(わぁ〜!) その大きく堅牢な城門を間近に見上げ、思わずそんな声が出かかった。 王子たちの手前、寸でのところで抑えたけれど。 頑丈そうな鉄扉の前には門番が二人立っていて、近づいてくる私たち一行に気が付くと長い槍を交差させた。 「少々お待ちください」 クラヴィスさんが王子と私たちをその場に留め、門番の元へと向かう。 「私だ。クラヴィスだ」 声高に言いながら近づいていくと、門番たちは驚いたように槍を直した。 「クラヴィス副長!」 「ツェリウス殿下のお帰りだ。門を開けろ」 門番二人が目を剥きこちらを、王子を見た。 当の王子は涼しい顔。でもその視線はしっかりと城門の向こうの宮殿を見据えているように見えた。 「何をしている。早くしないか!」 クラヴィスさんに強く言われ、門番たちは慌てて重そうな鉄扉を押し開けていく。 こちらに戻ってくるクラヴィスさん。 「お待たせしました」 その言葉を受け王子が足を進め、私たちもその後に続いた。 硬く緊張した様子の門番と目が合い思わず愛想笑いを浮かべるが、向こうはその表情を崩さなかった。 城門の中に入ると瞬間目の前が闇に包まれた。だが何度か瞬きをして目が慣れてくると中の様子が見えてくる。 まだ宮殿内部ではなく、それを守るための城門だと言うのにその高い天井や壁には細かく美しい装飾が施されていて驚く。 そして、光差すアーチを抜けると目の前には広い庭園が広がった。 「うっわぁ!」 さすがに声が出てしまった。 「綺麗!」 「あぁ、想像以上の美しさだ」 「すげぇなぁ」 セリーン、そしてアルさんもその庭園をぐるりと見回し、感嘆のため息を漏らしていた。 それほどに美しかったのだ。 宮殿に向かいまっすぐに伸びる石畳の道。 その道を中心にして左右対称に大きな噴水が4つ。そして美しく手入れされた緑には様々な色の花が咲き乱れていた。 女の子なら、いやきっと誰もが見惚れてしまうだろう素晴らしい庭園だった。 「立ち止まるな。置いて行かれるぞ」 ただ一人、ラグだけが王子とクラヴィスさんのすぐ後を歩きながら冷たく言った。 この素敵な風景に何の感動も無いのだろうか。そう思いながら駆け足で追いつく。 「驚くのは最初だけだ。すぐになんとも思わなくなる」 そう、庭園には一瞥もくれず言ったのはツェリウス王子だ。 クラヴィスさんが苦笑する。 「そんなこと言わないでください。庭師が泣きます」 王子はふんと鼻を鳴らすだけだった。 (本当だよね。こんなに綺麗にしてくれてるのに……あれ?) その時、庭園の奥の方で何かが動いた気がして思わず立ち止まる。庭師だろうか。 でもそれらしき人影は見当たらず、動くものと言えば時折高く吹き上げる噴水くらい。 私は妙に気になってもう一度よく目を凝らし遠く見える植え込みの辺りを見つめた。 「カノン?」 セリーンがそんな私に気付いてこちらを振り向く。 「あ、ごめん。向こうにね、」 指差しながら彼女に視線を向けたそのときだ。 「にいさま!?」 「え?」 確かにそんな可愛らしい声が聞こえて、もう一度先ほどの場所を見る。 すると植え込みの向こうに、先ほどは見えなかった人影があった。 その人物がこちらに向かって駆けてくる。背の低い、あれは。 (子供?) そうか。きっとさっきは植え込みの向こうに屈んでいて、それで見えなかったのだ。 そんなことに一人納得していると、 「デュックス……」 王子が低く呟いた。 デュックス。そして、“にいさま”。 あれがツェリウス王子の――。 「あ!」 思わず声が出ていた。セリーンやアルさんの声も重なった気がする。 まだこちらまで距離のある噴水の辺りで、その小さな王子様が前のめりに転んでしまったのだ。 「デュックス殿下!」 クラヴィスさんの声が上がるより早く、私は駆け出していた。 (今のは絶対痛かった!) 両手で何かを持っているせいで、顔からもろに地面に突っ込んでいた。 まだその場所が石畳でなくて良かったけれど。 「大丈夫!?」 そう声を掛けながら近寄り、すぐに彼もこの国の王子様だったと慌てて言い直す。 「だ、大丈夫ですか?」 「うぅ〜」 顔を押さえ小さく呻きながらデュックス王子はゆっくりと起き上がる。 その髪は聞いていた通り金色ではなかった。緩くウェーブの掛かった明るい栗毛。 ツェリウス王子に弟がいることは知っていたけれど、こんなに歳が離れているとは思わなかった。 