「えぇ!? お姉さんいなくなっちゃうの?」

「もっと歌聴きたいよー!」

 そんな子供たちの声に胸がキュンと苦しくなる。

 本当は、この子たちにもっとたくさんの歌を教えてあげたい。そしてもっとたくさんの歌を歌ってほしい。

 でも、

「ごめんね、もう行かなくちゃけないんだ。でも皆が歌を好きになってくれて、とっても嬉しい!」

笑顔で言うと、子供たちは再びはにかむようにして笑ってくれた。

「お姉さんがいなくなっても僕たち歌うよ! だから絶対にまた来てね」

「次にお姉さんが来てくれたときには私たちすんごく上手くなってるからね!」

「本当? 楽しみにしてるね!」

 またこの国に来られるかどうかはわからない。――いや、きっともう来ることは無いだろう。私は元の世界に帰るために旅しているのだから。

 けれど、私は本心からそう答えた。

「クラールもそのときには完全に元気になってるもんな!」

 そう悪戯っぽく笑って言ったのはクラール君を支えている男の子だ。クラール君は少し恥ずかしげに、でも笑顔でしっかりと頷いてくれた。

 ――この場にラウト君が居ないのが少し残念に思えた。けれど、いつかきっと、ラウト君もクラール君だけじゃなく、この子たち皆と遊べる日が来るはずだ。……近いうちに、きっと。

「カノンさん、ありがとうございます。皆、最後にカノンさんにお礼を言ってお別れしましょう」

 ライゼちゃんがそう言うと、子供たちは一斉に大きな声で「ありがとうございました!」と言ってくれた。

 そのとき、子供たちの後ろに並んでいた大人たちも一緒に私に向かい頭を下げてくれて、なんだか急に気恥ずかしくなった私は、慌てて同じように頭を下げたのだった。

 そして私は子供たちと、そして村人たちに見送られベレーベントの村を後にした。



 テントの立つ場所へと戻ると、ラウト君がとびきりの笑顔で迎えてくれた。

 その向こうの木陰ではすでにラグが不機嫌な顔で待っていて、セリーンが後ろで小さく舌打ちするのが聞こえた。

 ブライト君はやはりまだ朝見た時と同じ場所に腰を降ろしていて、私たちの姿を……、いやライゼちゃんの姿を見つけてすぐに立ち上がろうとし思いきり顔を顰めながらも口を開いた。

「よくご無事で!! どこも怪我などされませんでしたか!? 村人たちは、クラールはどうしていましたか? カルダは一体……!?」

 自分の怪我がよっぽど大変なのに、そんなふうにライゼちゃんや村の皆を心配するブライト君に、思わず笑みがこぼれる。

 そんな彼に私たちはこれまであったことを全て話した。

(……というか、ラグは何も話さなかったわけ?)

 ブライト君が一人先に戻ってきたラグに何があったか訊かなかったわけがない。おそらくは私たちが帰ってきてから訊けとかなんとか言ったに違いない。

 話し終えると彼は安心したというより、まるで自分がその場にいたかのようにげっそりと疲れた顔をした。聞いている間、彼の顔はまさに“百面相”であったから無理もない。

「本当にご無事で良かったです。私がこんな体でなければ……。本当に役に立たない守り役です、私は……」

「そうそう、ブライトね、何度も村に行こうとするから僕何度も言ったんだよ。行ったら姉ちゃんに確実に嫌われるよって」

「ラ、ラウト様! そのことは……っつぅ」

 そして慌てたブライト君はまたも痛みに顔をひきつらせていた。

「ブライト、貴方は今は早く自分の体を治すことを考えなさい。これ以上心配させないでと言ったはずよ」

「は、はい! 申し訳ありません!」

 ライゼちゃんから厳しく言われてしまい、今にも泣き出しそうな顔で頭を下げるブライト君。

 でも一瞬、彼女がとても優しげな瞳で彼を見つめたのを、私は見逃さなかった。

「もう、話は済んだろう。明るいうちに出発するぞ」

 余韻に浸る間も無くそう言いだしたのは勿論ラグだ。先ほどからずっとイライラしているのはわかったが……。

(もう少し別れを惜しんだっていいじゃない……)

