セデの町は山の麓に位置しているため私たちのような旅人の恰好の休憩ポイントになっているらしい。 小さいと聞いてはいたが昨日の城下町と比べるとやはり随分と閑静に思えた。 特に入口という入口も無く、木々の間にぽつぽつと見えるコテージのような家が、奥に進むにつれ徐々に増えていく。 その光景は“町”というより“集落”のイメージに近い。 道幅がだんだんと広くなり、灯りのついた家々が道の両側に密集してきた頃漸くちらほらと人通りが出てきた。 そしてこの辺りから看板を出している家が目につき始めた。看板を出しているからにはお店なのだろう。 そこに描かれた絵から何の店なのか大体わかった。 フライパンと酒瓶が描かれた看板を見かけた時ふと良い香りが鼻をくすぐった。途端弱々しくお腹が鳴って、自分が空腹だった事に気付く。 「まずは飯にするか」 前を行くラグが足を止め聞こえてしまったかと恥かしくなる。 彼は早速その店に向かい、私も後を追った。 扉を開けるとカランコロンという木と木が触れ合う小気味いい音とともに心地よい程度の喧騒が耳に入ってきた。 一瞬、中にいた10人ほどの客の目がこちらに集中してドキリとする。 だが皆すぐに自分たちの話題に戻っていった。私は小さく息を吐く。 (なんか、人の目が怖くなったかも……) 「いらっしゃい」 カウンターの中にいた老主人が陽気に声を掛けてきた。 ラグはぞんざいにその前の椅子に腰を下ろし、私もおずおずとその隣に座る。 「旅のお方かな? 何にしましょう」 「なんか適当に美味いもん頼む」 「はい」 ラグの不躾な言い方にも嫌な顔一つせず主人は早速何かを作り始めた。 ラグは主人がまず出してくれた水をクイと飲み干す。 私もそのグラスを手に持ちながら店内を見回した。 所々についた蝋燭の灯りがゆらゆらと明暗を作り出していてなんとも趣のある雰囲気だ。 だが何かが足りない。すぐそれに気付く。 (そうか。音楽がないんだ) これで小さくジャズのような音楽が流れていたら最高なのに。 そう思いながらグラスに口をつけた……途端、 「ブっ!」 私は口に含んだそれを噴出してしまった。 「うわっ! 何やってんだお前」 「だ、だってこれお酒……」 「当たり前だろ。まさかお前その歳で酒が飲めないのか?」 「わ、私の国じゃ二十歳にならないと飲んじゃいけないの!」 思わずムっとして言い返す。 「へぇ、じゃぁどうする。ミルクでも頼むか?」 「……ジュースとか、ありませんか?」 思いっきり馬鹿にされ腹が立った私は主人の方に訊く。 すると主人はクスクス笑いながら「ありますよ」と言ってすぐに違うグラスを出してくれた。 赤い色のそれを飲むと程よい酸味に耳の下辺りがジーンとしびれた。 「美味しい!」 「それは良かった」 私は乾いた喉を潤すように一気にそれを飲み干した。 主人が作ってくれたピラフに似た料理を食べていたときだ。 「銀のセイレーンが……」 耳に飛び込んできた単語にびくりと手が止まる。 後ろの客たちだ。 「デマじゃねーのか?」 「や、それが本当らしいんだ。昨日までグラーヴェにいた知り合いに聞いたんだからな」 「でも捕まえたんだろ?」 「それがな、一度捕まえたんだが逃げられちまったらしい」 そのとき足にコツンと何かが当たり私は呪縛から解かれたようにラグに視線を向けた。 知らず嫌な汗が出ていた。 「構うなアホ」 ラグがこちらを見もせずに小さく言った。 (そ、そーだよね、普通にしてなきゃ……) 私は再び料理を口に運んだ。 その間も背後の話は続く。 「そーいや昼間珍しく兵が巡回してたな。そのせいか」 「銀のセイレーンなぁ……。