1
「そろそろ稼ぐか」 そうセリーンが呟いたのは、比較的大きめの街に着いてすぐのことだった。 昼前、様々な店が軒を連ねるその大通りは多くの人々で賑わっていた。 「? 稼ぐって、お金を?」 「あぁ、さすがに懐が寂しくなってきたからな」 「なんだよセリーン、水臭いぞ!」 すかさず前を行っていたアルさんがセリーンを振り返り満面の笑みで言う。 「金の心配なんかしなくていいんだぜ? なんなら俺が一生養っても」 「この街なら仕事も色々あるだろうからな。今日中に解決できそうな仕事を探してみるか」 「うっうっ」 毎度のことながら完全にスルーされたアルさんが目頭を押さえ肩を震わせているのを見て苦笑しつつ私は更に訊く。 「傭兵のお仕事って護衛の他にどんなものがあるの?」 「モンスターと野盗共の退治がやはり一番多いな。あとは賞金首目当ての傭兵も多い」 「へぇ~、そうなんだ」 どのくらいのお金をもらえるんだろうと考えたそのとき、ハタと気付く。 「そういえば、ラグはお金平気なの? 私、いつも払ってもらっちゃってるし」 それまで黙って前を歩いていたラグに訊く。 「私もお金稼いだ方がいいかな。ちょっとした仕事しかできないけど、例えばウエイトレスくらいなら」 「そんな時間あったらオレは先に進みたいんだよ」 「でも、」 「平気平気! カノンちゃんはお金のことなんか全っ然気にしなくていいんだぜ。こいつ俺より金持ってんだからな」 「お前は要らねぇもんに使い過ぎなんだ」 「なんだとー!? 俺には全部必要不可欠なもんなんだよ!」 「必要不可欠ねぇ。オレにはお前の部屋にあるもん全部ガラクタにしか見えねぇんだよ。それと、いつもいつもティコに金使い過ぎなんだ!」 「何言ってんだ、ティコが無くなったら大変だろう!?」 軽く言い合いを始めてしまった二人を見ながらふと思う。 この世界で名の知れたラグ。ひょっとしたらお金持ちだったりするのだろうか。 でも、例えお金持ちだったとしても今までずっと文句も言わず支払ってくれていたのだ。感謝と共に急に申し訳ない気持ちでいっぱいになる。 今日はこの街で一日ゆっくりする予定。私にも何か出来る仕事はないだろうか。 「この街のギルドは……あそこか」 セリーンが数軒先の剣のシルエットが描かれた看板に目を留めた。彼女は足を早め、私もそれに続いた。
***
店内の壁はたくさんの貼り紙で埋まっていた。 いかにも傭兵という格好の男の人たちが真剣な表情でその貼り紙を見つめているが、これら全てが傭兵を求めるビラなのだろうか。 三方の壁がそれぞれ赤、青、黄の枠で色分けされていて、セリーンはまっすぐに赤枠のある壁へと向かった。私もそれについていき一緒に貼り紙を見上げる。 そこに書かれている文字は私には全く読めなかったが、1stの傭兵であるセリーンが見るくらいなのだからひょっとしたら赤枠が一番難易度の高いものなのかもしれない。 「これが丁度良いかもしれないな。今日中に片が付きそうだ」 「どんなお仕事?」 「モンスターの退治だ。この街を出てすぐの森に住みついているらしい」 「強いモンスターなの?」 「おそらくな」 「おそらくって……」 大丈夫なのかと続けようとしてセリーンがそのビラを勢い良く剥がしぎょっとする。そのまま彼女はそれを持ってカウンターへと向かった。 (そ、そういうものなんだ……) 「主人、これの詳細を教えてくれ」 「姉ちゃんクラスは?」 訝しげに四十代ほどの主人がセリーンを見上げた。 「1stだ」 「おお、そりゃ助かる。最近なかなか1stが現れなくってな」 「それで、どんなモンスターなんだ」 「書いてある通り、とにかく凶暴でな。街には今んとこ現れてないんだが、今後絶対に現れないとも限らないしな。倒してくれたら報酬は弾むよ」 「森のどの辺りだ」 セリーンが店主と話している間、私は他の壁のビラを眺めていた。 やはり赤枠の中のものが一番危険な仕事のようで、報酬金と思われる記号の数が他の色のものに比べ格段に多かった。 (次が黄色で一番少ないのが青か。なんか信号機みたい) そんなことを思いつつなんとはなしに青枠のビラを見ているときだ。 「それならカノンちゃんにも出来るな」 「え?」 「ここに貼ってあるのは傭兵じゃなくても出来る仕事だかんな。