「なぁ、クラール! 起きろよ!」
クラール君の傍らに膝を着き何度も何度も呼びかけるラウト君。
でもクラール君は目を閉じたまま、何の反応も示さない。
「何度呼んでも目開けないんだ、どうしよう。お姉さん、クラール死んじゃうの?」
今にも泣き出しそうな顔で、ラウト君がまだ突っ立ったままの私の方を見上げる。
私はしっかりしなきゃと頭を振って、ラウト君の隣に膝を着いた。
「前に会ったのはいつ? そのときはどんな様子だったの?」
「えっと、えっと、前に会ったのは、ビアンカに乗る少し前だから、一週間前くらいだよ。その時も元気は無かったんだ。でもこんな……寝てたりしないで、ちゃんと話も出来たんだよ」
「そう……あ、クラール君のお父さんとお母さんは?」
「お母さんは、戦争のときに死んじゃったって言ってた。で、お父さんはどこかに連れて行かれちゃったって……」
ライゼちゃんが言っていた話を思い出す。
戦争後、体力のある者は奴隷として各国へ送られたという話。
(ということは、クラール君は戦争が終わってからずっと、一人暮らしだったってこと……?)
ぎゅっと拳を握り締める。
「……誰か、クラール君の面倒を見てくれている人とか、知らない? おばあちゃんとか、親戚の人とか」
「わからない。僕が来るときクラールいつも一人だったから」
「そう……。じゃあ、お医者さんは? この村にお医者さんはいないの?」
「お医者さんは」
ラウト君が言いかけたそのとき、外で物音がした。
私たちはハっと顔を見合わせて、息を潜める。
こちらに一歩一歩近付いてくる足音。
そして気付く。クラール君の傍らに置かれた蝋燭は、まだ新しいものだってこと。
こんな状態のクラール君が火を付けたとは思えない。ということは、やはり彼を看ている誰かがいるのだ。
(ど、どうしよう、隠れるところもないし、といって今更逃げるわけにも……)
焦ってうまく働いてくれない頭。
その時ラウト君が私の腕をぎゅっと掴んだ。彼の動揺が腕を通して伝わってくる。
入口の布に手が掛けられた。
咄嗟に私はラウト君の前に出る。――彼を隠さなくてはと思った。
「え?」
聞こえたのは、そんな間の抜けた声。
そして私も、入ってきた人物を見て同じような間の抜けた声を出してしまっていた。
「ブライト、くん?」
「カノン様? え、なんで……」
そう、入ってきたのはつい先ほど別れたばかりの三つ編みの少年だったのだ。
口をぽかんと開けたまま呆然と私を見つめる彼の手には、水の入った器が握られていた。
「ブライト!」
「ラ、ラウト様!?」
私の背後から飛び出したラウト君を見て、その顔は一気に焦りへと変わる。
「な、なぜラウト様がこのような場所に……!」
「クラールどうしちゃったんだ!? 治るよね、ねぇ!」
「ちょ、ちょっとお待ち下さい! どういうことです? なぜラウト様がここに、なぜクラールを知っているんです!?」
「僕の友達なんだ! ねぇブライト、クラールを助けてよ!」
「友達って……」
噛み合わない会話。
混乱した様子のブライト君の服を掴み、ラウト君はただ必死に助けてと叫んでいる。
「ラウト君とクラール君、前から時々会ってたんだって」
見兼ねて私は言う。
私の口から彼らの秘密をばらすことは少し気が引けたけれど、この状況ではそうも言っていられない。
「今日、子供達が集まったときにクラール君がいなくて、ラウト君心配になって、それで私と一緒にここまで……」
私のたどたどしい説明を、ブライト君は複雑な表情を浮かべながらも真剣に聞いてくれた。
「そう、でしたか」
「ねぇ、ブライト、クラールどうしちゃったんだ? まさか、死んじゃったりしないよな?」
先ほどよりいくらか落ち着いた声でもう一度、ラウト君は訊く。
でもブライト君は辛そうに顔を歪め、すぐには答えない。
「ブライト?」
「……彼にはもう、生きる気力がないのです」
「え?」
クラール君に視線を向け、ブライト君はゆっくりと続ける。
「ここ5日程、食事を一切口にしません。水も、ほとんど飲んでくれません。このままだとあと3日、持つかどうか……」
