「え、……えぇ!? 私に!?」 驚く私にライゼちゃんはゆっくりと頷いた。 「わざわざフェルクレールトからか」 ラグが疑わしげに言う。 「フェルクレ……?」 「こいつらの国の名前だ」 「え? だって、ずっと南の国だって……。じゃあそこまで私のこと伝わっちゃってるってこと!?」 私のことを捜しているのは、てっきりこの国だけなのだと思っていたけれど。 すでに他の国にまで知れているということは、結局海を渡っても気は休まらないということになる。 (でも、いくらなんでも早すぎる気が……) と、ライゼちゃんがその問いに対して首を横に振った。 「いいえ、銀のセイレーンが現れたというのはフェルクでもまだ、私たちしか知らないはずです」 言われて少しほっとする。 しかし逆に新たな疑問が湧く。 「じゃぁ、ライゼちゃんたちは何で知って……?」 「声が、聞こえたんです」 「声?」 私が訊き返すと同時。 「神導術士、か」 ラグのその低い声にライゼちゃんの肩がびくりと震えた。 「しんどう……?」 「聞いたことがある。白髪に赤眼……術士の中でも特殊な力を持った者」 淡々と言葉を紡ぐラグ。 私にはまたも何のことだかさっぱりだ。 「魔導術士とは違うの?」 「術士は万物の力を借りる。神導術士はその万物の声が聞こえる希少な術士、だな」 最後はライゼちゃんに確認するようにラグは言った。 だがやはり彼女はラグの目は見ようとせず、ただ頷いた。 「そんで、確か短命のはずだ」 ラグのその無感情な声に、私は目を見開く。 (短命……?) 髪と瞳以外はごく普通の、弟想いの少女。 とてもその命が短いなんて思えない。 表情を強張らせた私に、彼女はにっこりと微笑んだ。 「短命と言っても、30までは生きられます。私の母も神導術士でしたが、34まで生きましたから」 歳相応のあどけない笑みを浮かべて言うライゼちゃん。 でも私は言うべき言葉が見つからなかった。 一拍置いて、ライゼちゃんの視線が初めてラグへと移る。 その表情から笑顔が消えていた。 「貴方は魔導術士……ですね」 「あぁ。それも、ストレッタのな」 唇の端をかすかに上げて言うラグ。 それは挑戦的な笑みにも、自嘲的な笑みにも見えた。 (ラグ……?) 「そう、ですか……」 なぜか苦しそうに睫を伏せるライゼちゃん。 ――また出た、ストレッタの名。 「ラグ、ストレッタって何? 国の名前?」 私は思い切って訊く。 と、その答えは背後から返ってきた。 「ストレッタは、魔導術士の最高養成機関だ」 セリーンの声。その鋭い視線は、ラグの背中に向けられていた。 (魔導術士の養成機関?) 「おそらくその男は、その中でも……」 「オレの話はいい! ――で? その神導術士のアンタが銀のセイレーンに何の用があるんだ」 ラグがイラついたように捲し立てる。 ライゼちゃんはゆっくりと顔を上げて、再び私に真剣な瞳を向けた。 「フェルクレールトを、……私の国を助けて欲しいのです」 私は目を瞬く。 その言葉が魔導術士であるラグへ向けたものではなく、傭兵であるセリーンに向けたものでもなく、私に向けられた言葉なのだと理解するのに少しの間を要した。 「え? わ、私……?」 自分を指差しながら言うとライゼちゃんは強く頷いた。 「はい。銀のセイレーンである貴女にしか出来ません」 焦る。 国を助けるなんて、私にはどう考えても不相応過ぎる。 「で、でも私、迷惑かけるだけの役立たずだし、銀のセイレーンかどうかも実は怪しいし」 「自分で言うなよ」 すかさずラグから溜息交じりのツッコミが入る。 でもライゼちゃんは首を横に振って続けた。 「いいえ、貴女は間違いなく伝説の銀のセイレーンです」 自信たっぷりのその言葉に私はなんだか気恥ずかしくなった。 「何赤くなってんだ」 「え? や、別に……」 半眼で見下ろされ、私は慌てて頬に手を当てる。 ラグは呆れたようにもう一度大きな溜息を吐いてからライゼちゃんに視線を向けた。 「あのな、銀のセイレーンは世界を破滅させる存在だって、アンタも知ってるだろう」 やはりイラついたようにラグは言う。 「私も、カノンさんを実際に見るまではそう思っていました。ですが、貴女に会ってあの“声”の意味がわかったのです」 そして、ライゼちゃんはゆっくりと話し始めた。 ◆◆◆◆◆ ご存知の通り、私の国はあの大戦によってこのランフォルセの属国となりました。 民はそれからずっと、酷く苦しい生活を強いられています。 そんな中でも私は神導術士として、皆から大切に守られてきました。 ……代々、神導術士とはそういうものなのです。 だからと言って、私にできることは「嵐が来る」など、聞こえた“声”を皆に伝えることだけ。 私はそんな自分をとても歯がゆく思っていました。 そんなときに、いつもとは違う“声”が聞こえたのです。 このランフォルセに、銀のセイレーンが現れたと……。 私は居ても立ってもいられなくなり、国を飛び出してきました。 ◆◆◆◆◆ ライゼちゃんはそこまで話し終えると、一旦息を整えるように間を置いた。 「……初めは、この世界を破滅させると云われる銀のセイレーンを、消すことが目的でした」 「え!?」 私はドキリとする。 背後でセリーンが剣に手を掛けるのがわかった。 「ですが、今は違います! カノンさんに会ってわかりました。“声”が私に何を伝えたかったのか」 ライゼちゃんの声が興奮したように高くなる。それは、悲痛な叫び声のようにも聞こえた。 「貴女なら、皆の荒んだ心を変えられる! あのグラーヴェ兵を見て確信しました。どうか! フェルクレールトの皆を助けてください!!」 地下室に反響した彼女のその強い願いに、私は束の間言葉を無くす。 でも、気持ちが次第に高ぶっていく。 ――私に、本当にライゼちゃんの言うような力があるかはわからない。 でもひとつだけ、自信を持って言えることがある。 それは私が、歌が好きだということ。 歌は人を楽しませてくれる。勇気付けてくれる。そして、時には慰めてくれる。 そんな“歌”を不吉だというこのレヴール。 この世界で本当に歌が必要とされているなら。 もし彼女の言う通り、本当に私の歌でフェルクレールトの皆を助けられるのなら……。 「私、」 「冗談じゃねぇ」 私が上ずった声を上げると同時、隣のラグが吐き捨てるように言った。 ――え? 皆の視線がラグに集まる。 「闇の民を助ける? そんな大層なことコイツに出来るわけねぇだろ。まだ歌を使いこなせてもいねーんだ」 「うっ」 痛いところを突かれ、高揚した気分が一気に萎んでいく。 ……悔しいけれど、ラグの言うことは尤もだ。 歌いたい気持ちはあっても、その度に動けなくなっていたのでは結局また周りに迷惑をかけてしまう。 やはり今の私には、重過ぎる話なのかもしれない。 「ですが“声”は……」 「それにな、フェルクレールトまで一体どれだけかかると思ってんだ」 そうだ。ライゼちゃん達が住む国はずっと南の方にあると言っていた。 ここからどのくらいの距離があるのだろう。 そしてこの世界の船は一体どれくらいの速さで進むのだろうか。 私には検討がつかなかった。 「やっぱ一週間以上かかっちゃう?」 「アホか。軽く一月はかかる」 「一月!?」 思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。 改めてその遠さを知って、私はライゼちゃんに視線を戻す。 (そんなに遠くから、銀のセイレーンに会いに……?) 最初は消すのが目的で、と言っていたけれど、余程の覚悟がなければこんな遠い地まで来ようなどと考えないだろう。 「貴様が術で帆に風を送ればもっと早く進めるのではないか?」 セリーンの提案に私ははっとする。 「そうだよ! その手が――」 「ふざけんな。お前の前じゃもう術は使わないって言ったはずだ」 「だが、」 「そのことについては問題ありません」 ライゼちゃんが微笑を浮かべ言った。 「そうだよ! だって僕たち、3日でここまで来たんだ」 『3日!?』 ラウト君の得意気なセリフに私達3人の声が見事にハモった。 飛行機などあるはずの無いこの世界で、一ヶ月かかる距離を3日で……!? そういえばラグもどうやってライゼちゃんたちがこの国まで来たのかを気にしていた。 やはり、何か裏技があるのだろうか。 (さっき、ライゼちゃんは空は飛べないって言ってたし……) ラグも眉をひそめてラウト君に訊く。 「船、じゃないのか」 「うん! 