“セイレーンの秘境”――そこに、エルネストさんがいる。

 ぞくりと、全身が粟立つ感覚。

「だがな、そのセイレーンの秘境がどこにあるかが全くわからねぇんだよ!」

 悔し気に続けるグリスノート。

「漸くブルーの頭になって船が手に入ったってのに、今度は嫁だなんだと……くそっ」

 と、その視線が私を捉えた。

「あんた、マジで俺の嫁になって子供産んじゃくれねぇか?」

「ムリです!!」

 大声できっぱり断るとグリスノートがちっと舌打ちをした。

(この人、どこまで本気なんだろう……)

 大して話したこともないのに、そんな夢のためだけに嫁になれだなんて冗談じゃない。

(さっきも危うく、キ……キスされそうになったし、やっぱり気をつけなきゃ)

 ――でも、セイレーンの秘境に行きたいという気持ちはこちらも同じだ。

「エルネストさん、もうすぐ会えるって言ってたよね?」

 ベッドの足元にいるラグに視線を向けると、グリスノートを睨むように見ていた彼は我に返るようにこちらを見下ろした。

「あ、あぁ」

「だから多分、この辺りなのは確かなんだよ」

 もどかしい。

 あと少しでたどり着けそうなのに……。

「なんで、あんたなんだろうな」

「え?」

 グリスノートがグレイスの嘴の下を優しく撫でてやりながら、私を見た。

「金のセイレーンが、あんたに助けて欲しいって言ったんだろ?」

 ぎくりとする。グリスノートの探るような視線が私を刺す。

「なんで、なんも出来なさそうなあんたに頼んだんだろうな」

「わ、私も、それがわからなくて……だから気になるんです」

 そう誤魔化すと、グリスノートは「ふーん」と首を傾げた。

「他に、何かないのか。セイレーンの秘境への手がかりは」

 そう間に入ってくれたのはセリーンだ。彼の視線がそちらに移動して私はほっと胸を撫でおろす。

「一応あるにはあるが、意味がわからねーんだ」

「意味が?」

「ある書物に変な記号みたいなもんが書かれててな、おそらくそれがなんらかのカギになってるんだが、さっぱりわからねぇ」

 それを聞いて私は思わず上体を起こした。

「あの、その記号ってもしかして、えっと、5本線の上に丸がたくさんある?」

 空中に線と丸を描いて見せると、グリスノートは壁から背中を離した。

「あぁ、それだ」

(やっぱり!)

 ツェリウス王子とのやりとりを思い出す。彼も笛の楽譜の意味がわからなくて何かの記号らしいという言い方をしていた。

 楽譜がカギになっているのなら、私ならその意味がわかるかもしれない……!

「――が、あんたなんで知ってんだ」

「えっ」

 グリスノートの目にはっきりと疑惑の色が浮かんでいて、ハっとする。

 そうだ、ツェリウス王子の時とは状況が違う。私が楽譜を読めるとわかったら、また怪しまれてしまう。

 私は再び焦って言い訳を考える。

「あ、えっと、昨日船から借りた書物にそんな記号があったから、そのことかなって」

「オレが、わかるかもしれねぇ」

 私の言葉を遮るように言ったのはラグだ。

(ラグ?)

「あんたが?」

 グリスノートとラグ。お互いを睨みつけるような視線がぶつかる。

「その書物を見せてくれねぇか?」

 それは到底人にものを頼む態度ではなくて、ハラハラした。

 多分ラグは私を助けてくれたのだろうけど。

「そ、それって、やっぱり船の方にあるんですか?」

 もう一度私はグリスノートに声を掛ける。

 だが彼はラグからは視線を外さずに答えた。

「いや、そいつだけはこの部屋だ」

「この部屋に?」

「あぁ。俺に万一のことがあっても、これだけは残してぇからな」

 そう言いながら彼はクローゼットの方へと移動し、その扉を開いた。

「こいつだ」

 そうして彼が取り出してみせたその書物は、船にあったどの書物よりも古そうだった。

 ごくりと思わず喉が鳴る。――あれに、セイレーンの秘境への手がかりが記されている。

 差し出されたそれを受取ろうとラグが彼に近づく。が、グリスノートは直前でひょいっとそれを引っ込めてしまった。

「おっと、ただで見せるわけにゃいかねぇな」

「あ?」

 柄の悪い声を上げるラグ。

「俺だけ喋り過ぎだろうよ。そっちのネタをそろそろ寄越せや」

「……」

 背を向けられているせいでラグの顔は見えないが、確実に不機嫌MAXだろうと想像できた。

 グリスノートは更に煽るように続ける。

「あんた、金のセイレーンから厄介な呪いを受けたって言ってたな? どんな呪いだ」

(それ、ラグの逆鱗……!)