これなんてさっきカノンちゃんが言ってたウエイトレスの募集だ」 私は驚きもう一度そのビラを見つめた。 てっきりここに貼られているものは全てセリーンのような傭兵のための仕事だと思っていた。 「ここに書かれているのが報酬ですよね。いくらくらいなんですか?」 「おい」 「あ、そっか。カノンちゃん文字は全く読めないんだったな。これは、昼と夜の二回働いて、そうだな、だいたい宿代一泊分くらいの金額だな」 アルさんがそのビラを指差しながら説明してくれた。 「っと、ここは食堂付きの宿なんだな。部屋が空いてれば報酬の代わりに一泊することも可能だってさ」 「おい」 ラグが何か言いたそうだったが私はそれを遮りアルさんに言う。 「私、これやってみたいです!」 「ほらみろ! お前が余計なこと言いやがるから!」 アルさんに向かって怒声を上げたラグに私は言う。 「なんで? 別に寄り道するわけじゃないんだし、いいでしょ? 私もお金稼ぎたいよ」 「お前には無理だ! 字もろくに読めねぇやつが働けるわけねーだろうが!」 「うっ」 痛いところを突かれ言葉に詰まる。確かにメニューとか見てもさっぱりわからないけれど。 「で、でも例えば食器洗いとか、料理運ぶことくらいだったら出来るし!」 「無・理・だ!」 「まぁまぁラグ、心配なのはわかっけど、いいじゃねぇか、これも経験だしな」 「アルさん!」 私は歓声を上げる。と、 「なんだ。なんの話だ?」 いつの間にか背後にいたセリーンが首を傾げた。 「セリーン。話は終わったの?」 「あぁ、これから早速行ってくる」 「え、もう?」 「日が落ちるまでには合流したいからな。で、なにが経験なんだ?」 「このお仕事をやってみたいなと思って。一泊分働けるんだって」 ビラを指差し言う。 するとセリーンは目を丸くして私を見下ろした。 「カノンがか?」 「う、うん。……セリーンも、私には無理だって思う?」 セリーンにまで驚かれるとなんだか急に不安になってくる。 「だからさっきから無理だって言ってるだろうが!」 「俺は何事も経験だと思うけどな。そんなに心配ならお前も一緒に働けばいいじゃねぇか」 「え」 「はぁ!?」 「お前だってこういう仕事は始めてだろ? 経験だ経験! おいオヤジ、これ頼むわ」 言いながらアルさんはさっさとそのビラを壁から剥がしてしまった。 「お前勝手に……!」 「アルさん!」 ラグの前に出て私は言う。 「ラグはいいんです、私がお金稼ぎたいだけだから。だから私だけお願いします!」 ――そう、ラグが働いてしまっては意味がないのだ。 彼は今までずっと私の食費や宿代を全て払ってくれている。この世界に来てからお金のことなんてほとんど考えたことなかったけれど、それ自体ラグのおかげなのだ。 自分で稼げるのなら出来る限り稼ぎたい。 (そうだよ、そうすればお礼も出来るし!) 「そうか?」 「はい!」 「おいアル!」 「ま、宿なんだしな。ラグ、お前ちゃんとカノンちゃん見守ってやれよ」 「おい! だからオレは」 「俺も見守れたらいいんだけどな」 「――? 貴様はどこに行くつもりだ」 セリーンが訝しげに訊く。 「どこって、決まってんだろ。セリーンについてく」 「モンスターと見間違えて斬られたいか?」 「な、なんと言われても俺はついていくぜ。邪魔はしないし手も出さない。あ、手を出さないってのはモンスター退治の意味な! あ、だからってセリーンには手を出すとかそういう意味でもないからな!」 「貴様の存在自体が邪魔だ」 「しくしくしく……。でもついてくもん。ってわけだからラグ、今日カノンちゃんを守れるのはお前だけなんだからな!」 「こいつが働かなけりゃいい話だろうが!」 びしっと指を突き付けられついムっとしてしまった。 「私は働きたいの!」 思わず大きな声が出てしまっていた。 ラグが瞳を大きくして私を見る。 「ラグには迷惑かけないし!」 「っ、なら勝手にしろ!」 「勝手にする! アルさん、それ私が持っていきます」 アルさんはラグと私を交互に見ながらちょっと困ったように頭を掻いた。 「そんな長い時間じゃないし大丈夫です。私頑張ります!」 後ろで大きな舌打ちが聞こえたけれど、私は聞こえないふりして笑顔で言った。 アルさんはそのビラを持って一緒にカウンターへ行ってくれた。 ――なんだか喧嘩っぽくなってしまったけれど、私はやる気満々だった。