この国に現れたってことは、オレ達ももう終わりってことか?」 「まさかこんな小さな町まで手ぇ出さないだろ。狙うとしたらまずグラーヴェ城だな」 「怖ぇ怖ぇ。それって女なんだろ? どんな女なんだ」 「銀の髪で、異国の服を着ているとしか……」 あんなに美味しいと感じた料理も今は味がわからない。 (兵士がもうここに来てたんだ……) もしかしたらまだいるかもしれない。 そう思ったらスプーンを持つ手が震えた。――と。 ガタンッ その音に驚いて見るとラグが椅子から立ち上がっていた。 「ご馳走さん。勘定頼む」 (な、なんだ……) ホッとしながらも心臓の音がドクドクと鳴り止まない。 「お前も早く食っちまえよ。夜の内にまだ行きたいトコがあんだ」 「う、うん!」 私は残っていた料理を早急に平らげた。 「ありがとうございました〜」 主人の声に見送られながら私たちはその店を後にした。 「オレはあの時ガキだった。お前も今は着替えてる。髪も力を使わなきゃ銀じゃねぇ。知らねぇ振りしてりゃ見つかりっこねーよ」 街灯も無い、家々から漏れる灯りだけが頼りの薄暗い道を歩きながらラグが言う。 「うん……」 頷きながらも周りの目が気になってつい視線をうろうろとさせてしまう。 何も悪いことはしていないのに、なんだか犯罪者になってしまったような気分だ。 私は澄んだ夜気を吸い込んで、ゆっくりと吐き出した。 そして次にラグが向かった店。その看板には剣が描かれていた。 (ゲームだと武器屋、だよね……) ラグに続き店内に入った私は次の瞬間思わず顔が引きつってしまった。 予想通り壁には様々な武器が飾られていた。だがそれだけではなかった。 店内の長椅子に強面の男たちが数人どっかりと腰をおろしていたのだ。 皆、筋肉隆々。スキンヘッドの男もいる。 睨むような視線を一気に受けた私は、危うく腰を抜かしてしまうところだった。 だがラグは表情ひとつ変えずに奥のカウンターへ向かう。 私は身が小さくなる思いでその後に続いた。 「ルバートまで護衛を頼みたいんだが」 カウンター奥で剣を磨いている主人らしき男にラグは声を掛ける。 (あ、そっか。傭兵を雇うって言ってたっけ) 手を止めゆっくりとこちらを振り向いた40代ほどの主人。 後ろの男たちに負けず劣らず体格が良く、しかも強面で迫力があった。 なんだか前も後ろも屈強なレスラーたちに囲まれてしまったようで息が詰まる。 「希望のクラスは」 無愛想な低い声で訊く主人。 瞬間学校で言う「クラス」が頭に浮かんだがすぐに思い直す。おそらく階級のことだろう。 ラグは後ろの男たちを一瞥して言う。 「この中で一番強い奴は?」 「そりゃぁ断トツこの俺様だ!」 主人が答えるよりも早くひとりの男が威勢よく立ち上がった。 大きな剣を背負ったその逞しい身体にはいくつもの古傷が刻まれ、いかにも傭兵といった風貌だ。 「何言ってやがる! この中じゃ俺が最強だろ!」 「ふざけるな! お前つい最近2ndになったばかりだろうが!!」 「てめぇら俺を忘れてねーか!?」 続いて一人また一人と立ち上がり凄まじい形相で睨みあう男たち。 (こわい〜!) 一触即発ムードに私はごくりと喉を鳴らす。だが、 「煩ぇぞお前ら。やるなら外でやれ。決めるのは俺だ」 主人が良く通る低音で静かに一喝すると、男たちは渋々と座りなおした。 どうやら主人は男たちに一目置かれているらしい。じゃなければこんな店やっていけないだろう。 私はほっと胸を撫で下ろす。 フンと満足げに鼻を鳴らした主人はラグに視線を戻した。 「生憎と今ここには2ndと3rdの野郎しかいなくてな。