――物心ついた頃には、サティラジーン辺境伯領の小さな孤児院にいた。

 親のように慕っていた先生や兄弟のように仲の良い仲間達がいた。

 だから寂しいと思ったことは一度も無かった。

 そんな慎ましくも穏やかな生活に変化が訪れたのは三ヵ月前。

 突然、私はサティラジーン辺境伯ディルディエラ四世の住まう城に呼ばれた。

 彼は珍しいものに目が無く、私のこの銀の髪を是非見てみたいという話だった。

 行きたくなかった。

 ジニーさんの言う通り、先代が早くに亡くなり若くして爵位を継いだディルディエラ四世の評判は酷いものだったから。それに。

「城に呼ばれた女性は二度と帰ってはこないという噂があったんです」

 実際、良く孤児院に出入りしていた同い年の町長の娘が、行ったきり帰って来なかった。彼女はサティラジーンでは珍しい漆黒の瞳を持っていた。

 先生もその噂を心配し行かなくていいと言ってくれた。

 丁重に断ったはずだった。

「でもその直後、孤児院に火の手が上がりました」

 二人が息を呑むのがわかった。

「証拠はありません。でも、そうとしか……」

 ――脳裏に浮かぶ赤々とした炎。そしてたくさんの悲鳴。

 膝の上の拳を強く握って私は続けた。

「そのとき初めて、皆の前で力を使いました」

「昼間と同じ魔法だね。それで皆無事だったのかい?」

「はい。皆助かりました」

 ジニーさんが安堵したように微笑んだ。

 ――そう、皆助かった。でも……。

「でも、アクアは城に行った」

 そう続けたのは王子だった。私は頷く。

「はい」

「行ったのかい!?」

「でないと、また孤児院が狙われるかもしれないと思って。それに、皆にこの力のことを……この姿を見られてしまって、もう戻れないと思ったんです」

 ――皆の驚いた顔を見て、今まで通り一緒に暮らせるとは思えなかった。

 私はその足で城に向かった。

 ディルディエラは笑顔で私を迎え入れた。何事も無かったかのように。

「問い詰めようと思いました。でも証拠がなくて……。だから私は探すことにしたんです」

「探す? 証拠をかい」

「いえ、町長の娘です」

 娘の名はアンナと言った。

 町長夫人は娘を心配するあまり病に伏せってしまったという。

 折角城に入れたのだからと、私はディルディエラの目を盗みアンナを探すことにした。

 城は想像以上に広かった。

 しかし丁度その頃ディルディエラは公務に忙しく私にかまっている余裕は無かったようで、案外その間自由に城内を探索することが出来た。

 そして、ある日私は彼女を見つけた。

「無事だったのかい!」

 安堵したように声を上げたジニーさんに私は首を横に振る。

 見つけたのは彼女だったけれど、もう、それはアンナではなかった。

「……見つけたのは死体でした」

 その掠れた声にジニーさんが目を見開いた。

 出来ることなら二度と思い出したくない光景が脳裏を過ぎり、私はそれを消す様に固く目をつぶった。

「他の何人もの女性と一緒に、綺麗に並べてありました。――彼は、ディルディエラ四世は、女性の身体を自分のコレクションのようにしていたんです」

 言いながら吐き気を覚えていた。

「そんな、」

 ジニーさんの声が私と同じく微かに震えていた。

「帰ってこなかったという女性は皆、ディルディエラに殺されていたんです」

 王子は知っていたのだろう。ただ黙って私の話を聞いてくれていた。

 ――ディルディエラは私が秘密を知ってしまったことにすぐに気がついた。

「そして、彼は私を殺そうとしました。そして私は――」

「力を使ったんだね」

「……はい」

 王子の言葉に私はゆっくりと頷いた。

「気がついたら城が半壊していました。怖くなって、私はすぐにその場から逃げ出しました」

 孤児院に帰れるはずもなく、私はその後数日間当てもなく放浪した。

 怖くて怖くてたまらなかった。

 追われていると思ったのだ。

 あんな人間でも、爵位を持った貴族。

 その彼を襲い、城を半壊させた私が許されるはずがない。

 捕まれば間違いなく処刑されると思った。

 そして何より、自分のこの力が恐ろしくてたまらなかった。

 こんなにも恐ろしい力だなんて知らなかった。

