「ライゼ様、遅くなり申しわけありません。子供達を連れてきました」 そんなブライト君の声が聞こえたのは、陽が大分傾いた頃。 昼食の片付けを手伝った後は結局することがなくなってしまい、木陰でうつらうつらしていた私はその声に慌てて立ち上がった。 私と同じく近くの木を背に休んでいたラグとセリーンはすでに立ち上がりテントの方を見据えている。ラウト君とヴィルトさんは家に戻ったのか姿が見えなかった。 「ご苦労様でした」 「フロイデとベレーベントの者達です」 ライゼちゃんがテントから出てくるのが見え、私は足早にそちらに向かう。そして。 「!?」 私はブライト君の後ろに集まった子供達を見て、息を呑んだ。 子供達は全部で10人程。皆ラウト君と同じ褐色の肌に真っ黒の髪と瞳。 でもラウト君と明らかに違っていたのは、皆かわいそうなくらいに痩せ細っていたこと。 テレビなどで見る、海外の恵まれない子供達――そのままの姿だった。 まだ指をくわえているような小さな子からラウト君と同じ歳ほどの子までいたけれど、もしかしたら皆見た目よりも上なのかもしれない。 緊張と不安が入り混じったような面持ちでライゼちゃんの方を見つめる子供たち。 ブライト君が挨拶をするようにと小声で言うが、皆なかなか口を開かない。 でもそんな子供達に神導術士であるライゼちゃんはにっこりと微笑んだ。 「突然呼び出したりしてごめんなさい。驚いたでしょう。今日は皆にある方を紹介したくて集まってもらいました」 すると子供達は皆安堵したような表情を見せた。 ひょっとしたらこうして子供達だけがここに呼び出されることは今まで無かったのかもしれない。 (もしかして、怒られるとか思ってたのかな) まるで職員室に呼び出された生徒のような皆の反応に思わず笑みがこぼれる。 と、ライゼちゃんが私の方を向いた。 それにつられるように子供達の視線が私に集まった。 顔が赤くなるのを感じながらも私は精一杯の笑顔を彼らに向ける。 でもその笑顔に応えてくれる子は一人もいなかった。 おそらく一目でよそ者とわかる私を子供ながらに警戒しているのだろう。 他国からの支配を受けこんな身体になるほど酷い生活を強いられているのだ。無理も無い。 「この方はカノンさん。私がお願いしてこのフェルクに来てもらいました。とても優しくて素敵な方よ」 そんな紹介を受けて気恥ずかしくなりながら、私も思い切って口を開いた。 「初めまして! 私、華音って言います。よろしくね」 すると、ライゼちゃんのお墨付きが効いたのか数人が私に向かって頭を下げてくれた。 そんな些細なことに胸がほんわか温かくなる。でも、 「今日は皆にカノンさんの歌を聴いてもらおうと思っています」 ライゼちゃんがそう言った瞬間、子供たちは不安げに顔を見合せた。 彼女の口から「歌」という単語が出たことに皆戸惑っている様子だ。 「大丈夫。私はもう聴いたけれど、歌ってとても素敵なものよ。だから皆にも聴いてもらいたいの」 微笑を浮かべ言うライゼちゃん。 「カノンさん、お願いします」 ライゼちゃんに呼ばれ子供達の前に出ようとしたときだ。 遠のいていく足音に気づき振り向くと、ラグがこちらに背を向け森の方へと歩き出していた。 「ラグ、どこ行くの?」 「……昨日の泉」 「え!? 何で、歌は?」 「オレはいい」 こちらを振り向きもせずそう言い残し、彼は森の中へと消えてしまった。 ――そんなに汗をかいてしまったのだろうか? これから歌う私にとって彼の不在はかなり心もとなかったけれど、仕方がない。 私は腹を括って再び子供達の方を振り返った。 「楽しみにしているぞ」 そんなセリーンの声に後押しされながら私は皆の前へ進み出る。……歩き方が少しギクシャクしてしまったかもしれない。 