まだ10歳前ではないだろうか。 そんな彼の周りに小さな花がたくさん散らばっていた。タンポポに似た黄色い花だ。 (そっか、これ持ってたから……) 私はその花を拾い集めて、デュックス王子の前に差し出した。 「どうぞ」 すると小さな王子様はゆっくりと顏から手を離しこちらを見上げた。 頬っぺたが片側すれて赤くなっていたけれど、思っていたより軽傷でほっとする。 でもデュックス王子の目にはいっぱいの涙が溜まっていて、しかしまだ零れてはいなかった。 必死に泣かないように頑張っているのだとわかり、 (可愛い) 思わずそう思ってしまった。 「ありがとう」 小さくお礼を言って王子様は私の手から花を受け取った。と、 「相変わらずだな、デュックス」 背後から呆れたような声。ツェリウス王子だ。 「兄さま!」 途端、デュックス王子の顔がぱぁっと輝いた。 素早く立ち上がった彼は姿勢を正してお兄さんを見上げる。 そう満面の笑顔で挨拶した。 「あぁ、ただいま。心配をかけたな。それより、お前は大丈夫なのか?」 「こんなの平気です!」 私はそんな二人を見ながらゆっくり立ち上がった。 (兄弟の仲は悪くないんだ) 派閥があると聞いて、つい仲が悪い想像をしてしまっていたけれど。 少なくともデュックス王子は、お兄さんのことが大好きみたいだ。 「デュックス殿下、お一人なのですか? フィグラリースや他の者は」 ツェリウス王子のすぐ後ろでクラヴィスさんが庭園を見回した。 確かにお城の中とは言え、まだ小さな王子様を誰も見ていないというのも妙だ。 するとデュックス王子は急にむっとした顔をした。 「僕が誰もついて来るなって言ったんだ。僕はもうすぐ8歳になるんだから、庭園くらい一人で平気だよ!」 そしてすぐにまた笑顔に戻ってツェリウス王子を見上げた。 「それより見てください兄さま! 今丁度、兄さまのこと考えながらこの花を集めていたんです」 先ほどの黄色の花だ。 デュックス王子は嬉しそうに続ける。 「ほら、兄さまや父さまの髪の色みたいで綺麗でしょう!」 「あ、あぁ」 だがツェリウス王子は終始浮かない表情だ。 無理に笑顔を作っているのが見ていてわかる。 「あ! 兄さま髪を切られたんですね。長いのも格好良かったけど、短いのも似合っています!」 「あぁ……」 これにもツェリウス王子は曖昧に笑った。 短くなった経緯を知っているこちらもなんだか複雑な心境でいると、その空気を読んでかクラヴィスさんが再びデュックス王子に優しく声を掛けた。 「デュックス殿下。頬と膝を擦りむいていますよ。早く医師のもとへ」 すると、デュックス王子は先ほどよりも機嫌悪くクラヴィスさんを睨み上げた。 「こんなの平気だって言ってるだろ! 今兄さまとお話しているんだから邪魔しないで!」 「これは失礼しました」 慣れた様子で謝罪したクラヴィスさんに、デュックス王子は小さく鼻を鳴らした。 見た目は可愛らしくても、やはり一国の王子様ということだろうか。 (でもこんなところ、お兄ちゃんと似てるかも) 少し驚きつつ微笑ましく思っていると、その視線がこちらを向いた。 「兄さま。この者たちは?」 「僕が見つけてきた医師だ」 するとデュックス王子の顔が再び輝いた。 「やっぱり! 兄さまが選ばれたということはきっと素晴らしいお医者様なのでしょうね!」 その期待の眼差しが私に向いていて焦る。 「い、いえ、私は助手……というか、」 「お医者様はあちらですよ、殿下」 クラヴィスさんが少し離れたアルさんを指し示した。 アルさんが首を傾げる。向こうにはこちらの会話は聞こえていないようだ。 デュックス王子がアルさんを見つめたその時。 「――そうだ。デュックス、早速その傷を治してもらうといい」 「え?」 お兄さんの言葉にデュックス王子はきょとんとした顔をした。 クラヴィスさんもそんな主の言葉に驚いたようで。 「殿下!」 「丁度いいじゃないか。この程度の傷ならすぐだろう。デイヴィス医師!」 いきなり呼ばれたアルさんが驚いた顔で己を指さした。 「弟の傷を治してくれないか?」 「あぁ、はいはい」 軽く返事をしながらアルさんがこちらに駆けてくる。 デュックス王子は戸惑うようにお兄さんを見上げた。 「兄さま。このくらい本当に」 「いいから。きっと驚くぞ」 珍しく、ツェリウス王子が悪戯っ子のような笑みを浮かべた。 