「カノン、先生を連れてきたぞ」

 セリーンに続いて部屋に入ってきたフォルゲンさんに私は頭を下げる。

「よろしくお願いします」

 病院で診察を受けるときのように、少しの緊張を覚える。

 私を見つめながらこちらに歩いてくる長身の彼。

「気分はどうかな」

「今は、少しぼーっとするくらいです」

 一応そう答えると、彼は先ほどまでセリーンが座っていた椅子に腰を下ろした。

 体格があまりに違うので昨日会った時にはわからなかったけれど、こうして近くで見ると目元がブライト君に良く似ている。

(やっぱり兄弟なんだなぁ)

「頭痛はあるかな?」

「い、いいえ」

「失礼するよ」

 大きな手が伸びてきて私の耳の下に触れた。

 それから目の下を軽く引っ張られ、最後に手首の脈をみてフォルゲンさんはうん、と頷いた。

「食欲は?」

「えっと」

 お腹に手をやると、そこで空腹に気が付いた。

「はい。あります」

 正直に答えるとフォルゲンさんはブライト君と同じ漆黒の瞳を細め、微笑んだ。

「なら何か食べるといい。しっかりと食べて休んでいればすぐに元気になるはずだ」

その笑顔と言葉に、ほわっと安心感が広がる。

 街の皆に頼られているというフォルゲンさん。その人気の理由が少しわかった気がした。……でも。

「ありがとうございます」

 私はもう一度頭を下げる。

 ――言わなきゃ。

 ライゼちゃんのこと。ビアンカのことも。

 顔を上げながら私は思い切って口を開く。

「あ、あの」

「君も術士なのかな」

「え?」

 逆に問われて戸惑う。

「デイヴィス先生は術士なのだろう?」

 そうだ。確か昨日アルさんが自ら術士だと話したと言っていた。

「は、はい。でも、私は……私たちはただの助手で術士ではなくて」

 セリーンとラグの方をちらちらと見ながら答える。

 きっと私が何か不味いことを言えばふたりが止めてくれるはずだ。

 するとフォルゲンさんはそう、と頷いた。

「デイヴィス先生は素晴らしい先生だね。この国の医師が集まっても治せなかった王陛下をたった一日で治してしまった」

 本当は色々と大変だったのだけれど。そう思いながらも私は笑顔を作る。

 それにしても、フォルゲンさんは術士に偏見がないようだ。

 それは、ひょっとして――。

 彼は穏やかな声で言った。

「私にも術士の知り合いがいてね。昔から、その力がとても羨ましかった」

「それって、ライゼちゃんのことですか?」

 自然と、口から零れていた名前。

 フォルゲンさんの瞳が驚きに見開かれる。

「――なぜ」

 小さく、掠れた声。

 私は様々な感情が混在したその顔を見つめながら、勢い込んで続ける。

「私たち、フェルクレールトでライゼちゃんに会っているんです。そのときにフォルゲンさんの話を聞いて、」

「君たちは、一体……」

 低い声が、私の話を遮った。

 その表情に警戒の色を見て、私はハっとする。

 フェルクレールトで神導術士であるライゼちゃんの存在は秘密にされていた。

 そんな彼女を知る私たちを、彼が不審に思わないはずがない。

「わ、私たち、人を捜して旅をしていて、その途中フェルクに立ち寄ったんです。そのときに」

「旅? 君たちは、デイヴィス医師の助手をしているのではないのか?」

 そう更に訝し気に問われて焦る。

「え、えっとそれは」

 彼に、どこまで真実を話していいものかわからず困窮していると、はぁと大きな溜息が聞こえてきた。

「あいつが医師ってのは嘘だ」

「!?」

 そうはっきりと言ったのはラグ。

「嘘?」

 ラグの方をゆっくりと振り向き、眉を顰めるフォルゲンさん。

 ハラハラするが、彼はいつもの調子で視線を合わすことなく続けた。

「あいつはただの術士だ。旅の途中でここの王子と出会って、護衛にと城につれて来られた。医師という名目でな」

「そ、そうなんです。お城に入るためには医師としたほうがいいだろうと、ツェリウス王子が考えて」

「殿下が……」

 彼はそう言ったきり思案するように黙ってしまった。

 こんな説明ではやはり信じてはもらえないのではないか……そう不安になった頃。

「君たちは、王陛下だけでなく、ツェリウス殿下をも守ってくれたのだな」

「え?」

 私が小さく声を上げると、彼は最初に体調を診てくれたときのように微笑んでくれた。

「この国の者ではない私がこの国で医師を生業にしていられるのはツェリウス殿下のお蔭なのだ。殿下にはとても感謝している」

 王子が国民に支持されているとは聞いていたけれど、フォルゲンさんもその一人なのだと知り驚く。

「……そうか。殿下がそこまで信頼している君たちなら、ライゼ様を知っていてもおかしくはないのかもしれない」

 そう言ってくれて、私は思わず頭を下げる。 

「ありがとうございます!」

 ――本当は、ライゼちゃんとの出会いから全てを話したかったけれど、そうすると私が銀のセイレーンだということから話さなくてはならない。