それを聞いたラウト君はブライト君から力なく手を離し、夢でも見ているかのような虚ろな表情で友達を見つめた。
「そんな……。でも一週間前にラウト君が会った時にはまだ元気だったって」
「10日程前、彼の父親が亡くなったと言う知らせが、彼に届いたのです」
ハっとラウト君の表情が強張った。
「それから、彼は見る見る元気を無くしていきました」
小さな拳を強く強く握るラウト君を、私はただ見つめることしか出来ない。
初めてクラール君を見た私でさえショックを受けたのに、友達の憔悴しきった姿を見るなんてどんなに辛いだろう。
「……ラウト様、ライゼ様の元へお戻り下さい。クラールは私が看ていますから」
「もう、嫌だ」
「え?」
小さく、でもはっきりと聞こえた彼の言葉に、私とブライト君の声が重なる。
「もう、こんなのは嫌だ!!」
そう叫んだ彼の顔は怒りと悲しみに満ちていた。
止める間もなく、彼はブライト君の横をすり抜け外へ飛び出していってしまった。
「ラウト君!!」
「ラウト様!?」
私たちはラウト君の後を追ってすぐさま家を出る。
闇夜の中を駆けていく少年の後姿はどうにかすぐに見つけることが出来た。
だがその向かう先は森ではなく、
「まさか……!」
ブライト君が酷く焦った声とともに走り出した。
私もそれを追いかける。
「ラウト様いけません! お戻り下さい!!」
大きな声で叫ぶブライト君。
しかしラウト君の足は止まらない。
「ラウト君、どこに向かってるの!?」
ブライト君はその行き先に検討がついているようだ。
「おそらく、ランフォルセの駐在員の所です!」
「! で、でもラウト君その場所知ってるの?」
戦争が終わってからずっとライゼちゃん達と共に森の奥に隠れ住んでいるラウト君。
戦争後に出来たであろうその場所を知っているのだろうか。
「クラールに聞いたのでしょう。以前その場所は、子供達の遊び場でしたから」
悔しげな声。
――もう嫌だ。そう呟いたラウト君。
それはこの国の現状のことを言っていたのだろうか。
でも彼がその場へ行っても、ただその身が危険なだけだ。
他の子供たちと違い、まだしっかりとした体つきをしたラウト君。
そんな彼をランフォルセの者が不審に思わないわけがない……!
いつの間にか両脇にはクラール君の家と同じ木造の家々が並んでいた。
どうやら村の中心部の方まで走って来てしまったようだ。
(と、ゆーか、二人とも、足速すぎ……っ)
私はすでに息切れを起こし、足はふらふらの状態だった。
ブライト君との距離がどんどん開いていく。でもおかげで彼とラウト君との差は縮まっているように見えた。
と、そんな時だ。
「ぅわっ!」
石か何かに躓き、そのままの勢いで私は思いっきり転倒する。
顔を庇う余裕もなかった。
「いったたた……っ」
どうにか起き上がれたものの、薄着だったために腕も足も、そして顔面も擦り剥いてしまった。
でも今はそんなこと気にしていられない。
顔を上げ先を見るが、……すでに遅く、二人の姿は闇に溶け込み見えなくなってしまっていた。
(あぁ〜、なんでこー私って……)
がっくり肩を落とす。
途端、気付いたようにドっと噴出してくる汗。
――どうしよう。
とりあえず全身についてしまった土を払いながら考える。
彼らが見えなくなってしまっては、このまま追いかけるのは無謀な気がした。
最後に彼らを見たとき、かなり距離が縮まっているように見えた。
ブライト君ならきっとラウト君に追いつき、そして説得して戻ってきてくれるだろう。
……そう、信じるしかない。
でもだからと言ってこの場でただ一人待っているのは心細かった。
それに一目でよそ者と分かる私が、こんな村の中心にいるのはマズイだろう。
現にすぐそこに灯りのついた家がある。
(戻ったほうが、いいよね)
幸い家々の並びが目印となり、クラール君の家までなんとか一人で戻れそうだ。
そう思って引き返そうとした、そのときだった。
「あ〜ん? 何でこんなトコに若い女がいんだぁ?」
「!!」
そんな間延びした声とともに目の前に現れた人影に心臓が飛び上がる。
ヴィルトさん程ではないが大きくがっしりとした体格の男の人。
村人かと思ったが、違う。
(……最悪だ!)
