「クラヴィスさん、無事だよね」
「その男の言い方からすると、おそらくまだ殺されてはいないだろうと思うが……」
セリーンが眉間に深く皴を刻み答えてくれた。
――クラヴィスもすぐに貴方の元へ参ります。
彼はそう言っていた。
だからきっと、生きているはず。
「うっ」
小さな呻き声に皆の視線がフィグラリースさんに集中する。
瞼がうっすらと開いていき、
「っ!」
その瞳が、前に立つラグや私たちを捉えた。
彼はすぐに自分の置かれた状況を察したようだった。
「気が付いたか?」
そう彼に声を掛けたのはセリーン。
「残念だったな。私たちは護衛も兼ねてツェリウス殿下に呼ばれたんだ」
「……なぜ生かしておくのですか」
「!」
フィグラリースさんのそんな第一声に息を呑む。
「早く、殺してください」
「それを決めるのはオレたちじゃない」
先ほどと同じようにラグが冷たく告げる。
「それにお前にはまだ訊きたいことが」
「クラヴィスさんは生きているんですよね!?」
思わず彼の言葉を遮って訊いていた。
するとフィグラリースさんは目を閉じ、ゆっくりと頷いた。
それを見て心底安堵する。
(良かったぁ……)
「宰相に言われたのか?」
セリーンがズバリ訊くと、フィグラリースさんは目を閉じたまま首を横に振った。
「違います。全て私が計画したこと。プラーヌス様は関係ありません」
その答えにセリーンはふぅと短いため息を吐いた。
――なぜ本当のことを言わないのだろう。
なんで庇ったりするのだろう。あの宰相に命令されたからだと言えばいいのだ。
そうすればもしかしたら許してもらえるかもしれないのに。
そうすれば、デュックス王子にも知られずに――。
そこまで考えて、気が付いた。
「デュックス王子に知られないため、ですか?」
私の問いかけに彼は目を開いた。
「宰相が……彼のおじいさんがお兄さんの命を狙っているってこと、知られたくないからですか?」
「……」
彼は床を見つめたまま答えない。
ぎゅっと両手を強く握り締める。
「さっき、あなたはデュックス王子のためだと言いましたよね」
昼間嬉しそうにツェリウス王子と話していた少年の顔が浮かんで、なんだか無性に腹が立ってきて、私は声を荒げた。
「何が王子のためなんですか。宰相にしたってあなたにしたって、こんなに身近な人がお兄さんを殺そうとしたと知って、デュックス王子が喜ぶはずないのに!」
彼はあんなにお兄さんのことを慕っているのに。
それを知らないはずないのに。
「何が王子のためですか!」
「…………」
彼はまた固く瞳を閉ざしていた。
答えてください、そう畳みかけようとした、そのときだった。
「フィー?」
そんなか細い声が聞こえてきた。
ハっとして声のした方を見る。
塔の入口に寝間着姿のデュックス王子が呆然と立ち尽くしていた。
その後ろにはツェリウス王子とアルさん。そしてクラヴィスさんが苦渋の表情を浮かべ立っていて、無事な彼の姿を確認してほっとするよりも。
(デュックス王子、なんで……!?)
