「まさか、あのモンスターがクレドヴァロールの王子とは……。まぁ、愛しのあの子がそこの男と同一人物であることのほうが信じ難いがな」 ツリーハウスの中。セリーンが大真面目な顔でそんなことを言った。 今この場にラグがいなくて良かったと思いつつ苦笑して私はドアの方を見る。 (もしかしたら聞こえてるかもしれないけど……) 彼は今ドアのすぐ向こうにいる。念のための見張りだ。 ――あの後、クラヴィスさんに許可をもらい二人に王子の秘密を話すと、案の定二人は目を丸くしてツェリを見た。 「呪い……。そうか、それでオレのこともわかったってわけか」 そう呟いたラグに、クラヴィスさんが改まった様子で頭を下げた。 「アルディートさんと同じストレッタの術士である貴方にもお願いしたい」 王子が城へ戻るまでの護衛。 ラグは、こちらには全く関心のなさそうなツェリをもう一度見つめ、 「まだ訊きたいことがある。今の姿じゃまともに話もできねぇからな」 そう、遠回しに王子の護衛を引き受けていた。 「アタシも最初はびっくりしたよ。というか、あいつがここに来てから驚くことばっかだ」 ドナがちょっぴり怒るような口調で言う。 彼女が作ってくれた料理を食べ終えた私たち。 お豆がたくさん入った栄養価の高そうなその料理はとても素朴な味で、量は少なかったけれど空腹だった私たちには十分なご馳走だった。 セリーンは初めて口にしたこのパケム島独特の料理に感激さえしているようだった。 その料理はドアの向こうにいるラグや、ツリーハウス下にいるクラヴィスさんとツェリにも振る舞われた。 子供たちは私たちの後ろですでに寝息を立てている。 今日一日大変な思いをしたからだろう、私たちがツリーハウスの中に入って一息つく頃には皆寝入ってしまった。 ドナは私が部屋に入るなり、「ごめん!」と勢いよく頭を下げた。 「アタシ、カノンのこと信じないで酷いこといっぱい言っちまった」 「ううん、私もちゃんと話をしなかったのがいけなかったの」 そう慌てて手を振る私に、ドナは尚も続けた。 「いいや、アタシの悪い癖なんだ。相手の話ろくに聞かないですぐにカッとなっちまうの、よくばあちゃんに注意されてたんだけどな。ホントに、ごめんな」 そんなふうに言ってくれたドナに私は昼間よりももっと好意を覚えていた。 この世界に来て、こんなに歳の近い子と話すのは初めてで。 時間の許す限り、もっと色んな話がしたいと思った。 「ドナは最初からツェリが王子様だって知ってたの?」 「最初からっていうか、あいつ最初はずっとモンスターの姿だったんだよ」 「え、そうだったの?」 ドナは頷きながら首にかかった笛を手にした。 「あぁ。だからこれ吹いて人間になったの見たときはもう、驚いたなんてもんじゃなかった」 それはそうだろう。 ラグの変化を見ていて少しは耐性がついている私でさえ、ツェリが人間に変わっていく様を見たときは口が開いたままになってしまった。 「あんなでかい図体してるくせにやたら人に馴れてるから、変だなとは思ってたんだけどさ」 「怖くなかったの? 初めて会ったとき」 あの姿だ。普通なら恐ろしいと感じるはず。 だがドナは軽く笑い言った。 「あいつ川べりで倒れててさ、最初見つけたとき死んでると思ったんだ。まぁただ腹減って弱ってただけだったんだけどな。なーんか可哀想に見えてさ、飯少し分けてやったらついて来ちゃって。襲ってくる気配は無いし、モリスたちも気に入っちゃってさ、そのまま居るのが当たり前になってた」 ツェリと仲良く過ごしている子供たちを想像して、思わず笑みがこぼれる。 だが、そこでドナはふうと小さく息を吐いた。 「だからさ、未だに人間のあいつには慣れないんだよな」 「……ドナ、ツェリ――王子とは本当にこのままお別れしちゃうの?」 思い切って訊いてみる。 ドナは俯いたまま、笛をぎゅっと握り締めた。 「だって、普通に考えて王子様がこんなとこに居ちゃいけないだろ」 「そうだけど……」 「モリス達は皆寂しがるだろうけどな」 目を細めてドナは子供たちを見つめる。 「ドナは? 寂しくないの?」 子供たちを見つめるその顔が曇る。 「……寂しいよ。たったひと月だけど、家族だったんだから。――でも」 「でも?」 「この気持ちがあいつと同じものなのかどうか、わからないんだ」 心なしか、ドナの顔が赤らんだ気がした。 「あいつは、アタシを好きだって言ってくれた。でも、アタシの“好き”はモリスたちのそれと同じなんじゃないかって」 「家族を好きってこと?」 ドナはこくりと頷く。そして、思い切るようにして私の前に体を乗り出した。 「なぁ、カノンは、どうやってあいつと恋人になったんだ?」 「へ?」 思わず間抜けな声が出てしまった。 ドナは思いつめた表情で更に続ける。 