ユビルスの術士であるサカードさんの瞳も、僅かに大きくなった気がした。

 と、こんなときにいつも真っ先に止めに入る声がないことに気付く。

(あれ? クラヴィスさんは……?)

 またしても彼がいない。さっきフィグラリースさんを連れて塔から出ていくのを確かに見たのに。

「――えっと、殿下、どういうことです?」

 代わりにそう訊ねたのはアルさんだ。

 王子はサカードさんから視線を外さずに続けた。

「僕は、術士とは恐ろしい者たちだと思っていた。術士が僕の命を狙っていると知り、心の底から恐怖した」

 ちらりとプラーヌスを見ると、彼は焦点の合わない瞳で床を見つめていた。

「だが、ここ数日術士と過ごしてみてわかった。術が使えると言うだけで僕たちと何も変わらない。同じ複雑な心を持った、人間だと」

 そんな王子の言葉をアルさんが口をぽかんと開けたまま聞いている。

「嬉しければ思い切り笑う。仲間のためを想って怒る。……恋もするみたいだ」

 ラグの方はなんとなく振り返れなかったけれど、きっと彼も驚いているに違いない。

 皆が絶句する中、王子は強く握った拳を胸に当てた。

「敵となれば恐ろしいが、共にこの城を……そしてこの国を守ってもらえたら、これほど心強いものはない」

(王子、そんなこと考えてたんだ)

