翌朝、私たちはリディが出してくれたパンを口に入れすぐに海賊船へと向かった。 私は2日ぶりに男装ではなく元の格好に戻っていた。 男装姿のまま家を出ようとしたらリディに「多分、兄貴怒ると思うわ」と渋面で言われてしまい慌てて着替えたのだ。迷ったけれど、帽子も外した。 (お嫁さんのふりかぁ……) 「油断すんなよ」 「え?」 朝日に照らされながら岩山を上っている途中、後ろから声がかかった。 振り返ると、普段と変わらない不機嫌そうな顔がこちらを見上げていて。 「嫁のふりにかこつけて、あの野郎何してくるかわかったもんじゃねぇからな」 「う、うん」 ラグの方はもう大丈夫なのかな……そんなことを思いながら頷くと、その眉間の皴が更に増えてしまった。 「本当にわかってるか?」 「わ、わかってるよ。気を付ける」 そう答えながら、いつも通りの彼に少しほっとする。 (大丈夫そう……?) 「カノン大丈夫ー?」 そのとき声が掛かって前に向き直ると、セリーンの更に向こう、リディが大分先の方から手を振っていた。 「もうすぐ頂上よ。頑張ってー!」 「はーい!」 手を振り返して私は再び階段を登り始める。――でも、そのときふと気になることを思い出し、もう一度後ろを振り向いた。 「そういえば昨日、リディに引き止められたって言ってたけど」 「あ?」 「そのときに、リディと何かあった?」 「は?」 昨夜のリディのあの反応が、ちょっとだけ気になったのだ。 (リディ、ラグを見て真っ赤になってた……) ラグははじめ怪訝そうな顔をしていたけれど、何か思い出したのか急にバツが悪そうに私から視線を逸らした。 「……少し、強い物言いをした」 「え」 ――強い、物言い? 「あれが“少し”か?」 セリーンの声がして振り返れば、彼女は心底呆れたような顔をしていた。 「『ふざけるな、退け』と、私には殺気すら感じられたがな」 「し、仕方ねぇだろーが!」 珍しく、焦るようにラグが弁解する。 「まぁ、お蔭でカノンが無事で済んだわけだが。リディも反省しているようだしな」 そう言ってセリーンは先を行くリディを見上げた。 「それは、……きっとリディ、びっくりしただろうね」 思わず顔が引きつってしまう。 「うるせぇな。いいからとっとと進め!」 「う、うん」 (――そっか、そんなことがあったんだ) でも、リディのあの反応とは全く結びつかなくて、私はひとり首を傾げた。 海賊たちは明け方近くまで飲んでいたのだろうか、アジトである入り江は今朝もシンと静まり返り波音だけが響いていた。 白く綺麗な砂浜まで降りたときだ。 「遅ぇな。待ちくたびれたじゃねぇか!」 仁王立ちになったグリスノートが船の上から私たちを見下ろしていた。 その肩にグレイスはいない。ひょっとしてグレイスもブゥと同じ夜行性なのだろうか。 そんなことを考えていると、船から降りてきたグリスノートは私の格好を見るなり眉をしかめた。 「昨日の花冠とドレスは」 「え」 「まさか持ってこなかったんじゃねぇだろうな」 「え、えっと」 完全に忘れていて焦っていると、目の前にずいっと花冠とドレスが差し出されびっくりする。 「ちゃんと持ってきてます〜」 得意げに言ったのはリディだ。私はほっとしてお礼を言う。 「ありがとう、リディ」 グリスノートはふんと鼻を鳴らした。 「ならさっさとそれ着て、オルタードのとこ行くぞ」 グリスノートが離れた後でリディが小声で言った。 「みんなが用意してくれたものだから、ふりだけど着てあげて?」 「う、うん」 なんだか申し訳ない気分になりながら頷くとリディはにっこりと笑った。 彼女とセリーンに手伝ってもらい、また私は昨日と同じお嫁さんの格好になった。ポニーテールにしていた髪もリディに言われ仕方なく下ろした。 (なんか、ドキドキしてきた……) でもラグもセリーンもいてくれるから大丈夫だ。そう自分に言い聞かせる。 グリスノートは再び花嫁姿になった私を見て満足げに頷いた。 「よし、行くぞ」 「はい」 だが、オルタードさんの家の前まで来るとグリスノートはくるりと振り向き言った。 「俺らだけで行くからな。他の奴はここで待ってろ」 「え!?」 思わず声が出てしまった。 でもセリーンがすぐに前に出てくれた。 「私は行くぞ。この子の“ナイト”だからな」 グリスノートはそんな彼女を睨むように見つめたが、仕方ないというように小さく息を吐いた。 「まぁ、あんたがいればオルタードも言うこときくかもしれねぇしな。――だが、」 そのとき足を前に踏み出したラグを、グリスノートはびしっと指さした。 「あんたはダメだ」 「は?」 「さっきから色々駄々洩れなんだよ」 「ぐ……っ」 ラグが喉に何か詰まったような変な声を出した。 (駄々洩れ?) 