 ――イフリュード王子の私兵がディルディエラ四世を捕え、その爵位が剥奪されたという話を耳にしたのはそれから一月ほど後のことだった。

 とにかく驚いた。

 その噂の中に、私の話が一切無かったことも。

 私は居ても立っても居られず、気に掛かっていた孤児院に戻った。

 孤児院の皆が無事か、それを確かめたかった。

 遠くから見るだけのつもりが、すぐに見つかってしまい――。

「皆、泣いて私の無事を喜んでくれました」

 嬉しくて、ほっとして涙が出た。

 こんな恐ろしい力を持った私でも、これまで通り温かく受け入れてくれたのだ。

「良かったねぇ。みんなアクアのことを本当に心配していたんだよ」

 ジニーさんが涙声で言ってくれる。

 私もまた思い出して泣きそうになるのを堪えて、席を立った。

 ジニーさんがそんな私を不思議そうに見上げる。

 私はまっすぐに王子を見つめた。

「私は、イフリュード様にお礼を言うために、フェイミアに来たんです」

 そう。どうしても直接お礼が言いたくて、私は此処に来ることを決意したのだ。

 深く頭を下げて私は言う。

「サティラジーンを、私たちを護ってくださって、本当にありがとうございました」

「……いや、僕はお礼を言われるようなことは何もしていない」

「え?」

 思ってもみなかった言葉を返され私は顔を上げる。

「もっと早くにディルディエラ四世の凶行に気付けていたら、多くの犠牲を出さずに済んだんだ」

 私は思わず言葉に詰まってしまった。

 同い年なこともあって良く他愛のないお喋りをしたアンナの顔が頭に浮かんだ。同時に、あの思い出したくない光景が……。

 私は頭を振って言う。

「それでも、イフリュード様が動いてくださらなかったら――」

「手紙のおかげなんだ」

「え?」

 私は小さく声を上げる。

「僕が気付けたのは、サティラジーンから僕宛てに何度も何度も送られていた匿名の手紙のおかげだったんだ」

 目を見開く。

「情けない話だけれど、そのほとんどが僕の目に触れる前に処分されていてね。手紙のことを知ったのは極最近だった。“お願いです。どうか助けてください”という文面を見て、僕はすぐに信頼できる兵達を調査に向かわせた」

 王子が優しく微笑んでいた。

「ひょっとして、あの手紙はアクアが送ってくれていたものだった?」

 すぐには答えられなかった。

 歯を食いしばっていないと、涙がこぼれてしまいそうだった。

 私はそんな顔を見られたくなくて、大きく何度も頷いた。

「やっぱり……。ありがとう、アクア。遅くなってしまったけれど、君のおかげで僕はサティラジーンを救うことが出来た」

 ――届くわけがないと言われながらもずっと出し続けていた手紙。

 ちゃんと王子に届いたのだ。

 そして、王子は本当に助けてくれた。ここから遠く離れた場所にいる私たちを。

 胸がいっぱいで、言葉が出てこない。

 そんな私をジニーさんが席に座るよう言ってくれた。

「その後の話をしてもいいかな」

 王子がゆっくりと席に着いた私を気遣うように言う。私は頷いた。

「兵たちがサティラジーンに到着したとき、すでに城は壊され、ディルディエラは意味不明な言葉をただ繰り返すしか出来ない状態だったらしい」

 私は俯いたまま、ぎゅっと目を瞑った。

 いくら自分の身を守るためだったとしても、自分のしてしまった罪は消えない。

 でももう覚悟は出来ている。

 怖いけれど、もう逃げることは考えていなかった。

 何より、王子に直接自分の気持ちを言うことが出来て、私は今とても満足していた。

「僕は、兵たちから報告を受けて驚いた。何より、ディルディエラのうわ言にね。彼は、赤い瞳、白い翼、そして、“魔法”という言葉を繰り返し呟いていたそうだよ」

 その優しい声音に顔を上げると、王子はとても嬉しそうに微笑んでいた。

「そのときに確信したんだ。僕と同じ力を持った者がいるんだって」

 そして彼は無邪気な子供のような笑顔で、もう一度昨日と同じ言葉を繰り返した。

「僕はずっと、君に会いたかったんだ」


 ――これが、イフリュード王子様と私の運命の出逢い。






 第一部 了





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