「ラグの奴すっげぇ怒ってたな!」

 今さっき通った道を走って戻りながら、なんとも楽しげに笑うアルさん。

 ラグが怒るのも当然だ。まるで人質のように置いてきてしまったのだから。

「でも大丈夫でしょうか。多分もうすぐ元に……」

 後ろを気にしながら訊くと、それにもすぐに明るい答えが返って来た。

「大丈夫大丈夫! あいつならうまくやるって!」

 アルさんがそう言うとやっぱり大丈夫な気がしてきて、そんな彼の明るさが今の私にはとても頼もしく有難かった。

「ところであのドナって子、なんであんなに怒ってたんだ?」

 瞬時に先ほどのドナの顔が頭に浮かぶ。

「……私が、ちゃんとドナに話さなかったのがいけないんです」

 私はアルさんに彼女と出会ったときのことを話した。

 あの時もドナはこちらを強く警戒していた。でも私達を信頼して受け入れてくれたのだ。それなのに……。

「そうだったのか。じゃあ誤解解くためにも早く追いつかないとな」

「はい。――あ、そうだアルさん、ツェリ……モンスターのことで何か良い考えがあるんですか?」

「え?」

「え? さっきなんとかしてくるって」

 確かに髭の男にそう言うのを聞いたのだけれど。

「あぁ〜。ま、それはあの姉ちゃんに会えたらまた考えようぜ!」

「はぁ」

 その場しのぎの言葉だったのだろうか。

 少し拍子抜けした気分でアルさんの横顔を見上げていると。

「――!」

 どんっと道行く人にぶつかってしまった。

「ご、ごめんなさい!」

 慌てて振り返りざま謝罪する。

 相手は小柄で、子供のように思えた。でもフードを目深に被り口元も布で覆っていて年齢も性別もはっきりとはわからない。

 どちらにしても悪いのは周りを良く見ずに走っていた私だ。危うくこの人を転ばせてしまうところだったと私はもう一度頭を下げる。

「すみません、急いでて。大丈夫でしたか?」

 するとその人の口元がふっと笑った気がした。

「大丈夫だよ、おねえさん。でもこれからは気をつけてね」

 それはやっぱり少年の声。でも妙に口調が大人びていて。

「は、はい、気をつけます」

 私がそう答えると彼はすぐにこちらに背を向け、詰所の方へと歩いて行ってしまった。

(あんな格好で暑くないのかな)

 そう思いながら私は額の汗を拭う。

「カノンちゃん早くー!」

 アルさんの呼び声に私は再び駆け出した。今度は人とぶつからないよう十分に気を付けて。



 そして私たちは今一度山に足を踏み入れた。

 荒い息を整えながら向かう先にある暗闇を見つめる。下りてくるときは街の灯りが目印になったけれど。

(何も見えない……)