 なんだか胸が熱い。

 ――暗殺者を恐れ、同じ術士であるアルさんやラグに護衛を頼んだ彼。

 でも今彼は、その“力”だけが欲しくて頼んでいるのではない。術士を理解した上で術士と共にありたいと、そう言っているのだ。

「このまま彼らに頼めば良いのでは?」

 肩を竦め、冷たく答えるサカードさん。しかし王子は怯まなかった。

「この者らには他にやらねばならぬことがあるらしい。それに何より、ユビルスはここから近い」

「…………」

「それとも、ユビルスは暗殺のみを請け負う機関なのか?」

「……ふっ、はははははっ!」

 急に、天井を向いて笑い出したサカードさんにびっくりする。

 二人の王子も、友人だったというアルさんも目を丸くしている。

 ふーっと長い息を吐きながら視線を戻し、口元に笑みを浮かばせたまま彼は言った。

「……まさか。そんなことはありません。わかりました。帰ったら学長に伝えましょう」

「よ、よろしく、頼む」

「ですが、忠告しておきますよ」

 その言葉に、ツェリウス王子は再び顔を引き締めた。

 思わずごくりと唾を呑み込む。

 ゆっくりとその瞳がアルさんを見た。 

「術士が皆、そこの彼と同じだと思わないほうがいい。彼は術士の中でも、かなりの変わり者ですよ」

「――ちょ、おいサカード! そりゃどういうことだ!」

 すかさず突っ込むアルさん。

「わかった。心得ておこう」

「殿下!? わからなくていいんですよ! 俺はごく普通の術士ですって!」

 心外といった顏で王子に詰め寄るアルさんを見て、またサカードさんが笑った気がした。

 それを隠すかのように、彼は先ほどよりも恭しく頭を下げた。

「それでは、今度こそ私は失礼します」

「あぁ。良い返事を待っている」

 そしてサカードさんはこちらに背を向け歩き出した。

「サカード!」

 その背中にアルさんが声を掛ける。

「俺からも、よろしく頼む」

「……えぇ。またどこかでお会いできることを楽しみにしていますよ。アルくん」

「! ――あぁ!」

 そうして、サカードさんはバルコニーへと姿を消した。


「それにしても思い切ったことを考えましたね。殿下」

 アルさんが苦笑しながら、でもどこか嬉しそうに言う。

「あぁ。王として、どうしたらこの国を守れるかずっと考えていた。始めは反対されるだろうが――」

「術士なぞに頼った私が、バカだったのだ」

 王子の言葉に絞り出すような低い声が掛かった。――プラーヌスだ。

「衛兵! 衛兵集まれぇーー!!」

 急に大声で叫び始めたプラーヌスにアルさんがはぁと大きな溜息を漏らす。

「まーだそんなこと言ってんのか。いい加減諦めろって」

 最早呆れたふうだ。きっと皆同じ気持ちに違いない。

 しかしプラーヌスは元々細い目を限界まで開き、恐ろしい顔つきで続けた。

「諦められるものか! 私はずっと、ずっとアンジェリカの幸せを願って生きてきたのだ!」

 アンジェリカ……王妃様のことだ。

 その血走った目がツェリウス王子を見る。

「お前の存在を知り、どれだけアンジェリカが気に病んだかわかるか! 全てお前がいけないのだ。お前が現れたせいで全てが狂ったのだ!!」

 慟哭とも取れる怒鳴り声が部屋に轟く。

(そうか……この人は、デュックス王子のためというより、王妃様のために……)

 昨日王の寝室で初めて見た王妃様の姿が頭に浮かんだ。

 酷くやせ細った、今にも崩れてしまいそうな女性。

 会ったばかりの私でさえ酷く危うく見えたのに、親であるプラーヌスは毎日どんな想いで彼女を見ていたのだろう。

 思えば、街中のお医者さんを城に呼んでいたのも、もしかしたら王様のためではなく、王妃様のためだったのかもしれない。 

 でも、その息子であるデュックス王子が今怯えた顏で己を見つめていることに、彼は気づいているのだろうか……。

 周囲が苦い表情で見守る中、彼はまだ兵を呼び続けていた。

「衛兵! 誰か、誰かおらぬのか!?」

「誰も集まらねぇよ」

 突如上がったそんな野太い声に驚き振り返る。

 そこに居たのはまさかの人物だった。

「ドゥルス!」

 まず声を上げたのはセリーン。

 続いてフィグラリースさんが乾いた声を上げた。

「団長!?」

 ――そう、昨日足を痛めていたドゥルスさんが騎士の格好で堂々と立っていたのだ。更には。

「お父様、もうおやめください!」

 その場に現れた王妃様に、プラーヌスが目を剥いた。

「アンジェリカ……!」

「母さま!」

 デュックス王子も母親の姿を見て甲高い声を上げる。

 目にいっぱいの涙を浮かべ、王妃様は続ける。

「――確かに、以前は悩んでいました。あの方から本当に愛されているのかとても不安でした……。ですがそんな気持ちもあの方と長く過ごすうちにすっかりと消えてなくなっていました」

 そして王妃様の潤んだ瞳がツェリウス王子を見る。

「それにわたくしはこの子を、ツェリウスを不憫に思うことはあっても、疎ましく思ったことなどただの一度もありません! 彼もデュックスと同じ、私の愛すべき息子です!」

 そう強く言い切った彼女をツェリウス王子が驚いた顏で見返している。

 そしてもう一度、王妃様はプラーヌスを見つめた。

「ですからお父様。もうこんなことは止めてください……!」

 娘の必死な願いに流石のプラーヌスも力無く頭を垂れていく。

 ――プラーヌスにとって、彼女の言葉が一番堪えたのではないだろうか。

 これまで娘のために生きてきた、その言葉が真実であったなら。

(この人、それにフィグラリースさん、これからどうなるんだろう……)

 どういう処分が下されるのだろう。

 そのとき、ツェリウス王子が突き刺すような真剣なまなざしをプラーヌスに向けていることに気が付きどきりとする。

 しかし彼の口から出たのは意外な言葉だった。

「プラーヌス。お前はデュックスを王にしたいと言ったな」

 デュックス王子が兄を見上げる。

「――この身体に流れる血はどうしようもないが……。僕では、やはり力不足か?」

(王子……)

