そして。 私とアルさんは今一度街へ向かっていた。ラグとセリーンを連れてくるために。 自警団との諸々の問題より、暗殺者の方を最優先に考え急ぎ行動することにしたのだ。 「自警団の方は、私がなんとか出来るかもしれません」 しかしユビルスの暗殺者に対しては自分は何も出来そうにないと、王子の従者であると共にクレドヴァロール王国の騎士であるクラヴィスさんは言った。 ドナはその間モリスちゃん達に暗殺者のことを悟られないよう、いつも通り夕飯の支度をしていた。アルさんの助言で、灯りは極力小さくするようにして。 もしその暗殺者がアルさんやラグと同じように空を飛べたなら、この場所がバレてしまうからだ。 空を飛ぶという術は実はとても難易度の高いものらしく、もしそこまでの力がある術士だとしたら厄介だとアルさんは言った。 ――その話し合いの間、王子は俯いたまま一度も口を開かなかった。 ラグがこの話を呑んでくれたなら、すぐさま王子と共にクレドヴァロールに発たなくてはならない。この場所を守るために。
(王子、大丈夫かな。ドナも……) 上空で目を瞑り二人のことを考えていたときだ。 「なんだ、あれ」 アルさんが怪訝そうな声を上げた。 ギクリとする。 「ど、どうしたんですか?」 ――なんだかとても嫌な予感がした。 「赤い。……あれは、詰所が燃えてる!?」 「!?」 私は強風の中、目を見開いた。 明かりが点々と灯る街の中、確かに一際赤く見える場所があった。 そこは、先ほどまでいた詰所に間違いなかった。 「カノンちゃん、目瞑って耳塞いでて!」 「は、はい!」 返事をした途端、風が更に強まった。耳を塞いでいてもその轟音は凄まじく、言われた通りにしていなければ鼓膜が破れていたかもしれない。 (ラグ、セリーン、どうか無事でいて……!)
そして数秒後、私たちは詰所のある大通りに降り立った。 誰かに気付かれる心配は無かった。詰め所前は昼間の決闘騒ぎ以上の人混みで、その誰もが燃え盛る炎を見つめていたからだ。 二人の姿を捜しながら私たちは群衆に駆け寄る。 「何があったんだ!」 アルさんはすぐさま手近に居た人に声をかけた。と、振り向いた人物は見知った顔だった。 「あ? なんだ、昼間のティコ好きの兄ちゃんじゃないか」 この街で最初に入ったあのピンクの雑貨屋の主人だ。 「いやなぁ、俺も今来たとこなんだが、なんでも急に炎が上がったらしくてな」 「中に人は!?」 昼間とは別人のように真剣な表情のアルさんに主人は一瞬気圧されたようだった。 「さ、さぁ。だが、ラルガがいないって若い奴らが騒いでいたが」 「ラルガ?」 「自警団の団長だ」 ――おそらく、あの髭の男に違いない。 (あの人が中にいるとしたら、二人もまだ中に……!?) 人垣の向こう、赤々と燃える炎に目を向ける。――あんな中にいたらまず助からない。全身に震えが走った。 「水は! なんで誰も消そうとしないんだ!?」 「いや、それがもう何度も水はかけてるんだが全く消えなくてな。だが不思議と他に燃え移ることは無いようなんでこうして見守るしか――」 アルさんは言葉の途中で主人に背を向け走り出した。私はそれを慌てて追い掛ける。 ――確かに、これだけの勢いで燃えているのに、すぐ隣の家が無事なのは奇妙だった。 アルさんは人混みから少し外れた場所に転がっていた水桶を手にした。しかしその中にもう水は入っていない。無駄だとわかって放って置かれたもののようだ。 「よし、まだ残ってるな」 だが彼はそう呟くと、空のはずのその桶の中に手を突っ込んだ。 「カノンちゃん、そのまま俺の後ろにいてね」 「は、はい」 「わりぃ、少し力借りるぜ」 (――術!?) 「水を此処に……!」 途端、空だったはずの桶から大量の水が噴きだした。 続けざまボールを投げるような仕草でアルさんが詰め所の方向を指し示す。 「あの炎を抑えてくれ!」 