全身に緊張が走る。
灯りに照らされたその顔は一目でこの国の人間じゃないとわかった。
おそらく向こうも同じことを思ったのだろう。
不審そうに私の全身をじろじろと見回してくる。
「なんだぁ、ついに幻覚かぁ? そんなに飲んじまったかぁ……ひっく」
見ると彼は酒瓶らしきものを手にしていた。
足元もふらついているし、喋り方も明らかに呂律が回っていない。
(これなら、逃げられる!)
そう思い私はすぐさま森の方へ向かい走り出した。
夜の森の中へ入ってしまえばいくらでも隠れることが出来る!
それに向こうは私を幻覚だと思ってくれているようだ。
酷使し過ぎですでに悲鳴を上げている足を叱咤して、私は全速力で逃げる。
今の人物が、ほぼ間違いなくランフォルセから来ているという駐在員だろう。
なんでこんな時間にこんな場所で酒を片手にフラフラしているのかはわからなかったが、
(捕まったらマズイよ……!)
きっと何でこの国にいるのか、どうやってここまで来たのかを厳しく尋問されるに決まっている。
それに銀のセイレーンのことも、最悪もう伝わっているかもしれないのだ。
頭に浮かんだ最悪の事態を慌てて打ち消し、逃げることに集中する。
しかし背後から迫ってくる足音は予想よりずっと速かった。
少人数でこの国に派遣されてきているらしい彼ら。ある程度体力が無ければ勤まるはずがない。
――ヤバイ!
そう思うと同時、ガっと強く腕を掴まれた。
「きゃあああ!!」
驚きと恐怖で私は悲鳴を上げていた。
バランスを崩しその場に転倒する。そして男はそんな私の上に伸し掛かってきた。
「へっへへ、この際、幻覚でも何でも構わねぇさ」
男の私を見る下卑た視線と息が詰まるような酒の臭いに、全身が総毛立つ。
すぐさま逃げ出そうとするが、腕を捻り上げられ小さく呻くことしかできない。
そうしている間にも私を押さえつけている手とは逆の男の手が私の服に掛かった。
男が何をしようとしているのかわかってしまって、なのに助けを求めたくても余りの恐怖に声が出てくれない。
どちらにしても村の中心部から離れてしまったせいで近くに人の気配は無かった。
絶望感と嫌悪感で目に涙が滲む。
(誰か……!!)
ぎゅっと目を瞑った、そのときだ。
「ぎゃあ!!」
そんな悲鳴と共に、押さえつけられていた腕が解放された。
私は恐る恐る目を開ける。
――男の額に、白く丸い物体が張り付いていた。
「ブゥ……?」
そしてその小さな体が離れると同時、ドカっ! と言う音と共に男の巨体が吹っ飛んだ。
「!!」
数メートルほど飛んだ男は仰向けに転がりピクピクと痙攣を始めた。
以前、同じような状態になった兵士達を思い出す。ブゥの攻撃が効いているのだ。
でもそんな男の横に再び長身の人影。
「こっの下衆野郎がっ!」
「っぐ!?」
耳慣れた怒声と共に、男の横腹に蹴りが入る。
「……ラ、グ?」
私は服を直しながらゆっくり起き上がり、その後姿に小さく声を掛けた。
だが小さすぎて聞こえなかったのか、彼は答えずにただ何度も何度も男の腹に蹴りを加えている。
その攻撃には傍から見ても容赦が無かった。
蹴られる度、男の口から出る声はもう“声”では無い。
流石に焦った私は、未だガクガクと震える足を引きずり、後ろからラグの服の裾を掴んだ。
「ラグ!」
ビクリと彼の背中が反応し、男を蹴っていた足が止まる。
男は口から泡を出して白目を向いていたが、気絶しているだけのようだ。
ほっと息をついて、ラグから手を離した私はまたその場にへたり込んでしまった。
……足が限界だったのもあるが、ラグ達が来てくれたことへの安堵感で一気に力が抜けてしまったみたいだ。
ラグが舌打ちしてからこちらに足を向けた。
