アルさんがすぐさま同じか、それ以上の速度で後を追う。

「ラグ! 私たちも……っ!」

 早く、と言う前に顔に当たる風が強まり思わず目を瞑った。

「――おい、アルが言っていた仕事ってのはなんだ」

 強風の中そう訊かれ、瞬間躊躇したが私はアルさんが王子の護衛を引き受けたらしいことを簡潔に話した。

 案の定聞こえてきた盛大な舌打ち。

「降りたらオレはまたガキの姿だ。アルがなんとかするとは思うが、お前は何もするなよ」

「う、うん」

「安心しろ。あの子は私が誠心誠意護――」

 大真面目なその声を遮るようにして風の音が更に強まった。


 ――山を燃やすのは止めたと言ったルルデュール。

 もしかしたら今度はツリーハウスを燃やすつもりかもしれない。あの詰所の様に。

 (お願い、アルさん……!)

 腕で風を避けながら祈る思いで二人の後ろ姿を追う。

 アルさんの強さは知っているのに、不安で仕方なかった。

 空を飛べるほどの力を持った術士だとしたら厄介だと彼は言っていた。

 暗殺者としてこの島に派遣された少年。彼は一体どれ程の力を持っているのだろう。

 このドクドクという心臓の音はきっとラグにも伝わってしまっているに違いなかった。


 しかし、ストレッタの教師だという彼はやはり速かった。

 ツリーハウス目前で並んだ二人を見て小さく歓声を上げる。――が、次の瞬間二人の身体がそのままの勢いでぶつかり合った。

「!?」

 直後、反発するようにルルデュールの小さな身体が吹っ飛び闇に消えていくのを見て思わず悲鳴を上げる。

 あんな落ち方をして、普通ならタダでは済まない。――普通なら。

 アルさんはそのままツリーハウスを護るように大樹の前に降り立った。

 少し遅れてラグもアルさんに並ぶように降り立ち、私たちから手を離した。

「アルディートさん!?」

 風が霧散し、背後から聞こえたのはクラヴィスさんの驚いた声。

 彼も大樹の前でツリーハウスを護っていたのだろう。

「クラヴィス、悪ぃがこのおっちゃん、ちょっと見ててくれ」

 アルさんはそう言いながら彼の前に抱えていたラルガさんを下ろした。

 初め訝しげだったクラヴィスさんもラルガさんの様子を見てすぐに察したように真剣な顔つきになった。

「傷はほとんど癒えてる。じきに目を覚ますはずだ」

「わかりました」

「それと――」

「カノン!?」

 頭上からドナの声がして私は焦ってツリーハウスを振り仰ぐ。おそらくは風の音で気付いてしまったのだろう。

「ドナ! 出てきちゃダメ!」

 私が声を上げるのとほぼ同時、王子も同じ窓から顔をのぞかせ更に焦る。

 今一番姿を見せて欲しくないのはルルデュールの標的であるツェリウス王子だ。

 だが二人の視線は私の隣、小さくなっていくラグに釘付けだった。

 そして丁度そんなときだ。

「まったく、ひっどいなぁ〜」

 子供の声が響いた。

 ぎくりとしてそちらに視線を向けると闇の中に小さな赤い光が揺れていた。

 そして次に聞こえてきたのはあの特徴的な笑い声。

「ふっふー。まさかぶつかってくるとは思わなかったよ」

 姿を現したのは口元に不気味な笑みを浮かべた少年だった。

 焦って頭上を見上げるが二人の姿はもう無かった。おそらく彼らも今最悪な状況だと気が付いたのだろう。

 灯りがついているということはおそらくはまだ起きているだろうモリスちゃんやトム君達は平気だろうか。この状況を知ってしまったら、モリスちゃんは特にまた恐慌状態に陥ってしまうに違いない。 