私は震える手で自分の口を塞いでいた。もう遅いとわかっているけれど。
いつ扉が開いたのだろう。自分が大声を上げていたからだろうか、全く気が付かなかった。
フィグラリースさんは扉に背を向けたまま、ただ大きく目を見開いている。
「フィー、何をしているんだ? 今の、どういうことだ?」
消え入りそうな声。
「フィーが、じいさまが、兄さまを殺そうとしたって? 嘘、だよな?」
「…………」
答えない従者に、デュックス王子の顔が今にも泣き出しそうに歪んでいく。そして。
「なんで何も言わないんだよ、フィー!」
彼の叫び声が塔の中に高く反響した。
残響が消えると同時、ふぅとアルさんの吐息が聞こえた。
「デュックス殿下な、お前さんを捜していたんだと。さっきの音で目が覚めて、近くにお前さんがいないのに気が付いてな」
「……」
フィグラリースさんは固く目を瞑り、やはり何も言わない。
そんな彼に痺れを切らしたのか、デュックス王子が再び強く叫んだ。
「もういい! じいさまのところに行ってくる!!」
「デュックス王子!」
くるりと踵を返し廊下へ駆け出した王子。
それを追おうとした私の腕を、ラグの手が掴んで止めた。
「でも!」
彼は何も言わず、私から王子たちの方へと視線を向ける。
「いいんですか?」
アルさんがツェリウス王子に訊ねていた。
「すみません! 私があんなこと」
私はその場で頭を下げる。
――あいつは何も知らなくていい。
王子は、そう言っていたのに。
ラグの手が私から離れる。
「いや。……いずれ解ることだ。僕たちも行こう。フィグラリース、お前もだ。クラヴィス頼んだぞ」
「はっ」
クラヴィスさんがすぐにこちらに駆けてきて、横になっているフィグラリースさんの身体を起こしていく。
その素早い動きを見て、改めて彼が無事だったことにほっとする。
「……まさか、おまえに殺されそうになるなんてな」
フィグラリースさんを連れて歩き出しながらクラヴィスさんが小さく呟くのが聞こえた。
「完全に油断したよ」
いつもとは違うそのラフな話し方に、二人が親しい間柄であったことが伺えたけれど。
「…………」
フィグラリースさんは何も言わず、ただ深く頭を垂れていた。
クラヴィスさんがこちらを振り返る。
「皆さんも出てください。この者らを一先ずここに閉じ込めてしまうので」
「はい! ――あ、でも」
足を踏み出そうとして後ろを振り返る。
(ラグ、大丈夫かな……)
彼は自分の名がバレたことを気にしていた。
私の視線に気が付くと、彼は息を吐きながら目を伏せた。
「オレはここで」
「貴様が城内を歩いていてもさほど問題はないと思うぞ」
セリーンのその言葉にラグは眉を寄せる。
「先ほどの件は王子がうまく誤魔化していたようだからな」
どういうことだろう。
「早く出よう」
「う、うん」
背後を気にしつつ私はセリーンについて行く。
するとラグも遅れて歩き出し、ほっとした。
書庫塔を出て廊下を歩きながら気付いたことがあった。
先ほどあんな騒ぎがあったというのに、城内は何事もなかったかのように静かだ。
(王子様の部屋が襲撃されたっていうのに……)
王子がうまく誤魔化していた――これもそのせいなのだろうか。
この国の宰相、プラーヌスの執務室兼寝室はエントランスホールにほど近い位置にあった。
「答えてください、じいさま!」
扉が開けっ放しになっているせいで、デュックス王子の泣きわめくような怒声が廊下にまで響いていた。
遅れて私たちが部屋に入ると、プラーヌスは酷く慌てふためいた様子でデュックス王子を宥めていた。
流石に寝巻姿ではないものの昼間会った時と比べるととてもラフな格好をした宰相。その姿は駄々をこねる孫に困り果てる、どこにでもいる“おじいちゃん”にしか見えない。
それを見守るツェリウス王子とアルさん、そしてフィグラリースさん。
更には。
「おやおや、皆さん御揃いで」
「!?」
プラーヌスの背後に、黒い人影があった。
その低く冷たい声には聞き覚えがあった。
ルルデュールの師であり、アルさんの友人だったという、確か名前は――。
「サカード。やっぱお前も来てたのか」
そう唸るように言ったのはアルさんだった。
