一瞬、別の場所のような感覚に囚われる。

 泉には先ほどは無かった月が映っていた。

 その美しさに思わず感嘆のため息が漏れるが、ラグがくるりとこちらを振り向き私は気を引き締めた。

「んじゃまず、簡単に術の基礎を教えるぞ」

「はい、先生!」

 私は姿勢を正して手を挙げる。

「や、先生はいいから……」

 脱力するように言われてしまい慌てて謝った。

 咳払い一つしてラグは続ける。

「術ってのは基本万物の力を借りて使うわけなんだが、そのためにはその何かに気に入られなきゃならねぇ。風だったら風に。木だったら……木にな」

 言いながらすぐ横にあった木に優しく手を触れるラグ。

 そういえば、彼は術を使うときいつも別人のような優しい目をする。

「まぁ、これはそいつの生まれ付いての才能の差も大きいんだが……」

「じゃぁ、ラグは生まれてからずっと色んなものに気に入られてるってこと? やっぱりすごいね!」

「ま、まぁな」

 ラグは照れてしまったのか、ふいと私から視線を逸らした。

(お?)

 私はそんな彼を見て思い出す。

 前にも術を褒めたときに急に機嫌が良くなったことがあった。

 ……ひょっとすると彼は術のことで褒められるのが単純に嬉しいのかもしれない。

 誰だって自分が得意なものを褒められたら嬉しい。

 だが彼の場合それがとても意外で、そしてちょっと微笑ましく思えた。

(こんなこと、絶対口に出して言えないけどね)

 心の中でこっそり笑いつつ、もうひとつ思い出したことがあった。

「そういえば、ライゼちゃんも同じこと言ってたね。術士は万物に好かれる存在だって」

「そう……だな」

 急に、ラグの顔色が変わった気がした。

 私はそれを見て、ずっと気になっていたことを訊くことにした。

 今なら、答えてくれる気がしたから。

「ねぇ。ライゼちゃんは、魔導術士のことが……嫌いなの?」

 そのとき一枚の葉が舞い降りてきて、水面に映った月が砕けた。

 ラグが唇の端を上げる。

「……だろうな。ま、オレ達魔導術士を好きって奴の方が稀だけどな」

「え? そうなの!?」

 つい、大きな声が出てしまった。

「特にあいつは、オレのことが相当気に入らないと思うぜ。神導術士なんてオレたちとは真逆の存在だろうからな」

「真逆?」

 私と目を合わさずに、ラグが続ける。

「術士は元々皆同じもんだった。万物に好かれ、その力を扱える特別な存在。オレ達はこの特別な力を、……戦争で使った」

(あ……)

 ドクンっと胸の奥でひとつ大きな音がした。

「“魔導術士”なんてのは、戦争後に出来た呼称だ。悪魔のような術士ってな」

「私は好きだよ! 魔導術士!」

 知らずのうちに口から飛び出ていた言葉。

 だって、ラグが……その嘲笑ったような顔が、なんだかとても辛そうに見えたから。

 彼は驚いたようにその青い双眸を見開いた。

「せ、戦争はどうしようもないと思うの! 誰が悪いとか、誰が偉いとか私はそんなもの無いと思ってるの! ……おばあちゃんがいつも言ってた。戦争は、誰もが被害者になるんだって」

 それは、私のおばあちゃんの口癖だった。

 おばあちゃんは戦時中に、家族や旦那さん……私のおじいちゃんを亡くしている。

 でもだからと言って誰を責めるわけでもなく、テレビなどで戦争のニュースが流れるたびに悲しそうに繰り返していた。

『華音、戦争はね、誰をも被害者にして、誰も幸せにはしないんだ』

 私はその時代を知らない。

 そしてこの世界の、ラグの言う戦争なんてもっと知らない。

 ……魔導術士が何をしたのかも……。

 そんな私がこういうことを言うのは、間違っているのかもしれないけれど。でも――。

「だから! 私はラグも、ライゼちゃんも、両方好き!」

 一気に喋ったせいで少し息の上がった私を、ラグはしばらくポカンと見ていたが、次第にその顔が赤くなっていくのがわかった。

(あ、あれ?)

 彼は耳まで真っ赤になったその顔を腕で隠し怒鳴る。

「お、お前は! そういうセリフを恥ずかしげも無く言うな!! こっちが恥ずかしくなるんだよ!」

 ……恥ずかしい?

