――解散!?

 海賊の頭であるグリスノートの口から出たその言葉に驚く。

 嫁を連れてくれば旅に出られるという話で、海賊団が解散になるなんて聞いていなかった。

(――あ、でも頭のグリスノートが旅に出るってことは、結局そういうことになっちゃうのかな……)

 オルタードさんは何も言わず、ただじっとグリスノートを睨み上げている。

 それをまっすぐに見返し彼は続けた。

「これは俺の夢のためだけじゃねぇ。ブルーの、いや、このイディル皆の総意だ。皆、もう海賊稼業なんてやめて、真っ当な暮らしがしてぇんだ。だから皆、俺の馬鹿げた夢に加担してくれてんだ」

 その真剣な声音を聞いて、ふと、リディの言葉を思い出した。

 ――私はもうこの町に海賊団なんていらないと思ってるの。

 そして昨夜、あんなに歓声を上げていた町の人たち。あれはグリスノートを祝福していただけでなくて、そういう意味で皆喜んでいたのだろうか。

「あんたが皆のために作り上げたブルーだ。皆あんたには感謝してる。お蔭で俺たちはここまで強くなれた。もしまた海賊たちが襲ってきても今の俺たちなら追い返せる。ま、このあたりの海賊は粗方片づけちまったしな」

「……」

 オルタードさんは沈黙を続けている。

「あんたには悪ぃと思うが、俺も皆も、もう限界だ」

 グリスノートがそう告げたときだ。

 バンっと後ろで大きな音がして振り返れば、大勢の人たちが家の中に押しかけてきてぎょっとする。

「長、すまねぇ!」

「長には感謝してます!」

「長、申し訳ない……っ!」

 それは海賊たち、いや、町中の人たちが集まっているのではと思うほどの数で、見ればいつの間にか窓の向こうにも人垣が出来ていて驚く。

 中にはリディが働いている店の主人や昨日一緒に手伝ったエスノさんたち女性たちの姿もあった。

 その皆がオルタードさんに向かって口々に叫ぶ。

「長のお蔭で俺たちにもこうして居場所が出来た!」

「全部、長のお蔭だ!」

「何遍感謝しても足りねぇっ」

「でも俺たちはもう、」

「うるせぇ!! いっぺんに騒ぐんじゃねぇ!」

 オルタードさんが鋭く一喝すると、しんとその場は静まり返った。

「オルタード」

 その高い声音に視線を向ける。皆に囲まれるようにしてリディが立っていた。

「私たちみんな、オルタードには本当に感謝してる。でも私たちは、カノンたちみたいにここに迷い込んだ人たちに、ここは港町イディルだって胸を張って言えるようになりたい」

(リディ……)