目が合うと、なぜかすぐに逸らされてしまい首を傾げる。 と、今度はリディが自分を指さした。 「私はいいでしょ?」 「お前もここで待ってろ」 「えー、なんでよ!」 不服そうに声を上げるリディ。でも。 「そいつが入って来ないようにドアの前に立ってろ」 「え……」 彼女はグリスノートの視線を辿ってラグを見上げ、またその顔がぼっと赤くなるのを私は見てしまった。 「んじゃ、行くぞ。カノン」 「え? あ、はい!」 グリスノートに名前を呼ばれて、私は慌てて前に向き直る。 ……リディのことは気になるけれど。 (私はお嫁さん……私はグリスノートのお嫁さん……の、ふり!) そう呪文のように繰り返しながら、私はグリスノートとセリーンと共にその家に足を踏み入れた。 「誰だ」 殺風景な部屋の奥の方から低い声が響いてきた。 ごくりと唾を飲み込んで、私はグリスノートの後に続く。 彼は奥の部屋へと続く扉を軽く叩いて声を掛けた。 「俺だ。入るぜ」 「グリスノートか?」 少し驚いたような声が聞こえてきて、グリスノートがその扉を開けた。 彼はそのまま部屋の中へ入っていく。なんとなくその場で待っていると二人の話す声が聞こえてきた。 「何の用だ。お前がここへ来るなんて珍しいじゃねぇか」 「報告があってな」 「報告? なんだ。ついに嫁さんでも連れてきたか?」 「あぁ。――おい!」 「あ、はい!」 呼ばれて私は背筋を伸ばし返事をする。後ろのセリーンと視線を交わしてから私はその部屋の中に入った。 窓際のベッドに腰掛けていたオルタードさんが私を見てその片目を大きく見開いた。 「俺の嫁のカノンだ」 「ど、どうも。はじめまして!」 なんと言っていいかわからず、とりあえずそう挨拶して頭を下げる。 そして恐る恐る顔を上げるとオルタードさんは案の定眉をひそめていた。 「はじめまして……? 昨日セリーヌお嬢様と一緒にいた坊主じゃねぇのか」 (ぼ……っ) ――坊主!? 確かに男装はしていたけれど……。 地味にショックを受けていると、グリスノートがこちらに寄ってきて私の傍らに立った。 「あんたの目は節穴かよ。昨日はわけあって変装していただけで、どう見たって女だろうが」 そう言いながら肩に手を回されて緊張が走る。 「変装ねぇ」 オルタードさんの鋭い視線が突き刺さる。……笑顔が引きつっていないだろうかと心配になったとき。 「安心しろ。彼女は間違いなく女性だ。共に旅をしてきた私が保証する」 「セリーヌお嬢様まで」 部屋に入ってきた彼女の姿を見て、オルタードさんが姿勢を正した。 「あぁ、私のことは気にしないでくれ。まさかの展開に私も驚いてな。ついて来てしまった」 「まさかの、ですか?」 「そ。カノンはこのセリーヌお嬢様の連れだったんだが、思いのほか俺と意気投合してな? カノン」 急に振られてびっくりして見れば、怖いくらいの笑顔がこちらを見下ろしていて慌てて頷く。 「そ、そうなんです! 趣味が合うというか」 私も笑顔で合わせる。……“歌が好き”という意味では嘘じゃない。 「俺の嫁にならねぇかと訊いたら二つ返事でOKしてくれてな?」 「はい! もう、とっても嬉しくって!」 「な? まさかの展開だろう?」 セリーンがそう続けた。 (うーわー、これ信じてもらえるかな〜) 内心だらだらと冷や汗をかいていると、オルタードさんは短く息を吐いて私に視線を向けた。 「どこが気に入ったんだ。こいつの」 「え!? えっと、……豪快なところとか、グレイスに優しいところとか、仲間に信頼されてるところとか、ですかね?」 今思いつく限りのグリスノートの良いところをあげていく。 すると、オルタードさんはふっと初めて笑顔を見せてくれた。 「へぇ? そんなに気に入ってくれたのか。なら、子供も期待していいんだな?」 ぎくりとする。やはりそこも絶対必須条件なのだろうか。 と、そんな私の動揺に気づいたのかグリスノートが呆れたふうに返した。 「おいおい、いきなりそれかよ。こいつなかなか初心でな、ほら見ろ真っ赤になっちまってるじゃねぇか」 グリスノートが私を覗き込むようにして優しい声音で言った。 「俺は無理やりは好かないんでね。子供はそのうちな、カノン?」 「へ!? そ、そうですね」 完全に声がひっくり返ってしまってマズイと思ったそのとき、グリスノートの手が私から離れた。 「ってぇわけだ」 彼は私の前に出て、がらっと声の調子を変えた。 「もう皆にも伝えてある。リディともうまくやれそうだ。どうだ、これで文句ねぇだろ」 そして真剣な顔つきで彼はオルタードさんに告げた。 「これで、海賊団ブルーは解散だ」
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