***
その宿はギルドの数軒先らしい。 モンスター退治に向かうセリーンとアルさんとはここで一度お別れだ。 「カノン、あまり無理はするなよ」 「うん、ありがとう。頑張ってみる! セリーンも気をつけてね。アルさんも!」 と、そんな私たちを無視してラグはスタスタと宿のある方へと向かっていく。 「ラグー、カノンちゃん頼んだぞー」 「うるせぇ! 知るか!」 そう怒鳴ったラグにアルさんは更に言う。 「あ、ちゃんと二部屋とっといてくれよなー」 直後ラグは建物の中へと入り見えなくなってしまった。 あそこがその宿なのだろうか。 (あんなに怒ることないのに……) 「大丈夫だってカノンちゃん、他にもここら辺にゃ宿あんのに、アイツあそこに入ってったんだからな」 「あ」 そうか。そう思ったら少し安心した。 そして、私はセリーンとその後についていくアルさんとそこで別れた。二人が一緒なら何も心配いらないだろう。 (それにしても、アルさんて本当セリーンが好きなんだなー) いつもあんなに冷たくされているのにどうして……とたまに疑問に思うけれど。 (でもセリーンは女の私から見ても魅力的だしね!) あそこまで頑張っている姿を見ているとセリーンには申し訳ないけれど応援したくなってくる。 (美男美女でお似合いだし) 「――っとと、ここだよね」 その店にはフォークと枕が描かれた看板が掛かっていた。そしてビラに書かれていたものと同じ文字が看板に書かれていた。間違いない。 (よし) 私は深呼吸ひとつして扉に手を掛けた。 「こんにちはー」 声を上げて中に入ると料理の良い香りが鼻をくすぐった。 そこは食堂のようでテーブルがざっと6つほど置かれていた。奥が厨房、右手に階段があり二階へと続いているようだ。 しかし誰もいない。 「すみませーん!」 先ほどよりも大きな声で呼びかけてみる。聞いた話ではここの主は女性らしいのだが……。と、 「はいはいはい、いらっしゃいませ~! ちょっと待っておくれねー」 やたらと元気な女性の声と共に上からバタバタという足音が聞こえてきた。 そして階段を下りてきたのは五十代ほどのふくよかな女性。 「はいはい、お待たせしたね! お泊りかい? 食堂はまだ準備中でねぇ」 エプロン姿の彼女がここの店主なのだろう。 私は気を引き締め彼女に言う。 「こんにちは! あの、そこのギルドで募集の張り紙を見て来ました。こちらで今日一日働きたいのですが」 すると彼女の顔がぱーっと明るいものになった。 「そうかいそうかい! それは助かるよ! あたしがこの店の女将でレッジェだ。あんたは?」 「カノンって言います。今旅の途中で、こちらで働かせて頂くと一泊出来ると聞いたんですが」 「あぁ、部屋はまだ空いているからね。昼と夜の二回雇わせてもらうよ。よろしく頼むね!」 「ありがとうございます! こちらこそよろしくお願いします!」 私は笑顔で頭を下げた。
2
厳しい人だったらどうしようかと思ったが、気さくで優しそうな人でほっとした。 田舎者で文字が読めないことも伝えたのだが、それでも大丈夫だと言ってくれた。この店はレッジェさんが一人で切り盛りしていて、メニュー自体少ないのだそうだ。 そして間もなくランチタイムということで私は簡単に仕事内容を教えてもらい、制服を貸してもらった。 「へへ、こういう服着るの初めて。店員さんぽいかな」 少し短めだったが、久しぶりのスカートが嬉しくて妙にはしゃいだ気分になっていた。 ただひとつ気掛かりだったのは――。 「着替え終わったかい? おお、いいじゃないか。似合ってるよ。もうすぐ開店だからね、まぁ気楽にやっておくれよ。笑顔だけは忘れずにね」 「はい! あ、すみません。今上に私くらいの男の人が入ってますよね、額に布巻いた長髪の」 「あぁ、さっきカノンが来るちょっと前に入ったお客だね。知り合いなのかい?」 「実は一緒に旅してる仲間なんです。さっきちょっと喧嘩しちゃって別々になってしまったんですけど、彼、何部屋頼んでましたか?」 「なんだいなんだい、そうなのかい。あとで仲間が合流するってんで二部屋とってあるよ。