その声に応えるように水は龍のごとく人々の頭上を弧を描き飛んで行った。 突然降ってきた大量の水に、わぁーっと群衆から歓声と驚きの入り混じった声が上がる。 「やった!」 見る見るその勢いを弱めていく炎に私も小さく歓声を上げていた。 だが、そんな私たちに向けられたいくつもの視線に気が付く。その中にはあの雑貨屋の主人もいて。 まずい! そう思いアルさんを見上げたその時だ。 「カノンちゃん、行くぜ!」 「!?」 私は彼にひょいと抱き上げられ、 「風を此処に……!」 再び上空へと翔んだ。 こちらに気付いて騒ぎ出した群衆の頭上を飛び越え、アルさんは鎮火し白い煙がもうもうと立ち上る詰所上空へ向かう。 その煙も私たちが乗っている風によって吹き飛び、しかも詰所の屋根は崩れ落ち中が丸見えの状態。 「セリーン!!」 そんな中目立つ髪色を見つけ、私は思わず叫んでいた。 セリーンがこちらを振り仰ぐと同時、私たちは中へと飛び込んだ。今の今まで燃えていた屋内は相当に熱いだろうと覚悟するが、不思議と外気とあまり変わらず、 「カノン!」 「アル!」 「ぶぅっ」 ずぶ濡れになったセリーン、そしてそのすぐ傍らにいた小さなラグとブゥが振り向く形で私たちを見た。 皆の無事な姿に涙腺が緩む。 「良かっ――」 「アホ! なんで来やがった!」 甲高い怒鳴り声にアルさんが私を降ろしながら答える。 「なんだよ、助けに来てやったんだろー。それにしてもお前まだその姿なのか。なんか長くね?」 「うるせぇ! 一度は戻ったんだ!!」 「あぁ、そゆこと。まぁ皆無事で……ってわけじゃないみたいだな」 アルさんの声音が急に低くなった。その視線を辿って私は悲鳴を上げる。 セリーンのすぐ後ろのテーブルの影で髭の男――確かラルガと言った――が全身傷だらけで倒れていた。ここからでは生死がわからない。――と、そのときだ。 「へぇ、術士かぁ」 場違いに楽しげな声音に驚き視線を上げる。 ――なんで今まで気付かなかったのだろう。 ラグ達の向こう、扉の手前に黒い人が立っていた。 真っ黒なフードを目深に被り、口元も黒い布で覆ったその小柄な人物を見て、私ははっとする。 (さっき、ぶつかっちゃった子……!) 「それに、さっき急いでたおねえさんだ」 彼が顔を上げ私を見た。先ほどは隠れて見えなかった大きくぎょろりとした目がにんまりと笑う。 瞬間、ぞくりと背中に冷たいものが走った。 「今の炎はあいつが?」 「あぁ、どうやら術士のようだ。それも相当な」 セリーンがアルさんの問いかけに低く答える。 見ればセリーンは大剣を、ラグはナイフを手にしている。ブゥも相棒の傍らでじっと黒い術士を見据えていた。 術で起こした炎だったからきっと隣に燃え移ることが無かったのだ。そんなことに納得しながら私は小声でアルさんに言う。 「アルさん、もしかして」 「だろうな」 彼はラルガさんの方に向かいながら答えてくれた。 このタイミングで“術士”だなんて、きっと、……いや、十中八九、例の暗殺者に違いない。 「なんの話だ」 ラグがイラついたように視線だけをこちらに向けた。 アルさんは答えずにラルガさんの手前で膝を着きその身体を見回した。 「とりあえず息はしてんな」 それを聞いてほっとする。しかし彼は「とりあえず」という言い方をした。予断を許さない状態だということだろう。 「風の刃だ」 セリーンが術士を見据えたまま言った。 「風に包まれて、一瞬のうちに全身を斬られたように」 「そっか。……癒しを此処に」 男の傷に癒しの術をかけるアルさん。助かるだろうか……。 「おい、お前ら何か知って――」 ラグがもう一度私たちに訊ねた丁度その時、彼の身体は急成長した。 それを見た暗殺者は急に噴き出しけらけらと笑いだした。 その声はやっぱり――。 「えー、何今の。おっもしろーい! ふっふー、そんな術見たことないなぁ。ねぇ、キミ何者?」 