「ラグ!」

 彼の後ろに追いついた私は息を整えつつ声を掛けた。

「ありがとう!」

「……なんでお前に礼を言われなきゃいけないんだ」

 とびきりの笑顔で言ったのに、こちらを見てもくれないでこの冷たい一言。

 その態度に少しむっとしながらも私はそのまま笑顔で続けた。

「だって、全部ラグのおかげで解決したでしょ? だから、ありがとう!」

 そう、過去がどうであれ、ストレッタの術士である彼がいたからこそ、こうして上手く行ったのだ。

 上手く行く保証も無いのに“銀のセイレーン”の力でなんとかしようとしていた自分。

 最後向かってきたあのカルダの形相を思い出し、もしあの時一人だったら……と、今更ながらにぞっとした。

「あの野郎が気に食わなかっただけだ」

 ……どういたしまして、なんて言葉が欲しいわけではないけれど、せめてこちらを向いて答えて欲しい。

「あ。でも、銀のセイレーンのこと言っちゃって大丈夫だったの? 調査とか嘘ついちゃって」

「遅かれ早かれ、この国にはなんらかの調査が入るだろう」

 そう答えてくれたのは後ろのセリーンだった。

「え、なんで?」

「ルバートでのことを思い出してみろ。その男も先ほど言っていたが、カノンがライゼ達を助けるところをあの場にいた全員が見ていた。銀のセイレーンと闇の民が関係しているかもしれないと、普通は考えるだろう」

