そして、ルバートを発ってから4日後の夜、私達はフェルクレールト上空へと到着した。

 ここまで来る間にどんどん気温が上昇していくのがわかった。聞くとフェルクレールトはとても暑い国らしい。

 予定よりも遅くなってしまったのは、私達が途中キャルムの町や他にもいくつかの町に降りて休憩をとったからだ。

 流石にビアンカの上で眠ることは出来ず、食事のついでに昼間から開いている宿で仮眠をとったりもした。

 勿論、ビアンカが下りる場所は町から少し離れた人目の付かない場所。

 地上に下りるたび、ヴィルトさんは真っ青な顔でその場に横たわってしまった。

 その姿を見ていると、ラウト君がルバートで危険を冒してまで薬を買いに行こうとした気持ちがわかる気がした。

 一方、ブゥが高い場所を怖がったのはあの時だけで、キャルムの町を飛立つときにはもう、いつものようにラグの頭に乗って風を楽しんでいるようだった。

 それを見たラウト君は、「またお父さんだけになっちゃったね」とこっそり呟いていた。

 そして今、ビアンカは少しずつフェルクの地へと高度を下げている。

 眼下には深い森。その先、森が途絶えたところに点々と灯りが見えた。

 あれが、ライゼちゃん達“闇の民”が住む町なのだろうか。

(な、なんか緊張してきた……)

