テントの中は厚手の幕によっていくつかの部屋に仕切られているようだった。

 勿論エアコンが効いているわけもなく、外と変わらないむっとした熱気に流石に耐えられなくなって訊く。

「ライゼちゃん、その……身体を洗うときっていつもどうしてるの?」

 お風呂はないだろうが、せめて水浴びがしたかった。

「そうだな、私も汗を流したいが」

 セリーンも汗で額に張り付いた前髪を払いながら言う。

「あぁ、気が利かず申し訳ありません。私はいつも少し行った先にある泉で身を清めています。すぐにご案内しますね」

(やった!)

 私は心の中で歓声を上げた。



「うわぁ、キレイ!」

 その泉は森の中に隠れるようにひっそりと存在していた。

 星空を映した水面が時折キラキラと輝きながら風に静かになびいている。

 流石に温泉というわけにはいかなかったが、この暑さなら水風呂でも風邪をひく心配は無いだろう。

「モンスターは出ないのか?」

 セリーンが注意深く辺りを見回しながら訊いた。

 確かに水浴びの最中モンスターに襲われたら最悪だ。

「その心配はありません。この辺り一帯は、ビアンカが守ってくれているので、他のモンスターが入ってくることはありません」

 所謂、縄張りというやつだろうか。

 ビアンカがあの長い胴でぐるりとこの周辺を囲っているイメージが頭に浮かんだ。

「じゃあ、皆で一緒に入れるね!」

 なんだか急に楽しくなってきて言うと、二人とも笑顔を返してくれた。

 そしてすぐに汗ばんだ服を脱ぎ捨てライゼちゃん、セリーン、最後に私の順番でその泉に足を踏み入れた。

「うひゃ……!」

 思わずその冷たさに声が出てしまう。

 この暑さで水温も上がっているのではと思ったのだが、大間違いだった。

 深さは立っている状態でお腹くらい。

 全身浸かるまでは勇気が要ったけれど、入ってしまうとひんやりしてとても気持ちよかった。

 深呼吸しながら振り仰ぐと無数の星たちがチカチカと瞬いていた。

 視線を戻すとセリーンもライゼちゃんも気持ち良さそうに目を閉じていた。

 そのままふと二人の体系を見て、私は軽くショックを受ける。

 セリーンは言うまでもなく抜群のスタイル。

 そしてなんと細身なライゼちゃんまで、私よりどう見ても大きかったのだ。……胸が。

(この世界の人って、皆スタイルいいのかなぁ)

 私はお腹の辺りの余計なお肉を指でつまんでみる。

 それでも、この世界に来てから確実に体重は減っているはずだ。

(帰れる頃には私もスタイル良くなってたりして。そしたら皆に自慢しちゃお! ……帰れる、よね?)

 ――気付けば、もうこの世界に来て半月が経とうとしている。

 お母さん、お父さん、学校の友達、きっと皆心配しているだろう。

 そんなことを考えていたら、不覚にも視界が潤んできてしまった。

 私は勢いつけてザバンっと頭まで泉に浸かる。

「どうした?」

 顔を出すとセリーンとライゼちゃんが不思議そうにこちらを見ていた。

「ううん、なんでもない! 気持ち良かったからつい!」

 慌てて笑顔で言うと、ライゼちゃんが可笑しそうにクスクスと笑った。

「カノンさんは本当に、私の想像していた“銀のセイレーン”とは違っていました」

「あっはは。それ、ラグにも良く言われるんだ。『お前、本当に銀のセイレーンか?』って」

 私がラグの真似をしながら言うとライゼちゃんが首を横に振った。

「いいえ。私は心から、カノンさんが銀のセイレーンで良かったと思っているんです。明日から宜しくお願いします」

 どきりとする。

「あ、でもホント、全く役に立たなかったらゴメンね。精一杯がんばるつもりだけど」

 するとライゼちゃんはまたにっこりと笑ってくれた。

 その笑顔は何度見ても可愛らしくて。

(きっと男の子なら確実にクラっときちゃうよね)