 折角信じてくれた今、それは逆効果だろう。

 真実は、フェルクの地でライゼちゃんが直接話してくれるはずだ。

 そして私は改めて話し始めた。



「フェルクレールトで、ライゼちゃんやラウト君、ヴィルトさんに本当にお世話になりました。それに、ブライト君にも」

 その名が出た途端、彼は身を乗り出した。

「ブライトのことも、知っているのか」

「はい! フォルゲンさんの弟ですよね」

「あぁ。……元気にしていたか?」

「はい、ライゼちゃんを守るために一生懸命頑張っていました。勿論、医師としても」

 すると彼は安堵するように長く息を吐いた。

「そうか」

 嬉しそうに目を細めるフォルゲンさん。

「みんな、フォルゲンさんのことをとても心配していました」

「……」

「どこかで生きているはずだと信じて、みんなフォルゲンさんの帰りを待っていました」

「……そうか」

 短くそう繰り返し、フォルゲンさんは目を伏せてしまった。

「実は、すぐそこの森の中にビアンカがいるんです」

「!?」

 顏を上げた彼が、はっきりと動揺していた。

「ビアンカ様が……?」

「はい。ビアンカは私たちをこの国まで運んでくれたんです。でもこの国に来てからずっとこのお城を見つめたまま動かなくて……多分、フォルゲンさんがここにいることに気が付いているんだと思います」

 大きな漆黒の瞳が揺れる。

 私はその瞳を見つめたまま続ける。

「ビアンカに乗っていけば、数日でフェルクに着きます。帰れるんです。フェルクレールトに」

 ――そう、帰れるのだ。故郷に。

 無理やり引き離された家族や仲間の元に、帰れるチャンスなのだ。なのに……。

「フォルゲンさん。ライゼちゃんやブライト君に会ってきてください」

「……」

 再び目を伏せ黙ってしまった彼に焦れて、私は声を大きくする。

「フォルゲンさん!」

「私は、帰れない」

「っ!」

 小さく呟かれたその答えにショックを受ける。

 ……全く予想していなかったわけじゃない。

 でも、その答えを聞きたくはなかった。

(やっぱり、奥さんがいるから……?)

 私が次の言葉を失っていると、それまで黙っていたセリーンが口を開いた。

「身重のリトゥースを置いてはいけない、か?」

 ぴくりとその肩が反応する。

 それを見て、一拍置いてから私も大きな衝撃を受ける。

(身重って……リトゥースさん、お腹に赤ちゃんがいるってこと!?)

「ライゼも驚くだろうな。まさか、待ち続けていた婚約者が遠い地で別の女性と幸せに暮らしているなんてな」

 皮肉たっぷりなその台詞にどきりとする。

 いつリトゥースさんが妊娠していることを知ったのかわからないけれど、思っていたよりもずっとフォルゲンさんに腹を立てていたらしいセリーンがそのまま吐き捨てるように続けた。

「今更後ろめたくて帰れないのだろう。最低だな」

 フォルゲンさんは俯いたまま何も反論しない。

 ――気まずい沈黙が流れる。

 結局、次に口を開いたのは私だった。

「あの、せめて、元気な顔を見せに帰るだけでも……」

 しかしフォルゲンさんは固い表情で首を横に振った。

「私は決めたのだ。この地で……私を受け入れてくれたこの国で、リトゥースと共に生きると」

 ――おそらく、彼が故郷を追われたのは大戦が終わったという5年ほど前。

 それから、きっと色々なことがあったのだろう。

 そして彼はこの国で、リトゥースさんに出会った。――でも。

「でも、ライゼちゃんは」

「ライゼ様には、ブライトがいる」

「え?」

 再び顔を上げた彼が、微笑んでいた。

 酷く、ぎこちなくはあったけれど。

「ライゼ様を一番想っているのは、昔からあいつだ。……君もあの二人に会ったのなら、ブライトの想いに気付いたんじゃないか」

「……」

 否定出来なかった。ブライト君の気持ちは見ていてすぐにわかったから。

 そんな私の表情を見て、フォルゲンさんはまた小さく笑った。

「私より、あいつの方がライゼ様に相応しいのだ」

「だから自ら身を引いたとでも言うのか? 最低男のただの言い訳にしか聞こえんな」

 再び飛んできた辛辣な言葉に、フォルゲンさんは苦笑する。

「そう、だな。私は昔から最低な男だ。……さっき言っただろう。私はライゼ様の傷を治せる力がたまらなく羨ましかったと」

 傷を治せる力。……ライゼちゃんの、神導術士としての力。

 昔を懐かしむように、フォルゲンさんは続けた。

「一度その気持ちをブライトに零したことがあった。そうしたらあいつは酷く怒ってね。あんなに怒ったブライトを見るのはあれが初めてだった」

「ブライト君が?」

 彼は頷く。

「ブライトは、ライゼ様の命を削るあの力を良く思っていなかった。いや、憎んですらいたのかもしれない。だからその力を羨んだ私が許せなかったのだろう」

(ブライト君……)