 でも彼はさっさと話を進めようとする。

「で、まさか船で帰れなんて言わないよな」

「はい、勿論です。ビアンカにまた飛んでもらえるよう頼むつもりです」

 そうライゼちゃんの口から言ってもらえて少しほっとする。だが彼女は申し訳なさそうに続けた。

「ただ、私はもうここを離れるわけにいきません。父にもこれからやって欲しいことがたくさんありますし……」

「あ、そうだよね。あの農園のことがあるし、これから大変だもんね」

「僕がいくよ!」

 そう大きな声を上げたのはラウト君だ。でも、

「何言ってるのラウト。あなたが一人で行ったら逆に皆さんのご迷惑になってしまうわ」

すぐにそうお姉ちゃんに言われてしまい、肩を落とした。

「それに、ラウトにもやってもらいたいことがあるのよ」

「え?」

「ブライトが自由に動けない間、ベレーベントの様子を私に伝える役をお願いしたいの」

「ライゼ様!?」

 ラウト君が答えるより早く、焦ったような声を上げたのはブライト君だ。

「そんな! ラウト様に私の代わりなど……! 私ならすぐにでも元のように」

「ブライト、さっき言ったことを忘れたの?」

「いや、その、しかし……」

「ラウト、お願いできるかしら?」

 もう一度訊かれ、ラウト君は戸惑ったように小さく言った。

「村へ行ってもいいってこと?」

「えぇ。でもカルダがいなくなったとは言え、危険なことに変わりはないわ。十分に注意するのよ」

 真剣に頷くラウト君。

「それともう一つ。クラール君の様子も一緒に伝えてくれると嬉しいわ」

 友達の名前にラウト君の顔がみるみる明るくなる。

「うん!! 僕頑張るよ!」

 それを聞いたライゼちゃんはとても満足げに微笑んだ。

 ただ一人、ブライト君がとても情けない顔で頭を垂れたのが気になったけれど、どう見てもあと一週間は満足に動けなそうな体だ。どうしようもないことは医者である彼が一番わかっているはず。

 だからこそ情けなくて仕方ないのだろうけれど、命を張って村のため、ライゼちゃんのために頑張ったのだ。もう少し自分のしたことを誇りに思ってもいいのにと思う。

(まぁ、そこが彼らしいというか……。頑張れ、ブライト君!)

 こっそり応援していると、ラグが小さく息をつくのが聞こえた。

「で、あのデカイ白蛇はオレたちだけでもちゃんと言うことを聞いてくれるんだろうな」

 この国にとって神聖な存在であるというビアンカを「デカイ白蛇」呼ばわり……。

 思わずライゼちゃん達の表情を伺ってしまう。でもライゼちゃんは嫌な顔一つせず笑顔で答えてくれた。

「はい、大丈夫です。ビアンカはとても頭が良いので。……行き先はランフォルセでよろしいでしょうか?」

「いや、ストレッタだ」

 ライゼちゃんの表情が一瞬強張った。でもすぐに笑顔に戻った彼女は「わかりました。頼んでみましょう」と答えた。

 そして彼女は急に改まるようにしてラグをまっすぐに見上げた。

「ラグさんにはとても感謝しています。……私は、魔導術士のことを少し誤解していたのかもしれません。これまでの無礼をお許しください」

 そうして深く頭を下げるライゼちゃん。

 ラグはというと、

「別に、アンタに頭を下げられるようなことをした覚えはないな」

そう、私がお礼を言ったときと同じようなことを言って彼女からぷいと目を逸らした。

 それでもライゼちゃんはそんな彼を再び見上げ綺麗に微笑んだ。

 胸がほんわかあたたかくなる。

 ――神導術士と魔導術士である二人。

 最初のときのような息が詰まる雰囲気はもう感じられなかった。



 そして、とうとうこのフェルクレールトを離れる時が来た。

「皆さん、本当にありがとうございました」

 ライゼちゃんがもう何度目か、私達に頭を下げる。

 ――此処は森の奥、ビアンカの棲む祠の近くだ。

 私たちはすでにその白く大きな巨体に跨っていた。先頭にラグ、真ん中は私、後ろにセリーンといういつもの順番。

 ビアンカはライゼちゃんとラウト君が呼びかけるとすぐに祠から出てきてくれた。二日ぶりに見る彼女はやはりとても迫力があり硬い鱗に足を引っ掛け乗り上がる際、思わずごくりと喉が鳴ってしまった。

