「銀のセイレーン!?」 ブライト君が私の方を見ながら素っ頓狂な声を上げた。 「って、あの、伝説の……ですか?」 その目には色んな感情が織り交ざっていた。 勿論その中に“破滅を導く者”への畏怖も見えたけれど……。 (どちらかっていうと「この人が?」って感じ) 頭の中に“銀のセイレーンは絶世の美女”というラグの言葉が蘇っていた。 私はどうにも居心地が悪く、とりあえず大分ぎこちないだろう愛想笑いを浮かべてみた。 そんな私を見てブライト君がますます怪訝そうに眉を寄せたのは、言うまでもない。 ――ライゼちゃんのテントの前に今全員が集まっていた。 セリーンは私のすぐ横に。ラグは近くの木に寄りかかりいつもの如く不機嫌そうに腕を組んでいる。その髪の毛ではブゥがぐっすりお休み中だ。 ヴィルトさんも一日寝て流石に全快したようで、つい先ほどラウト君と共にしっかりとした足取りで歩いてきた。 彼は元戦士だという。初めて出会ったときと同じ、今は十分にその風格が漂っていた。 「そうだよブライト! お姉さん歌うと髪の毛が銀色に変わるんだよね」 微妙なこの場の雰囲気を吹き飛ばすような元気な声に、私はびくりとする。 「え!? あ、そ、そうなんです。何でか自分でもわからないんだけど……あははは」 「ライゼ様、それが真実だとしてなぜこの地へ……!?」 ブライト君は空笑いする私からさっさと視線を外し、困惑するようにライゼちゃんに訊いた。 「カノンさんに歌っていただくためです」 「歌って……って、しかし銀のセイレーンの歌は破滅を導くと……!」 「心配ありません。その伝説は偽りです。カノンさんの歌は、人を救うものだと私は確信しています」 その迷いの無いまっすぐな言葉にブライト君は一瞬言葉を無くしたようだった。 「では、他のお二人は……」 「私はセリーン。傭兵だ。護衛としてカノンと行動を共にしている」 素早く自己紹介をしたセリーンにブライト君は戸惑い気味に一礼した。 そしてその視線がラグの方へと移る。 「あの方は……」 「魔導術士のラグさんです」 「ま……!?」 ライゼちゃんの小さな、でもはっきりとした声にブライト君の目が驚愕に見開かれた。 私が銀のセイレーンだと聞いたときよりもずっと、その反応は大きい。 ――胸がざわついた。 「な、なぜ魔導術士などをここに!? ライゼ様、御気は確かですか!?」 その声は完全に裏返っていた。 昨夜のラグの言葉が蘇る。 彼は、まるでこちらの話を聞いていないかのように目を閉じていた。 「神導術士であるライゼ様が、ま、魔導術士とこんなに近くに……こ、こんなことが……っ」 「ブライト。この方々は私の恩人だと言ったはずです。口を慎みなさい」 「し、しかし!」 主であるライゼちゃんの厳しい言葉にもブライト君は引き下がらない。だがその時。 「ねぇブライト! お兄さんね、空飛べてすっごいかっこいいんだよ!」 ラウト君の明るい声がまたもその場の雰囲気をガラリと変えた。 ポカンと口を開け、にこにこ顔の少年を見下ろすブライト君。 そして、 「魔導術士は、もう我らの敵ではない」 今まで黙っていたヴィルトさんの低い声に、漸くブライト君は口を噤んだ。 ――私はこの時初めて、以前、魔導術士とこの国が敵対関係にあったという事実を知った。 ライゼちゃんが再び口を開く。 「ブライト。頼みがあります」 「え、は、はい!」 「この場へ、村の子供達をなるべく多く集めてきて欲しいのです」 「子供?」 思わず私は訊き返していた。 「はい。カノンさんにはまず子供達の前で歌って頂きたいと思っています」 それを聞いて私は正直ほっとした。 小さな子達の前でならそれほど緊張せずに歌える気がしたからだ。 (ううん、むしろ楽しく歌えそう!) 「だが、村から子供達が急にいなくなったのでは、ランフォルセの者らが気づくのではないか?」 「あ、そうだよね、それでもしここが……ライゼちゃんのことがバレちゃったら大変だよ!」 「それは、おそらく大丈夫です」 私達の懸念に低く答えたのはブライト君だった。 「気が向いたときにだけ見回りに来るような奴らなので……」 その言葉には明らかに怒気が含まれていた。 