集まった視線はやはり一様に不安げで。 私はそんな子供たちに精一杯の笑顔で言う。 「えっと、じゃあまず、みんな座ってもらっていいかな?」 すると、子供達はゆっくり地面に腰を下ろし始めた。 皆が座ったのを確認して、私は一度息を整えてから続けた。 「みんな歌を聴くのは初めてだと思うんだけど、歌ってね、一人で歌ってもあんまり楽しくないんだ。だから今日はみんなにも一緒に歌ってもらおうと思ってます!」 予想通り、皆酷く驚いた表情。 中には一緒に歌うという意味がわからなかったのか、ただポカンと口を開けている子もいる。 ブライト君がそんな子供達の反応を見て焦ったように私の背後へと視線を向けた。 その視線を追って振り向くと、ライゼちゃんも戸惑ったように私を見ていた。 「いいよね、ライゼちゃん」 「は、はい」 それでも頷いてくれてホッとする。 「良かったら、ライゼちゃんも一緒に歌ってね!」 彼女のびっくりした顔を確認してから私は再び子供達の方に向き直った。 すると子供達の後ろに新たに二人が加わっていた。ラウト君とヴィルトさんだ。 ラウト君が私に大きく手を振ってくれていた。 私はそれに笑顔で答えてから口を開く。 「歌ってね、基本『ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ』の音で出来ているんだ」 分かりやすく音階が上がっていくのを指で表しながら言うと、皆その指を目で追ってくれた。 髪に変化は無い。 やはりちゃんとした“歌”になっていないと変わらないのだろうか。 それを何度か繰り返しているうちに、私の声に合わせ口をパクパクと動かす子が出てきた。 頃合いを見計らって、思い切って言ってみる。 「じゃあ、今度はみんなの番! 今のマネ、してみてくれるかな?」 でも流石にすぐには誰も口を開いてくれなかった。 皆恥ずかしそうに顔を見合わせてしまっている。 だがそのときだ。 「ドーレーミーファーソーラーシードー!」 そんな元気な声が子供たちの後ろから聞こえてきた。 皆の視線がそちらに集まる。 ――ラウト君だ! 「うん! ラウト君上手上手!」 拍手しながら言うとラウト君は嬉しそうに顔を赤くした。すると。 「ドーレーミー……」 「ドーレーミー!」 子供達の中からほぼ同じタイミングで声が上がった。 ラウト君と同じ年頃の女の子と男の子だ。 その二人はお互い驚いたように顔を見合わせてから、はにかむようにして笑った。 (笑ってくれた!) そのことが嬉しくて、私はもう一度『ド』から歌い始める。 それにラウト君と、先ほどの二人の声が加わる。 更には私の後ろからも。 振り向くとライゼちゃんが頬をほんのり赤く染めにっこりと微笑んだ。その笑顔は弟のラウト君にそっくりだった。 三度目に入るころには、殆どの子供達が一緒に歌ってくれていた。 (楽しい……!) こんなに楽しいのは久しぶりだった。 私は一旦歌うのを止め、大きく深呼吸する。 そんな私を不思議そうに見つめる子供たち。 そして、私は今までで一番大きな声で歌い始めた。
ド・ド・ドはなんの音? ドアを叩くよ ド・ド・ド
子供の頃におばあちゃんと一緒に作った、思い出深い遊び歌。 銀に輝く私の髪を見ても、怖がる子は一人もいなかった。 ある子は体を横に振って。 ある子は口を小さく動かして。 ある子は目をキラキラさせて私の歌を聴いてくれた。 歌い終わってすぐに、ひとりの子が立ち上がって大きな声で言う。 「ねぇ、もう一回歌って! 私も歌いたい!」 その隣にいた子も同じように立ち上がる。 「ぼくもー!」 「もう一回歌って!」 「ねぇねぇ! “ワタガシ”ってなあに?」 そんな皆の声が胸にじんと響く。 