カノンのことだったのかい」 あ、ちゃんと二部屋とってくれたんだ、と胸を撫で下ろす。 「わざわざ二部屋とるなんてねぇ。寂しいだろうに」 「え?」 その憐れむような表情に首を傾げる。 「痴話喧嘩なんてするもんじゃないよ。早く仲直りできるといいねぇ」 「ち、違います違います! ただの仲間で、あとでもう二人合流することになってるんです!」 「……なんだい、そうなのかい」 慌てて言うとレッジェさんはあからさまに声のトーンを落とした。――そういう話が好きな人なのかもしれない。 「おっと、開店時間だ。よろしく頼むね」 「はい。精一杯頑張ります!」 私は笑顔で言った。
***
「ご馳走さん」 「ありがとうございましたー!」 最後のお客さんを笑顔で見送り私はほっと一息つく。 緊張はしたけれど、ランチタイムはどうにかクリア出来たみたいだ。 「お疲れさん。上出来だよ!」 「ありがとうございます!」 レッジェさんにもそう言われ嬉しくなる。 (なんだ、私にだってちゃんと働くこと出来るじゃん!) ――しかし、ラグはその時間一度も姿を見せなかった。寝てしまったのだろうか。 ちなみに私の昼食は今レッジェさんが作ってくれている。 「気になるなら声掛けてくればいいじゃないか。なんなら簡単なものになっちまうけど彼の分も作ってあげようか?」 「え、本当ですか? ちょ、ちょっと訊いてきます!」 私はすぐに階段を上りラグがいるという部屋の前に立った。ちょっと勇気が要ったがドアをノックする。 「ラグ? 起きてる?」 「……んだよ」 不機嫌そうな声が返ってきて、私は負けじと明るい声で訊く。 「あのね、女将さんがごはん作ってくれるって。ラグの分も。だから降りてこない? 一緒に食べようよ」 「オレはいい」 きっぱりと断られ、またもムっとする。 「そうですか! あ、私ちゃんと出来たからね! 夜も頑張るから、私の分の宿代は大丈夫だからね!」 ドアに向かい強く言うも、そちらには返答無し。 私はいよいよ腹が立ってそのまま少し乱暴な足取りで階段に向かった。 ――頑張ったな、なんて言葉が欲しかったわけではないけれど。 (何か一言くらいあってもいいのに……) 「その顔じゃあダメだったかい?」 「あ、すみません。いらないみたいで」 苦笑しながら言う。折角の好意を無駄にしてしまったみたいで申し訳なかった。 「そうかい。喧嘩の理由はなんなんだい?」 一瞬躊躇したが、このモヤモヤした気持ちは吐き出してしまった方がすっきりするかもしれない。 私はレッジェさんにここで働きたいと思ったきっかけ、そして喧嘩になってしまった経緯を掻い摘んで話した。 「あまりに何度も無理って言われて、ついむっとしちゃって」 「そうだったのかい」 「まぁ、普段から怒りっぽい人なんですけどね」 ははっと笑って言うと、レッジェさんも笑ってくれた。 「カノンのことが心配なんだろうね、きっとさ」 「……それは、わかるんですけど……」 「っと、ほら出来たよ。お腹減ったろ? 食べちまいな」 レッジェさんがテーブルに具だくさんピラフを置いてくれた。 「わぁ! ありがとうございます! いただきます!」 ――夕飯時には下りて来てくれるよね。 そう思いながら私は目の前の料理を征服に掛かった。
3
夕刻まではあっという間だった。 話し相手も無く、特にすることも無かった私は部屋で横になりうつらうつらしていたのだが、その間ラグがいるはずの隣の部屋からは物音一つ聞こえてこなかった。 セリーン達はまだ帰ってきていない。少し心配になったが、夜までには合流すると言っていたことを思い出し、私は窓からオレンジに染まった空を見上げた。 ――と、視線を落として驚く。すでに店の入り口前にお客さんが並んでいたのだ。 先ほどのピラフもとても美味しかったが、レッジェさんの明るい性格もあってきっとこの店は常連客が多いのだろう。 私は慌てて身支度し階段を駆け下りた。 「あぁ、丁度今呼ぼうと思っていたところだよ。昼時に比べるとちょいと大変になっちまうけど、頑張っておくれ」 「はい!」 「遅くなっちまうかもしれないからね、これ簡単だけど先に食べておくれ」 そう言ってレッジェさんはパンとスープを出してくれた。 私はそれを急いで食べきった。