誰かに支配されているという感覚は、平和な国でこれまでぬくぬくと育ってきた私には到底わかりっこないけれど、彼がその人たちを嫌って……違う、憎んでいることははっきりとわかった。 そして魔導術士とこの国の人たちが昔敵同士だったという事実。 ……ラグのことも、同じように憎んでいるのだろうか。 (ブライト君だけじゃない。もしかして、ライゼちゃんも?) ラグは今、どういう気持ちでこの地にいるのだろう。 彼は早くこの国から出たがっていた。 それは、単にエルネストさんがいないとわかったからではないのかもしれない。 見ると彼はまだひとり、目を伏せていた。 「ですがライゼ様、子供たちの親にはどう説明すれば」 「私が呼んでいると。他の皆も順に呼ぶと伝えてください」 「承知いたしました。それでは、早速」 私は小さく驚く。 今の会話だけでも、ライゼちゃんがこの国にとってどれだけ大きな存在なのかわかった気がした。 「ブライト」 「は」 一度背を向けたブライト君にライゼちゃんが声をかける。 と、再び振り返った彼は、明らかに動揺した素振りを見せた。 ライゼちゃんが目を細め、優しく微笑んでいた。 「あなたにも、カノンさんの歌を聴いてもらいます。そうすればきっと、私がカノンさんをここへお連れした意味がわかると思うから」 「は、はい! そ、それでは、失礼いたします!」 ブライト君は赤く染まった顔を隠すように深く頭を下げると、その場から早足に去っていった。 それを見送りながら、私は顔が緩んでいくのを止められなかった。 (思った通り!) ブライト君はやはりライゼちゃんに想いを寄せているみたいだ。 (あんな可愛い笑顔を向けられて、私だってきっと男だったら間違いなく惚れるもんね!) しかし昨夜泉でのライゼちゃんの反応からして、完全に彼の片思いのよう。 ライゼちゃんは彼の気持ちに全く気が付いていないようだった。 それをブライト君はおそらくわかっている。 立場上、婚約者のことも知らないはずがない。 そう考えると、彼の想いはとても切ない……。 (応援してあげたいな) 完全に部外者な私がそんなことを思うのは、お節介以外の何物でもないけれど、まだ会ったことのない婚約者より断然ブライト君を応援してあげたいと思った。 (がんばれブライト君!) 「おい百面相、すぐに歌えるんだろうな」 「へ!?」 突然間近で聞こえたラグの声に驚く。 いつの間にか彼は私のすぐ隣にいた。 「百面相って……私そんな変な顔してた?」 「見ていて面白かったぞ」 頬に手を当てて焦る私に答えたのはセリーンだ。 かぁっと顔が熱くなる。 ラウト君は私の真似をしているのか頬を手でぐにぐにと動かし色んな表情を作ってヴィルトさんに見せていた。 ヴィルトさんは全く表情を変えなかったが、私は更に顔が熱くなるのを感じた。 そんな私たちを見て、ライゼちゃんがひとりクスクスと笑っている。 「で、歌えるんだな? ……ぶっ倒れねぇで」 最後は私にしか聞こえないような小声で、ラグが私に確認する。 昨日私が恥ずかしいと言っていたことを気にしてくれたみたいだ。 「う、うん。大丈夫! ……多分」 最後の一言はラグへ向けて。 彼は一瞬不安そうに眉を顰めたけれど、 (うん。多分大丈夫) そんな気がした。 昨夜のラグの講義のお蔭だろうか。 依然緊張はあるけれど、それまでは無かった妙な自信があった。 それに子供達の前で歌う歌はもう決まっていた。 おそらく、今までに一度も歌を聴いたことの無い子供達。 そんな彼らにぴったりな歌が先ほどからずっと頭の中で流れていた。 「楽しんでくれたらいいなぁ」 「楽しむ? 歌で楽しむのか?」 私の何気ない一言に反応したのはセリーン。 ライゼちゃんも不思議そうな、でもどこか期待するような目で私を見ている。 ――そうだ、子供達だけじゃない。 (セリーンもライゼちゃんも……ううん、ここにいる皆が、歌がどんなに楽しいものなのか知らないんだ) 私は自信たっぷりの笑顔で言う。 「うん! 歌って、とっても楽しいんだよ!」 歌のことを早く皆に知って欲しいと思った。