船なんかよりずっと速いしカッコいいんだ!」 「カッコいい?」 「快適とは、言えんがな……」 後ろでそんな低い声が聞こえた。ヴィルトさんだ。 彼は目を瞑ったまま何か嫌なことを思い出したように深く眉間に皺を寄せていた。 「?」 「僕は好きだけど、お父さんは苦手みたい」 苦笑いを浮かべてこっそり私達に言うラウト君。 ……さっぱりわからない。 一体彼らはどんな乗り物でここまで来たのだろうか。――と、 「カノンさんのお気持ちはどうですか? 私達の国へ、来ていただけますか?」 ライゼちゃんが再び祈るように、その赤い瞳を私に向けていた。 蝋燭の明かりに揺らめくその瞳はとても思いつめた色をしていて。 私はなんとなく横にいるラグを見上げる。 その視線に気づくとラグは小さく息を吐いて目を伏せた。 「勝手にしろ」とでも言いたげだ。彼も、その乗り物が気になるのかもしれない。 私は一度ゴクリと喉を鳴らしてから、口を開く。 「ライゼちゃんの期待に答えられるか、正直自信はないけど……私は、行きたい」 途端、ライゼちゃんの顔がぱーっと明るくなった。 それは歳相応な笑顔だ。 「ありがとうございます!」 「やったね、姉ちゃん!」 ラウト君もはしゃいだように声を上げた。 こんなに喜んでもらえて、私もなんだか顔が緩んでしまった。 だが予想通り、横からは盛大な溜息。 「セリーン。フェルクレールトに行ったことは?」 「あ? あぁ、あるが……」 唐突に声を掛けられセリーンが驚いたように答える。 「ってことはあの野郎がいる可能性もある、か」 小さく呟くラグ。 (あ、そうか。セリーンが行ったことのある国に、エルネストさんがいるかもしれないんだ) ということはラグも承諾してくれたということだ……! 私は内心ホっと胸を撫で下ろす。 ちょっとだけ、「ならお前ひとりで行け」と言われるのではと思ったのだ。 「ありがとう」 緩んだ顔のまま私が言うと、ラグはびっくりしたようにその瞳を大きく広げた。 なんでお礼を言われたのか、わからなかったみたいだ。 「そうだ、ライゼちゃんはエルネストさんっていう人知らない?」 私が訊くと、ライゼちゃんが首を傾げた。 「エルネストさん、ですか?」 「うん。金髪の、綺麗な男の人なんだけど……」 だがライゼちゃんは申し訳無さそうに首を横に振った。 私はそう簡単には行かないかと小さく溜息を吐く。 と、ラグがいつものように不機嫌そうに舌打ちをした。 「長居する気はないからな。無理だってわかったら即諦めろよ」 「うん!」 「大丈夫です。カノンさんのあの歌声ならきっと、フェルクの皆の心も変えられるはずです!」 自信満々に言うライゼちゃんに私はまたも恥ずかしくなって照れ笑いをした。 その横でラグが呆れ果てたように言う。 「ったく、あの歌がそんなに良かったか? オレには全く理解できないね」 「何を言う。貴様だってあの時しっかり聴き惚れていたではないか」 「なっ!?」 (え?) 背後からの冷静な言葉に、ラグの顔が真っ赤に染まった。 それは蝋燭の明かりのせいではない。……はっきりと、赤。 私は、ラグが私の歌にどうこうよりも、その反応の方が意外で思わずポカンと彼を見上げてしまった。 真っ赤な顔のまま、ラグは後ろを振り向き怒鳴る。 「な、何言ってやがる! 適当なこと抜かすな!!」 「適当なことではない。あの歌にはそれだけの力があった。貴様も私と同じようにあの時動けなかったはずだ。……でなければ、もっと早く助けに入れた」 目を伏せ追い討ちをかけるように言うセリーン。 ラグの体が小刻みに震えている。 ――言われてみれば、あの歌を歌っている数分間、ラグにはいつでも私を止められたはずだ。それなのに、彼が私の元に来たのは最後までしっかりと歌い終えてからだった。 言葉を無くしたらしいラグは、私を見ようとはせずに勢い良くライゼちゃんたちの方を振り返った。 「で? どうやってフェルクレールトまで行くんだ!? 行くならさっさと案内しやがれ!」 先ほどとは打って変わって行く気満々のラグに、私は思わず噴き出してしまったのだった。
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