 金属音に気付いて視線を下ろすとクラヴィスさんとセリーンが剣を手にしていた。

 だがそれを制するようにこちらに軽く手を振り、アルさんがルルデュールの方へ歩いて行く。

「ラグ、上着貸せ」

 途中小さく発せられたアルさんの短い言葉に、ラグはすぐさま腰に巻かれた上着を外し彼に投げ渡した。

 その上着は先ほどのアルさんの術のせいでまだぐっしょりと濡れている。

 きっと彼はその水気をまた術に使うつもりなのだろう。

 ルルデュールがまた炎の術を使うつもりなら、それに対抗出来るのは先ほど見た水の術しかない。

 近づいてきたアルさんに気付き、ルルデュールが足を止めた。

「おじさんのおかげで、ボク危うく死んじゃうところだったよ」 

「そんなんじゃ死なないだろう、お前さんは」

 アルさんの言う通り、ルルデュールは全くこたえていないように見えた。

「それに言ったろ、お前さんの仕事を阻止するのが俺の仕事だって」

 そこでアルさんも足を止める。――二人の距離、ざっと3メートル。

 少年が大げさに溜息をつく。

「ホント、面倒くさいおじさんだなぁ」

「だーかーら、お兄さんだっつの!」

 緊張感の無い会話。

 でも二人を中心にこの場の空気がピンと張り詰めているのがわかって、一瞬たりとも目が離せなかった。

「で、お兄さんからちょっと提案なんだけどさ、お前さん一旦ユビルスに戻ったらどうだ?」

「なんで」

「ユビルスもまさかストレッタの術士が絡んでるなんて思わなかっただろうからさ。一旦戻ってこのこと報告した方が良くね?」

「……なにそれ」

 その声に微かに怒気がこもる。

「ボク一人じゃ力不足だって言いたいの?」

「俺さ、ストレッタで教師やってんだわ。お前さんみたいな素質のある術士を何人も育ててるし、育ててきた」

 アルさんは生徒を諭すように続ける。

「だから正直、お前さんみたいな優秀な若い芽を摘み取りたくないんだよな」

「……」

 ルルデュールはすぐには答えない。 

 ごくりと喉が鳴る。――果たして少年は説得されてくれるだろうか。

 出来ることならアルさんとこの少年が戦うところなんて見たくない。

 だが、

「ふっふー、若い芽ね〜。完っ全に子供扱いだよねぇソレって」

肩を震わせ少年は笑う。そして。

「あのさ、これでもボク、20歳過ぎてるんだよね」

「へ?」

「え?」

 アルさんの間の抜けた声と自分のそれとが重なった。

「――だからさぁ。ボク、子供扱いされるの大っ嫌いなんだよね!!」

 ルルデュールが怒鳴り声を上げた直後、凄まじい突風が襲った。

 咄嗟に顔を庇い足を踏ん張ったが間に合わず、私は倒れるようにしてその場から数歩後ずさってしまった。

 その猛烈な一迅の風は草木の悲鳴と共に轟音を立て通り過ぎて行った。

 恐る恐る目を開けてすぐ。

「大丈夫だったか!? 危うく吹き飛ばされるところだったな!」

「吹き飛ばされるか! 離せアホーー!!」

 場違いなその甲高い怒声に視線を向けると案の定すぐ隣でセリーンが小さなラグを庇うように抱きしめていた。

 確かに今のラグなら吹き飛ばされはしなくとも転倒はしていたかもしれない。

 そんないつもの二人の姿に少しだけ緊張が解れるも、直後、頭上から激しい泣き声が聞こえてきてギクリとする。

(――モリスちゃん!?)

 すぐさまツリーハウスを見上げる。瞬間、今の風で家が傾いてしまったのではと思ったのだ。

 幸い家は無事だったが、おそらく今の突風による凄まじい音と揺れで驚いてしまったのだろう。

「ひゅー、すっげぇ! そっかそっか、ユビルスがお前さんを一人でよこしたワケがわかったぜ」

 アルさんの変わらず明るい声に視線を戻す。

 彼もルルデュールも、先ほどの場所から動いていなかった。

 そして少年の言葉を思い出す。

(確か20歳過ぎてるって、どういうこと……?)

 隣で未だ暴れているラグの存在がなければとても信じられなかっただろう。

 しかしこれまでのルルデュールの言動、そしてあの恐ろしい目つきを思い返すと大人だと言われた方が納得出来た。

 彼は暗殺者だ。相手を油断させるために今だけ子供の姿になっているのかもしれない。

 ルルデュールはアルさんを冷たく一瞥すると、ふと顔を上げた。

「ねぇ〜! ツェリウス王子〜! そこにいるんでしょー?」

 ツリーハウスに向かい、まるで友達を遊びに誘うかのように大声を張り上げたルルデュールに皆が息を呑んだ。

 じり、と足を鳴らし剣を構えたクラヴィスさんにセリーンがおい、と小さく声を掛ける。

 ルルデュールの楽しげな声が続く。

「今すぐに出てこないとー、そこにいるみ〜んな、殺しちゃうよ〜?」

 そして人を小馬鹿にしたようなけらけらという笑い声。

 モリスちゃんの悲鳴のような泣き声が更に大きくなった気がした。

「すみません、その方お願いします」

「え?」

 疑問の声を上げたときにはもう、クラヴィスさんは走り出していた。

 その方、というのはおそらく今もそこで気絶しているラルガさんだろうけれど――。

「クラヴィスさん!」

 私は思わず声を上げていた。どう考えても剣で敵う相手ではない!