***
店を開けると並んでいたお客さんで一気に席は埋まってしまった。 昼間と違うのは仕事帰りの陽気な人が多かったことと、殆どの人が強めのお酒を頼んだことだ。 私はてんてこ舞いになりながらたくさんの料理をテーブルに運んだ。 と、そんな中億劫そうに階段を下りてくる足音に気がついた。――ラグだ。 案の定不機嫌そうな顔をしていたが、忙しすぎてそんなことを気にしている余裕は無かった。 ラグは丁度空いていた一番隅の二人席に腰を下ろした。 私は他のお客さん同様、すぐに注文をとりに向かった。 「いらっしゃいませ。何になさいますか?」 勿論ちゃんと笑顔でだ。 だがラグはこちらを見もせずにテーブルに置いてあるメニューに目を通した。 「この酒とこれ」 「かしこまりました、少々お待ち下さい」 私はすぐに背を向け、ラグも何も言わなかった。 こっそり息を吐いて私はその注文をレッジェさんに伝えた。 その後もお客さんの入れ替わりは激しく、ラグに料理を運んだとき流石に何か話しかけようかと思ったのだが、すぐに別のお客さんに呼ばれてしまい叶わなかった。 そんなときだった。 「おうおう、みんな楽しく飲んでっかい!?」 そんな大きな声と共に背の低い初老の男性が店に入って来た。どこかですでに飲んできたのかその顔は真っ赤だ。 途端賑やかだった店内がシンと静まりかえった。なんだろうと思っているとレッジェさんが小声で言った。 「厄介なのが来ちまったねぇ。カノン、適当に相手すればいいからね」 「あ、はい」 その人は覚束ない足取りでラグの後ろの二人席に座ると、すぐにテーブルに突っ伏してしまった。 私は恐る恐る近づき声を掛ける。 「いらっしゃいませ。何になさいますか?」 「あぁ?」 男は億劫そうにぐるりと首を回しこちらを見上げた。 と、そのうつろな瞳が急に大きくなりぎくりとする。 男はむくりと起き上がると私に言った。 「なんだお姉ちゃん新人さんかい? 若いねえ、今いくつ?」 「18です。今日だけここで働かせてもらっています」 「そうかそうか。いいねぇ若いってのは。こっちも元気になっちまうよ!」 「はは。えと、ご注文は」 「そんじゃ、お姉ちゃんを頼もうかな!」 「え」 「なーんてなぁ!」 そう言って一人爆笑を始めてしまった。 ――早く離れたいなぁと思いながら引きつった笑いを返していると、今度は急に重い溜息を吐き肩を落とした。 「なぁ聞いてくれよお姉ちゃん。おじさん毎日寂しくってなぁ。どんだけ酒飲んでもその寂しさ埋まらねぇわけよ」 「は、はぁ」 さすがに焦ってきた私は横目でレッジェさんのいる厨房を見る。すると彼女はこちらに強く手招きしていた。 「あ、あの、ちょっと他の方の料理が出来たみたいなので」 そう言ってそそくさと背を向けた、そのときだ。 「きゃあっ!」 思わず悲鳴を上げてしまっていた。 男が、私のお尻をペシンと叩いたのだ。 「人の話は最後まで聞かなきゃなぁ、お姉ちゃんよ」 にやにやと笑うその顔にかーっと頭に血が上る。完全なセクハラ行為。や、痴漢と言った方がいいかもしれない。 あまりのことに咄嗟に言葉が出ずただ口をパクパクさせていると彼の背後に音もなく長身の影が迫った。そして。 「うひょぁあ!?」 男がそんなような情けない悲鳴を上げた。いきなり頭上から水が降って来たからだ。 「たまにはこうやって飲むのも悪かねぇだろ」 「ラグ!」 グラスを手に持ったまま男を冷たく見下ろし言った彼の言葉に、それが水でなく先ほど私が持って行ったばかりの酒とわかる。 濡れ鼠のようになった男が元々赤かった顔を更に赤くして立ち上がった。 「何しやがる!」 だが、さすがの男も長身のラグを目の前にして息を呑みこんだ。その冷え冷えとした目力に気圧されたようだ。 そしてそんな男にラグは言う。 「てめぇみてぇな下衆野郎を見てると飯が不味くなるんだよ。さっさと失せろ」 「――こ、こんな店二度と来ねぇからな!」 男は後ずさりラグから十分に距離をとってからそう言い捨てると、逃げるようにして店を出ていってしまった。 静まり返っていた店内が一気に沸き上がる。 「いいぞー兄ちゃん!」 「スカっとしたぜ‼」 「ざまぁねぇなアイツ!」 だからと言ってそれに笑顔を返すわけもなく、ラグは何事も無かったかのように自分の席に戻っていく。 