「?」 不思議そうにそんなお兄さんを見つめるデュックス王子。 と、その後ろにアルさんが立った。 アルさんは軽く会釈してから笑顔で王子に挨拶する。 「お初にお目にかかります。デュックス殿下。私デイヴィスと申します」 「あ、あぁ」 短く答えながらも不安げにお兄さんの方をちらちらと見る王子。 「えっと、いいんですよね?」 アルさんが念のためかツェリウス王子とクラヴィスさんに確認すると、王子はしっかりと頷いた。 一方クラヴィスさんは諦めたように重い溜息を吐いていて。 そんなクラヴィスさんを少し気にしつつも、アルさんは王子の前に膝を着いた。 「では、失礼しますね。ちょっとだけ我慢してください」 デュックス王子の頬へ手を伸ばすアルさん。だが王子はその手から逃げるように後退った。 「ちょっと待って! 何をするんだ? い、痛いのか?」 「大丈夫ですよ。ちょっと触るだけです」 「触ったら痛いじゃないか!」 「すぐ済みますって」 アルさんが優しく言うが、完全に怯えてしまっているデュックス王子。 確かに傷に触れられるというのは嫌なものだけれど。 それを見てツェリウス王子が呆れたように言う。 「デュックス。もうすぐ8歳なんだろう? このくらい怖がってどうするんだ」 「兄さま……。わ、わかりました」 お兄さんに言われ、ようやくデュックス王子は覚悟を決めたようだった。 「頑張ってください、デュックス王子!」 思わず声援を送ると、王子は緊張した面持ちで、でもしっかり頷いてくれた。 (やっぱり可愛い!) 「では、失礼して……」 アルさんに言われ王子はぎゅっと目を瞑る。 そして擦りむいた場所を直に触れられ、びくりとその身体を震わせた。 「癒しを、此処に……」 アルさんの優しい声。 その傷が治るのは本当にあっという間だった。 「はい。終わりましたよ」 「え?」 アルさんの手が離れ、デュックス王子は驚いたように目を開けた。 そしてゆっくりと自分の頬に触れる。 「……痛くない」 呆けたように呟く王子。 アルさんが笑顔で言う。 「それは良かった。では膝の方もちゃちゃっと治しちゃいましょうか」 「う、うん」 そしてアルさんは少し血の滲む膝にも手を触れ、こちらもすぐに治してしまった。 「他に痛いところはないですか?」 訊かれて、王子は首を振る。 「良かったですね、王子様!」 私が言うと、王子はやっと嬉しそうに笑った。 「あぁ!」 「な、驚いただろう」 お兄さんに言われ、王子は更にはしゃいだ声を出した。 「はい、凄いです! なんですかこれは!」 「これが術士の力だ」 「術士……?」 明るかった王子の顔が急に曇り、困惑の色が浮かんだ。 「でも、術士というのは恐ろしいって……」 そしてアルさんを再び怯えたふうに見上げた。 それでも微笑みを崩さないアルさんを見て、ちくりと胸が痛む。 (やっぱり、ここでも術士は恐ろしいものだって言われているんだ……) でも、ツェリウス王子はそんな弟にしっかりとした口調で言った。 「あぁ。だが、こうして人を治すことを専門とした術士もいるんだ」 「そうなのですか?」 まだ半信半疑という感じの王子様。 その時だった。 「デュックス殿下! そろそろお戻りくだ……な、なんだお前たちは!?」 宮殿から出てきた男の人が、ラグとセリーンを見つけ驚いたように声を上げた。 その手が腰に携えた長剣を素早く抜くのを見て、焦る。 あちらからはここが死角になってしまっているようだ。 クラヴィスさんがすぐにそちらに駆け出し声を上げた。 「フィグラリース、私だ!」 「クラヴィス!?」 フィグラリースと呼ばれたその男の人は、クラヴィスさんを認めて素っ頓狂な声を上げた。 「その方たちは私たちが連れてきた客人だ」 戸惑うように、それでもその人が剣を下ろすのを見てほっとする。 と、デュックス王子もその彼が見えるところまで走って行きぴょんぴょんジャンプしながら手を振った。 「フィー! 兄さまが帰ってきたんだ!」 「ツェリウス殿下が!?」 更に驚いた様子の彼。 証拠を見せるかのように、弟の傍らに堂々と立つツェリウス王子。 そして、声高に告げた。 「皆に伝えろ。ツェリウスが戻ったとな!」
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