「恋人って、好き同士がなるもんだろ? カノンはあいつのどういうところが好きになったんだ?」 「ちょ、ちょ、ちょっと待って! あいつって、」 「ラグだっけか? そこにいる。どうして好きだって思ったんだ?」 頭の中で何かが大爆発した気がした。 「ち、違う違う違う!! 私とラグはそんなんじゃないって!」 セリーンが面白がるような目でこちらを見ていて、更に顔が熱くなる。 「え?」 「だから、私とラグはそんな、こ、恋人なんかじゃなくって――」 そこで、ひょっとしてこの会話はドアの向こうに丸聞こえなのではないかと気づき慌てて声を抑える。 「だから、好きとかそんな気持ちはお互い全然無くって、ただ一緒に旅してるだけの、仲間っていうか」 ドキドキと心臓の音がやけに煩い。 (こんな話、ラグが聞いてたら大変だよー!) 嫌そうな顔がありありと目に浮かぶ。 「なんだ、そうなのか。アタシてっきり……」 私は何度も力強く頷く。 「ごめんな。ほら、アタシこんなふうに同じ年くらいの女の子と話すことってほとんど無いからさ、訊いとかなきゃと思って」 恥じるように笑ってドナはもう一度私を見た。 「じゃあ今好きな人はいるのか?」 その真剣な瞳にどきりとする。 こんな話――所謂コイバナをするのは酷く久しぶりな気がした。 ふと学校にいた頃を思い出す。 「……今は、いない、かな。――前はいたけど」 「あ、もしかして、例の捜しているっていう金髪の?」 「ち、ちがーう!!」 エルネストさんの優しげな笑顔が浮かんで、またしても一気に顔の熱が上がった。 彼こそ、この会話をどこからか聞いているかもしれないのだ。なんとなくきょろきょろと視線を動かしてしまう。 自分を落ち着かせるために、私は過去の淡い恋を思い出す。 「幼馴染の男の子なの。離れてから気付いたっていうか……。あぁ、好きだったんだなぁって思ったんだ」 「ほぉ、カノンにそんな相手がいたのか」 セリーンが意外そうに言う。 「初恋ってやつかな。今は全然、たまーに思い出すくらいで」 ――こっちに来てからそれどこじゃないし、そう心の中で付け加えて笑う。 「あ、セリーンは? 初恋の人、どんな人だった?」 つい悪戯心を出して訊いてみる。完全に修学旅行の夜のノリだった。 セリーンが少し驚いたように目を瞬く。 「私か? ……恋と言えるかどうかわからないが、もう一度会ってみたい人物ならいるな」 てっきり、私の初恋はあの愛しの子だ! と来るものと思っていた私は身を乗り出し更に訊く。 「どんな人だったの?」 するとセリーンはその頃を思い出すようにゆっくりと目を閉じた。 「遠い昔の話だ。まだ戦う術を知らなかった私を救ってくれた。もう顔もおぼろげにしか憶えていないが、もしまた会えるのなら、もう一度礼がしたいとは思っている」 彼女の、その穏やかな表情を見て、それが彼女にとって本当に大切な思い出なのだとわかる。 (セリーンにも、そんな人がいたんだ……) と、彼女がパチッと目を開けた。 「あぁ、しかし今の私にはあの愛しの子がいるからな。これは断じて浮気ではないぞ」 そうきっぱりと告げたセリーンに私はこくこくと頷きながらも苦笑してしまった。 「救ってくれた……か」 それまで私たちの話をじっと聞き入っていたドナが小さく呟く。 「あいつは、アタシたちを必死に守ってくれた。それは感謝してるんだ。何度礼を言っても足りないくらいにさ……」 と、そこで「あ〜っ」と声を上げ、ドナはそのまま仰向けに寝転んでしまった。 「でもさぁ、やっぱどう考えたってアタシとツェリウス王子じゃ住む世界が違いすぎる。だったら早くいなくなってくれた方がさ、寂しい気持ちも少なくて済むだろ?」 笑いながら言うドナ。 でも、まるで自分に言い聞かせているようだと思った。 「ドナはそれでいいの?」 「……あぁ。きっとツェリもアタシのことなんかすぐに忘れるさ。珍しかったんだろ、アタシみたいなのがさ。王子様なんて相手は選り取り見取りなんだろーし、その中の一人になるなんてのは絶対に嫌だしな」 「…………」 「それにアタシには家族がいる。こいつらが居てくれれば寂しい気持ちもすぐに消えるさ」 モリスちゃん達を横目で見てから、ドナはむくりと起き上がった。 「なぁ、カノン。頼みがあるんだ」 「何?」 「歌ってくれないか?」 「!」 「結局アタシ、まだカノンの歌聴いてないだろ? なんか目が冴えちまってこのままじゃ眠れなさそうだし、モリスと同じ子守唄歌ってくれないか?」 「う、うん、いいんだけど、その、」 ――どうしよう。 モリスちゃんのときと同じように目を瞑ってもらえればいいだろうか。でも。 「ん?」 笑顔で首を傾げるドナ。 ――もう、ドナに嘘は吐きたくないと思った。 ドナなら、おばあちゃんがセイレーンだったのなら。きっと――。 