 今度は私がポカンとする番だった。

 私は今、自分的には結構真剣なつもりで、別に恥ずかしいことを言ったつもりは全く無かったのだけれど。

 ラグはもう一度わざとらしく咳払いをしてから、まだ赤い顔で私を見下ろした。

「もうその話は終わりだ。術のコツを教えるぞ!」

「は、はい!」

 ――可笑しかった。

 いつもみたいに怒鳴られているのに、そのいつもの彼を見て、酷くホっとしている自分がいた。



「万物の力を感じろ。信じろ。そして、感謝しろ。……オレが昔、お前と同じように上手く力を扱えなかった頃、言われた言葉だ」

(感じろ。信じろ。そして、感謝しろ)

 私はその言葉を心の中で反芻する。

「まぁ、セイレーンは自分の力を歌にするっていうからな、少し違うかもしれねぇが」

「うーん、じゃあ私の場合、自分の力を感じて、信じて、感謝しろってこと?」

 ……いまいち、ぴんと来ない。

 まだ、万物の力を感じろ、という方が分かる気がした。

 ラグも困ってしまったように頭を掻いている。

「歌のことなんざこっちはさっぱりだからな……。つーかお前の世界じゃ、歌はどんなもんなんだ? 何のために使う?」

 唐突にそう訊かれて戸惑う。どう説明したらいいだろうか。

「やっぱ誰かに教えてもらうんだろ?」

「えっと、うん、教えてもらったりもするけど……。なんだろ、私の世界じゃ、色んな場所で歌が流れててね、」

 今度はこちらが先生になったような気分で、言葉を選びながら続ける。

「皆で歌って楽しく盛り上がったり……あと、落ち込んだときに聴くと元気が出たりするかな。あ、私の世界じゃ「使う」って言い方はしないよ! こっちの世界みたいに歌ったからって魔法みたいな不思議なことが起こるわけじゃないし」

「マホウ?」

「あ、えっと、術のこと」

 果たして今の説明で理解してもらえただろうか。

 私は案の定難しい顔をしているラグを見上げる。

「ふーん。いまいち良くわからねぇが、元気が出たりするんだろ?」

「うん?」

「それは、術と同じようなもんなんじゃねーのか?」

「あ」

 言われて私はハっとする。

 こちらの世界の術のように、飛ぶとか、怪我を治すとか、はっきりと目に見える不思議が起こるわけではないけれど、楽しい気分にさせてくれたり、元気をくれたり……。

 改めて考えると歌は凄い力を持っている。

 それはまるで魔法のような“力”だ。

「……うん。確かにそうかも! 歌ってやっぱすごいんだ。うわ、ちょっと感動!」

 私はひとり興奮して言う。

 そんな私をラグは不可解そうに見つめていたけれど。

「ありがとう、ラグ! 私さっきよりももっと歌が好きになった!」

「あ!? あぁ……」

「うん。なんか、今なら出来る気がする! ねぇ、試しに今歌ってみていい?」

 私が張り切って言うと、ラグは一瞬ぎくりと嫌そうな顔をした。

「……こっちに影響出るようなのはやめろよ」

「あ、そうだよね」

 何にしようかと考えて、ふっと頭に浮かんだ曲があった。

 私は泉の方に向かってすぅと息を吸い込む。


  埴生の宿も わが宿
  玉のよそい うらやまじ

  のどかなりや 春の空
  花はあるじ 鳥は友

  おお わが宿よ
  たのしとも たのもしや......