「クラヴィス戻れ!」

 アルさんもそんなクラヴィスさんに気付いて叫ぶ。

 だが彼は止まらない。

 自分にまっすぐ向かってくる相手を見てルルデュールがぴたと笑うのを止めた。

「ただの人間が、ボクに寄るな」

 唸るような低い声。

 剣が届く距離までその間が縮まったそのとき、ルルデュールが叫んだ。

「風の刃を此処に!」

 途端再び突風がクラヴィスさんを襲いその身体が押し戻されるようにして吹き飛んだ。しかしそれだけではなかった。

「ぐああぁぁぁ――っっ!!」

 絶叫が辺りに響く。

 風が竜巻のようにクラヴィスさんの身体を包んでいた。

 その中で彼の身体が見えない無数の刃によって斬られていく。――おそらくはラルガさんを襲った術と同じものだ。

「クラヴィスさん!」

「風を此処に!!」

 私が悲鳴を上げるのと同時、アルさんが焦るように叫んだ。

 ゴォッと音を立てアルさんの起こした風が竜巻にぶつかっていく。

 竜巻はその風にかく乱されるようにして、ついには霧散した。

 クラヴィスさんの身体が力なくその場に崩れ落ちる。すぐさまアルさんがそこへ向かった。

「あーあ、まぁた邪魔されちゃった。折角あともう少しで死ぬとこだったのに」

 その、さも残念そうな言い方にぞっとする。

(この子は……ううん、この人は本当に、人の命を何とも思っていない……)

 でもクラヴィスさんはアルさんに支えられながらゆっくりと体を起き上がらせた。意識はあるようでホッとする。

 そんなクラヴィスさんに小さく声を掛け、アルさんは一人立ち上がった。

 そして再びルルデュールをまっすぐに見据える。

「これ以上、人を傷付けんな。後悔するぞ」

 その声はこれまでの彼のものとはまるで違い、真剣そのものだった。

 しかしルルデュールはまたも声を上げて笑う。 

「ふっふー、なーんでボクが後悔するのさ。意味わかんなーい」

「――おい、大丈夫か?」

 ふとセリーンの声がして見ると、ラグがその小さな体を小刻みに震わせていた。

「ラグ?」

 私が小さく声を掛けた、丁度そのときだ。

 ピイィーー!

 あの笛の音が鳴り響いた。

 はっとしてツリーハウスを見上げ視界に映ったのは、こちらに飛び降りてくる金色のモンスター。

(ツェリ!!)

 優雅な身のこなしで着地した彼はそのまま大地を蹴り、自分を殺しに来た暗殺者の元へと向かう。

 一瞬見えた彼の表情は怒りに満ちていて――。

「いけません!!」

 クラヴィスさんの悲鳴にも似た叫び声。しかしツェリは止まらない。

 あっという間に距離を詰めたツェリは地鳴りのような咆哮を上げ、ルルデュールに襲いかかった。――直後、二人の間に真っ赤な火柱が上がった。



「――っ!!」

 突然の強い光に目がくらみ、瞬間ツェリの姿もルルデュールの姿も見えなくなる。

「水を此処に……!」

 アルさんの声。そして。

「ツェリーー!!」

 頭上から絶叫が響いた。

 振り仰ぐとドナが窓からこちらに身を乗り出していた。

 今にもそこから飛び降りてきそうな彼女を止めようと口を開くが、しゅうしゅうという激しい音に気付き視線を前方に戻す。

 視界に映ったのは炎と水とが渦を巻きながら絡み合う、見たこともない神秘的な光景。

 術によって生み出された炎と水とが互いを消し去ろうとしているのだろう、凄まじい音と共に白い煙がもうもうと空へ立ち昇って行くのを呆然と見守る。

(これが術士同士の戦い……)

 やがて炎は煙を残して消え去り、その役割を終えた水も視界から消えてしまった。

「ふぅ、あっぶね〜」

 アルさんが額を拭い安堵の声を漏らした。

 はっと我に返りツェリの姿を探す。

 先ほどと同じ場所に少年の姿。

 そして彼から少し離れた場所にぶるぶると身体を震わせ水気を払うツェリの姿を見つけ私も激しく安堵する。

 おそらくあと少しアルさんの反応が遅かったらツェリはあの火柱の中で……そう思ったら血の気が引いた。

「あーびっくりしたー。急に飛びかかってくるんだもん」

 言葉の割に余裕の声音でルルデュールは続ける。

「もしかしてソレがここ守ってるモンスターってやつ?」

 そのモンスターが標的である王子その人であることはまだバレていないみたいだ。

 再びルルデュールの視線に捕まったツェリは低く唸り声を上げながら威嚇するように牙を剥いた。

「戻れ! お前さんが敵う相手じゃない!!」

「お逃げください!」

 アルさんとクラヴィスさんがほぼ同時に叫ぶ。

 だがツェリは退こうとしない。

「あーあ、折角持ってきた火、こんなことに使っちゃった」

 溜息交じりに言いながらルルデュールは墨となった木片をぽいと投げ捨てた。

(これでもう炎は使えないってこと……?)

 少しほっとするが、彼にはまだあの風の術が残っている。――そう考えた直後だった。

「オマエのせいだよ。ばぁーか!」

 そんな子供じみた罵声と共にルルデュールがツェリを指差した。

 まずい! ――皆がそう思っただろう。

 だが、

「ぅぐっ……っ」

 次の瞬間呻き声を上げ身体をよろけさせたのは、ルルデュールの方だった。

(――え?)

 彼の腕に見覚えのあるナイフが突き刺さっていた。

 はっとして横を見ると小さなラグがセリーンから離れ、ルルデュールの方を睨み据えていた。

「いい加減にしやがれ!!」

 その怒鳴り声は夜の闇を震わせた。




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