 今この場にはライゼちゃんとラウト君、そして重傷のブライト君もヴィルトさんに支えられて見送りに来てくれていた。

「ううん! 私、子供たちに歌を教えてあげられてとても嬉しかった! これからも大変だと思うけど頑張ってね!」

「はい、カノンさんもどうかお元気で! 無事元の世界に帰れるようこの地より祈っています」

「ありがとう!」

 笑顔を交わす私たち。

 この地にいたのはたったの3日。なのにとても名残惜しくて、笑顔を崩したらなんだか泣いてしまいそうだった。

 じっとりと汗ばむこの暑さとももうお別れだと思うと少し寂しい気もする。

 そのとき、それまでずっと黙っていたラウト君が思い切るようにして声を上げた。

「お姉さん! 僕決めたんだ」

「え?」

「朝お姉さんが言ってたでしょ? お姉さんの世界でも昔この国と同じような国がたくさんあったって!」

「う、うん」

 確かに、今朝そんな話をした気がする。あの時は気持ちが高ぶっていて勢いに任せて一人べらべらと喋ってしまったけれど……。

 ラウト君の表情は真剣そのもので、ライゼちゃんやヴィルトさん、ブライト君もそんな彼を心配そうに見つめている。

「でも皆そんなのおかしいってわかって、今はそんな国ほとんど無くなってきてるんだよね!」

 確認するように訊くラウト君に、私は強く頷く。

 するとラウト君は満面の笑顔で続けた。

「だったら、このレヴールもきっとお姉さんの世界と同じように、皆がわかってくれるときがくるよね!」

 私は目を見開きまだ小さな彼の大きな黒い瞳を見つめる。そして、答えを待つ彼に、私は笑顔で答えた。

「うん、うん! きっと、絶対そうなるよ!」

「だから僕ね、それまでいっぱいこの世界のこと勉強して、お父さんみたいにすっごく強くなって、大きくなったら絶対、この国を変えてみせるよ!!」

 そう、自信満々に宣言したラウト君を見つめ、ライゼちゃんが涙ぐんでいた。

 ヴィルトさんもそんな息子の肩に手を置き、ラウト君は驚いたようにお父さんを見上げ、そして照れたように笑った。

 と、ヴィルトさんがおもむろにこちらを――いや、ラグの方を見上げた。

「俺は魔導術が嫌いだった。人を殺める感触が手に残らないと思うからだ」

 その言葉にそれまでずっと前を向いていたラグがゆっくりとヴィルトさんを見つめた。

 その横顔からは何の感情も読み取れない。

 一瞬ひやりとしたが、すぐにヴィルトさんが後を続けた。

「だが、魔導術でも人を癒すことが出来るのだな。この子や、……この子の母親のように……」

 ライゼちゃんを眩しそうに目を細め見つめるヴィルトさん。その目は、ライゼちゃんを通して彼女のお母さん……フェルネさんを見ているように思えた。

 ラグは何も言わずにただそんな彼を見つめていた。

 そのとき慌てたような声を上げたのはヴィルトさんに支えられたブライト君だ。

「そうです! 朝言いそびれてしまいましたが、体を治してくださってありがとうございました! お陰で命拾いしました」

 そう頭を下げるブライト君だったが、ラグが何か答えるよりも早く再びラウト君が大きな声を上げた。

「あ! そうだ、お兄さん! 最後にお願いがあるんだ!」

「あ?」

 怖いもの知らずなラウト君が目をキラキラさせてラグを見上げている。

「最後にさ、ブゥを触らせてもらっていい?」

 そういえば最初に会った時もラウト君はブゥを触りたがっていた。でもブゥはそれを嫌がり逃げてしまったのだ。

 今ブゥはラグの上着のポケットでお休み中のはず。初めいつもの髪の結び目でぶら下がり寝ていたのだが、ビアンカに乗る直前ラグがそこから引きはがし2日ぶりに着た上着のポケットに仕舞うのを見た。

(ラグ、どうするんだろう?)