子供達が集まるまでの間、特にすることがない私達はライゼちゃんの家事を手伝っていた。 ライゼちゃんは遠慮したけれど、これから何日かお世話になるのに何もしないわけにはいかない。 ラウト君とヴィルトさんは一度家に戻っていた。 私は今セリーンと一緒に昨夜使った敷布を真上からさんさんと降り注ぐ陽の下に干していた。 それだけの作業で額から止め処なく汗が伝う。 ラグはそれに参加するはずも無く、木陰で胡坐をかき先ほどから気持ち良さそうに船を漕いでいる。 それを横目で見て少しむっとするが、昨夜遅くまで付き合ってもらった手前何も言えなかった。 それから間もなくしてライゼちゃんが今度はお昼ごはんを作ってくれた。 ラウト君の提案でお昼は皆で外で食べることになり、私は美味しい手料理を口にしながら、ずっと気になっていたことを皆に訊いてみることにした。 「みんなって、本当に歌聴いたこと無いの? 一度も?」 「はい。私はあの時のカノンさんの歌が初めてでした」 「僕も〜」 ライゼちゃんと口をもぐもぐ動かしたラウト君が答えてくれた。 「でも、この世界にはセイレーンって人たちがいるんでしょ? ラグ」 「あ?」 ラグが料理を取る手を止め私を見る。 「あぁ、いるっつっても今はほとんどいないよーなもんだ」 「……どういうこと?」 「歌を使うセイレーンが普通の街で普通に暮らしていけると思うか?」 「あ、」 そうだ。 歌が不吉とされているこの世界で、その人たちが普通に生活していけるわけがない。 それは私がこの世界に来てすぐに身を持って知ったことだ。 「でも、『今は』ってことは昔はセイレーンの人たちが普通に歌ってたってこと?」 「らしいけどな。オレも詳しくは知らねぇ」 「だが、今もどこかにセイレーン達が暮らす秘境があると聞いたことがある」 「え!?」 セリーンの抑揚の無い台詞に私は声を上げる。 「それってどこにあるの!?」 「それはわからない。あくまで噂だ。それをどこで聞いたかも忘れてしまった」 私は気づかないうちに上がっていた肩をゆっくりと下ろす。 (セイレーン達の秘境……) 本当にあるのなら、その人たちに会ってみたいと思った。 どんな人たちなのだろう。どんな歌を歌うのだろう。 そして、歌が不吉とされているこの世界をどう思っているのだろう……。 「なんで、歌が不吉ってことになったんだろう」 「だから言っただろ。銀のセイレーンが世界を破滅させるって言い伝えがあるからだ」 「でも、昔はセイレーンの人たちが歌ってたんでしょ? それってどのくらい昔なの?」 「知るか!」 ラグはイラついたように私から目線を外し、料理を口に押し込んだ。 ……これ以上は答えてくれなさそうだ。 「ヴィルトさんも、歌、聴いたこと無いですか?」 この場で最年長のヴィルトさんにも訊いてみる。だが。 「あぁ。無い、な」 低く答えてくれたヴィルトさんに私は小さく嘆息する。 「でも、」 と、そこで口を開いたのはライゼちゃんだった。 「初めてカノンさんの歌を聴いたとき、不思議と、それが“歌”なのだとすぐにわかりました」 「そういえば、そうだったな」 セリーンもそのときのことを思い出すように私を見た。 だがそれに答えたのは不機嫌そうなラグの声。 「髪が銀に変わったからだろ。あの時あの場にいた奴は皆“銀のセイレーン”のことが頭にあったはずだ。……考えりゃすぐにわかるこった」 「あ、そっか。そうだよね。……何で銀色に変わるんだろ、私の髪」 私は自分の何の変哲も無い黒髪をいじりながら呟く。 その問いに答えてくれる者は流石にいなかった。 それを知っていそうな人物は唯一人だけ。 (エルネストさんはどこまで知っているんだろう) 彼は歌のことも知っているようだったし、それに。 「みんな、楽譜って知ってる?」 「ガクフ?」 皆怪訝そうな顔だ。 歌は音楽の基本。その歌をこれまで歌ったことも、聴いたこともなかった皆が“楽譜”というモノを知らないのは当然のことかもしれない。 でもエルネストさんは確かに「その楽譜は僕が持っている」――そう言っていた。 一層、彼の謎が深まってしまった。 ……今度はいつ現われてくれるのだろう。 訊きたいことはたくさんあるのに、いざ彼を目の前にするといつもうまく話をすることが出来ない。 むしろ謎が増えていくばかりだ。 私は料理を口に頬張りながら彼の優しげな笑顔を思い浮べていた。 |