「あ、そっか……」

 自分のことで精一杯であの後ルバートがどうなったかなんて今まで考えもしなかった。

 私たちがビアンカに乗って飛び立った後も、きっとあの街は大騒ぎだったに違いない。

 ……その騒ぎの中心が自分であることが、いまだに信じられないけれど。

「だがまぁ実際は、銀のセイレーンを助けた者がストレッタの魔導術士であることの方が問題になっていると思うがな」

 セリーンがラグの背中を冷たく見つめながら言い、私ははっとする。

 ルバートに入る際ラグは先ほどのバッジを兵士に見せ身分を明かした。その直後にあの騒ぎだ。すぐにあの時の3人だと特定できたはずだ。

「そ、そうだよね。ごめんラグ! 大丈夫なの……?」

 ライゼちゃん達を助けたことは当然のことだとしても、思っていた以上に自分の行動によってラグに迷惑をかけていたと気づいて焦る。

「礼を言ったかと思えば次はごめんかよ。っとに面倒な奴だなお前は」

「う……」

 心底呆れたような声が返ってきて私はもう一度真剣に謝る。

「本当に、ごめんなさい……。その、ストレッタに戻った時、なんか立場とか悪くなったりしない?」

「さぁな。立場なんざ今更気にもしねぇが、一度報告がてら戻るつもりだ。今頃ランフォルセの奴らが、ストレッタに使者でも送ってる頃だろうからな」

 歩きながらさも面倒そうに言うラグ。

 使者、という言葉に重さを感じて私は思わずごくりと喉を鳴らした。

「この国を出たらストレッタに行くってこと?」

「あぁ」

 噂のストレッタに行くと知り、胸がざわめいた。

 話を聞く限り、怖いイメージしかないストレッタ。一体、どんなところなのだろう。

「しかし、ここからストレッタへ行くとなると何ヶ月かかるかわからんぞ」

 セリーンも気が進まないのだろうか、眉を顰め言った。

「え、そんなに遠いの?」

「ストレッタはランフォルセよりも更に北の地にある。私もまだ行ったことはないが……」

「北……。なんか、寒そうだね」

「あぁ、極寒の地だと聞く」

「極寒……!?」

 思わず顔がひきつってしまった。と、

「この国に比べたら断然過ごしやすい」

ラグからそう酷く不機嫌そうな声が返ってきた。

 そういえば、彼はこの国に来てからずっと「暑い暑い」と繰り返していた。ずっと寒いところで育ってきたなら、そういう文句が出てしまうのも仕方がないのかもしれない。

「また、あのビアンカを貸してもらえたらいいのだがな」

「あ、そうだよね! ライゼちゃんに頼んでみようよ!」

 乗り心地は良いとは言えないけれど、何ヶ月もかかってしまうよりはずっと楽だし早い。

 ラグも何も言ってこないところを見ると異論は無いということだろう。

「でもライゼちゃんはきっともうこの国から出られないよね。ライゼちゃんがいなくてもビアンカ、ちゃんと言うこと聞いてくれるかなぁ」

「そうだな。……それがだめなら明日来るというランフォルセからの連絡船に乗せてもらうか」

「やー、それはちょっと……」

 冗談だが本気だかわからないセリーンの意見に私は苦笑する。

 カルダと同じ船内で何週間も過ごすと思うと胃がおかしくなりそうだ。そう思った矢先。

「冗談じゃねぇ。あの下衆野郎と同じ船になんて乗ってられるか」

 吐き捨てるようにラグが言った。彼も同意見だったみたいだ。

「そういえば、ラグあの時なんで急にカルダに会いにいく気になったの?」

 私は気になっていたことを訊ねる。

 ラグは最初のうちずっとカルダに会いに行くことを反対していた。でもあの農園を見たら急に怒りだし自分からカルダの元へと向かっていった。

 やはりあの放火が許せなかったのだろうか。

 だが、ため息とともに返ってきた答えは意外なものだった。

「テテオの収穫が減ると面倒なんだよ」

「え?」

「あの実で作った食いものが異様に好きな奴がいてな、無くなると大騒ぎしやがんだ。っとに、余計なことしやがって」

(……テテオの実で作ったって、ライゼちゃんが言ってた甘いお菓子のことだよね)

 言い方からして、きっと親しい人物なのだろう。ストレッタにいる人だろうか?

 なんとなく直感で、女の子なような気がした。

(ひょっとして、ラグの大事な人だったり?)