「あそこに見えるのが私達の家です」

 ライゼちゃんが指差したのは灯りのある方ではなく、森の方だった。

 確かに、そこには上空からでないとわからないような、円錐状の高いテントらしきものが見えた。

 そして、ビアンカは木々の合間を上手く縫うようにして静かに森の中に着地したのだった。



 虫の声が煩いくらいに響く鬱蒼とした森の中。

 高い木々によって月明かりは遮られ、辺りは気味が悪いくらいに真っ暗だった。

 私達はライゼちゃんたち姉弟に案内され、先ほど見えたテントに向かっていた。

 湿気を帯びた、むっとした暑さに服の下がすぐに汗ばんでくる。

 元々涼しそうな格好のセリーンが羨ましかった。ラグはさっさと上着を脱いで腰に巻き付けている。

 ヴィルトさんは私達の後ろをゆっくりと歩いていた。

 暗いせいでその表情はわからなかったが、家に着いたらすぐにでも寝込んでしまいそうだなと、私はこっそり苦笑した。

 そんな私達の横をビアンカの体がズルズルと這い進んでいる。先ほどまでその上に乗っていたとはいえ、改めてその大蛇の姿を見てゴクリと喉が鳴ってしまった。

 と、先行くライゼちゃん達が足を止めた。

 まだテントは見えないのにと疑問に思っていると、その場にぽっかりとほら穴が開いているのに気がついた。

 そのほら穴の前には何かを捧げるような台が置いてあり、まるで神様を祀った祠のような厳かな雰囲気があった。

「ビアンカ、本当にありがとう。ゆっくり休んでちょうだい」

 ライゼちゃんがビアンカの首辺りを摩りながら言う。

「ありがとー!」

 ラウト君も元気良くお礼を言うとビアンカは二人に返事をするようにチロチロと舌を出した後、その暗い穴へと入っていった。

 ……ひょっとして、ここがビアンカの住処なのだろうか。

 私も遅れて「ありがとう」と言ってみたが、もうその姿は見えなくなっていた。

「ねぇライゼちゃん。もしかしてビアンカって、なんか凄いモンスターなの?」

 我ながら間抜けな質問だと思ったが、ライゼちゃんはにっこり笑って答えてくれた。

「はい。ビアンカは私達フェルクの民にとって神聖な存在です。彼女を代々祀るのが神導術士の役目でもあるんです」

 代々、ということはビアンカは相当長生きしているのだろうか。

 そして、そんな神聖な存在に跨ってしまって本当に良かったのだろうかと、私は今更ながらに心配になった。でも、

「本来なら、こんなふうにビアンカをこの国から連れ出すことなどあってはならないことなのですが……ビアンカは私の願いを聞き入れてくれたんです」

 嬉しそうに話すライゼちゃんを見て、私も自然と笑顔になっていた。

「もうすぐだよ、僕達の家!」

 ラウト君がはしゃぐように言った。――そのときだ。

「!?」

 私はいきなり誰かに後ろから突き飛ばされた。

 突然のことに対応できるわけもなく、私はそのまま地面にカッコ悪く倒れ込む。

 同時、トスッという音が聞こえた気がした。

「な、何?」

「起き上がるな!」

 鼻を押さえながら体を起こそうとすると、ラグに怒鳴られた。

 さっき突き飛ばしたのもおそらく彼だろう。

 彼は素早くナイフを抜き、セリーンもすでに大剣を構えていた。

 何事かと先ほど音のした方を見上げて、私は目を見開く。

 私が今さっき立っていた場所近くの木に、「矢」らしきものが突き刺さっていた……!

「誰です!?」

 夜の闇に凛と響く声。――ライゼちゃんだ。

 矢の飛んできた方向を鋭く見据えるその表情は威厳に満ち、先ほどまでの可愛らしい少女の顔ではなくなっていた。

 ラウト君も驚いた顔でそんなお姉ちゃんを見上げている。

 私は屈んだまま目線だけを真っ暗な森の方へと向けた。

 茂みの向こうで人影が動いた。

 そして現れた人物にライゼちゃんは驚きの声を上げる。

「ブライト!」

 ライゼちゃんの動揺したような顔を見て私はもう一度彼を見上げる。

(ライゼちゃんの知り合い……?)

 ブライトと呼ばれたのはライゼちゃんと同い年くらいのひょろっとした少年だった。

 ラウト君やヴィルトさんと同じ褐色の肌に黒い髪。彼はその長い髪を後ろで一つに編んでいた。

 その手に弓を握り締め気まずそうにライゼちゃんを見つめていたが、思い切ったように口を開いた。

「ライゼ様、一体どこに行ってらっしゃったのですか! この者たちは何者です!?」

 私達の方を指差しながらまくし立てる少年を、ライゼちゃんはまっすぐに見返す。

 そこにもう動揺の色は見えなかった。

「彼らは私の恩人です」

「恩人……? どういうことですか! 何も言わずに出て行かれて、私がどんなに心配したか!」

「心配を掛けたことは謝ります。ですが、いきなり矢を放つとはどういうことです」

 怒りを含んだその声に、少年の方がたじろいだ。

 溜息を吐きナイフを仕舞ったラグを見て、私はゆっくりと起き上がる。

 多分、もう攻撃されることはないだろう。

 セリーンもまだ剣を鞘に戻すことはなかったが、安堵した表情で彼らのやり取りを見つめていた。

「その者たちが、ライゼ様を連れ去ったのだと……思ったのです」

 明らかにしどろもどろになって言う少年。

 ライゼちゃんは小さく息を吐くと、私達の方を向いた。

「大変失礼いたしました。カノンさん、お怪我はありませんでしたか?」

「うん、大丈夫。……えっと、彼は?」

「彼は私の幼馴染で、ブライトと言います」

「幼馴染……?」

(それにしちゃ、言葉遣いとかやたら他人行儀な気が……)

 ライゼちゃんは神導術士として、このフェルクの人たちに大切にされていると言っていた。だからなのだろうか。

「ライゼ様、まだ私の話は終わっていません。今まで一体どこに行ってらっしゃったんですか。それにその格好は……」

「ブライト、この方々は長旅で酷くお疲れです。早く休ませてさしあげたいのです。詳しい話は明日します」

「は!? ま、まさかライゼ様の家に泊めるおつもりですか!?」

 彼、ブライト君の声がひっくり返る。信じられないといった顔だ。……と、

「ブライト、明日また来るんだ」

有無を言わさないような低い声の主はヴィルトさんだ。

 先ほどまで今にも倒れてしまいそうだったのに、今の彼はそんなこと微塵も感じさせないほどの威圧感があった。

 流石のブライト君も口を噤み、一礼してその場から立ち去ろうとした。が、

「ブライト!」

「はっ」

ライゼちゃんの声にブライト君がすぐさま振り返る。

「私たちが不在だったことは、皆には……」

「ご安心を。まだ誰にも言っておりません」

「そうですか、ありがとう」

 そして今度こそ、ブライト君は闇の中へと走り去ってしまった。

 思わず安堵の溜息が漏れる。

(でも、ちょっと可哀想だったような……)