 卑しい血。先ほどプラーヌスが放った酷い言葉を思い出す。

 プラーヌスは微かに震える唇を開いたまま、すぐには答えない。だが答えは別の場所から上がった。

「兄さまは、王になるべきお方です!」

 デュックス王子だった。

 瞳を大きくし、そんな弟を見つめるツェリウス王子。

「デュックス……」

 顔を真っ赤にして、声を上ずらせながらもまだ幼い彼は続ける。

「僕は、そんな兄さまを支えていきたい! ずっとそう思ってきました!」

 そのまっすぐな瞳を同じ色をした瞳で見つめ返し、ツェリウス王子は泣きそうな顔で笑った。

「僕はずっと、この城で独りだと思っていた」

「え?」

「ありがとう、デュックス。……これまで、すまなかったな」

 なんで謝られたのかわからない様子のデュックス王子。

 ……これまでツェリウス王子の中で様々な葛藤があったことを、デュックス王子は知らないのだ。

 デュックス王子の肩に手を乗せ、ツェリウス王子は力強く言う。

「共に支えていこう。この国を」

「! はい!」

 デュックス王子の飛びきり嬉しそうな顏を見て、こちらも笑顔になる。

「良く言った! ツェリウス、デュックス!」

 背後で再び上がった凛とした声に驚き振り返る。

「あなた!?」

「父さま!?」

 そう、そこに居たのは王様だった。クラヴィスさんに支えられながらもしっかりとその両足で立っている。

「父さま、もう起きて大丈夫なのですか!?」

 デュックス王子がすぐさまそちらへ駆けていく。

 フィグラリースさんは王様の姿を見て唖然とした顏だ。

 しかしプラーヌスは王様の回復を既に知らされていたのか、床を見つめたまま顔を上げなかった。

(顏が見られないだけかも……)

 王様に言われクラヴィスさんが後ろに下がる。

 代わりに王妃様とデュックス王子が傍らに寄り添った。

「あぁ。もう大丈夫だ。デュックスにも心配をかけたな」

「良かったです……!」

 感極まったようにその腰に抱き付くデュックス王子。

 王様がその頭を撫で、そんな二人を王妃様が愛おし気に見つめている。

 ちらりとツェリウス王子を見ると、傍に行かないまでもとても穏やかな表情を浮かべていてなんだかほっとする。

 と、王様の顏が優しい父親のそれから一変した。

「プラーヌス。そしてフィグラリース、全て聞いたぞ。どんな理由があろうとも、我が息子を亡きものにしようとした罪は重い」

 その言葉にツェリウス王子が目を見開く。

「お前たちの処分は現国王である私が決めよう」

 威厳に満ちた王様の言葉に、フィグラリースさんがその場に膝を着き深く頭を下げた。

 プラーヌスも異論はないようだ。

 王様は傍らの王妃様に顔を向ける。

「アンジェリカ、いいな」

「はい」

 躊躇うことなく、しっかりと頷く王妃様。

 そして彼女は再び己の父親を見つめた。

「お父様。ご自分のなさったことを、しっかり悔い改めてください」

 彼女は涙を流していた。

 それでも震えることのない厳しい声音で父親に告げた彼女を見て思う。

(王妃様って弱そうに見えて、本当は凄く強い人なんだ……)

 プラーヌスの額が床に着き、その背中が小刻みに震え出したのを見て、私は知らずのうちに力の入っていた肩を落とした。

 ――これで終わったんだ。

 もうきっとツェリウス王子が狙われることはないだろう。

 そのとき窓の外が白み始めていることに気付いた。

 長かった夜が、漸く明けるのだ。



 ドゥルスさんは登城してまずツェリウス王子の無事な姿をと王子の部屋へ向かったのだそうだ。

「そうしたらお部屋があの状態で、とにかく肝が冷えたと……」

 プラーヌスとフィグラリースさんを地下牢へと連れていくドゥルスさんを廊下で見送った後、クラヴィスさんがそう話してくれた。

 ――ちなみにクラヴィスさんも先ほどまでその地下牢へ監禁されていたのだそうだ。

 その後ドゥルスさんは夜勤だった部下から知る限りの情報を訊き、王様の部屋へと急ぎ向かった。

「そこで殿下の言いつけで陛下の寝室に居た私とばったり、というわけです」

「そうだったのか」

 相槌を打ったのはセリーンだ。

(そういえば朝にはお城に来るって奥さんのレセルさんも言ってたっけ)