あのときは暗闇の中でその容姿はわからなかったけれど、蝋燭の灯りに照らされた顏はほっそりと女性的で、アルさんの同期と聞いていたが大分年若く見えた。
しかし目を隠すほどに長い前髪のせいで、その視線や表情はやはりわかりにくいままだ。
その唇の端が僅かに上がった。
「私は連れ戻しにきただけですよ。勝手に行動した生徒をね」
ぎくりとする。
彼は、私が先ほど眠らせたルルデュールを捜しているのだ。
ふぅと嘆息が聞こえた。
「プラーヌス。その者はユビルスの術士だな」
王子に言われプラーヌスの顔がさっと蒼ざめる。
そうだ。彼がこの場にいることが、宰相とユビルスの術士が繋がっていたという何よりの証拠。
「僕は旅の途中、その者と仲間に襲われ殺されかけた。ここにいる者たち皆がそれを目にしている」
それを聞いたデュックス王子は瞳を大きくしプラーヌスの背後に立つ暗殺者を見上げた。
「それについ先ほども、そこにいるフィグラリースにな」
フィグラリースさんの背がびくりと震える。
厳しい口調で続ける王子。
「観念するんだな、プラーヌス。言い逃れは出来ないぞ」
途端、がくりと膝をつきプラーヌスは頭を垂れた。
――己と血のつながった孫を王にしたいがために、暗殺者を雇った男。
その小さな肩が震え出し、泣いているのだと思った。しかし。
「ふ、ふふふ……っ」
彼は笑っていた。
王子が眉を顰める。
瞬間、おかしくなってしまったのかと思った。
しかし彼は勢い良く背後を振り返り、叫んだ。
「今からでもまだ遅くはない。こやつらを始末しろ!」
「!?」
一気に緊張が高まる。
近くにいたアルさんがすぐさま王子の前に出る。セリーンも服の下から隠していた剣を取り出した。
高笑いしながら喚くプラーヌス。
「次期国王は我が孫デュックスだ! 誰が卑しい血の混じった貴様などに渡すものか! 魔導術士よ、今すぐにこやつらを始末するのだ!」
「お断りします」
「――は?」
その笑い声がぴたりと止んだ。
唖然とした顏で、己が雇った暗殺者を振り返るプラーヌス。
「おや、貴方が先ほど仰ったんですよ。契約は破棄だと」
サカードさんの言葉にプラーヌスの顔が哀れなほどに歪んでいく。
契約は破棄。
(それって……暗殺の?)
「貴方のお望み通り前金もきちんとお返ししたではないですか。それに言ったでしょう、私は生徒を連れ戻しにきただけだと。どうやらもうここにはいないようですが……」
と、サカードさんのその暗い瞳が私の背後を捉えた。――ラグだ。
「おそらく彼の目的は貴方だったのではないですか?」
「……お前の生徒ならまだ寝てるんじゃねーか」
「寝てる?」
ラグの答えにその見えにくい眉がぴくりと震えた気がした。
「勘違いするなよ。力の制御に失敗したのか知らねぇが、いきなりぶっ倒れたんだ。そろそろ起きる頃だろ。……王子の部屋から真っ直ぐに跳んだ森の中だ」
――信じてくれるだろうか。
どきどきとしながら見つめていると、ふっとその口端が微かに上がった気がした。
「そうですか。それでは起きぬうちに迎えに行かないとなりませんね。また勝手に動かれてはたまらないですから。それでは、私はこれで」
「ま、待て! どこへ行く!?」
軽く会釈をし窓へと向かおうとする彼をプラーヌスの情けない声が止める。
顏だけ振り返るサカードさん。
「ですから、もうここに用はありません。帰ります」
きっぱりとそう答えた彼の視線がツェリウス王子に移る。
「あぁ、そういうわけですのでツェリウス殿下。もう御身の心配は要りませんよ。それと、私の生徒が破壊したお部屋の修理費は必ずお支払いいたしますので」
そしてもう一度軽く頭を下げたサカードさんを、再び呼び止める声があった。
「ユビルスの術士であるお前に、頼みがある」
その声の主――ツェリウス王子に皆の視線が集まる。
(王子?)
「丁度良かった。ユビルスに書簡を出そうと思っていたんだ」
ゆっくりと、サカードさんがこちらに身体を向けた。
「書簡、ですか。それは一体どのような?」
堂々と彼を見つめ返し、王子ははっきりとこう言い放った。
「ユビルスの術士を数名、衛兵として正式にこの城で雇いたい」
「!?」
私含め、その発言に皆が驚愕した。
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