海賊の宴が始まってもう一時間くらいは経過しただろうか。楽しそうな喧騒は一向におさまる気配がなく、むしろ時間が経つにつれてどんどん賑やかさを増していた。

 身体の異変に気がついたのはそんな頃だった。

(顔が熱い……それに、なんかふわふわする)

 先ほどから様子を窺っているグリスノートが視界の中でゆらゆらと揺れている。

 でも気分は悪くない。むしろ頗る良いくらいで、許されるのならこの場で大きな声で歌い出したいくらいだ。

「そろそろ行くか」

「うん!」

 ラグが立ち上がるのを見て、いよいよだと私も立ち上がる。その瞬間ぐらんと脳が揺れた気がしてテーブルに手をついてしまった。

「カノン、どうした?」

 セリーンがそんな私を心配そうに見つめていて首を横に振る。

「ううん、ちょっと立ちくらみ。大丈夫だよ。グリスノートのとこ行かなきゃ〜」

 私が笑顔で返すとセリーンが訝しげに眉を潜めた。

「おい、ちょっと待て。カノンがおかしい」

「あ?」

 こちらを振り向いたラグが私を見てなんだか面白い顔をしている。

「ふふっ、なんでもないよ? 早くグリスノートと話しに行こ〜」

 だってこんなに気分が良いのだ。今ならきっとなんでもうまくいく気がする。

 なのに、ラグとセリーンは酷く慌てた様子だ。

「まさか、これ酒じゃねーのか!?」

「……そのまさかだ。少しだが酒が入っているな」

 セリーンが私の飲みかけのジュースを一口飲んで溜息交じりに答えた。

「ええ〜? でもリディはジュースって言ってたよ? すっごく美味しいから〜さっきおかわり頼んじゃった〜」

 へへと私が笑いながら言うとラグが額を押さえて大きな溜め息を吐いた。

「カノンは笑い上戸か」

「じょーご? でも全然、ほんと大丈夫だよ〜? ほらぁ、早くグリスノートのとこ行かないと、エルネストさんのこととか聞かなきゃ」

「どう見ても大丈夫じゃねぇだろ!」

 ラグがとてもイライラしている。セリーンも困った様子だ。

 大丈夫だと言っているのに、ふたりともどうしたというのだろう。

「貴様だけ行……くわけにもいかないな」

「ふたりが行かないのなら私が話してくるよ〜。楽譜のこともエルネストさんのことも聞きたいもん」

「ちょっと待て!」

 グリスノートのいるテーブルの方へ歩き出したところを腕を掴まれ引き戻される。

「痛いっ」

「わ、悪ィ。〜〜っ、わかった、行くから。だが絶対に余計なことは言うなよ。わかったな」

「はーい!」

 手を上げてしっかりと返事をしたのに、なぜかまたラグとセリーンは大きな溜息をついた。



 向かう先にいるグリスノートはとても楽しそうに仲間たちと談笑している。

 あの機嫌の良さならきっと、今度は話を聞いてくれるに違いない。

「あ、丁度いいところに来たよ。カノン!」

「え?」

 名を呼ばれそちらを振り向けば、先ほど厨房で話したエスノさんが店先で私に手を振っていた。

 こちらも笑顔で手を振り返すと彼女はそのまま駆け寄ってきて私の手を取った。

「ちょっとこっちに来ておくれ」

「へぇっ!?」

 驚くほど強い力で引っ張られ、私はつんのめりそうになりながら店の方へと連れていかれる。

 慌てて振り返ればセリーンとラグも突然のことに驚いた様子で私を見送っていて。

 連行されたのは店内、そして先ほどまでいた厨房だった。

 その場には先ほど料理を作っていた女性たちが皆集まっていて、瞬間また何か料理のお手伝いだろうかと思った。

(でもリディがいない……?)

 そう不思議に思った時だ。

「わっ」

 いきなり伸びてきた手に被っていた帽子を取られ思わず悲鳴を上げる。

「あらほんと。可愛いじゃないの!」

「ほんとぴったりねぇ!」

「あ、あの……?」

 私が頭を押さえて小さく声を上げるとエスノさんが満面の笑みで言った。

「いいから、ちょっとじっとしておいで」

 彼女たちが一斉に私に近づいてきて、思わず目を瞑る。

(――なになになに!?)