 昨日会った時は“頑固親父”という言葉がぴったりな人だと思ったけれど、騎士の格好をした彼は失礼な言い方だが見違えるほどに格好良かった。

 騎士団の団長であるドゥルスさんは王様の従者でもあるらしい。

 まだ体力が十分でない王様は、先ほど王妃様、そしてデュックス王子と共に寝室へと戻っていった。

「でも酷いんですよ。団長はずっと私を疑っていたそうです」

 溜息交じりに言うクラヴィスさん。

 ……私もちょっとだけ疑っていました、とは言えない。

 見ればアルさんも視線を泳がせている。

 と、王子がふんと鼻を鳴らした。

「お前は日頃の態度に問題があるんだ。特に僕に対してのな。そこにまんまと付け込まれたんだ。即刻改めろ」

 顏も見ずに言ったツェリウス王子に、クラヴィスさんはさも心外というような顔をした。

「何を言うんです。ご幼少の頃からこんなに誠心誠意お仕えしているというのに」

 そんな二人の会話に本当に終わったんだという実感が湧いてくる。

 王子もなんだかんだと言って、私たちからクラヴィスさんの噂を聞いたときかなりショックを受けているように見えた。

 噂が仕組まれたものだったとわかり、一番安堵したのはおそらく王子だろう。

(本当に良かったぁ)

 ……そう思ってしまったのがいけなかったのかもしれない。

 急に、視界がぐるりと回った。

「カノン!?」

 その大きな声にはっとして目を開ける。

 気付けば私は廊下に膝を着いていた。

「え?」

 皆が心配そうに私を見下ろしている。

 更には誰かに後ろから支えられていることに気付いて。

「大丈夫か?」

 正面からセリーンに訊かれてそれが彼女でないとわかり、ゆっくりと振り向く。

「なにやってんだ、ったく」

 その不機嫌そうな声と顔を間近に見上げ心臓が飛び上がる。

「ご、ごめん! ちょっと気が抜けちゃったみたいで」

 慌てて立ち上がるが、またも激しい眩暈に襲われる。この感覚には覚えがあった。

 すると、背後でふぅと面倒そうな溜息。

「ひやっ!」

 思わずおかしな声が出てしまったのは、ラグがあの時のようにまた私を抱き上げたからだ。

 その距離の近さと温もりにまたも顏の熱が急上昇する。

(〜〜〜〜!!)

 心の中で自分でもよくわからない絶叫を上げる。

 あの時は空へ飛ぶためだった。でも今は違う。

 はっとして周りを見るとセリーンやアルさん、王子たちまで目を丸くしていて更に恥ずかしくなる。

「だ、大丈夫だから、下ろして!」

「いいからお前はもう寝ろ。また熱でも出されたら面倒なんだよ」

「うっ」

 それを言われると、言葉に詰まってしまう。

 でもとにかく、今この距離感はまずい……!

 熱は無いはずなのに、まるで熱に侵されたみたいに顔は熱いし心臓がバクバクと煩い。

(これじゃあ、まるで――)

「そうだな。客人用の寝室に案内しよう」

 そう言ったのは、なんだか面白がるように目を細めた王子だ。

「何があったかは知らんが、少しは僕を見習う気になったみたいだな」

「え?」

「ごほっごほんっ!」

 そこで急にアルさんが大きな咳をした。

「で、殿下、そのお部屋はどちらに? 俺も少し休めたらと思うのですが」

 そうだ。アルさんだって疲れているはず。

 アルさんだけじゃない、皆寝ていないのは同じだ。

「あぁ。こっちだ」

 王子はクラヴィスさんと共に先頭を歩き出した。

「ラグ、やっぱり私自分で」

 王子について歩き出した彼を見上げるが、彼は不機嫌そうな顏のままこちらを見てはくれない。

「カノンちゃん、こういうときは遠慮なく甘えちゃいな」 

「アルさん……」

「あぁ、おそらく明日は祝宴続きだ。皆、今のうちにゆっくりと休んでおくといい」

 ――祝宴。

(そっか。王様、歩けるほどに回復してるんだもんね)

 なんだか本当に色々とあり過ぎて、つい先ほどのことが随分前のことのように感じる。

 と、そのときブゥがラグの胸元からこちらをじっと覗き見ていることに気が付いた。いつの間にアルさんから移動したのだろう。

 夜が明けたからか彼もなんだか眠そうで、それにラグの歩調が妙に心地良くて――。

「カノン、もう眠ってしまったのか?」

 そんなセリーンの声が聞こえた気がしたけれど、もう目を開けることも出来ずに結局私はそのまま深い眠りの中に沈んでいった。




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