――少し無口ですが、優しい人です。

 婚約者である彼のことを、はにかみながらそう語っていたライゼちゃん。

 彼が戻ることを信じて待っている彼女が、この事実を知ったらどんなにショックを受けるだろう。

「そんで、おめぇは? あいつとどういう関係だ。なんで知ってる」

「え?」

 じろりとドゥルスさんに睨まれ、私は言葉に詰まってしまった。

 嫌ってはいても娘の夫。その彼のことを知る私が気になるのは当然だ。

(でも、実はフォルゲンさんの婚約者だった子と知り合いで……なんて言えるわけないし)

「そう睨むなドゥルス。彼女は今の私の雇主でな。以前共にフェルクに立ち寄った折りにその名を耳にしたんだ」

 助け船を出してくれたのはセリーン。

 お蔭でドゥルスさんの視線が外れ激しくほっとする。

「とても腕の良い医者だったと皆惜しんでいたぞ」

「やはりフェルクの地でもフォルゲンは有名だったんですね」

 誇らしげなクストスさんの後ろでドゥルスさんは面白くなさそうにけっと悪態をついた。

 私はこっそり視線でセリーンに感謝を伝え、なるたけ平静を装うようにした。

「で、城の話はいつ聞けんだ」

 その時小さなラグが溜まりかねたように声を上げた。

 そうだ。彼は宮殿内部のことを探るために術を使い、今こうしてセリーンに抱えられているのだ。

「あぁ、そうだったな。……実はな、ドゥルス。――と、すまない。息子は城の関係者か?」

「え?」

 突然視線を向けられクストスさんが目を瞬く。

「こいつぁ城とは何の関係もねぇよ。毎日絵を描いてのうのうと暮らしてやがんだからな」

「な、なんだよ、母さんがいない間家のことは全部俺がやってるだろ!?」

 恥ずかしそうに頬を染め、声を荒げたクストスさん。

 言われてみれば家の壁にはたくさんの絵画が飾られていて、部屋の隅の方にもキャンバスらしきものが何枚も立掛けられていた。

(これ、全部クストスさんが?)