「うるせぇ、てめぇこそ何者だ」 ラグが一気に低くなった声で訊き返す。 余計に暗殺者の声の高さが際立った。笑い声は特に。 その声は先ほどまでのラグと同じ、子供特有の甲高さがあった。 「うーん、同業者になら名乗ってもいいかなぁ。うん、いいよね!」 暗殺者はそう言うと、濡れたローブを脱ぎ犬のようにふるふると頭を振ってから口元の布もずり下ろした。 現れたその顔はやはり子供――少年のものだった。おそらくは12、3歳。 先ほど恐ろしいと感じた目はくりっと大きく、ごく普通の快活そうな少年に見えた。 私は大きなショックを受ける。 (こんな子が、人を……?) 「ボクはルルデュール。ユビルスの術士だよ」 「!?」 ラグが警戒を強めたのがわかる。 「ねぇ、キミ達は? どこの術士?」 ルルデュールと名乗った小さな暗殺者は、小首を傾げ人懐っこい笑顔で訊いた。 ラグは戦闘態勢をとったまま勿論無言。だが。 「俺はアルディート。ストレッタの術士だ」 アルさんが手元に集中しながら、なんてことないようにあっさりと答えてしまった。 ぎっとそんなアルさんを睨みつけるラグ。と。 「へぇ、凄〜い! おじさんあのストレッタの術士なのー?」 「ちょ、ちょっと待て。誰がおじさんだ! 俺はまだ28。お兄さんだお兄さん!」 余程心外だったのかアルさんが術をかけたまま声を荒げた。 「えぇ〜、どっからどう見てもおじさんだけどなー。まぁいいや」 「良くねェ!」 「ねぇねぇ、そんなことよりおじさんは金髪のおにいさんの居場所知ってる?」 ぎくりとする。 やはり、この子は王子を捜しているのだ。 「金髪の? 知らねぇな」 アルさんが手元に視線を戻してしらを切ると、ルルデュールは大げさなくらい大きな溜息を吐いた。 「そっかー。役に立たないおじさんだなぁ。そのおじさんと一緒」 そう言って彼はすっとラルガさんの方に視線を送った。その瞳は恐ろしく冷たい。 「あーぁ。ここで情報が聞けるって言うから来たのにさ〜。やっぱこんなメンドクサイことしないで手っ取り早く山燃やしちゃえば良かったなぁ」 「なっ……!」 思わず声が出てしまっていた。 しまったと思った時には、その視線が私を捕えていて。 少年が再び笑う。 「もしかして、おねえさんは知ってる? 金髪のおにいさんの居場所」 息が、出来ない。 可愛らしい笑顔を向けられているのに、凍てつくような恐怖を感じていた。 かろうじてゆっくりと首を横に振る。 「なーんだ、がっかり」 すぐさま興味を失くしたように視線を外され激しくほっとする。だが。 「じゃあ、ここにいるみーんな、役立たずってことだね」 その顔がにぃと嗤った。 「アル!!」 ラグの叫び声が聞こえた。 次の瞬間、お腹に強い圧迫感。 ラグに抱えられたのだと知ると同時。 「風を此処に!」 「全部燃えちゃえ!」 ラグとアルさん、そして、少年の楽しげな声が重なる。 途端、凄まじい爆風と爆音が全身を襲った。
「貴様! その可愛くもなんとも無い姿で私に触れるな!!」 「うるせぇ! 黙れ!!」 キーンと耳鳴りのする中、そんな二人の怒声が聞こえ私はどうにか薄目を開ける。 ラグが私とセリーンを両脇に抱え夜空を飛んでいた。 ブゥの翼がいつものポケットから片方だけ出てしまっていて、ラグがどれだけ焦っていたのかがわかる。 眼下に目を向け唖然とする。今の今までいた詰所が再び炎に包まれていた。その色は夜の闇に恐ろしく映えた。 「アルさんは!?」 「あいつはあそこだ」 顎で指した先を見ると、アルさんがラルガさんを抱え同じように宙を飛んでいた。 ほっとして、続けて訊く。 「あ、あの子は?」 辺りを見回すがその姿がどこにも見当らない。 「わからねぇ」 イラついた声。 まさかあの炎の中ということはないだろう。 と、街道に集まっていた大勢の人々が皆散り散りに逃げていくのが見えた。今度の炎は周囲の建物までも襲っていたからだ。 