 日本名は「埴生の宿」。

 元は「Home, Sweet Home」というイギリスの歌だ。

 その詞には、故郷を愛する気持ちが綴られている。

 ――おばあちゃんの好きだった歌。

 そして、私にとってはおばあちゃんとの思い出がいっぱい詰まった歌だ。

 ラグの教えてくれた、「力を感じろ。信じろ。そして、感謝しろ」の意味はまだ理解出来ていなかったけれど。

 ただ、さっきおばあちゃんのことを思い出したから……。

 優しくて、強くて、歌が大好きだったおばあちゃん。

 共働きの両親に代わって、いつもそばにいてくれた。

 私のことをとても可愛がってくれた。

 そして、私にたくさんの歌を教えてくれた。

 ――水面に映った銀色の髪がぼやけて霞んでいく。

 今はもう、お礼を言うことは叶わないけれど。

 大好きだったおばあちゃんへ、感謝の気持ちを込めて私は歌った。



「はぁ……」

 最後まで歌い終えて、一息つく。

 心地よい気だるさが全身を包んでいた。

 少し眩暈はしたけれど、立っていられない程ではない。

 私はいつの間にか頬に伝っていた涙を拭って、ラグの方を見る。

「ね、立っていられるよ! 出来たかな!」

「あ? ……あぁ、そうだな」

 はっと気づいたように目を開けたラグを見て、私はムっとする。

「もしかして、今寝てた?」

「ね、寝てねーよ!」

「聴き入っていたんだよね?」

 突然背後で聞こえた優しい声音にびっくりして私は振り返る。

 泉の上に、笑顔で佇んでいたのは予想通りの人物。

「エルネストさん!」

「……野郎っ!」

 私の歓声と、ラグの憎々しげな声とが重なる。

 彼は以前と変わらず、にっこりと微笑んでくれた。

「とても素敵な歌だったよ、カノン」

 久し振りに聞く彼の声に、一度緩んでしまった涙腺がまた溢れそうになる。

 彼の笑顔とその声はいつも私を不思議と安心させてくれる。

 まだ数回しか会っていないのに、なんでこんなにも胸があたたかくなるのだろう。

 それは、歌っているときの気持ちに良く似ている気がした。

 彼は微笑み続ける。

「さすがは銀のセイレーン。……出来るなら、ずっと聴いていたいくらいだ」

 ――そうだ。

 もしさっきの歌が、“銀のセイレーン”として何らかの効果をもたらしたのだとしたら、それはきっと私自身にだ。

 故郷を想う歌によって、きっと私は軽くホームシックにかかってしまったのだろう。

 だからさっきから、こんなにも泣きたい気分になっているのだ。

「あ、ありがとうございますっ」

 私は今にも崩れてしまいそうな顔を隠すように、深く頭を下げる。

 今泣いたら止まらなくなってしまう気がした。

 私はぎゅっと目を瞑って下唇を噛む。

「ねぇ、ラグ。君もそう思っただろう?」

「うるっせぇ! ふざけたこと抜かす前に、いい加減てめぇがどこに居るのか教えやがれ! 言うとおりにこうして大陸を出てやったんだ!」

 あの時と同じでラグの剣幕は凄まじい。

 ……お蔭で、零れそうになっていた涙は引っ込んだけれど。

 なのに、言われている当の本人は全く動じていないよう。

 それどころか、彼は可笑しそうに小さく肩を震わせた。

「そうだね。驚いたよ、まさかいきなりフェルクレールトに来ちゃうなんてね。……でも残念。この国に僕はいないよ」

「ならどこにいやがんだ!」

 ラグがイラついたようにもう一度怒鳴る。

 私もゴクリと喉を鳴らして彼の答えを待った。

 相変わらずキレイな笑顔で彼は言う。

「僕が今それを答えたら、君はどうするつもりだい?」

「決まってんだろ。すぐにでもこいつ連れてそこまで行ってやるよ」

「だろうね……」

 ふっと笑って彼は続けた。

「なら、まだ教えてあげない」

「んだと!?」

「そんなに早く答えがわかっちゃったら、面白くないだろう?」

「てっめぇええ!!」

 にっこり笑って言う彼にラグは拳をわなわなと震わせ今にも飛び掛っていきそうな勢いだ。

 私も驚いていた。

 やっぱり彼はただ優しい人、というわけではないようだ。

 そして気づく。

 金色の月が映る水面に、同じように映るはずの彼の姿は無い……。

「ヒントはいくつか出してあげているんだ。あの赤毛の彼女も、僕のことを知っているようだしね」

 と、彼が再び私の方を向いた。

 その瞳はやっぱり優しくて、私にはなぜかラグのような怒りが全く湧いてこなかった。

 私だって早く彼の元へ行って、早く元の世界に……家に帰りたいはずなのに……。

「ごめんね、カノン。僕はね……君にもっとこの世界を見て欲しいんだ」

「え?」

(この世界を……?)

「本当は、君を早く元の世界に帰してあげたい。僕も早く此処から出たいしね。……けど、僕も君の歌を聴いて、もっと聴いてみたくなった。君がこの世界で何が出来るのか、何を変えられるのか……。見ていたくなった」

 真剣なその眼差しに顔の熱が上がる。

 ライゼちゃんにも同じようなことを言われたけれど、また違う。

 なんて答えて良いのかわからない。

 ……とにかく、全身が熱かった。

 だが、横からの舌打ちに私はびくりと肩をすくめる。

「どいつもこいつも……っ! こいつに何が出来るってんだ!? アホらしい! そんなことで変わる世界なら、とっくに変わってる!」

 憎々しげな怒鳴り声。

(ラグ……?)

 慣れてきたと思っていたのに、私は久し振りに彼を、――ラグを、“怖い”と思った。

 エルネストさんがふぅと溜息を吐く。

「ラグ、カノンが怯えているよ」

「!」

 瞬間、ラグと目が合った。

 でも彼はすぐにその視線を外すと、もう一度小さく舌打ちをした。

「っと、そろそろ時間だ。僕は消えるよ。……カノン、頑張ってね」

「は、はい!」

 なんとか、返事をすることだけは出来た。

 彼はそんな私ににっこり微笑んで、いつものようにスーっと消えていってしまった。

 ――そしてまた、ラグと二人きり。

 しかも、なんだかとても気まずい雰囲気だ。

「あ、ありがとう、ラグ。術のコツ教えてくれて。もう、戻ろっか!」

 私が精一杯明るく言うと、彼はさっさと背を向け歩き出してしまった。

 ……こちらを見てもくれない。

 私はぎゅっと両手を握って彼の背中に向かい、言う。

「私も、自分に何が出来るって思ってるわけじゃないけど……、この国でライゼちゃんのために出来るだけのことをしてあげたいの。……ラグにとったら、迷惑かもしれないけど」

 と、そこで彼が足を止めた。

「無理だとわかったらさっさと諦める。……そう言ったこと、覚えてるよな」

「うん、わかってるよ!」

 私は大きな声で答える。

 ラグはやっぱりこちらを見てはくれなかったけれど、私は少しほっとして再び歩き始めた彼の後ろについて行く。

 そうして、私はテントへ、ラグはラウト君たちのいる家へと戻った。

 ……その夜は気持ちが高ぶって、疲れているはずなのになかなか寝付けなかった。




 「埴生の宿」(Home, Sweet Home)
 作曲/H.R.ビショップ 原詩/ペイン 訳詩/里見 義
 
※著作権消滅楽曲

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