 そのほとんどが風景画で、森から突き出た宮殿の塔の絵もあった。おそらく先ほどの私たちのように街から見上げて描いたのだろう。

 素人目だが美術館に飾られていてもおかしくない素敵な絵ばかりで、思わず感嘆のため息が漏れていた。 

「ほお、素晴らしい才能ではないか」

「あ、ありがとうございます! 実はいくつか宮殿内にも飾ってもらえているんですよ」

 嬉しそうに話すクストスさん。だがお父さんはそんな息子のことを良く思っていないようで。

「男なら体鍛えてなんぼだろうが、ったく。で、なんだ、こいつには聞かれたくねぇ話なのか?」

「あぁ、すまないが。念のためな」

 セリーンが言うと、クストスさんは慌てるように出口に向かった。

「すみません、気が付かず……。それじゃ親父、俺はしばらく店の方に行ってるから。あ、ゆっくりしていってくださいね」

 そう笑顔で言い残し、外に出ていった。

「店を出しているのか?」

「小せぇ店だ。まったく何が楽しいのやら俺にはさっぱりだがな」

「まぁ良いではないか。それで本題だが、実はなドゥルス。私たちもこの後城に上がることになっているんだ」

 ドゥルスさんが訝しげに眉を寄せる。

「どういうこった」

「この子の治癒の術を見ただろう。これはまだ内密の話なのだが、この力で王の病を治して欲しいと、とある人物に頼まれていてな」

「術士を宮殿にか? そりゃまた思い切ったことを……。一体誰だ、そいつぁ」

「ツェリウス王子だ」

 その名を聞いた途端、ドゥルスさんは目を剥き前のめりに立ち上がった。

「ツェリウス殿下が戻られたのか!?」

「あぁ。……いや、正確にはまだ城内には戻っていないが。今とある場所で待機してもらっていてな。この後合流でき次第共に上がる予定だ」

 するとドゥルスさんは長い溜息を吐きながら再び腰を下ろした。

「そうか、殿下が……」

 心底安堵したようなその表情に、セリーンは微笑んだ。

「余程王子のことを案じていたようだな。何やら派閥が出来ていると聞いたが、お前はツェリウス王子派なのか?」

「あ? いや、俺はどっち派とかそういうのは特に無ぇんだが、殿下が不在の間色々と良くない噂を聞いてな。ご無事なのがわかりゃ俺はそれで……」

「良くない噂とは、王子暗殺のことか?」

 途端、ドゥルスさんの表情が変わった。

「……セリーン、おめぇどこまで知ってんだ」

 こちらを見上げたその眼光は鋭く、この時初めて彼が王族を守る現役の騎士なのだと理解した。

 だがそこで動揺するセリーンではない。

「実際に目の当たりにしたんだ。王子が暗殺されそうになるところをな」

「!?」

 再び目を見開いたドゥルスさんに、セリーンはこれまでのいきさつを話していった。

 勿論、王子が城を出た本当の理由やラグの素性などは隠してだ。

 旅の途中で偶然王子と出会い、道中の護衛も兼ねて王の治癒を依頼されたこと。

 そしてその途中ユビルスの暗殺者に襲われたことを話すと、ドゥルスさんは怒りを露わにした。

「ユビルスの暗殺者……。プラーヌスめ、そうまでしてデュックス殿下を王にしたいか」

 膝の上でぎりぎりとその拳を握りしめるドゥルスさん。

「それが首謀者の名か?」

「間違いねぇだろうな。昔っからデュックス殿下を一番に推しているのが奴だ」

 プラーヌス。その人物がツェリウス王子の暗殺を企む人物。

 宮殿に入る上で一番の要注意人物ということだ。

「どういう人物だ?」

「プラーヌスはこの国の宰相だ」

 セリーンが表情を厳しくする。

(宰相って、王様の次に偉い人なんじゃ……)

 そんな人が王子暗殺を企てた張本人だということに驚く。

「そして、デュックス殿下の祖父でもある」

「ということは……王妃の父親ということか」

 眉を顰めたセリーンに、ドゥルスさんは重く頷いた。

 ――理解はしたくないが、それを聞いて納得がいく。

(自分の孫を王様にしたいってこと)