 彼女が思いつめた表情で訴える。

「誰かを傷つけて盗んだもので後ろめたく思いながら生活するのは、もうやめにしたいの」

 オルタードさんはそんなリディを眩しそうに見つめ、それから、はぁと大きな溜息を吐いた。

「……いつ、イディルを出るつもりだ」

 その片目がグリスノートを見上げる。それは先ほどよりも幾分か優しく見えた。

「準備が整い次第、今日にでも」

 迷いなくそう答えたグリスノートに、オルタードさんはフっと笑った。

「目的地は。その様子じゃ大方見当がついたんだろうが」

「ヴォーリア大陸だ」

「ハっ、そりゃまた随分と近場じゃねぇか」

「途中、アヴェイラとも話をつけてくるつもりだ」

「……そうか」

 皆が固唾を飲んで見守る中、オルタードさんは続けた。

「俺はもう引退した身だ。グリスノート、ブルーの今の頭であるおめぇが皆に伝えろ」

「わかった」

 しっかりと頷いたグリスノートは仲間たちの方を向くと、スーっと息を吸った。そして。

「いいかテメェら!」

 海賊団ブルーの頭グリスノートの大声が響き渡る。

「海賊団ブルーは今日この時を持って解散とする! もうここは海賊団のアジトじゃねぇ。港町イディルだ!!」

 うおおおおーーっ! と地響きのような大歓声が上がった。

 リディが堪りかねたようにオルタードさんに飛びつき、それを見たセリーンが悪戯っぽい笑みを向けた。

「愛されているな。オルタードよ」

 するとオルタードさんは少し決まり悪そうに苦笑した。



 その後もしばらくオルタードさんへの感謝の声は止まず、

「お前らいつまでここにいる気だ! さっさと出航の準備に行け!」

そうオルタードさんが再び良く通る声で一喝し、漸く家の中は元の静けさを取り戻した。

 大きく息を吐いたオルタードさんをリディが気遣っていると、グリスノートが徐に口を開いた。

「俺はこの旅で、この町が港町イディルとしてやっていくのに必要な何かを探してくるつもりだ」

 それを聞くとオルタードさんは顔を上げた。

「なんだ、どこかよそと交易でも始めるつもりか?」

「交易!?」

 リディが素っ頓狂な声を上げる。私も驚いた。

 でも確かに、今まで奪ってきたもので成り立っていた町だ。代わる“何か”を見つけなければ、町の人たちは生活できなくなってしまう。

「それはまだわからねぇが……それまで、イディルは頼んだぜ」

 オルタードさんが鼻で笑う。

「俺は引退した身だって言ってるだろうが」

「引退したってあんたはこの町の長だ。それは変わらねぇ。……リディのことも頼む」

「兄貴……」

 リディの瞳が揺れる。

 オルタードさんはしかしそれには答えずに大きく息を吐き、また怒鳴り声を上げた。

「もうおめぇも行け! 船長がいねぇと始まらねぇだろうが」

 グリスノートの目が大きく見開かれる。

 ――そうだ、もう彼は海賊の“頭”ではなく、“船長”なのだ。

 にぃっとワルそうにその口端を上げ、グリスノートは大きく頷いた。

「あぁ!」

 そして勢いよく家を飛び出して行ってしまった。

 追いかけようか迷っていると、

「兄貴、そんなことまで考えてたんだ」

そんなリディの力ない声が聞こえて私は足をとどめた。

 セリーンがふっと笑う。

「奴なら海賊稼業に変わる、何かでかい仕事を見つけてくるかもしれないな」

「え?」

 リディが小さく声を上げ、オルタードさんもセリーンを見上げた。

「私たちが乗った貨客船が襲われたと言っただろう。奴はその船に下っ端のフリをして乗り込んでいたんだ」

「兄貴が?」

 目を丸くするリディ。

「なんでそんなこと……」

「本来の下っ端の仕事である傭兵の手配を奴はしなかったようだ。単に戦力を削ぐのが目的だったのかもしれんが、一番血を流さずに効率よく荷物を奪うやり方でもある」

 それを聞いて驚く。――でも、あのときセリーンとラグがいなかったら、きっとろくな抵抗も出来ずにあっという間に彼らは荷物を奪い去っていっただろう。セリーンの言う通り、おそらくは一滴も血は流れなかったはずだ。

 リディもぽかんと口を開けている。

「そんなことを思いつく頭と行動力があれば、本当にあっという間にこの町を“港町イディル”にしてくれるんじゃないか? 安心して隠居出来る日も近いな、オルタード」

 セリーンに言われ、オルタードさんは自嘲気味に微笑み視線を落とした。

「いつまでも馬鹿げた夢ばかり追いかけている子供だと思っていました」

 セリーンはそんなオルタードさんを優しく見つめた。そして。

「じゃあな、オルタード。この町のためにも長生きしてくれよ」

「セリーヌお嬢様……お会いできて本当に嬉しかった。お嬢様もどうかお気をつけて」

 そうして深く頭を下げたオルタードさんにセリーンは苦笑する。

「だから、私ももうお嬢様ではない。傭兵のセリーンだ」

「いえ、私の中ではずっと、お嬢様はお嬢様のままです」

 頑ななその声を聞いてセリーンは呆れたように短く嘆息し、そして私に視線を向けた。

「行くか」

「う、うん」

 まだ呆けたように膝をついているリディのことが気になったけれど。

「――カノン、と言ったか?」

「え、あ、はい!」

 急にオルタードさんに呼ばれびっくりする。優しい隻眼が私を見ていた。

「悪かったな。付き合わせてよ」

「え」

 思わず間抜けな声が出てしまった。

(……もしかしてオルタードさん、ふりだって気づいてた……?)



 家の外に出ると、ラグがイラついた様子で待っていた。

 目が合うと彼はなぜかぷいとそっぽを向いてしまって、首を傾げつつ声を掛ける。

「いきなり大勢人が集まってきてびっくりしたでしょ?」

「びっくりしたなんてもんじゃねぇ。ったく、わらわらと出てきやがって」

「なんだ、ひとり除け者にされて拗ねているのか? その姿では全く可愛くないぞ」

「うるせーよ! あの野郎が余計なことを」

 その瞳が出航の準備で忙しそうな船を睨んだ。

 今、入り江にはたくさんの人の声が飛び交い、船には次々と荷物が運び込まれ、つい先ほどの静けさが嘘のようだ。その中にグリスノートの姿を見つけて私は視線を戻す。

「グリスノート? 何かあったの?」

 でもラグは舌打ちひとつして首を振った。

「なんでもねぇ。……で、結局どうなったんだ」

「うーん、なんとかなったよ」

「なんとか?」

 眉を寄せたラグに、どう答えようか迷っているとセリーンが続けてくれた。

「出航の許しは出たが、ふりは通じなかったな。私も加勢したんだが」

「んだよ。ならさっさとそんな格好やめちまえ」

 ラグが私の花嫁衣裳を顎で指した。

「うん……でも多分、町の人たちは信じてるんだよね」

 だから一応この町を出るまではふりは続けないといけない気がした。

「まぁ、とにかくこれでヴォーリア大陸に向かえるな。その前に例の術士の海賊とやらとひと悶着ありそうだが」

「その人と何があったんだろうね」

「そんなの知ったこっちゃねぇ」

 ラグが吐き捨てるように言ったそのとき、扉の開く音がして見ればリディがオルタードさんの家から出てくるところだった。声を掛けようとしたが、彼女はなんだか怖い顔でそのまま船の方へと突き進んでいく。

(リディ?)

「兄貴―!!」

 その甲高い大声に船上にいたグリスノートはすぐに気づいたようだ。船縁から顔を出しこちらを覗き込んだ。

「なんだよ?」

 するとリディは大きく息を吸い込んで、更に大声で告げた。

「私も一緒に行くから!!」






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