴィスさんに訊くのを見て更に慌てる。 「二人とも俺の助手ってことで……あ、セリーンは俺の奥さん兼助手ってことにしたほうが自然かも?」 「おい」 「いえ! あの、私はどこか近くの街で待機とか……」 てっきりそう考えていた私は両手を振りながら助けを求めるようにセリーンを見上げた。 お城の中に入るなんて畏れ多いし、緊張するし……何より、お城と言うとどうしてもあのグラーヴェ城のことが思い出されて恐ろしかったのだ。 「私はカノンを護るだけだ。カノンのしたいようにすればいい」 セリーンがそう言ってくれてホっとする。 でもアルさんはそんな私に驚いたようで。 「えぇ? カノンちゃんなんで。一緒に行こうぜ!」 「そうだ。お前の求めるものも見つかるかもしれないぞ」 「へ?」 思わず気の抜けた声が出てしまっていた。 アルさんの後を続けるようにして言ったのは王子だ。 (私の、求めるもの……?) 「お前はドナの友人だ。セイレーンだろうと何だろうと、絶対に悪いようにはしない。安心して入るといい」 「え? あ、ありがとうございます……?」 小さくお礼を言いながらも、その意味ありげな視線と言い方に大きな引っ掛かりを覚えて顔が引きつるのを止められなかった。 セイレーンだということはすでに王子もクラヴィスさんも知っていることで、それは良い。しかし、今の言い方はまるで――。 ふと突き刺すような視線を感じて恐る恐る見上げれば案の定ラグがこちらを鋭く睨みつけていて、私は激しく首を振る。 (ドナには言っちゃったけど、王子とクラヴィスさんには絶対に言ってないはず……なのに) クラヴィスさんはそんな私たちを少し怪訝そうに見ているだけ。 だが王子は、動揺する私に追い打ちを掛けるようにもう一度意味ありげな笑みをくれたのだった。
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