見ての通り皆同じようなもんだ。すぐに発つのか?」 「いや、出発は明朝だ」 「なら明日また出直すといい。運が良けりゃ1stが戻ってきてるかもしれん」 「わかった」 ラグは頷くと踵を返し扉に向かった。 私も慌てて後を追う。……視線がすこぶる痛かった。 「はぁ〜」 外に出た私は体内に溜まった空気を全部吐き出すように長い溜息を吐いた。 まだあの何ともいえない男臭さが鼻に残っている。 明日あんな人たちと同行するのかと思うと今から憂鬱な気分だ。 しかもラグはもっと強い人を御希望のよう。 (確かに強い人の方が安心だけどさ……) 私はもうひとつ小さく息を吐いてラグに訊く。 「ねぇ、ルバートって遠いの?」 「オレの足で2日くらいだ」 「そんなに!? 車は……馬車とかってないの?」 「アホ。あんなの貴族が乗るもんだ。目立ってしょーがねぇ」 「そうなんだ……」 がっくり肩を下ろす。 思い出したようにマメの潰れた足が痛み出した。 それを紛らわすためにも私は質問を続けた。 「ルバートってどんなところ?」 「港町だ。グラーヴェと同じくらい栄えてる。そこから海を渡る」 「海!?」 思わず大きな声が出てしまった。 「なんだ、お前の世界じゃ海が珍しいのか?」 ラグが怪訝そうに振り返る。 「ううん、そういうわけじゃなくて……」 「ならでかい声出すな。ったく」 そしてラグはまた前を向いてしまった。 (そっか、この世界にも海があるんだ) 今日ずっと山の中にいたせいか、この世界の海がすぐには想像できなかった。 ――どうやらこの異世界で航海まで経験することになりそうだ。 (私、ちゃんと日本に帰れるの……?) 行き先の不安に、私はまたも深い溜息を吐いていた。 「お姉さん、ありがと〜!」 その声に顔を上げると、前方の家の戸口でこちらに大きく手を振る少年がいた。ラグの変身後の背格好と同じくらいの子だ。 隣では母親らしき女性がお辞儀をしている。 と、こちらに向かって歩いてきていた人物が振り返り、少年に応えるように手を振った。 少年が「お姉さん」と言っていたから女性なのだろう。でも。 (背、高いなぁ〜) 目の前にいる長身のラグとそう変わらないように見える。 こちらに向き直った女性は再び歩き出し、私たちとすれ違った。 「!」 私は思わず振り返り目で追ってしまった。 彼女は先ほどの店にいた傭兵たちと同じような格好をしていたのだ。 これまでに見たこの世界の女性の服装に比べ露出度の高い動きやすそうな服。その上に軽そうな防具を纏っていた。 そしてその背には大振りの剣。 しかも暗くて良くは見えなかったがかなりの美人だったような気がする。 「ねぇラグ!」 「あ?」 面倒くさそうにラグがこちらを振り返る。 「今の女の人も傭兵なのかな?」 「……だろうな」 ラグが彼女の方を見ながら言う。 「ねぇ、あの人に頼めないかな!?」 自分でも興奮しているのがわかる。 傭兵は先ほどの店にいたようなむさ苦しい男たちしかいないと思っていた。 女性で傭兵をやっている人がいるなら、是非お願いしたい。……だが、 「は? ……冗談じゃねぇ。女なんて弱いに決まってんだろ」 一蹴されてしまい私は肩を落とした。 「さっきの奴等に頼んだ方がまだマシだ」 確かに先ほどの男たちと比べてしまうのは酷かもしれない。 私が諦めの溜息を吐いていると、ラグが不機嫌そうに続けた。 「オレはなるべくなら術は使いたくねーんだ。だからモンスターに遭遇しちまった時、オレたち二人を守れるくらい強い奴じゃないと意味がねぇ」 「そっか。