「あ、ありが――」 私はお礼を言おうとしたが、 「大丈夫だったかい、カノン」 それに被るようにレッジェさんがこちらに駆け寄って来た。 「悪かったねぇ、あいつこの辺じゃ有名なろくでなしでねえ、私もすっきりしたよ。ありがとうよ!」 最後はラグに向かっての言葉だったが、それに対してもラグは何も反応せず、ただ料理を口に運んでいた。 「姉ちゃん大変だったなぁ!」 「よっし、今日は飲みまくってやるぜ! これと同じ酒どんどん持ってきてくれ!」 「ありがとうよ! カノン頼めるかい?」 「あ、はい!」 私はラグにお礼を言うタイミングを失ったまま、仕事に戻った。 その後ラグはさっさと料理を平らげさっさと二階に上がって行ってしまった。 (終わったらちゃんとお礼しに行こう) 私はそう思いながら手に持った料理をお客さんの元へと運んだ。
***
最後のお客さんを見送り扉を閉めた直後、私は一番近くにあった椅子に崩れるように腰掛けた。 ――今、一体何時だろうか。ざっと5時間は立ちっぱなしだった気がする。 「お疲れさん。さすがに疲れただろう。今日は本当にありがとうね」 レッジェさんが厨房から笑顔を覗かせた。 「いえ、色々とミスしてしまって、すみませんでした」 「いやいや、本当に助かったよ。後はいいから上行って早くお休み」 「はい!」 と、その時目の端で扉がゆっくりと開いたのに気が付いた。 「すみません、部屋はまだ空いているでしょうか?」 そう言って店内に入って来たのは三十代半ばほどの旅人の様相をした女性。そしてそのすぐ後ろに小さな男の子がいた。親子だろうか。二人ともとても疲れたふうだ。 「あぁ。すまないねぇ、今日はもう満室なんだよ」 「そうですか……」 「お母さん、ここもダメだったの? 僕もう眠いよ~」 「こんな時間になっちゃったからねぇ、もうちょっと探してみましょう」 泣きそうな顔で、それでも頷く男の子。 会釈して出ていこうとした女性に私は声を掛けた。 「あ、あの、ちょっと待ってください!」 「はい?」 私はレッジェさんの方を振り向き言う。 「私の部屋をこの人達に譲っても大丈夫ですよね」 「え? あぁ。構わないけど、いいのかい?」 「私は平気です!」 「いいんですか?」 お母さんの顔が明るくなった。 「はい。良かったらどうぞ!」 「ありがとうございます! 良かったわねぇ」 「ありがとう、おねえさん!」 男の子が歓声を上げるのを見て私も嬉しくなった。 ――だが、この後のことを思うと少しだけ憂鬱だった。
4
(さて、行くぞ!) いつもの服に着替えた私はラグのいる部屋の前で一人気合いを入れた。 きっと文句は言われるだろうが追い出されることはないだろう。 コンコンっとドアをノックする。だが返事が無い。 「ラグ、起きてる?」 そう声を掛けると漸く物音が聞こえすぐに足音が近づいてきた。 ドアが開きそこにはいつもの上着を脱ぎラフな格好になった彼が不機嫌顔で立っていた。 「なんだよ」 「あ、ごめんね、寝てた、よね?」 「……」 「あ、あのね、私もここで寝かせてもらっていいかな?」 「……なんで」 思いっきり眉根を寄せた彼に私は先ほどあったことを話した。 「ったく、ホントお前は」 「だって、小さい子もいたし、こんな時間だし可哀想で」 しどろもどろになりながらも弁解する。 するとラグは舌打ちしながらも、ドアはそのままで中に入っていった。 (……入っていいってこと、だよね?) 私がゆっくり部屋に入るとラグはすぐさまベッドに寝転んでしまった。 入ってすぐ左手に化粧台があり、右手にベッドが二つ並んでいた。 「あ、さっきはありがとう! 助けてくれて」 「煩ぇから黙らせただけだ」 そんないつもの返答に私はこっそり笑みをこぼし、ラグの足元にある化粧台の椅子に腰かけた。 二つのベッドを見ながらセリーン達が戻ってきたらどうしようかと考える。――それにしても。 「二人遅いね。大丈夫かなぁ」 「あいつらは心配すんだけ損だろーよ」 ひっかかる言い方だが、彼なりにそれだけ二人を信じているということだろう。 「あれ、そういえばブゥは? お散歩中?」 言いながら窓が少しだけ開けてあることに気付く。 「あぁ」 ――ということは正真正銘、部屋に二人きりと言うことになる。 