「好き勝手しやがって……アル、お前もだ!」

「え! 俺も!?」

 ビシっと指差されたアルさんがびっくりして自分を指差す。

 クラヴィスさんも似たような表情でこちらを見ている。

「何こんなガキに手間取っていやがる! お前は女子供に甘過ぎなんだよ!」

「いや、でもそれ俺のいいとこ――」

 アルさんが反論しかけたところで、ピィーーっ! という高い音が響いた。

 見上げると窓から身を乗り出したドナがあの笛を口にくわえていて慌てて視線を戻す。ツェリが元の姿――“ツェリウス王子”に戻ってしまうと思ったのだ。

 だがツェリは獣の姿のまま、くるりとルルデュールに背を向けこちらへ走って戻ってきた。

 ――そういえば初めてツェリと遭遇したときも笛の音が聞こえた直後に去って行ってしまった。

(もしかして、音の高さによって違うの……?)

「ドナちゃん、ナイス!」

 アルさんの明るい声に視線を戻す。

 笛の音色のことは気にはなったが、とにかく今はツェリがルルデュールから離れてくれたことにほっとする。

 と、クラヴィスさんが自分も主の元へ戻ろうとしたのだろう長剣を支えに立ちあがり、しかしやはりすぐに膝をついてしまった。

 アルさんが慌てたようにそれを支えたときだ。

「ねぇ、ガキとか子供とか……、さっきボク嫌いだって言わなかったっけぇ」

 聞こえてきたその低い声音にギクリとする。

 皆が再び身構える中、ルルデュールは自ら腕に突き刺さったナイフを引き抜いた。

 離れていてもその嫌な音が聞こえた気がして鳥肌が立つ。

 相当痛みを感じているはずなのに、しかも“子供”と言われまた激怒しているものと思ったのに、顔を上げた彼は笑っていた。

「ふっふー、自分の血、久しぶりに見ちゃったぁ」

 そして己の血のついたナイフをうっとりと眺めながら漆黒の空へと掲げた。――その姿に狂気を覚える。

「そっかぁ、キミもストレッタの術士なんだっけ?」

 ナイフの柄にはめ込まれたストレッタの紋章を見たのだろうか。

 ルルデュールはラグに視線を送り、続けた。

「なんで術士がこんなモノ持ってるの? 術士なら術を使えばいいのに」

「うるせぇ!」

 逆鱗に触れられたラグが怒鳴る。

「だってさ、こんなんじゃボクは殺せないよ?」

 可笑しそうに言って、ルルデュールはナイフを背後の草むらへと投げ捨てた。そしてその掌を傷口に当てる。

 癒しの術をかけているのだとすぐにわかった。

「ほ〜ら、治っちゃった」

 ね、と腕を上げて見せながら無邪気に笑うルルデュール。

 ラグの舌打ちが聞こえた。

「で? 今度はキミが遊んでくれるのぉ?」

 可愛らしく小首を傾げる少年。

 ――知らずのうちに胸の前で祈るように両手を握りしめていた。

 ドクドクという心臓の音で自分が揺れているような錯覚に陥る。

 暗殺者がこちらを、ラグを見ている。

(ど、どうするの……?)

 今のラグには、術も、武器も、何も無い。

 元の姿に戻るにはこれまでの経験上まだ時間が必要なはずだ。

 声を掛けようとして、それよりも早く剣を手にしたセリーンがラグの前へ出た。

「ラグ、気をつけろ!」 

 アルさんの声。

 見ると彼はクラヴィスさんの傷を癒しているようだった。

 ――ルルデュールに変化が起きたのはこの時だった。

「……ラグ?」

 小さく呟かれた声。

 瞬間誰が発したものなのかわからなかった。

 妙な違和感を覚えて視線を戻し、その変化に気付く。

(――え?)

 ルルデュールの表情が消えていた。

 ついさっきまで笑っていたのに、今はその顔に何の表情も無い。

 これまで感情の起伏が激しかったルルデュール。

 その感情を全て失くしてしまったかのような虚ろな瞳が、ただこちらをじっと見ていた。

 ラグもその変化に気付いたのだろう、訝しげに眉をひそめている。

「ラグ、だって?」

 もう一度繰り返されたその声にも何の感情も窺えない。

「ねぇ、なんか……」

「あぁ」

 私の掠れた呟きにセリーンが低い声で応えてくれた。彼女の表情も先ほどより険しい。

 皆、彼の変化に気付いている。

 モリスちゃんの泣き声もいつの間にか止んでいて。

「ラグ。――ラグ。ストレッタ。……ラグ」

 異様な静けさの中、ルルデュールの感情の無い声だけが繰り返される。

(ラグのことを知ってる?)

 同じ術士なら、ラグの名は知っていて当然なのかもしれないけれど。

「ラグ。……ストレッタの、ラグ」

 これまでも彼の言動は恐ろしかったけれど、質が違う。

 コワイ……!