 先ほどからヒヤヒヤし過ぎて胃がおかしくなりそうだ。

 だがラグは小さく息を吐いてから、すこぶる低い声で答えた。

「ガキの姿に変わっちまう呪いだ」

「ガキの姿に? ――あぁ! 昨日の生意気なガキはあんたか!」

 たっぷり数秒間を開けてからラグを指さした彼に思わずカクッと肩の力が抜ける。立っていたらズッコケていたかもしれない。

(今まで気づいてなかったんだ……)

「どうもおかしいと思ったぜ。そうかそうか。だがよ、そんなに厄介か? ガキの姿に変身出来るなんて面白ぇし何かと便利じゃねーか」

「ガキの姿になると、術が使えなくなんだよ」

 ラグの声にまた怒気がこもる。

「あぁ、そういやあんた術士なんだったな。――なら、今すぐここでガキの姿になってみせろよ」

「――っ!」

 よりによってそんなことを言い出したグリスノートに「バカー!」と叫びそうになる。

「そしたら、これ見せてやるよ」

 完全に面白がるようにグリスノートは手に持った本を顔の横で揺らしてみせた。

 押し黙るラグ。でもその両方の手がギリギリと握られているのを見て焦る。

「あ、あのっ」

「わかった」

「!?」

 まさかの了承にびっくりしてしまう。

(いいの!?)

 ラグは深呼吸ひとつしてから、優しく囁くような声を出した。

「……すまない、少しだけ力を貸してくれ」

 ニヤニヤと楽しそうにそれを見物しているグリスノート。――だが。

「風を此処に!」

 ヒュオッ、と風を切るような音がしたかと思うと、

「うおわっ!?」

グリスノートの体が50センチほど宙に浮き、すぐにそのままドスンっと落下した。

「いっ……てぇ! くっそ、何しやがる!?」

「てめぇが見せろって言ったんだろうが」

 鼻で笑うラグ。だが直後その身体がみるみる縮んでいく。

 それを目の当たりにして、腰を摩っていたグリスノートがぽかんと口を開けた。

「マジで昨日のガキだ」

「んじゃ、これ見せてもらうぜ」

「あ!?」

 気付けばラグの手には例の古い書物が握られていた。

「おまっ、いつの間に!」

 ラグがその怒声を無視し表紙を開きながらこちらに戻ってくる――が。

「この時を待ちわびていたぞーー!」

「ぎゃあああああーー! そうだったーー!!」

 待ち構えていたセリーンに思いっきり羽交い絞めにされて小さなラグは絶叫を上げた。

(あ、そうだった)

 私もラグと同じくすっかり忘れていて、久しぶりに見るその光景になんだか懐かしさすら覚えた。

「海賊の頭にバレたんだ。もう隠す必要もないだろう? これで思う存分くっつけるな!」

「アホか! 今の話聞いてなかったのか少しは空気読めーー!」

「ちなみに私はこの素晴らしい呪いが解かれるのを阻止するために同行している」

「急に真面目ぶったって無駄だからな! 放せーーーー!」

「――ぶっはははははっ! なんだよそのザマはよ!」

 その声にびっくりして見ればグリスノートが床に座ったままお腹を抱えて爆笑していた。

(この反応は、初めてかも……)

 みんな大抵呆気にとられてしまって、こんなに笑ったりする人は今までいなかったのに。――と、そこで気づく。

(そういえば、グリスノートもリディも“術士”に対してはなんの偏見もないんだ)

 今だって風の術で転ばされたのに、怒りはしても恐怖は全く感じていないようだ。

 やっぱりセイレーンに興味があるからだろうか……でも、じゃあリディは?

「お前のせいで笑われてんだぞ、わかってんのか!?」

 ラグを見れば予想通り暗がりでもわかるほどに顔を真っ赤にしていて。

「あの元執事にお前の変態っぷりが伝わっちまうぞ!? いいのかよ!?」

「オルタードか? 別に全く問題ないぞ? むしろこのままオルタードにお前を紹介しにいきたいが早速行くか」

「やめろーーーーっ!!」

「ひぃ〜っ! やっべ、腹いてぇ……っ!」

 急に騒がしくなったその部屋で、私はひとりハハ、と乾いた笑いをこぼしていた。






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