 そしてふと頭に浮かんだのは、あの男の子。

「ねぇ、ライゼちゃん。あのブライト君のことなんだけど」

「はい」

「幼馴染って言ってたでしょ? ってことは昔からお互いのこと知ってるってことだよね!」

「はい、そうですが……?」

 きょとんとした顔のライゼちゃんに私はニヤニヤと笑って続けた。

「二人とも、好きとか、そういう気持ちはないの?」

 途端、ライゼちゃんが慌てたように首をぶんぶんと横に振るう。

「あ、ありません! そんな、ブライトは私のことをそんな風には見ていませんし、私も考えたこともありません!」

「え〜? そうなの〜?」

 ちょっと意地悪そうに言ってみる。

(私が見るに、少なくともブライト君はライゼちゃんのこと好きだと思うんだけどなぁ)

 まだ彼の姿を見たのはあの時一度だけだが、あの心配の仕様は幼馴染とか、神導術士だからとか、そういうもの以上の感情があったように思えた。だが、

「そうです! ……それに、私にはもう婚約者がいますから」

恥ずかしそうに俯いて言うライゼちゃんに、一瞬思考が止まる。

「え、ええぇ!?」

「ほぉ?」

 私の大声と、それまで黙っていたセリーンの面白がるような声。

「ら、ライゼちゃんて今いくつ!?」

「私は今、13です」

「13で婚約者!?」

「はい。私は早くに子を生まなければならないので……」

「あ……」

 ライゼちゃんのそのはにかんだ笑顔を見て、サーっと血が引いていく。

(そうだった。ライゼちゃんは……)

 瞬間謝罪の言葉を口にしそうになって、寸前で止める。……ここで私が謝るのは、何か違う気がした。

「婚約者かぁ。その人、良い人?」

「はい。少し無口ですが、優しい人です」

「そっか」

 少しの沈黙。

 今まで気にならなかった虫の声が煩いくらいに耳に響く。

 13歳。私よりも4歳年下の女の子。

 日本で言うと、まだ中学一年生くらいだ。

 私はその頃、何を考えていただろうか。

 きっと、友達と遊んで、勉強して、他愛も無いことで喜んだり悩んだりしていたはず。

 ――ライゼちゃんはその小さな身体に一体どれ程のものを背負っているのだろう。

 結局、沈黙に耐えられなくなったのは私だった。

「そういえば、ラグはお風呂どうしてるんだろ。あっちの家にはお風呂あるの?」

 話題を変えるために、何気なく言った言葉だった。

 だが、ライゼちゃんは急に焦ったように立ち上がった。

「そ、そうでしたね。そろそろ出ましょうか。ひょっとするとラグさんも此処へ入りに来るかもしれません」

「え、えぇ!?」

 私は思わずまた大きな声を出してしまった。

(そ、それはマズいよ……!)