「こうやって部屋に二人ってセデの町以来だよね。ラグ覚えてる?」 返事は無かったが、私はそのまま続けた。疲れているはずなのに、妙に喋りたい気分だった。 「あの頃はまだこの世界に来たばっかりでさ、右も左もわかんなくって、うっかりするとすぐ泣きそうになってたけど、でもだからこうやってお金稼げるようになったのって凄くない? これからもこういう宿があったら私自分の宿代くらいは出すからね!」 やはり返事は無い。ここからでは顔は見えないが、ひょっとして寝てしまったのだろうか。 私はそのまま一人テンション高く続ける。 「そうそう、セデの宿に泊まった時ね、実は男の人と同じ部屋ってことでちょっとだけ緊張してたんだよ、私。妙に意識してたというか、まだあのときラグのこと良く知らなかったし。今考えると笑っちゃうよね~っと」 最後、ラグがのっそりと起き上がったのを見て私は慌てて口を噤んだ。さすがに煩かったかもしれない。 「ご、ごめん、煩かった?」 彼がベッドから降りこちらに近づいてくるのを見て、怒られる、そう思い肩に力が入った。 彼の手がそんな私の肩を掠め化粧台に着く。 (え?) 彼の顔がすぐ眼前にあることに疑問を覚える。 「今はあん時と違ってブゥもいないけどな」 「え?」 青い瞳に自分の顔が映っているのが見えて、それだけ彼が近くにいるということで。 顔が、急激に熱くなっていくのがわかった。 ――と、 「ふん」 小さく鼻で笑ったかと思うと化粧台についていた手が引かれ、そしてその手はそのまま私の頭を小突いた。 「いたっ」 「アホ、何意識してんだよ」 馬鹿にしたように見下ろされ更に顔が熱くなった。 「い、意識なんてしてないし!」 彼らしくない言動にただちょっと驚いただけだ。ひょっとして、彼も少し酔っているのではないだろうか。 「はいはい。つーかお前はもう働くんじゃねぇ」 「な!?」 ベッドに腰掛けながら彼が言ったそのセリフに私は噛みつく。 「なんで!? 今日ちゃんと出来たのに!」 「どこがちゃんとだ。お前もしあのときオレがいなかったらどう対処するつもりだったんだよ」 「そ、それは」 あのとき、とは間違いなくあの酔っ払いに絡まれたときのことだ。 「きっぱり、やめてくださいって言って、」 拳を握りながら視線を落とし言う。だが。 「はいはい無理無理。お前にゃ無理なんだよ。今回はたまたまオレがあの場に居たから良かったけどな、そうでなきゃずっと絡まれたままだったろうが」 「……っ無理無理言わないでよ!」 思わず大きな声を上げてしまっていた。 「私なりに精一杯頑張ったんだよ! レッジェさんも助かったって言ってたし、それにいつ元の世界に帰れるかわからないのにその間ずっとラグにお金払ってもらうの悪いなって思ったから、だから頑張ったのに……っ!」 最後は結局泣き声になってしまった。顔を上げられるはずもなく、握りしめた拳にポタポタと涙がこぼれ落ちた。 「お前なぁ……」 呆れたような大きな溜息が聞こえ、一気に自己嫌悪に陥る。――ついさっき自分でこの世界に来たばかりの頃はすぐに泣きそうになっていた、そう言ったばかりではないか。 結局私はあの頃と何も変わっていない。 (何やってんの私……) ぽんぽん。 「え?」 優しく頭を叩かれ、私は顔を上げる。 そこには、珍しく眉間に一本の皺も無いラグがいた。 「お疲れ」 「! ……うん」 私は目を見開き、それから小さく頷いた。 ――同じ言葉なのに、レッジェさんに言われたときよりもずっと嬉しいと思ってしまった自分に胸中で苦笑して涙を拭う。 「でもな、本当にもういいから」 「……なんで?」 「オレはな、お前がまた余計なことに首突っ込むんじゃねぇかって気が気じゃねーんだよ」 「そんなことは」 「無いって言いきれるか? 現になんで今お前この部屋にいるんだよ」 「うっ」 「だからいいんだ。それに働く時間があんなら新しく使える歌でも考えてもらった方がオレは何倍も助かるんだがな」 もう一度痛いところを突かれ私は口籠る。 ラグは短く息を吐いて続けた。 「金の心配は本当にしなくていい」 「……ラグって、そんなにお金いっぱい持ってるの?」 「まぁ、な」 なんだか含みのある答え方だったが、お金持ちであることは確かなようだ。 