 こんな中もう一度あの場所に辿り着くことは可能なのだろうかと不安に駆られたときだった。

「カノンちゃん、ちょっとごめんね」

「はい?」

 目の前で身を屈めたアルさんに疑問を抱く間も無くいきなり抱き上げられ、私は小さく悲鳴を上げた。

「あ、アルさん?」

「上の方からのが探しやすいからさ。――悪ぃ、少し力借りるぜ」

 声色が変わりすぐに理解した私は慌ててアルさんの服を掴み目を瞑った。

「風を此処に……!」

 周りで強い風が巻き起こり、次の瞬間その風に攫われるようにして私たちは空へと舞い上がった。

「――あ、カノンちゃんこうやって飛ぶの初めて?」

「い、いえ、前にラグに」

 薄眼を開けどうにか答えるとアルさんがふっと笑った気がした。

「そっか、なら平気だな。よっし、一気にトムん家まで行くぜ!」

「はい、お願いします!」

 風音が一層強まって、私は再びギュッと目を瞑り服を掴んでいる手に力を入れた。



「あれだな。――ん?」

 数分後、その声に私は再び薄目を開けた。

「ど、どうしたんですか?」

「ん〜? あれって……クラヴィスか?」

「え!?」

 精一杯に目を開いて眼下に広がる真っ黒な樹海を見つめる。

 闇の中ぽつんと仄かな光が浮いて見えた。それがツリーハウスから漏れる灯りとわかって、その更に下。確かに人影があった。

 下降していくにつれその姿が明らかになる。

 さっぱりとした短髪。見覚えのある服装。そして腰に携えた細身の剣。

 それは間違いなくクラヴィスさんだった。

 アルさんの話だと人違いとわかり早々にどこかへ行ってしまったはず。なぜ再び戻ってきたのだろう。

 更に近付いて、血の気が引いた。――クラヴィスさんの目の前に、ツェリが居た。

「クラヴィスさん駄目ーー!!」

 私は思わず叫んでいた。

 クラヴィスさんがぎょっとした顔でこちらを見上げる。

 直後風が霧散し、私とアルさんは丁度両者の真ん中に降り立った。

「――あ、貴方方は。なぜ」

 クラヴィスさんが酷く驚いた様子で私とアルさんとを見つめた。いきなり空から降りてきたのだ。驚かない方がおかしい。

 背後にいるツェリも心なしかびっくりしているように見えた。

「そりゃこっちの台詞だ。お前さん、ここにはもう用は無かったんじゃないのか」

 アルさんが普段よりも強い口調で訊き返す。するとクラヴィスさんは明らかに動揺したそぶりを見せた。

 私はツェリを庇うように両手を広げる。

「クラヴィスさんお願いします! この子を退治しないでください!!」

「え?」

「この子は、ただドナ達を守っているだけなんです! だから」

「いえ、私は……」

 クラヴィスさんが言いにくそうに口を開いた、そのときだ。

「カノン!?」

 高い声が上がった。クラヴィスさんの向こうにドナとトム君の姿があった。

 二人は、私たちがこの場にいることにとても驚いているようだ。空を飛んできた私たちの方が到着が早かったのだ。

「どうやって……そうか、術士って言ってたもんな。ツェリから離れろ!」

 ドナが出会ったときと同じ、敵意むき出しの目をこちらに向け怒鳴る。

「誤解なのドナ! お願い、私の話を聞いて!」

 私は必死な思いで叫ぶ。

 さっき言えなかったこと、ちゃんと言いたかったから。

 ちゃんと聞いて欲しかったから。

「何が誤解だ! 全部嘘だったんだろ!? セイレーンだってことも!」

「嘘じゃないよ!」

「だったら、今ここで歌ってみろよ」

「え……」

 ――ギクリとする。

 歌えるはずがない。

 歌ってしまったら、銀のセイレーンだとわかってしまったら、それこそ彼女の信用はもう絶対に取り戻せないだろう。

 そんな私を見て、ドナが小さく笑った。

「ほらみろ。だってお前、あの時もアタシ達の前では歌わなかったもんな」

「あ、あれは」

「うるさいうるさいっ! ばあちゃんと一緒だって、信じたアタシが馬鹿だったんだ……」

 ドナは震える声でそう言って俯いてしまった。

「ドナ……」

 彼女に近づきたくて私は一歩足を進める。だが同時に彼女は顔を上げ、私を睨み見た。

「モリスに、何をしたんだ」

 その声の低さに、私はゆっくりと首を振る。

「……大体、そいつは誰なんだよ! どう見たって傭兵じゃないか!」

 ドナが指差したのはクラヴィスさんだ。

「この人は、」

 またしても言葉に詰まる。

 彼の目的は私にもわからないのに、説明できるわけがない。

 当のクラヴィスさんは状況が掴めないためか困惑した表情で私とドナとを交互に見ている。

 そんな私たちにドナはとうとう怒りを爆発させた。

「皆で寄って集って……。お前らみんな、ツェリから離れろーー!!」

 叫びながらこちらに駆け出したドナ。その手にギラリと光るものが見え私は慌てる。

 クラヴィスさんがそれに気付かないはずがない。彼の手が腰の剣に触れるのを見て声を上げようとしたそのときだ。

 ――ガアァウッ!!