きっと怒鳴られると思い、思わず身構える。――でも、
「大丈夫、なんだな」
「え?」
予想外の言葉とその気遣わしげな声音に私はポカンと彼の顔を見上げてしまった。
走ってきてくれたのか、その息は酷く荒く、額からは幾筋もの汗が流れていた。
そして、いつもは鋭い青い瞳が、今はとても優しく感じられて……。
彼は汗を拭うと、私に手を差し伸べてくれた。
「起きれるか?」
その手を見ながら、つい、張り詰めていたものが緩んでしまった。
「ぅ、え……っ」
「んな!? またお前っ」
「だって、怖かっ……っ」
ぼろぼろと出てくる涙を止めようと強く目をこする。
――私が泣くと、決まって慌てるラグ。
だからなるべくラグの前では泣きたくないのだけれど、
(でも、今そんな優しくするのは反則だよ〜〜)
「ぶぅ〜?」
べそべそとかっこ悪く泣く私の顔をブゥが心配そうに覗き込んでくれている。
ラグは困ったように一度大きく溜息をつき、
「ったく、泣くくらいだったら一人で勝手に行動するな! 前にも言っただろうが!」
……結局、怒鳴られてしまった。
「だって、っ、ラグが……っそれに、ラウト君が……ブライト君も、二人ともすっごく足速くて」
「はぁ?」
我ながら支離滅裂なことを言っていると思ったが、まず何から説明していいのかわからなかった。
話したいことが山ほどある。
泣いている場合ではないと、私はもう一度気を引き締め涙を拭ってラグを見上げた。
「ごめんね、もう平気! えっと、セリーンは? ……そうだ、ライゼちゃんとヴィルトさん心配してなかった?」
「あの親子は知らねぇが、セリーンの奴もこっちに向かってるはずだ。……とにかく早く戻るぞ。こいつが目を覚ますとまた厄介なことになる。ほら、もう立て」
ラグは転がっている男を一瞥すると、私の腕を取りゆっくりと立ち上がらせてくれた。
少しふらつくもののどうにか立てた私はもう一度男を見下ろす。
「この人、この国の人じゃないよね」
「あぁ、どう見たってランフォルセの奴だ」
汚いものでも見るように彼を見下ろすラグ。
――やはりそうだ。
おそらくラウト君が会おうとしていた人物。
「まずかったかな……」
「あ?」
「だって、私顔見られちゃったし、それにこんな……。起きたらフェルクの人達に酷いことするんじゃ」
言いながら事の重大さに気付く。
――最悪、皆殺しだ――
セリーンのセリフが頭を過り、体に先ほどとはまた違う震えが走った。
「……じゃ何か? お前はあのままこいつに犯られてた方が良かったか」
「ち、違う! そういう意味じゃ……あ、そうだ! 助けてくれてありがとう!」
慌ててラグに視線を戻しお礼を言う。
でも彼は私の顔を見るなり、思いっきり眉を寄せた。
「っとに、お前は……」
「え?」
再び大きく溜息を吐かれ、私は頭に疑問符を浮かべる。
「それ以上伝説から遠のいてどうすんだ」
「は?」
言われていることの意味がわからない。
ただ、彼の大きな手が急に私の頬に触れてきてびっくりする。
「な、なななな何!?」
「今治してやるから」
嘆息混じりに言われて思い出す。先ほど顔面から転んで頬を擦り剥いたのだった。
そして彼はその傷を瞬時に治す力を持っている。
……妙に意識して全身を強張らせた自分が恥ずかしい。
だが、そこでハっと気付く。
「ちょっと待ってラグ、治さなくていい!」
「あ?」
不機嫌そうに再び眉を寄せた彼の腕を取って、私は言う。
「他に治して欲しい子がいるの! 来て!」
「な、何言ってんだお前」
「いいから!」
――そうだ。ラグの治癒の術なら、クラール君を治す事が出来るかもしれない!
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