「うん、いいんじゃない?」

「サイズぴったりで良かったわ!」

 そんな皆のはしゃいだような声におそるおそる目を開けて、その目をぱちぱちと瞬く。

 元々着ていた服の上から綺麗なレース生地のマントを羽織らされていた。

「???」

 まとめていた髪の毛もいつの間にか解かれ意味がわからないでいると、さっき一緒にお手伝いをした女の子が後ろで手を組んでもじもじとこちらを見上げていた。

「お姉ちゃん、しゃがんで?」

「ん、なぁに?」

 同じ目線の高さになるようにしゃがみこむと、ささっと頭に何かを乗せられまた驚く。それはどうやら花冠らしく、更に私の頭の中は疑問符でいっぱいになる。

「カノン、どうし……!?」

 そのとき厨房に顔を覗かせたセリーンがそんな私を見て目を丸くした。

「セリーン……」

「行こう、お姉ちゃん!」

「ぅえ!?」

 今度はその女の子に手を引っ張られ、他の女性たちに背中を押される形で私はセリーンの前を通り過ぎていく。

 すぐ店先にいたラグがぎょっとした顔をして、他の皆の視線も私に集まっているのがわかった。元々火照っていた顔がどんどん熱くなっていく。

「カノン!?」

 そんな素っ頓狂な声に視線を送れば離れた席にいたリディが私を見てやっぱりびっくりした顔をしていて。

「はーい、到着〜!」

 そんな可愛い声とともに小さな手が私から離れた。

(――!?)

 グリスノートがぽかんと口を開けて突然目の前に現れた私を見上げている。

 確かに話したかった相手だけれど、今この状況でどう切り出せばいいだろう。皆が見ている。ラグたちはいない。顔が熱くて頭がぐるぐるして考えが纏まらない。――と。

「みんなー! 朗報だよ!」

 私のすぐ真後ろで大声が上がった。エスノさんの声だ。

「頭に待望の嫁さんが来てくれたよー!!」

「!」

 トンっと背中を押され、それはそんなに強い力ではなかったはずなのに足に力が入らなくなっていた私はそのままグリスノートの方へと倒れこんだ。

「ぅお!?」

「〜〜いったぁ……っ」

 格好悪く顔面から突っ込んでしまった私はツーンとする鼻を押さえながらゆっくりと顔を上げ、すぐ眼前にグリスノートの顔があることに気が付いた。

 その不思議な色の瞳が大きく見開かれていくの見ながら、こちらはサーっと血の気が引いていくのを感じた。――おそらく彼は無様に倒れてきた私を受け止めてくれたのだろう。

 グリスノートの腕の中で、私はここに来て漸く、この最悪な状況を理解した。

 ――次の瞬間、辺りは大歓声に包まれた。



「ヒュ〜〜っ!」

「何が失敗に終わっただよ頭ぁ! 大成功じゃねえか!!」

「おめでとー頭ぁ!」

「今夜は祝宴だー!!」

「ち、違います! 私は」

 そう叫んでも歓声に掻き消えてしまって誰も気に留めてくれない。

 先ほどの女の子もエスノさんと一緒に嬉しそうにパチパチと手を叩いている。

 ラグとセリーン、リディの姿もここからでは見えなくて、とにかく立ち上がろうとしたときだ。

「セイレーンの話が聞きてぇなら、今だけ俺に合わせろ」

「え?」

 耳元で低く囁かれて私はグリスノートを見上げる。その肩に大人しく乗っているグレイスが私を見て可愛らしく首を傾げていた。

 彼は私を支えるようにして一緒に立ち上がると、皆に向かって面倒そうに話し始めた。

「あー、紹介すんのが遅れたが、昨日商船から奪ってきた娘だ」

「ひゃっ!?」

 ぐいっと腰を引き寄せられて思わず悲鳴が漏れる。

 グリスノートはそんな私にしか聞こえないような小さな深呼吸をひとつして、大声で告げた。

「こいつを俺の嫁にすることにした!」

「っしゃー!」

「待ってたぜーー!!」

 再び周囲で上がった大歓声に頭がクラクラした。身体はふわふわするし、もう色々と限界で立っているのが精一杯だ。

「ってことは頭! いよいよなんだな!?」

 同じテーブルに座っていた仲間の一人がそんな興奮しきった声を上げた。

(いよいよ……?)

「あぁ、夜が明けたら長と話をつけに行ってくる」

 グリスノートがそう答えるのを聞いて、そのときやっと人垣の向こうにラグとセリーン、そしてリディの姿を見つけることが出来た。

(なんで、みんな一緒に……)

「そういうわけだからよ、」

「ひぇっ!?」

 視界が急にぐるんと回ったかと思えば、グリスノートの顔がまた至近距離にあってびっくりする。

「〜〜っ!?」

 横抱きにされたのだと気が付いて口をパクパクしている私の目の前で、彼はにぃっとワルそうに笑った。

「てめぇら、朝まで邪魔すんなよ?」

 彼のその言葉にまたも仲間たちはどっと沸き立ち、そこで私の意識はぷつりと途切れた。






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