歌を知ってもらいたいという私の思いがちゃんと伝わっている。 ラウト君もお父さんの隣でジャンプしながら「もう一回! もう一回!」と手を振っていた。 「カノンさん、もう一度お願いします」と、ライゼちゃんの優しい声。 少し離れたところに立っているセリーンも目を細め頷いた。 「うん! じゃぁ、今度はみんなも一緒に歌おう!」 私が笑顔で言うと、とびきりの笑顔が一斉に返ってきた。 「あ、そうだ。綿菓子っていうのは、甘くてふわふわなお菓子のことでね、」 この世界にはおそらく綿菓子は無いだろうと思って、説明していく私。 でも子供達の笑顔がそこで急に途切れてしまった。 あれ、と思っていると後ろから言い辛そうに小さな声がかかった。 「カノンさん、この子達はお菓子をほとんど食べたことがありません」 (あ……) 高揚して熱くなった心に、冷たい水滴が落ちるような感覚。 普通の食事も満足に出来ていないだろうこの子たちに、甘いお菓子のことを説明するなんて……。 子供達は私の話の続きをじっと待っている。 罪悪感で頭が真っ白になりかけた、そのとき。 「――み、皆で『ファ』が付くものを考えてはどうでしょう」 そう声を上げたのはブライト君だった。 「例えば、ファルシェ、ですとか……」 「ファルシェ?」 私が訊くと、皆の注目を一斉に集めたブライト君が焦ったように答えた。 「ここよりも北にある村の名前です」 「私もファルシェが良いと思います! ……あ、でも変えてしまってはまずいでしょうか」 ライゼちゃんが不安そうに私を見る。 私は大きく首を振った。 「ううん。私も賛成! じゃあ、『ファ』はファルシェにしよう!」 すると再び皆に笑顔が戻った。 ブライト君もホッとしたように顔をほころばせる。 (ブライト君に後でお礼言わなきゃ!) それから皆で話し合い、この世界風にアレンジした新しい遊び歌が出来上がった。 『レ』はこの世界の名である「レヴール」。そして『ラ』は満場一致で「ライゼ様」に決定。 当のライゼちゃんは頬を染め、でも嬉しそうに微笑んでいた。 そして、私たちは新しく皆で作ったその歌を歌い始めた。
ド・ド・ドはなんの音? ドアを叩くよ ド・ド・ド
――フェルクレールトの空に、私と子供達の歌声が響いていく。 不思議と、皆初めての歌とは思えないほどに息ピッタリだった。 それから繰り返し繰り返し、一体何回歌っただろう。 空の色が濃くなるまで私達は夢中で歌い続けた。 「そろそろ時間だ」、というヴィルトさんの声が無ければそのまま夜になっていたかもしれない。 歌い終えた後の何ともいえない高揚した皆の顔を、私はきっと一生忘れないだろう。 最初見たときの表情とはまるで違う。それほど、皆良い顔をしていた。 「じゃあね、お姉ちゃん!」 「また一緒に歌おうね!」 「絶対だよー!!」 口々に言いながら、子供達はブライト君に連れられ帰っていく。 私は見えなくなるまでずっと手を振り続けていた。 子供達の影が完全に見えなくなって、私はふぅと息を吐く。 と同時、ヘナヘナとその場にへたり込んでしまった。 「カノン!?」 「カノンさん!?」 セリーン達が驚いたように駆け寄ってきてくれる。 「だ、大丈夫。ちょっと気が抜けただけだから」 昨夜少しコツを掴んだとは言え、流石に歌い過ぎたかもしれない。 でもどちらかというと、無事に終わってよかったという安堵感の方が大きかった。 セリーンに起こしてもらった私にライゼちゃんが言う。 「カノンさん、ありがとうございました。私の思ったとおりでした。いえ、それ以上です。本当に、本当にありがとうございました!」 その赤い瞳が涙で潤んでいた。
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