そうだよね」 (私の歌も、まだ当てにならないもんね……) と、そこでハタと気付く。 (傭兵を雇ったら、その人にも私が銀のセイレーンだってこと内緒にしてなきゃいけないんだ) またしても大きな溜息が漏れてしまった。 その店の看板には枕らしきものが描かれていた。 (宿屋……だよね) 「いらっしゃいませ」 中に入るとカウンターの向こうにいた初老の女性が笑顔で迎えてくれた。 女将さんだろうか。 ふくよかな身体に白いエプロンを着けたその姿は、優しいお母さんという感じでなんだか心がほっと安らいだ。 「一室頼む」 「はいはい。旅のお方だね、今日はゆっくりとお休みな」 言いながら女将さんはラグに鍵らしきものを手渡した。 「上がってすぐの部屋だよ」 「あ、はい!」 カウンター横にある階段をさっさと上っていくラグの代わりに私が返事をすると、女将さんはにっこり笑ってくれた。 ラグの背中を見上げながら木の階段を半分ほど上ったところで、私は気付く。 (ちょっと待って。同じ部屋ってこと!?) 今までの人生で家族以外の異性と同室でしかも二人きりで寝たことなど一度もない私は妙な焦りを感じた。 (で、でも別々の部屋がいいなんて言える立場じゃないし……って、私何考えてるの!?) そうだ。彼は昨日から何度も助けてくれた、いわば恩人だ。 その彼を変に意識するなんて、自意識過剰もいいところだ。 2部屋取ったら倍のお金が掛かるのだろうし、何があるかわからないこの世界ですぐ側に居てくれるのは寧ろありがたいくらいだ。 (そ、そうだ! 子供の方のラグが本物だと思おう!) 私はそう思い込むことに決め、ラグの後に続き部屋へ入った。
「ブゥ、もういいぞ」 私がドアを閉めると後ろでラグの声がした。 (あ、そっか。ブゥがいたんだっけ) すっかり彼の存在を忘れてしまっていた。……なんだかもの凄く恥ずかしい。 と、ブゥがふわふわとこちらに飛んできて、私の頭に舞い降りた。 重さは全く感じない。微かに髪の毛から動きが伝わってくるくらいだ。 「お疲れ様。ずっとポケットの中で疲れたでしょ?」 なんだか懐いてくれたようで嬉しくなった私は目線だけ上を向いて話しかける。 ブゥは「ぶ」と一言答えてくれた。「そんなことないよ」とか言っているのだろうか。 その時ラグが驚いたような顔でこちらを見ていることに気付いた。 「何?」 「いや、ブゥが他の奴の頭に乗るのなんて初めて見たから……」 「そうなの?」 更に嬉しくなった私は手を伸ばしブゥの白い身体を優しく撫でた。 「ブゥって何を食べるの? お腹すいてない?」 「そいつはそこらへんに飛んでる虫を勝手に食べるから大丈夫だ」 言いながらラグは手前にあったベッドに背中からダイブした。 すでに目を瞑っているラグを見て気づく。 そういえば、ラグは昨夜全く寝ていないのだろうか。少なくとも私は寝ているところを見ていない。 お礼を言わなければと口を開きかけた、その時だった。 「まだ寝ないでくれるかな」 唐突に聞こえたこの場にはいないはずの人の声に、ラグはがばっと起き上がり、私もすぐに声のした方に視線を向けた。 「エルネストさん!」 部屋の奥の窓際に、あの時と同じように金髪の彼が浮いていた。 「良かった。無事に脱出できたようだね」 私に優しく微笑むエルネストさん。 その綺麗な笑顔に一気に胸がいっぱいになる。――しかし。 「テメェ……! 何が良かっただ!!」 凄まじい怒声に驚き見ると、ラグが実態のない彼を今にも掴みかからんばかりの形相で睨みつけていた。 ブゥもそんな相棒にびっくりしたのか私の頭から落っこちてきて慌てたように肩に留まった。 (な、何!?) |