「よくここまで来てくれたね」


 会いたかった人が目の前にいる。

 この世界に来てからずっと、ずっと探していた人。

 彼に会うためにこの世界中を旅して、やっと辿り着けた。……なのに。


(なんで、あんまり嬉しくないんだろう……)


 くすっと彼が眉を下げて笑った。

「驚かせてしまったみたいだね」

「……っ」

 何か答えようと思うのに、訊きたいことがたくさんあるのに、喉の奥が震えてうまく声が出てこない。

 彼はそんな私にもう一度綺麗に微笑むと、背後の水晶柱を振り返った。

「これが、僕の本体だよ」


 ――僕の本体を助けてもらいたいんだ。


 彼から最初に言われた言葉を思い出す。

「あなたは、一体……」

 なんとか口から出た最初の問いはそれだった。

 優しい双眸が私を見つめて、一度声を出した勢いで続ける。

「エルネストさんは本当に、金のセイレーンなんですか?」

 彼が頷く。

「この世界を、創ったっていう……?」

 小さく訊ねると彼は優しく微笑んだ。

「そう、僕は歌でこの世界のすべてを創り出した。大地も、海も、風も、生き物もすべて」

 グリスノートから聞いていた金のセイレーンの伝説。

 それをその本人から、なんでもないことのようにさらりと言われて、ごくりと喉が鳴ってしまった。

「――と、そういうことになっている。伝説ではね」

「え」

 思わず間抜けな声が出てしまった。

 彼はそんな私を見てクスクスと笑って言った。

「僕はただ、人より長生きで、人より少し力があって、歌を作るのが好きなだけの生き物だよ」



「でもそんな僕を、人は“金のセイレーン”と呼び、畏れ、崇めてくれた」

 彼は淡々と優しい口調で語る。神話を語るように。

「大地も、海も、風も、生き物も、僕にとっては大好きな音楽を奏でてくれる楽器なんだ。その中でも特に人間が一番のお気に入りでね。人間は僕の作った歌を奏でてくれるから。だから僕はたくさんの歌を作った。とても楽しかった。……でも」

 そこで、その瞳が憂いの色を帯びる。

「人間はいつか歌うことを忘れ、争いばかりするようになった」

 どきりとする。

 ――争い。戦争。

 人の歴史は争いの歴史だと、誰かが言っていたのを思い出す。

 私が元いた世界でも、この世界でもそれは同じで。

「面白くなくなった僕は、代わりに歌ってくれる別の世界の人間を喚んでみることにしたんだ」

「え……」

「そしてやってきたのは、君と同じ世界の人間だった」

「それって」

 ドナが話してくれた、ノービスさんが友達になったという銀のセイレーン。

 彼が頷く。

「そう。彼女は、君と同じで歌が大好きだった。そして、とても強くて美しい女性だった」

 エルネストさんが目を細め私を見つめた。

「僕は、彼女にたくさんの歌を奏でてもらった。彼女が歌うと不思議なことに髪の毛が銀色に輝いた。そんなところも面白くてね」

 まるで新しいおもちゃを手に入れた子供のようにエルネストさんは楽しそうに語る。

「でも彼女は、元いた世界の争いで愛する人を亡くしたと言っていた」

 ――え?

「だから、この世界にも争いがあることを知って心を痛めていた。そして彼女は、力があるのに見ているだけで何もしない僕のことを叱った」

 私が目を丸くすると、彼も笑った。

「僕も驚いたよ。叱られるのなんて、初めてだったからね」

 彼は懐かしそうに続ける。

「彼女はこの世界に来て得た歌の力でたくさんの人の心を癒していった。争いを止めたこともあったかな。彼女は僕なんかよりもよっぽど皆から愛される存在となった」

 なんて強い人なんだろう。

 同じ日本人として、誇らしくさえ思えた。

「そんな彼女のことを皆は敬意と親愛を込めて“銀のセイレーン”と呼ぶようになった」

「え……?」

 ――敬意と親愛を込めて……?


「そして僕も、そんな彼女のことを愛してしまった」


 ぴちゃんと、水面に落ちた雫が綺麗な円を描いて広がっていく。

 彼の私を見る目がいつも優しい理由がやっとわかった気がした。……いや、なんとなくわかっていた。

 彼が私を見ながら、他の誰かを見ていたこと。

(そうか。エルネストさんは銀のセイレーンのことを愛していたんだ)

 胸が熱くなった。

 グリスノートからあの伝説を聞いてショックだった。金のセイレーンと銀のセイレーンが戦ったなんて私にはどうしても信じられなかった。

 だから、彼自身から語られたその真実は水面に落ちた雫のように、私の心に熱く満ちていった。



「――でも、そんな愛しいときは長く続かなかった」

 その瞳の色が翳る。

「皆に愛されていた彼女だけれど、中にはそんな彼女を邪魔に思う人間がいた」

「え?」

「彼女は、そんな人間たちに殺されてしまった」

「!?」

 ――銀のセイレーンを消したのは金のセイレーンではなく、人間……!?