 不機嫌そうに眉に皺を寄せていたラグだったが、

「……起こすなよ」

そう言ってポケットからブゥを取り出し、ラウト君にぽいと投げてよこした。

 起こすなと言いながら投げるのかいっ、と思わず突っ込みを入れそうになったが、難なくそれをキャッチしたラウト君はその両手のひらに収まった小さなブゥを見下ろして、興奮したように顔を赤らめていた。

 余程触りたかったのだろう。自然顔がほころんでしまった。

 こんな子供らしい彼だけれど、たまに見せる大人びた表情、そしてこの怖いもの知らずな性格があればきっと、彼のこの国を変えたいという強い想いを現実のものにしてくれるだろう。

「さぁラウト、そろそろお返ししなさい」

 ライゼちゃんが言うと、ラウト君は十分満足したのかすぐに頷き手を伸ばしてラグにブゥを渡した。

「ありがとうね、お兄さん。すっごく可愛かった!」

「あぁ」

 小さく頷きブゥを再びポケットに仕舞ったラグは続けて「じゃ、行くぞ」と私たちに向かい声を掛けた。

「ビアンカ、お願いします」

 ライゼちゃんが首を優しく撫でながら言うとビアンカはそれに答えるようにチロリと赤い舌を出し、背中の大きな翼をゆっくりと動かし始めた。

「皆元気でな。あぁ、ライゼ。料理とても美味かったぞ」

「ありがとうございます。セリーンさんも、どうかお元気で!」

 ビアンカが起こした風を全身に受けながら二人の会話を聞き、私は最後何を言おうかと焦って考える。でもすぐに風によって巻き上がった葉や砂ぼこりで目を開けていられなくなる。

 そうこうしているうちにビアンカが地面を離れたのがわかった。

「ら、ライゼちゃん!」

「カノンさん! 本当に、本当にありがとうございました! カノンさんのことは一生忘れません!!」

 激しい風音の中聞こえたライゼちゃんの大きな声。

 私は思わず涙があふれてくるのを感じながら、大きな声で叫んだ。

「私も! 絶対に忘れない!! ライゼちゃん、皆、元気でね――!!」

 ――次に目を開けた時、目の前には赤い大空が広がっていた。

 そして真下には深く広い森。もうそこにライゼちゃんたちの姿は確認できなかった。

 でもその森の向こうに空と同じ赤い色に染まった海と、小さくベレーベントの村が見えた。

 そのときふと、この国にはこの赤い色が似合うと思った。

 闇の民だなんて呼ばれているけれど、ライゼちゃんの瞳の色と同じ“赤”が、このフェルクレールトの国にはぴったりだと、そう思った。

「行けるところまで一気に行くぞ。落ちねぇようにしっかり掴まってろよ。特にカノン、わかったな!!」

「わ、わかってるよ!」

 いつの間にか頬に伝っていた涙を拭って、私は大きな声で答えた。

 ラグと一緒にいると、感傷に浸る暇も無いみたいだ。

 それでもこの国にいる短い間に随分と彼を見る目が変わった気がする。そして色々な彼を知った気がする。

(ちょっと前までただ怖くて自信家で冷たい人だと思ってたもんね)

 私はひとり小さく笑いながらその大きな背中を見つめた。

 きっと、この世界にいる間もっと色々な彼を知ることになるのだろう。

 そしてこの世界のことも。

 特に次の目的地――ストレッタではもっと多くのことを知ることになる、そんな予感がした。

 と、後ろから私を通り越してラグへ声が掛かった。

「おい。いきなり飛ばすのもいいが、そろそろ腹が減ったぞ。適当な場所で降りてまずは腹ごしらえだ」

「〜〜こんの大食い女が! 少しは我慢しやがれ!!」

「大食いとは失礼な。美食家と言ってくれ」

「心底どっちでもいい!! とにかく限界まで進むぞ! オレは早くあの野郎を見つけて、この呪いを解きたいんだ!!」

「ははは、寝ぼけたことを。それは私が断固阻止すると言っているだろう。うん。やはり先に飯にしよう。ついでに久しぶりにゆ〜っくり宿のベッドで寝るというのはどうだ?」

「〜〜……!!」

 私を挟んでの二人の言い争いはまだまだ続くようだ。

 私はこっそり苦笑しながら首を竦め、その決着がつくのを黙って待つことにした。


 すでに遠くに見えるフェルクレールトの大地が夕日に照らされ赤く赤く輝いていた――。




第二部 了

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