 心臓まで響く大きな咆哮に驚き振り向くと同時、私の傍らを風のように金色の獣が走り抜けて行った。

 大きく目を見開いたクラヴィスさんの脇をも抜け、そのまま彼はドナの元へ駆けて行く。

 気付いたドナはその場にナイフを落とし両手を広げた。

 ドナの元へ辿り着き強く抱き締められたツェリは愛しげに彼女の顔に頬ずりする。

 トム君も走って近寄りその後ろに立つ。

 ドナがツェリを抱き締めたままゆっくりと顔を上げた。

「ツェリはアタシの、アタシ達の大切な家族なんだ! モリスもトムもアドリーもリビィも、誰も殺させない!!」

 その言葉、その表情から、彼女が家族を大切に思う気持ちが痛いほどに伝わってくる。

 彼女にこんな辛そうな顔をさせているのは私だ。

 どうしたら信じてもらえるんだろう。どうしたら――、

「ドナ姉ちゃん?」

そのとき頭上から声がした。

 はっとして顔を上げるとツリーハウスの窓からアドリー君とリビィ君が心配そうに顔を覗かせていた。

「アドリー! リビィ! 無事なのか!? モリスは!」

 切羽詰まったように訊くドナに二人は顔を見合せて言う。

「モリスなら……」

 そして二人の間からひょっこり顔を覗かせたのは、モリスちゃんだった。

「モリス!」

 ドナとトム君の声が重なる。

「お兄ちゃん、ドナ姉ちゃんどうしたの? モリスびっくりして起きちゃった」

「お前なんともないのか!?」

 モリスちゃんが首を傾げる。

 ――光源の傍にいる彼らからは、真下にいる私たちは見えていないようだった。

「ねぇ、さっきのお姉ちゃんは? セイレーンのお姉ちゃん。さっきの歌、本当にばあちゃんみたいだったんだよ」

 モリスちゃんの声は昼間と比べてとても明るかった。

 私はその場を離れ、彼らの見える位置まで走って行く。

「モリスちゃん!」

「あ、お姉ちゃん!」

 満面の笑みでモリスちゃんが手を振ってくれた。私はそれに答え手を振る。

「よく眠れた?」

「うん!」

 思った通り、その笑顔はとても可愛らしかった。

 私はそんな彼女に優しく言う。

「あのね、今ドナお姉ちゃんと大事なお話をしてるんだ。もう少しおうちの中で待っててくれるかな?」

 いくら元気になったとはいえ、モリスちゃんがアルさんや剣を携えたクラヴィスさんを見てしまったらまずいだろう。

「わかった! ドナ姉ちゃん、お話終わったらみんなでご飯にしよう。モリスお腹減っちゃった!」

「あ、あぁ」

 ドナが戸惑うようにそれでも答えると、3人は顔を引っ込めた。

「はいはいはい。これでカノンちゃんが嘘ついてなかったってわかっただろ? ドナ姉ちゃん」

 言いながら私の元へ歩いてきたのはアルさんだ。

 それまでずっと黙って事の成り行きを見守っていた彼はドナをまっすぐに見据えた。

「とりあえずさ、ドナ姉ちゃんはちょっと落ち着けって。トムもびっくりしてるぜ?」

 ドナははっとしたように背後を振り返った。

 戸惑うトム君にアルさんは笑顔で言う。

「トム、モリスちゃんとこ行ってやりな」

 するとトム君はドナを気にしながらもしっかりと頷いて駆け出した。

 それを見送ってからアルさんは続ける。

「さっきの詰所でもさ、家族が心配だって気持ちはわかるぜ? でもあれじゃ、せっかく勇気出して謝ったトムの気持ちが台無しだぜ」

 今度は、ドナが言葉を失っていた。

「っと、その前にだ」

 アルさんがひょいと体の向きを変える。

「お前さんは、一体何しにここに戻ってきたんだ?」

 アルさんはツリーハウスの真下に一人残っているクラヴィスさんに訊いた。

「見たとこ、そのツェリってモンスターや子供たちを捕まえにきたってわけでも無さそーだしよ」

 クラヴィスさんは答えない。

 なぜ、すぐに答えられないのだろう。悪い人では無いと思いたいけれど……。

 ツリーハウスから離れたこの位置からではその表情がよく見えなかった。

「あの金髪の兄ちゃんは人違いだったって、お前さん言ってたよな?」

「え?」

 それにいち早く反応したのはドナだった。

 ドナはツェリから手を離すとクラヴィスさんを見つめながらゆっくりと立ち上がった。

 そして私は思い出す。

 そういえばあの金髪の彼はどこだろう。

 ドナを追い掛けていく姿を最後に、彼を見ていない。

(まさか、山の中で迷子になんてなってないよね……?)