「共謀者はどのくらいいそうだ?」

「……陛下が伏せっている今、この国のトップは奴だと言っていい。敵は多いと思っていたほうがいいだろうな」

 その低い声音にぞくりと震えが走る。

 そんな敵ばかりの中にこれから入り込むのだ。思わずごくりと喉が鳴ってしまった。

 と、思い出したように彼は続けた。

「そういやクラヴィスって奴は一緒じゃなかったか?」

「あぁ、クラヴィスも共に戻っているぞ。今も王子の傍にいる」

「……そうか」

 意味ありげな顔でドゥルスさんは無精ひげの生えた顎を撫でた。

「クラヴィスがどうかしたか?」

「……いや、あいつは一応俺の部下でな、疑いたくは無ぇんだが……あいつが実はデュックス殿下派だって噂が立ってな」

「!?」

 私たちは顔を見合わせる。

「で、でもクラヴィスさん必死に王子を守っていましたよ! その暗殺者からも。ね、セリーン」

 セリーンがしっかりと頷くと、ドゥルスさんは瞬間とても安堵したような表情を見せた。

「そうか、そうだよな。あいつが殿下を裏切るはずねぇよな。すまねぇ、今のは忘れてくれ」

「あぁ。ありがとうドゥルス。お前に会えて本当に良かった。ここまでわかれば十分だ」

「もうひとつ訊きたいことがある」

 セリーンが別れの挨拶をしかけたところにラグが割入る。

 彼女に抱えられたまま、彼は真剣な顔で尋ねた。

「エルネストっていう金髪の男を知らないか?」

「エルネスト? さぁ……聞いたことねぇけどな」

「牢に閉じ込められている可能性もあるんだが」

「牢に? いや、そんな名の囚人は今までにいなかったと思うが。それに金髪だろ? この国で金髪っていやぁ陛下とツェリウス殿下くらいだからなぁ」

「そうか……」

 溜め息交じりにラグは肩を落とした。

 ひょっとしたら……と思ったが、ここに彼の手がかりは無いようだ。

「すまねぇな。おめぇの術のお蔭で俺の足も治ったしよ、陛下のこともよろしく頼んだぜ」

「あ、あぁ」

 ドゥルスさんの笑顔に曖昧に頷くラグ。

「それと、セリーンのこともな。俺のもう一人の娘みたいなもんだからよ。なんだかおめぇにぞっこんのようだからな」

 それに関しては口を閉ざすラグだった。

「何を言っているドゥルス。逆だぞ? 私がこの子を守るんだからな!」

 更に強く抱き締められたらしいラグがぐえっと呻き声を上げ、ドゥルスさんはさも面白そうに豪快に笑った。

「また会えて良かったぜ、セリーン。俺も明日は城にいるが、十分に気を付けろよ」

「あぁ、また城でな。クストスにはすまなかったと伝えてくれ」

 そして、私たちはドゥルスさんの家を後にした。



「いい加減に離せ! めちゃくちゃ目立ってんだろうが!」

「いいではないか。むしろ皆にこのラブラブっぷりを見せつけてやればいい」

「ふっざけんな!!」

 街中で怒声を上げるラグに苦笑しつつ、私はセリーンに言う。

「でも良かったね。ドゥルスさんと再会出来て」

「あぁ」

 やはり嬉しそうなセリーン。

「それに術士だって言っても平気な人で良かった」

「あぁ。ドゥルスは以前にも戦場で術士に傷を治してもらったことがあるそうでな。術士に対して好意的なんだ」

「そうだったんだ」

 こっそりラグを見るが、セリーンの腕から抜け出そうと必死らしく聞いていたかどうかわからなかった。

「しかし、城の中は思ったより敵が多そうだな」

「うん。王子が戻りたくないって言ってた気持ちがわかったかも。それに……」

「フォルゲンのことか?」

「うん。ライゼちゃん、このこと知ったらどう思うだろうって……あ!」

 私はそこであることに気が付き思わず立ち止まった。 

「ひょっとして、ビアンカがお城の方をずっと見てたのって」

「あぁ、おそらくはそうだろうな」

 セリーンも気づいていたみたいだ。私は視線を落とし言う。

「フォルゲンさん、フェルクに帰れないかな。ビアンカがいればすぐだし、無事だってことだけでも伝えにさ」

「そうだな。城で会えるといいのだが……。それとクラヴィスの件だが、一応ヘタレメガネにも伝えておくか」

「うん、そうだね。クラヴィスさん実はあんな性格だし、多分誤解だと思うけど」

 誤解であって欲しい。そう思った。

「さぁ急ごう。流石に待たせ過ぎたな」

「うん!」

「はーなーせー!!」

 緑の中に突き出た白い塔を見上げ、私たちは足早に歩き始めた。



「遅いぞ! 服を用意するのにどれだけかかっているんだ!」

 開口一番に王子に怒られてしまった私たち。

「す、すみません! ちょっと色々あって……」

 すでに元の姿に戻っているラグは、涼しい顔で服の入った包みをアルさんに投げて渡した。

「何やってたんだ? いい服がなかなか見つからなかったのか?」

 少し疲れた様子のアルさんにどこまで喋っていいものかとセリーンを見上げる。

 すると彼女は王子に向かい謝罪した。

「すまなかった。昔の知り合いに偶然出会ってな、つい話し込んでしまった」

 それに素早く反応したのはアルさんだ。

「昔の知り合い? ま、まさかそれって男だったり……」

「あぁ。昔とても世話になった男だ」

 さらりと答えたセリーンにアルさんは電撃に打たれたような顔をした。

 完全に勘違いしているだろう彼にあとでちゃんと教えてあげなきゃと思いつつ、私はそのあとを続ける。 

「でも、お蔭でビアンカがああしている理由がわかったんです!」

 指差した先にいるビアンカはやはりまだお城を見つめたままだ。

 だが、王子は苛立ちを抑えるように息を吐き言った。

「いいから早く着替えてくれ。僕は早く宮殿に入りたいんだ」

「あ、すみません……」

 そうだ。つい興奮気味に話してしまったが、王子にとってビアンカの様子はおそらく全く関心のないこと。

 早速着替え始めているラグとアルさんに気が付き、私は慌てて包みから服を出した。

(えっと、どこで着替えよう)

 私がきょろきょろと辺りを見回していると、 

「あぁ、お二人はあちらの小屋でどうぞ」

笑顔のクラヴィスさんがそう言ってくれた。

 お礼を言って、同時に先ほどのドゥルスさんの言葉を思い出してしまった。

(この爽やかな笑顔が嘘なんてこと、ないですよね?)

「どうかしましたか?」

 首を傾げられ、慌てる。

 ついまじまじと見つめてしまっていた。

「い、いえ、なんでもないです! じゃ、着替えてきちゃいますね」

 私は彼に背を向け、セリーンと共に小屋に向かった。


 小屋の中には小さなテーブルと椅子のみが置かれ、どこに隠し通路の入口があるのか全くわからなかった。

 ちょっと探してみたかったけれど、そんな時間は無い。 

 私は急いで街で購入した白地の長衣に着替えていった。

 ふと着替え終わったセリーンを見ると、いつもと全く雰囲気が違っていて驚いた。

「セリーン、綺麗……」

 思わず声に出して言ってしまうと、セリーンは目を瞬いてから苦笑交じりに言った。

「そういえばこういった女性的な服はしばらく着ていなかったな」

「ううん、いつもの格好でも綺麗なんだけどね、そういう服着てもやっぱ綺麗だなって思って」

「ふふ、ありがとう」

 嬉しそうに笑うセリーン。

 と、その背後の椅子に立掛けられた剣に気づく。

「剣はどうするの? 持っては入れないよね、きっと」

 隠せる大きさの剣ではない。

「そうだな……。心許ないが仕方ない、ここに置いて行くか。ビアンカのこともある。ここに戻ってくるのは確実だろうからな」

 万一宮殿内で剣が必要になったときには騎士であるドゥルスさんに頼るとしようとセリーンは笑った。


 ラグとアルさんもいつもとは全く雰囲気が違っていて、なんだか新鮮だった。

 アルさんは思った通りセリーンを大絶賛し、しかしいつものように完全に無視され肩を落としていた。

「ビアンカ、行ってくるね。フォルゲンさん連れて戻ってくるから、待っててね」

 やはり城の方を見つめたままの彼女にそう言い残し、私たちはその場を後にした。


 ――そしていよいよ、クレドヴァロール王国の城“ソレムニス宮殿”へ。




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