 なんだか彼はとても必死そうに見えた。

「ライゼちゃん、いいの? 彼、ライゼちゃんのこと心配してくれてたんでしょ?」

「はい。彼は普段はとても温厚なのですが、心配性で。でもまさか矢を放つなんて……。本当に申し訳ありませんでした」

「ううん。でも本当に黙って出てきちゃったんだね」

「はい。言ってしまったら、反対されることはわかっていましたから……」

「僕もお父さんもびっくりしたんだよ! いきなり姉ちゃんがランフォルセまで行くっていうからさ」

 再び歩き始めると、ラウト君が器用に後ろ歩きをしながら私に言った。

 びっくりした、なんて言っているけれど、本当は嬉しかったのだろう。

 ラウト君の表情からそう感じて私は「そっか」と微笑んだ。



 そして、あの上空から確認したテントの前までやってきた私達。

 そのテントの先は見上げるほどの高さがあり、こうして近くで見ると結構な迫力があった。

 しかし細長い形のため床の面積はそこまで広くないように思える。

 この人数で果たして寝られるのだろうかと不安になったときだ。

「申し訳ないのですが、ここには女性しか入ることができないのです」

 ライゼちゃんのその言葉にラグの眉がぴくりと上がる。

「お兄さんとブゥは僕とお父さんと一緒ね! ほらあそこに見えるでしょ? あそこが僕達の家」

 ラウト君が指差した方を目を凝らして見ると確かにもうひとつ家らしきものが確認できた。

 そちらはテント型ではなく、丸みのある建物だった。

「え? 別の家に住んでるってこと?」

「はい。遠い昔から神導術士はここに。その家族はあちらにという決まりになっているのです」

 家族なのに別の家で過ごすなんて、近くとはいえ少し寂しい気がした。

 これもライゼちゃんが特別な存在だからなのだろうか。

 幼馴染だと言っていたあのブライト君も彼女のことを「ライゼ様」と呼んでいた。

 そんな彼女にこの国の人たちを助けて欲しいとお願いされ、今私はここに居る。

 そう思ったら急に、また不安になってきてしまった。

「ライゼちゃん、明日私は何をすればいいの?」

 知らず胸を押さえながら訊く。

(まさか、ステージの上で歌うなんてことはないよね……?)

 すると、私の不安を読み取ってくれたのかライゼちゃんが優しげに微笑んだ。

「明日は、まずブライトに話をしようと思います。カノンさんが銀のセイレーンであるということも……」

 聞くと、ブライト君はライゼちゃんと国の人たちとの間を行き来する、所謂パイプ役を担っているのだそうだ。

 そしてライゼちゃんの守り役……ボディーガードでもあるらしい。

「その後で、少しずつ民の皆にカノンさんの歌を聴いてもらおうと思っています」

 少しずつ、という言葉にほっとしながらも、やはり肩が少なからず重くなった気がした。

(でも、がんばらなきゃ!)

 ――そしてそのために、一つやらなければならないことがある。

「じゃあ姉ちゃん、また明日ね。おやすみなさい! お父さん行こう!」

 ラウト君に手を引かれながらヴィルトさんがそちらに足を向けた、そのとき。

「父さん、ラウト! 本当にありがとう!」

 ライゼちゃんが笑顔で言った。

 ラウト君は振り返ってにーっと笑い、ヴィルトさんもふっと表情を和らげる。

 次いでこちらに背を向けたラグを私は慌てて呼び止めた。

「あ、ラグ!」

 彼は相変わらず不機嫌そうにこちらを振り返る。

 私は小走りで彼の元へ行き、皆には聞こえないよう声をひそめて言った。

「あのね、お願いがあるの。皆が寝た後でまたここに出てきてもらってもいい?」

「……あぁ」

「ありがとう! じゃあねブゥ!」

「ぶっ」

 怪訝そうに眉根を寄せながらも頷いてくれたラグに満足し、私はセリーンたちの方に戻った。

 ――ビアンカに乗っている間、ずっと考えていたことがある。

 私は気を引き締めて、そのときを待つことにした。




 ブライトイメージ

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