セリーンの方をちらりと見ると、彼女は優しく微笑んでくれた。 思い切って口を開く。 「ねぇ、ドナ。おばあちゃんてセイレーンだったんでしょ?」 「あぁ。カノンもそうなんだろ?」 「……あのね、ドナは“銀のセイレーン”って聞いたことある?」 「銀の? ――あぁ、あの伝説のな。知ってるよ」 「あ、あのね、」 「知ってるっていうか、ばあちゃんがその銀のセイレーンに会ったことがあるって言ってた」 「え!?」 私は思わず大きな声を上げていた。 「伝説じゃ恐ろしい人物だって言われてるけど、全然そんなんじゃなかったってばあちゃんは言ってた。少ししか一緒にいられなかったけど、友達になったんだって。流石アタシらのばあちゃんだろ?」 得意げにドナは笑う。 「でも、なんで急に?」 私は微かに震える腕を上げて自分を指差した。 「私も、銀のセイレーンみたいなの」 「え?」 驚き過ぎてなんだかぼんやりとした気分で言ったせいかもしれない。 ドナは一瞬理解できなかったようで少しの間目を瞬き、それから大きく口を開けた。 「えぇ〜!? カノンが、銀のセイレーン!?」 私は頷く。 彼女はこちらを指差し興奮気味に続けた。 「だ、だって、銀のセイレーンって異世界からって……、じゃあカノンは異世界から来たのか?」 こくこくと頷く。 「この世界を滅するために?」 これには勢い良く首を振る。 「違うの! 私もね、いきなりこのレヴールに来ちゃって、いきなり銀のセイレーンなんて言われて、だからまだわからないことばかりで……。それで今元の世界に帰るためにこうして旅してるの」 ドナはゆっくりと腕を下ろしていき、放心したように私の顔を見つめた。 ――彼女なら。そう思ったけれど、やはりショックだったろうか。そう心配になった頃。 「……すっげぇ。すっげぇよ!」 その顔が徐々に紅潮していく。 「アタシも銀のセイレーンに会えたんだ! ばあちゃんと同じように! すっげぇーー!!」 それは歓声だった。目は子供のようにキラキラと輝いていて、その手が先ほどの自分のように微かに震えているのを見た。 ここまで喜んでくれるとは思わなくて、嬉しいのに逆に少し申し訳ない気持ちになってくる。ドナのおばあちゃんが会ったという銀のセイレーンは、もっと伝説になるに相応しい人物だったかもしれない。 「や、でも私そんな大した力無くって、ただ歌うと髪の毛が銀になるってくらいで」 「あ、それもばあちゃん言ってたぞ! 普段は黒髪なのに歌ったときだけ銀色に変わるんだって!」 そこではっとする。 「本当にそんな不思議なことが起こるんだな。やっぱすっげぇな銀のセイレーンって!」 「ドナ!」 「え?」 「他には? 他にはどんな人だったっておばあちゃん言ってた?」 ――そうだ。これはまだ謎の多い“銀のセイレーン”について知れるまたとないチャンスではないか。 「目の色とか、どんな服装だったとか、あとどんな世界から来たって聞いてる?」 訊きたいことがたくさんあり過ぎて思わず早口でまくし立てると、ドナは慌ててしまったようだった。 「え、えーっと、ちょっと待ってくれな」 それでも真剣に思い出そうとしてくれるドナ。 私だけじゃなく、セリーンもその答えを待っているように見えた。しかし。 「うー、悪い。子供の頃に聞いた話だから細かいとこまでは覚えてなくってさ」 「そっか……、ううん、こっちこそごめんね一気に訊いちゃって。どんな人だったのか気になって」 「あ!」 そのときドナが声を上げた。 「歌なら覚えてるぞ! 銀のセイレーンに教えてもらったって歌! ばあちゃんよく歌ってくれたから」 「本当に!?」 そしてドナは歌い出す。記憶の中に残っているそのメロディーを思い出すように、目を閉じてゆっくりと。 私は大きく目を見開く。 たどたどしくはあったけれど、それはよく知っている歌だったから。 「カノン?」 セリーンの心配そうな声。 いつの間にか、涙がこぼれていた。 “埴生の宿” ドナが歌うその歌は、私のおばあちゃんが大好きだった「埴生の宿」に間違いなかった。 しかも片言の、でも確かに日本語の詞で紡がれるその歌声を聴いて、胸がいっぱいで何も言えなかった。 「!? カノン、どうしたんだ?」 歌い終わったドナがびっくりした顔で私を見る。 「――知ってるの」 「え?」 「その歌。私のおばあちゃんが、大好きだった歌なの」 「カノンの、ばあちゃんが?」 両手で顔を覆い頷く。涙が止まらない。 ――なんて奇跡だろう。 ここで、歌が不吉とされたこの異世界でこの歌が聴けるなんて。 私よりも先にこの世界に居たという銀のセイレーンも、おそらくは私と同じ日本人だったのだ。
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