 しかしそうだったとしても、あの時の彼の怒りようは――。

 私はそこで小さく首を振る。

 きっと、今はこれ以上の答えは聞けないだろう。

 私はラグの背中を見つめながら、もう一度笑顔で言った。

「でも、ラグが来てくれて良かった。本当にありがとう」



「村が見えてきたぞ」

 セリーンの声にラグの向こうへ視線をやると、村と、そして他とは明らかに違う色となった農園が見えた。

 カルダのことは解決しても、あの農園はすぐには元に戻らない。またあの実が出来るようになるまでに、一体どれだけの時間が必要になるのだろう。

 改めて身勝手な理由で農園に火を付けたカルダに強い怒りを感じた。

 と、村の入り口に近づいたときだ。

「オレは先にあいつらの家の方に戻ってる」

「え!?」

 ラグが急に進路を変え、村ではなくその脇に広がる森の方へと歩いていき驚く。

「なんで!? ラグも一緒にライゼちゃん達に……」

「めんどくさい」

 きっぱりと言われて一瞬唖然となる。

 しかし彼の足は止まらない。

「で、でも戻り方わかるの!? 森の中で迷子になったりとか」

「お前と一緒にするな。……最悪、こいつを起こせばいい」

 自分の後ろ髪を軽く指差しながらすたすたと森の中へと入っていく彼を、私は少しの間ぽかんと見送っていた。

「放っておけ。これで私たちより遅く戻ったら思いきり笑ってやればいい」

「う、うん……」

 これからライゼちゃんに色々と説明するのにラグがいた方が助かるのだが、仕方がない。

 そして再びベレーベントの村に足を踏み入れた私とセリーン。

 いまだ焦げた臭いの漂う農園をやりきれない想いで通り過ぎてすぐ、広場にライゼちゃんの姿を見つけた。

 でも、同時に彼女の前に集まった人々に気づき、足を止める。

「どうした、報告するのだろう?」

 背後のセリーンに言われても私の足は動かない。

 集まっている人々はその数から見てこのベレーベントの村人全員に思えた。

 ざっと50人くらいだろうか。女性と老人がそのほとんどで、聞いていた通り若者が極端に少ない。

 きっと、あの中に昨夜クラール君の家から逃げて行った子供たちの母親もいるはずだ。

 混乱の原因である私が、フラフラ出て行ってしまって平気だろうか。

 ライゼちゃんの説得は上手くいったのだろうか。

 と、そのとき突然「あー!」という高い声が上がった。

「おねえさんたち帰ってきたよー!!」

 こちらを指さしてはしゃいだような声を上げたのは一人の女の子だった。

 一斉に皆の視線がこちらに集まりどきりとする。でも、

「ホントだ! お姉さーん!!」

「おかえりなさーい!!」

 昨日テントの中で一緒に歌ってくれた子たちだろう。見覚えのある子供たちが嬉しそうにこちらに手を振ってくれている。

 誰もそれを咎めたり、逃げていったりしない。

 ぽんっと肩に手を置かれた。

「ほら、行くぞ」

 セリーンが微笑んでいた。

 頷こうとしたそのとき、「カノンさん!」と声を上げライゼちゃんがこちらに駆け寄ってくるのが見えた。

「良くご無事で!」

 安堵の表情で迎えてくれた彼女。でもすぐに一人足りないことに気づいたのだろう、その顔が不安げに曇る。

「ラグさんは……?」

「あ。ラグも大丈夫だよ! えっと、その……疲れたから先に戻ってるって」

「そうでしたか」

 再びほっとした様子のライゼちゃん。でもその微笑はすぐにも崩れてしまいそうに見えた。

 そんな彼女を早く安心させてあげたくて、私は満面の笑顔で言う。

「こっちはもう大丈夫。カルダのことは全部解決したよ!」

「!? ……どういうことですか?」

 驚くライゼちゃんに、私は全てを話した。

 やはり火を付けた犯人はカルダだったこと。でも、そのカルダは明朝着くであろう連絡船で本国へ帰され、この先、この国にカルダのような酷い人間が送られて来ることは無いだろうと話すと、ライゼちゃんはすぐには信じられないのか半ば茫然とした顔でその赤い瞳を見開いていた。

 何より彼女が驚いたのは、それを全部指示したのがラグだということだ。

「ラグさんが……?」

「うん。なんだかんだでね、全部ラグがやってくれたんだ」

 言うとライゼちゃんはラグが入って行った森の方へとゆっくり視線を送った。

 その遠くを見る表情がなんとなく嬉しそうに見えたのは、私の気のせいなんかじゃないだろう。

(――もしかして、ラグがこの場に来なかったのって、ただ単に照れくさいから?)