 ラグもフェルクに着いてからずっとこの暑さを気にしていた。

 私達と同じようにこの泉の場所を聞いて来る可能性はすこぶる高い。

 私はそそくさと泉から上がると、ライゼちゃんが貸してくれたこの国の服を素早く着込んだ。

 セリーンもライゼちゃんも続いて泉から上がる。

 私達はそれぞれ今まで着ていた服を泉で簡単に洗い、テントに戻ることにした。



 心地よい程度に冷えた身体と風通しの良い服のお蔭で、帰りの道のりは行きに比べかなり快適だった。

 だが途中、こちらに歩いてくるラグの姿に気付いて違う意味で汗が噴き出した。

「ラ、ラグ達も泉に行くの?」

「ぶぅ!」

 頭に乗ったブゥが嬉しそうに答えてくれた。

 ラグはなぜかこちらから視線を逸らして言う。

「……こっちでいいんだよな」

「うん、ここまっすぐ行ったとこ。すっごい気持ち良かったよ!」

 私は内心の動揺を悟られないよう笑顔で答える。

 と、後ろでセリーンがふっと笑った気がした。

「運の無い男だ」

「あ?」

「もう少し早ければもっといいものが見られたのになぁ」

「セリーン!?」

 ラグは初めその意味がわからなかったのか思いきり眉根を寄せていたが、すぐに気づいたようだ。

「いつ来ようがオレの勝手だろうが! 知るかっ!」

 そう怒鳴って私達の横を通り過ぎていく。

「一緒に入りたければあの子の姿で来るんだな」

 セリーンの冗談なのか本気なのかわからないセリフを思いっきり無視して、ラグはさっさと泉の方へ消えてしまった。

 思わず安堵の溜息が漏れる。

 折角さっぱりしたのに、なんだか変な汗をかいてしまった。



 テントに戻った私たちはそれからすぐに幕で仕切られた寝室で横になった。

 長旅で身体は疲れていたけれど、今寝るわけにはいかない。

 私はすぐ隣でライゼちゃんとセリーンが眠ったのを確認し、そっと起き出した。

 テントを出て辺りを見回すと近くの木を背に胡坐を掻く彼の姿を発見した。

 彼――ラグもこちらに気づき億劫そうに立ち上がる。

 彼は私と同じくヴィルトさんの物と思わしき少し大きめの服を着ていた。

 いつも比較的厚着な姿を見ているせいか、その涼しげな格好になんとなく違和感を覚えた。

 走って側まで行くと、普段は隠れている腕や胸元が意外とがっしりと逞しいことに気づく。

(じゃなきゃ、あんなふうに闘えないか)

 ふとモンスターや野盗たちと闘う彼を思い出しながら、いつにも増して不機嫌そうなその顔を見上げた。

「もしかして、そっち皆寝るの早かった?」

「あぁ、あのオヤジは家入ってすぐにぶっ倒れちまうし、あのガキもオレが戻ったときにはもう寝てやがった」

 それを聞いて慌てる。

 ということは、相当待たせてしまったことになる。

「ご、ごめんね! こっちは二人ともなかなか寝てくれなくって」

「で? 何だよ。用は」

 私の言い訳を遮るように言うラグ。

(うぅっ……)

 今はあまり怒らないで欲しかった。でないと折角の決心が萎んでしまいそうだった。

 でも、私はそれではダメだと思い切って口を開く。

「私の、先生になって欲しいの!」

「……は?」

 私の真剣なお願いに、ラグは思いっきり顔をしかめた。

 彼からしたら、何を突然わけのわからんことを、といった感じだろう。

「だ、だからね、ほら、私歌うと動けなくなっちゃうでしょ? だから、そうならないように、術のコツ? みたいなものを教えて欲しいの!」

 ――そう、ビアンカに乗っている間ずっと考えていたのはこの事だった。

 歌う度に動けなくなってしまっては、どう考えてもライゼちゃんの役には立てない。

 ライゼちゃんの力になりたい。

 彼女のことを知るたび、その想いは強くなっていた。

「前にラグが、自分も昔そうだったって言ってたから、なんか良い方法知ってるかなと思って……」

「…………」

 やはり「めんどくせぇ」と断られてしまうだろうか。ドキドキしながら彼の答えを待つ。

 ラグはそんな私を半眼で見下ろしていたが、少しして小さく溜息を吐いた。

「そうだな。お前が歌を使いこなせるようにならねーと、こっちも困る」

 その言葉にほっと胸を撫で下ろす。

「ホント? ありがとう!」

「……だが、なんであいつらには内緒じゃなきゃいけねーんだ?」

「え、その、……何か練習見られるの恥ずかしかったから」

 また降ってくる盛大な溜息。

「なら、場所を変えるんだな。ここで歌ったらすぐにバレるだろ」

「あ、そうだよね。どこにしようか……。あっ、じゃぁさっきの泉のとこ!」

 そうして、私達二人は先ほど行った泉へ向かうことにした。

 ――そういえば、こうしてラグと二人きりになるのは久し振りな気がした。

(ん? いつもはブゥがいたから、ホントの二人きりは初めてになるのかな?)

 ブゥは今森の中をお散歩(お食事?)中のよう。

 そう思ったら、少し緊張してきた。

 先生になって欲しいなんて頼んでしまったけれど、彼はどう見ても優しく教えてくれるタイプではなさそうだ。

(……あんまり怖かったら、小さくなってもらお)

 私はそんなことを考えながら、ラグの背中を追った。




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