 重傷を負いながら、その傷を治そうとしたライゼちゃんを頑なに拒んでいた彼を思い出す。

「そのときに思ったのだ。私よりも、ブライトの方がライゼ様に相応しいと……」

 フォルゲンさんが微笑みを浮かべる。

「私がこのまま帰らなければ、ブライトがライゼ様の夫に選ばれるだろう。それがあの二人にとって一番良いのだ」

「でも、」

「それに私は、リトゥースを愛してしまった」

 その頑なな声音にどくんと胸が鳴る。

(愛して……)

「だからもう、私は帰れないのだよ」

 そして彼はもう一度ぎこちなく、笑った。

 ――この地で愛する人を見つけてしまったから。

(だから、帰れない……)

 セリーンももう、何も言わなかった。



「良かったのかよ」

 フォルゲンさんが部屋を出ていって、それまで黙っていたラグが溜息交じりに口を開いた。

「あのデカ蛇に会わせるんじゃなかったのか」

「……だって」

 あれ以上は何も言えなかった。

 せめてビアンカに会ってくださいって言いたかったけれど、それも言えなかった。

 と、もうひとつ別の吐息。

「仕方ないだろう。ビアンカには私たちから伝えるしかあるまい」

「そう、だね」

 セリーンの言葉に私は頷く。

 彼女はその場を動き、先ほどまでフォルゲンさんが座っていた椅子に腰かけた。

「大丈夫か、カノン」

 心配そうに見つめられ、私は小さく笑う。

「うん、ショックだったけど……」

 ライゼちゃんがこの話をビアンカから聞いたら、彼女はどう思うだろう。

 ブライト君はお兄さんの気持ちを知ったら、どうするのだろう。

 想像するとやっぱり胸がきゅっと締め付けられた。でも。

「フォルゲンさんは、故郷や家族よりも大事なものをここで見つけたんだなって、思って」

 故郷から遠く離れたこの地で。

 そんな彼を、なぜか責める気にはなれなくて……。

 自分の握った両手を見つめていると、セリーンがふっと笑った気がした。

「まぁ、元気だということはわかったんだ。ライゼもブライトもそこは喜ぶのではないか」

「うん。そうだね」

 私も笑顔で頷いた。

 ――きっとあの二人なら、大丈夫。

 あんなにお互いを想い合っている二人なら。きっと……。

「でも赤ちゃんには驚いたなぁ。――あ、そっか。だからリトゥースさんだけ先に帰ったのかな」

「そうみたいだな」

 その口ぶりに、私は訊く。

「セリーンはいつ知ったの? リトゥースさんに赤ちゃんがいるって」

「今朝だ。レセルがここへ朝食を運んでくれたときにドゥルスの話になってな。その中でもうすぐ孫が出来るのだと嬉しそうに話していた」

「レセルさんが……。そうだったんだ」

 私が寝ているときだろう。全く気が付かなかった。

「そっか、ドゥルスさん、おじいちゃんになるんだね」

 昨夜の騎士団長としての姿を思うと、全然おじいちゃんという感じはしないけれど。

 と、セリーンが可笑しそうに唇の端を上げた。

「フォルゲンのことも今は反対しているが、孫が産まれればきっと気を変えるだろうと笑っていた」

「あー、そうかも」

 孫にデレデレになっているドゥルスさんは、なんとなく想像できてしまった。

 私がクスクスと笑っていると、セリーンが椅子から立ち上がった。

「食欲はあると言っていたな。レセルに食事を運んでもらうとするか」

「あ、でも私もうほんと平気だし。それに、ビアンカに早く会いに言ってこのこと伝えなきゃ」

 言いながらシーツを捲りベッドから足を下ろした、そのときだ。

 トントンっと、また扉がノックされた。

 扉のすぐ横にいるラグがそちらを睨むように見ている。

「はい?」

 返事をすると、まだ幼い声が返ってきた。

「デュックスだ。入っていいか?」

(デュックス王子?)

 思わずセリーンと顔を見合わせる。

「ど、どうぞ!」

 答えながら私は焦って立ち上がる。

 と、ゆっくりと扉が開きデュックス王子が中に入ってきた。

 その後ろには当然ながら昨日までいたフィグラリースさんではなく、知らない衛兵の姿があった。

「具合が悪いと聞いたのだが、もう立って平気なのか?」

「あ、はい。もう大丈夫です。ありがとうございます」

 私が笑顔で言うと、彼はほっとしたように微笑んだ。

「そうか。良かった」

 でもなんとなく、その顔が緊張しているように見えて、私は内心首を傾げる。

 後ろで手を組んでいた王子は、やはり言い難そうに続けた。

「実はカノンに、言いたい事が、あってな」

「はい?」

 返事をするとデュックス王子は思い切るようにしてこちらへ足を踏み出した。

 そのとき扉の傍らにいるラグがなぜかぎょっとした顔をした。

 不思議に思いながらも目の前で立ち止まった王子に視線を落とす。と。

「これを貴女に!」

 勢い良く眼前に差し出されたものに、ぎょっとする。

 それは、色とりどりの“花束”だった。

 目を丸くして固まる私に、彼はこう告げた。

「今夜開かれる夜会に、カノンを招待したい」




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