私はラグを見上げ早口で伝える。 「ラグ、あの子、例の金髪の彼を暗殺しに来たみたいなの!」 「暗殺?」 「彼ね、王子様だったの、クレドヴァロールの」 「!?」 ラグとセリーンが驚く。 「それで、あの子は暗殺者らしくて」 「そういうことか。くそ、また面倒なことに……」 ラグが毒づいた。その時。 「おい。あれは、さっきの子供ではないか?」 セリーンの声にはっとし視線を向けると、闇の中に小さな光がちらちらと動いているのが確認出来た。 更に目を凝らして見えてきたのは黒い人影。――あの少年に間違いない。 彼もまた空を飛んでいた。 その向かう先には王子やドナ達のいる山が聳え立つ。 「まさか、山を燃やすつもりじゃ……!」 「ちっ」 舌打ちが聞こえると同時、頬に当たる風が急に強まった。ラグが速度を上げたのだ。 ぐんぐん相手との距離が縮まっていく。 と、向こうもこちらに気付いたようだ。空中で身体をひねりこちらに顔を向ける。 その手には赤黒く光る木片が握られていた。 「あれぇ。なんだ、生きてたのかぁ。さっすがストレッタの術士」 「どこにいくつもりだ」 風の中ラグが強い口調で訊く。すると少年、ルルデュールは小首を傾げた。 「どこって、そこの山だけど」 手元の灯りで、彼が笑っているのがわかる。 「やっぱり全部燃やしちゃおうと思うんだ。その方がラクだしさ」 その酷くあっけらかんとした言い方に鳥肌が立った。 「だめ!」 思わず叫んでいた。叫ばずにはいられなかった。 そんなことをしたら、ドナ達皆が……! だが、スっと少年の口元から笑みが消えギクリとする。 「なんで? 別にキミ達には関係ないでしょ」 「それが、関係なくはないんだな」 その声はいつの間にか私たちに並んでいたアルさんのものだった。その腕に抱えられたラルガさんはまだぐったりと目を閉じている。 「なぁにそれ」 再び笑みを浮かばせるルルデュール。 「おじさんだって同じ術士ならわかるでしょ。これ、ボクのお仕事なんだけど」 「あぁ、同じ術士だもんな。だからお兄さんは、お前さんのそのお仕事を阻止させてもらうぜ」 “お兄さん”を強調して、きっぱりと言うアルさん。 「なんで」 「それが俺のお仕事なんでね」 私ははっとしてアルさんを見る。 それは、王子の護衛を引受けたということだろうか。 と、突然ルルデュールがさも可笑しそうに声を上げて笑った。 「全っ然意味わかんないんだけど! ふっふー、……でもさ」 そこでぴたりと彼は笑うのを止めた。 「邪魔する気なら今度こそ殺しちゃうよ?」 ――子供の声なのに、いや、子供の声だからなのだろうか、背筋が凍るような冷酷さを感じた。 そして離れていてもわかる、あのぎょろりとした恐ろしい目。 (あんな目、子供のする目つきじゃ……) そのとき私の身体を支えてくれているラグの腕に力が入った。 見上げると、彼は険しい表情で少年の方を睨みつけていた。 (ラグ?) いつもの彼なら怒声の一つも上げそうなものなのに……。 「はは、殺されたくはねぇな」 アルさんが至って穏やかな口調で続ける。 「とりあえず一度降りねーか? 風の中じゃお互い喋り難いしよ」 「ボクはこれ以上おじさん達とお喋りする気無いんだけど。こんな仕事、さっさと終わらせて帰りたいんだよね」 ルルデュールは言いながら山の方を一瞥し、そこで視線を止めた。 「……わかったよ、山を燃やすのは止めてあげる」 「!?」 突然の止める宣言に皆驚く。 少年がこちらを見て、さも嬉しそうに笑った。 「エモノ、見つけちゃったもんね!」 直後こちらに背を向け凄まじい速度で飛んでいく彼を目で追い、気付く。 彼の向こうに聳える山、黒い樹海の中に一点の小さな光。 それはドナ達のツリーハウスから漏れる灯りに違いなかった……!
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