「アル!」

 突然、この異様な空気を破るようにラグが声を張り上げた。

 呼ばれたアルさんが驚いたようにこちらを振り向き、そしてすぐに何か悟ったように頷いた。

「てめぇはカノンを護ってろ!」

 続けてセリーンに怒鳴るとラグは彼女の脇をすり抜け、ルルデュールの方へと走り出してしまった。

 止めようと体が動いていた。でもセリーンの腕に阻まれ、彼女の肩越しに彼の小さな背中を目で追うことしか出来ない。

「ラグ。――ストレッタの、」

 そして、その間も続いていたルルデュールの声に感情が戻ったのも、この時だった。

「ラグ・エヴァンス!!」

 怒り。憎しみ。恨み。

 全ての負の感情を爆発させたようなおぞましい声。

 なのになぜかその顔は歓喜に満ちていた。

「キミと遊べるなんて夢みたいだよぉ!!」

 そう叫び近づいてくるラグに向け両手を突き出した。

「風の刃を此処に!」

「風を此処に……!」

 ルルデュールとアルさん、二つの声が重なる。

 直後その声によって生み出された二つの風が轟音を立て再びぶつかり合った。

 その中心で小さな身体が宙を舞うのを見た。

 ――ラグ!!

 声にならない悲鳴が喉から漏れる。

 風の中で彼の小さな身体が見えない刃によって斬られていく。

 その顔が苦痛に歪む。

「おい!?」

 セリーンが耐えられないというようにアルさんに向かい声を荒げた。

「大丈夫だ!」

 すぐに返ってきた確信に満ちた答え。

 そして気付く。――ラグを包む風が変わっていた。

 その風は彼を傷付けることなく、ただ彼を乗せていた。

 まるで空中を泳ぐように、風に導かれるままラグはまっすぐ視線の先へと向かっていく。

「なっ!!」

 ルルデュールの目が驚愕に見開かれる。

 直後、彼の肩口にまともにラグの飛び蹴りが入った。

 ルルデュールの身体が地面に叩きつけられ、その後方にラグが綺麗に着地する。同時彼を包んでいた風が音もなく消え去った。

 髪留めが切れてしまったのか、解けてしまった長い髪を鬱陶しそうに払いラグがゆっくりと立ち上がる。

 その手には、先ほど投げ捨てられた彼愛用のナイフがしっかりと握られていた。 

「よっし!」

 頭上からの歓声で我に返る。

 見上げるとドナが勝利を確信したかのように両手を握りしめていた。

 そしていつの間にかその傍らには同じ方向を食い入るように見つめる男の子3人とモリスちゃんの姿があった。

 ルルデュールは地べたに倒れたまま動かない。今の衝撃では脳しんとうを起こしていてもおかしくない。

 ――これはチャンスだ。

 そんな雰囲気が皆から伝わってくる。

 ラグがナイフを手にルルデュールに近づいていく。その表情は顔にかかった長い髪のせいでわからない。

 ルルデュールは暗殺者。

 少年の姿をしているけれど、人の命をなんとも思わない、笑いながら人を傷付けることが出来る、恐ろしい刺客。

 だからこそ。

(このチャンスを逃したら、こちらが……王子やドナ達が危ない)

 そう、頭ではわかっているのに。

「ラグやめて!」

 気付けばそんな叫び声が自分の口から飛び出していた。

 ラグがびくりとその足を止めこちらを見る。

 ――その声に、反応したかのようだった。

「なんでぇ!?」

 怒鳴り声――いや、“金切り声”という表現の方が近いだろう声と共にルルデュールの周りに旋風が巻き起こり、その身体がふわりと起き上がった。

 ラグが再び身構える。

 私は自分の口を両手で押さえていた。

(私のせいだ……!)

「ねぇなんで? なんで術を使わないのラグ・エヴァンス!」

 だらんと落ちた片腕を押さえながらルルデュールが叫ぶ。

 やはり骨折か、脱臼くらいはしているのだろう。

 激痛に襲われているだろうに、彼はそれを癒そうともせずに更にラグに向かって叫び続ける。

「術士なら、魔導術士なら魔導術で勝負しようよぉ! あんなおじさんの助けなんか借りないでさぁ!」

「だから、おじさんじゃないって言ってるだろー?」

 背後から彼に近づいて行くアルさん。見るとクラヴィスさんはすでに剣を構えツェリの傍らにいた。

 ラグ以外のものが見えていないのだろうか。ルルデュールは振り返ることすらしない。

「ねぇ、キミの魔導術を見せてよラグ・エヴァンス!」

 ラグは何も答えない。――だが。

「そうだ! どうせならレーネを消したときと同じ術がいいなぁ!」

 瞬間、ラグの顔色が変わった。

「黙れっ!!」

 彼の口から出たそれは“絶叫”だった。

 胸がえぐられるような、酷く悲痛な叫び声。

 ――レーネ?