「わかったんならもう寝るぞ」 「うん」 そうして私は今度こそ笑顔で頷いた。 「あ、そうだ。ベッドどうしよう。セリーン達が夜の間に帰ってくるかもしれないし」 「オレはこのベッドを譲る気はねぇからな」 「だ、だよね。あ、なんか寝袋的なものがあったりしないかレッジェさんに訊いてこようか」 そう言って私は勢いつけて立ち上がった、のがいけなかった。途端、激しい立ち眩みに襲われ、咄嗟にバランスを取ろうと出した足がもろに椅子に引っかかってしまった。 「きゃあ!」 「おい!?」 ラグの慌てた声が間近で聞こえた気がした。 来るはずの痛みの代わりに温もりを感じた。 ゆっくりと視線を上げるとすぐそこにあった青い瞳が私をとらえ限界まで見開かれた。 そこは、ラグの腕の中だった。 一瞬、時間が停止したように思えた。 だがドアが勢い良く開く音で私たちの視線は外れる。 「あ、セリーン」 「――お、お前らこれは一体どういうことだああああーー!?」 開口一番セリーンが上げた怒声に、きっと宿のお客全員が起きてしまったことだろう。
5
「なんだよー、てっきりラグがついに男を見せたのかと思ったのによー。ちぇ」 「ちぇ、じゃねぇよ!」 「ぶぅ?」 頭にブゥを乗せたラグがまだ赤い顔で怒鳴る。 私は帰って来たセリーンとアルさん、そして丁度部屋に戻って来たブゥに一連の事情を話した。 ――ちなみに先ほどセリーンに怒鳴られ、我に返った私が慌ててラグから離れ何度も謝ったのは言うまでも無い……。 「そ、それよりセリーン達は大丈夫だったの? 時間結構かかったけど……」 「あぁ、モンスターを見つけるまでに時間がかかってしまってな。報酬はこの通りもらってきたぞ」 そう言ってセリーンは腰からジャラっと音のする布袋を出し見せてくれた。 「凄い量だね」 「これでざっと二月は上手い料理がたらふく食えるな」 「へぇ~」 「で、で、どうやって寝るんだ!?」 何を期待しているのか、アルさんが目をキラキラさせて言う。 「カノン、こっちにおいで」 「え、うん」 セリーンはもうひとつ空いていたベッドに腰掛けると、その前に立った私をまるで小さなラグにするようにぎゅーと抱きしめた。 「せ、セリーン? うわっ」 そのままベッドに倒れこみ私は小さく悲鳴を上げた。 でも先ほどのラグとは違う柔らかな感触になんだか胸がほっとあたたかくなった。 「私たちはここで二人で寝るからな。お前らは勝手にしろ。少しでもこのベッドに近づけば……わかっているな」 セリーンの顔を見上げ、見なければ良かったと思ったくらいにその顔は殺気立っていた。 アルさんが引きつった顔でブンブンと何度も頷くのを見て苦笑してしまう。それと同時に長い欠伸が出てしまった。 体が横になったせいで一気に眠気が襲ってきた。今日はなかなか大変な日だったから。 (でも、充実した一日だったな……) 「おいコラ、何勝手に入ろうとしてやがる! お前は床で寝ろ床で!」 「いてっ、ちょ、おま、先輩を足蹴にするなよな~。しかも床ってマジでか~しくしくしく……」 「ぶぅ~?」 そんな会話が聞こえてきて、そうだ、寝袋のようなものが無いかレッジェさんに聞こうとしていたのだ、そう思い出したが圧倒的に睡魔の方が勝って、 「ん、カノン、もう寝てしまったのか?」 セリーンのその言葉にも答えることが出来ないまま、私は朝まで爆睡してしまったのだった。
***
翌朝、レッジェさんは私にお給料をくれた。 てっきり宿代のみだと思っていた私は驚き、そんな私に彼女は言った。 「一部屋キャンセルしたろう、その分と、あとは気持ちだよ。とっておきな。昨日は本当に助かったよ」 「あ、ありがとうございます!」 「またこの街に立ち寄ることがあったら顔を見せておくれね」 「はい!」 私は手の中の布袋を見下ろす。 この世界で初めてもらったお給料。 セリーンの報酬に比べたら全然少ないけれど、嬉しくて嬉しくて、私はその小さな布袋をぎゅっと握りしめた。 「何に使うんだ?」 宿を出てすぐに優しい目をしたセリーンに訊かれ、すでに決まっていた私は得意げに皆に言った。 「これで皆でお昼食べよう! 今日は私の奢りです!」
END.
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