 本人には絶対に訊けないそんなことを考え、私は内心小さく笑ってしまった。

 これをきっかけに、ライゼちゃんがラグのことを少しは好きになってくれたらいいなと思いながら、私もラグがいる森の方を見つめた。

 いつの間にか雨が止んでいることに気がついたのも、この時だった。 



「そうだ、ライゼちゃん。村の人たちには私のこと……」

「はい! こちらももう大丈夫です。皆まだ少しの戸惑いはあるものの、カノンさんが皆が思うような人物ではないとわかってくれました」

 そうライゼちゃんの口から聞いて心底ほっとする。

「ありがとう! やっぱり、ライゼちゃんは凄いね。村の人たちに本当に信頼されてるんだ」

「いえ。私だけの力ではありません」

「え?」

 ライゼちゃんが微笑みを浮かべながら首を横に振り、少し離れた村人たちの方に視線を送った。

「子どもたちも一緒になって大人たちを説得してくれたんです。カノンさんのこと、そして歌のことも伝説にあるような恐ろしいものではないと、一生懸命に」

「子どもたちが……?」

 胸にぽっと小さな灯がともったような気がした。

「はい。子供たち、ずっとカノンさんを待っていたんですよ。皆、またカノンさんと歌を歌いたいと言って」

 嬉しいのに、嬉し過ぎて言葉が出なかった。

 もう一度ライゼちゃんの向こうに集まる村人たちを見ると、それに気付いた子どもたちがまたこちらに向けて大きく手を振ってくれた。

「さぁ、一緒に来てください。カノンさん」



 神導術士であるライゼちゃんの威厳に満ちた声が広場に響く。

 カルダの話を聞いた村人たちは大きくざわめいた。

 はじめ信じられないという顔をしていた人たちも、ライゼちゃんの話が進むにつれ徐々に笑顔へ変わっていき、

「もう、あの男に怯えなくても良いのです」

その一言を皮切りに、村人たちはどっと沸きあがった。

 中には泣いて喜んでいる人もいて、これまで余程酷いことをされてきたのだろうと思ったらまた胸が痛んだ。

 そんな村人たちの姿を、ライゼちゃんの傍らに立つヴィルトさんも眩しそうに目を細め見つめていた。

 ――ライゼちゃんは新たな混乱を避けるためか、終始ラグの名は出さなかった。

「しかしライゼ様、農園はどうなるのです? あれでは何も作れやしない。わしらの食うものも残り少ないというのに」

 一人の年老いた男の人の言葉に村人たちの顔に不安が戻る。

 でもライゼちゃんはそんな村人たちに笑顔で答えた。

「起こってしまったことは仕方ありません。また一から作り直しましょう。苗や皆の食糧は他の村から分けてもらえるよう私から頼みます。しばらくの間、皆には辛い想いをさせてしまいますが、私も出来る限りのことはします。皆で力を合わせて頑張りましょう」

 すると、興奮したような大きな歓声があちこちから上がった。

「そうだ! もうカルダはいないんだ。皆で力合わせてあんな奴いない方がうまくやれるんだってところをランフォルセの奴らに見せてやろうぜ!!」

「そうよ、あの男がいないならどんな苦労も辛くなんてないわ!」

 再び笑顔を取り戻しお互い顔を見合せて喜びを分かち合う村人たちを、とても綺麗な笑顔で見つめるライゼちゃん。

 ――このフェルクレールトとランフォルセとの関係が良くなったわけじゃない。

 他国へ連れていかれてしまった人達が戻ってくるわけじゃない。

 でも、ライゼちゃんやこの国の人達がこうして笑っているのを見ていると、何かが大きく変わったような……そんな気がしてならなかった。

「カノンさん、こちらへ」

「え?」

「皆に紹介させてください。セリーンさんも一緒に」

 にっこり笑ったライゼちゃんに促され、私は慌ててセリーンの顔を見上げる。

「私は遠慮しておこう。柄ではない」

「え、でも、私も」

 皆の視線がこちらに集中しているのを感じ、私も柄じゃないよと言いかけたそのときだ。

「お姉さん、また歌ってよ」

 聞き覚えのある声に振り向き驚く。

「クラール君!」

 そう、あのクラール君が友達に支えられながらも自分で立って、私に笑顔を向けてくれていたのだ。

 初めて彼を見た時よりも大分顔色が良く、確実に回復に向かっているのがわかった。

「僕も、今度は一緒に歌いたいんだ」

「そうだよ! お姉さん! 早くこっち来てよー!!」

「一緒に歌おー!!」

 そんな自分を呼ぶ声に、一気に全身の熱が上がる。

 私はセリーンに軽く背中を押され、おずおずとライゼちゃんの隣へ進み出た。

「皆もう知っていると思うけれど、この方がカノンさん。カノンさんの歌のおかげでこのクラールも目を覚ましました。そして危険を顧みずにカルダのもとへ行ってくれました。私はカノンさんに深く感謝しています」

 恥ずかしさのあまり視線が上げられない。きっと、今自分の顔は茹ダコのように真っ赤になっているだろう。

 と、ライゼちゃんがこちらに身体を向けたのに気付き私は漸く視線を上げる。

「元々私がこの国へカノンさんをお連れしたのは、皆にカノンさんの歌を聴いてもらうため……。カノンさん、もう一度歌ってください。子供たちと歌ったあの歌を」

 途端、子供達から歌って歌っての大コール。

 心の準備も何も出来ていなくて頭が真っ白になりかけたけれど、その無邪気な笑顔に釣られていつの間にかこちらも笑顔になっていた。

「それじゃあ、昨日みたいに、皆も一緒に歌ってね!」

 子供たちの歓声、そして合わさる歌声。

 大人たちは私の髪色の変化に驚いていたけれど、逃げていくような人は一人もいなかった。

 さすがに一緒に歌ってくれることはなかったけれど、嬉しかったのは私と同じように子供たちに釣られ皆笑顔になっていたこと。


 ――私はもうこの国を出てしまうけれど、もしかしたらその後もこのフェルクレールトの地に歌声が響いていくのではないかと、そんな確かな予感がした。




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