「“悪魔の仔”の力をボクに見せてよ!」

「はーい、そこまで」

 軽い口調と共に、真後ろまで接近していたアルさんがルルデュールの首に手刀を浴びせた。

 それはいつも彼がラグ相手にしている、所謂ツッコミと同じような軽いものに見えた。

 けれどその途端ルルデュールの身体は硬直し、力なく崩れ落ちる。

 更に、

(あっ)

ラグからふよふよと飛び立ったブゥが、とどめとばかりにルルデュールの顔にスタンプを落とした。

 その身体が瞬間びくりと反応し、そして今度こそ小さな暗殺者は完全に昏倒したようだった。

「はは、ブゥお前容赦ねぇな!」

 アルさんが笑いながら言うと、ブゥはルルデュールから飛び立ちそのままいつもの定位置であるラグの頭に乗っかった。

 そして丁度このとき、ラグの身体は元に戻ったのだった。



 大きくなったラグの頭をぐしゃぐしゃっとかき回すアルさん。

 いつもならその手を邪険に払う彼が俯いたまま動かない。

 アルさんが何か声をかけていたがこちらには聞こえなかった。 

「さーてと、こいつどうするか」

 腰に手を当てアルさんが足元のルルデュールを見下ろし、どきりとする。

 ――そのときだ。

「!!」

 一迅の強い風がアルさんとラグを襲った。

 瞬間ルルデュールが目を覚ましたのだと思った。だが違った。

 その風はぐったりとしたルルデュールの身体をあっという間に空へと攫っていった。

 それを目で追い気付く。――夜空に人が浮いていた。

 ルルデュールと同じ、闇に溶け込むような漆黒のローブを身にまとったその人物は腕を広げ小さな身体を受け止めた。

「仲間か」

 セリーンの悔しげな声。

(そんな……!)

 ルルデュールの仲間ということはユビルスの術士。そして王子を殺めに来た暗殺者であるということだ。

 二人目の敵の出現に絶望感が押し寄せる。

「全く。ついて来て正解でした」

 溜息交じりの声が聞こえた。――低く、冷たい男の人の声。

「しかし、まさかこんな所で再び貴方と相見えようとは」

 ――え?

 暗闇のせいで、その視線がどこを見ているのか、それが誰に向けられた言葉なのかわからない。けれど。

「お久しぶりです。デイヴィス教師」

 皆の視線がアルさんに集中する。

「? 誰だ」

 当のアルさんも思い当たらないようだ。

 訝しげなその問いかけに空にいる人物が小さく笑った気がした。

「あぁ、あの頃は“アル君”と呼んでいましたっけ」

「! ――まさか、サカード!」

 ショックを受けたように声を上ずらせるアルさん。

 やはり知り合いだったみたいだ。

(アル君だなんて、余程親しかったってこと?)

「思い出してもらえたようですね」

「……お前、ユビルスにいるのか?」

「えぇ、今では貴方と同じく教師をしています。この子も生徒の一人なのですが、見ての通りの問題児でしていつも苦労させられています」

「そっか……。なぁ、サカード。昔のよしみで頼むんだが、そいつ連れて今すぐユビルスに帰ってくれないか」

「えぇ。そのつもりですよ」

 あっさりとした承諾に驚く。

「任務は完全に失敗。貴方が此処にいたことも要因の一つですが、目的を忘れて暴走するようではプロとして失格です」

 感情も何もこもっていない、ただただ冷たい事務的な声。

「それにこの子は街中で術を使用しました。極秘で遂行するようにという先方の意思を無視して、ね」

「……お前いつから見てたんだ?」 

「この子のことはユビルスを出てからずっと見ていましたよ」

 その言葉にぞっとする。

 ということは、彼はずっと私たちのことも見ていたのだ。私たちがルルデュールに気を取られている間も、ずっと。

「生徒を見守るのが教師の役目ですから」

 言っていることは極まともなのに、感情がこもっていないからか、見守るというより“監視”という意味に聞こえた。

「先方には伝えなくてはなりませんね。ツェリウス王子の護衛に貴方と、ラグ・エヴァンスがついたと」

「あー、引き受けたのは俺個人で、こいつも、ストレッタも関係ねぇけどな」

「相変わらずですね……。それでは、目を覚ますとまた厄介ですのでこの辺りで失礼します。お元気で、デイヴィス教師」

「あ、あぁ。お前もな、サカード」

 そして、その人は音もなく闇に消えていってしまった。

 一瞬辺りが静まり返って、思い出したように木々のざわめきや虫達の声が耳に入ってくる。

「……ま、まぁ、っつーわけで。とりあえずはもう安心ってことだ。みんな、お疲れーい!」

 アルさんが少しぎこちないながらも笑顔でこちらに手を振るのを見て、私は長い溜息とともにその場にヘナヘナと座りこんでしまった。

 ――先ほどの術士とアルさんとの関係、そして今だ俯いたままのラグのこと、気になることはたくさんあるけれど。

(は、ははは。とりあえずは終わったんだよね)

 長く張り詰めていた緊張の糸が切れたせいか変な笑いが口から漏れてしまっていた。

 と、頭上からも同じような乾いた笑い声。

 見上げると、丁度引きつった笑みを浮かべたドナと目が会って、私たちはもう一度力なく笑い合った。




 サカードイメージ

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