 気にはなったが、ドナが不安そうに胸にかかった笛を握っているのを見て、私は口を噤む。

 クラヴィスさんの正体がわからないうちは、彼のことを口に出さない方がいい気がした。

 やはり無言のままのクラヴィスさんに、アルさんは短く息を吐く。

「セリーンが言うにはよ、お前さんまず傭兵っての嘘だろ」

「え!?」

 思わず声が出てしまっていた。

「剣を合わせててわかったってよ。そんじょそこらの傭兵の剣じゃない、正規の訓練を受けた者の剣だってな」

 ――正規の訓練?

 アルさんが低く続ける。

「お前さん、どっかの軍人……や、騎士だろ」

 私は目を見開く。

(クラヴィスさんが、騎士……?)

 だがそう言われると、確かに彼は“傭兵”と言うより“騎士”と言われた方が納得できる雰囲気を持っている。

 彼には今まで見てきた傭兵たちには無い、気品が感じられた。

「それも結構な階級と見たね。――そのお偉いさんが、身分を偽ってまで捜してるくらいだ。その金髪の男ってのは一体どんなお方なんだろうな?」

 探るような言い方。

 それに答えたのはクラヴィスさんではなかった。

「もしかして、お前、なのか?」

 ドナだ。

 彼女はクラヴィスさんに向けて震える声で訊いた。

「お前、ツェリを連れ戻しに来たのか?」

 一瞬、聞き間違えかと思った。

 けれど、アルさんもきょとんとした顔でドナを見ていて、それが聞き間違えでないとわかった。

(今、ツェリを連れ戻しに来たって、言ったんだよね?)

 ツェリは先ほどから変わらずずっと心配そうにドナを見上げているけれど。

 と、そのとき長い長い溜息が聞こえてきた。クラヴィスさんだ。

 彼はゆっくりとした足取りで暗闇から出てくると、神妙な顔つきではっきりと言った。

「もう終わりにしましょう、殿下」

 ――でんか?

(電化……製品は、まだこの世界には無いはずだし……)

 その単語が頭でちゃんと漢字に変換されるまでに少しの間を要した。

 “殿下”――それは高貴な身分の人に使う呼び名だ。

 クラヴィスさんの視線の先にいるのはツェリ。……に見えるけれど。

 ツェリはようやくドナから視線を外し、ゆっくりとクラヴィスさんの方を見た。

 しかしさもつまらなそうにふいとそっぽを向いてしまった。

「殿下! お戯れもいい加減になさってください。皆貴方様の帰りを待っているのですよ!?」

「――ちょ、ちょっと待ってくれ」

 声を荒げるクラヴィスさんにアルさんが遠慮がちに声をかける。

「なんつーか、さ。……さっぱり意味がわからねーんだけど」

 アルさんが、私の気持ちを見事代弁してくれた。

 クラヴィスさんは大声を上げてしまったことを恥じるように咳払いひとつしてから私たちの方を見た。

「失礼しました。つい……」

「いや。あのさ、俺にはお前さんが話してる相手があのモンスターに見えるんだが」

「……はい。私はあの方に用があるのです」

 はっきりとそう答え再びツェリを見つめるクラヴィスさん。と。

「ツェリ。もう終わりだってさ」

 ドナが静かに言った。

 彼女は徐に首にかかった笛を外し、皆が見つめる中その突起を口に含んだ。

 ピィーーっ

 聞き覚えのある澄んだ音色が夜の山に高く響く。

 ――次の瞬間、驚くべきことが起こった。

 ツェリの身体がみるみる人間の姿へと変化していく。

(えぇ――!?)

 それはまるで、ラグが子供の姿から元の姿へ戻るのを見ているようだった。

 そして、あんぐりと口を開ける私とアルさんの前に現れたのは、あの金髪の彼だった。

 ツェリの象徴とも言えるあの額の角も消え、それがあった場所にはエルネストさんのものと似た紋様が残る。

 ラグの変身で免疫が出来ているとはいえ、私はしばらくの間目の前で起こったことを受け入れることが出来なかった。

 後ろで、ざっと地面を擦る音がした。

「ツェリウス殿下。ご無事で何よりです」

 見るとクラヴィスさんは片膝をつき、恭しく頭を垂れていた。




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