 伝説とは違う、あまりに酷い事実に息を呑む。

「僕は、悲しくて、悔しくて……それでね、彼女の居ないこんな世界なんて、もう要らないと思った」

 彼が悲しく笑う。

「だから僕はこの世界を破滅させる歌を作ったんだ」

「!」

 あの楽譜に書かれていた恐ろしいタイトルを思い出す。

「僕が歌ってもいいんだけど、どうせならこの世界の人間たちに歌ってもらおうと思った。――でも気づいたら、ここにこうして封印されていた。そして意識が目覚めたのは、ほんの数か月前」

 彼がおかしそうに笑う。

「目が覚めて驚いたよ。僕が眠っている間に、この世界から歌が消えていた。そして、銀のセイレーンが破滅を導くという偽りの伝説が出来上がっていた。更にはそんな彼女を消したのが、この僕ということになっていた。――意味がわからなかった」

「エルネストさん……」

 その憂いに満ちた瞳が私を見つめた。

「だから僕は君を喚んだんだよ、銀のセイレーン。その伝説の通りに、今度こそこの世界を破滅へと導いてもらおうと思ってね」

 ざわりと、その場の空気が変わった気がして後退った――そのときだ。

「ちょっと待ったーー!!」

「カノン! その男から離れろ!」

「え!?」

 聞き覚えのある声が大きく響いて驚く。

 振り向いて、私は大きく目を見開いた。

「なんで……」

「あはは、これはまた勢揃いだねぇ」

 エルネストさんが楽しそうに笑う。

 セリーンと、なぜかグリスノートとアルさんがこちらに駆け寄ってくる。そして。

(ラグ……)

 彼はアルさんに背負われ、ぐったりと目を閉じていた。

「カノン、無事か?」

 セリーンが愛剣を手に私の傍らに立って、私はまだ混乱しながらなんとか頷く。

「なんで……だって」

 私が眠らせてしまったのに。

 すると彼女はふっと口端を上げ言った。

「メガネに叩き起こされてな」

「ちょっ、叩いてなんかないだろセリーン!」

「それでブゥがここまで案内してくれた」

 そういえば、いつの間にかブゥの姿が見えなくなっていたことに気付く。

「だが、奴はどうやっても目を覚まさない」

「……っ」

 アルさんがすぐそこの青い柱にラグを凭れさせるのを見て、ズキリと胸が痛む。

 そんなラグの頭の上でブゥが心配そうに相棒を覗き込んでいた。

「あんたが、金のセイレーンか」

「ん?」

 水際ギリギリまで進み出たグリスノートがエルネストさんを見上げて興奮したような顔で言う。その肩にはグレイスも乗っていて。

「すげぇ、マジで会えるとは思わなかったぜ」

「喜んでもらえて光栄だよ」

 ぽん、と肩に手を置かれ、見上げるとアルさんの笑顔があった。

「久しぶり、カノンちゃん。来るのが遅くなっちゃってごめんな」

「アルさん……」

 久しぶりに見るその安心する笑みにじわりと目に涙が浮かぶ。

「ごめんなさい、私、ラグを……っ」

 ラグを頼むって言われていたのに。

 なのに私は彼を傷つけて、あげくに……。

「セリーンから大体聞いたよ。よくひとりでここまで辿り着けたなぁ。頑張ったな、カノンちゃん」

 そうしてアルさんは少し乱暴に頭を撫でてくれた。

 ……セリーンもアルさんも、私がしてしまったことを怒りもしない。

 それどころかこうしてまた傍にいてくれる。なんて優しくてあったかい人たちなんだろう。

「ちなみに俺は、皆が海賊に攫われたって聞いて急いで城を出て、なんやかんやあってここまで辿り着いたって感じかな。んで、その途中そいつを拾った」

 アルさんが指したのはグリスノートだ。彼がこちらを振り向いてにいっと悪い顔で笑う。

「言ったろ? 絶対に追いつくから待ってろって」

「――っ!」

 色々思い出して、どんな顔をしていいかわからずお蔭で涙が引っ込んでしまった。

 と、アルさんがそんな私の前に出てエルネストさんを見上げた。

「さて、話はさっき大体聞かせてもらったけどさ。カノンちゃんにそんなやべぇ歌、絶対歌わせねぇし、他にもそこの弟分のことであんたには訊きたいことが山ほどあるんだ。悪ぃけど、ちーと付き合ってくれよな」






戻る小説トップへ次へ

inserted by FC2 system